And others 15(Episode 3)
外伝 朧月夜〜上弦〜
ジジジ・ジ………。
明かりに誘われて飛んできた羽虫が炎に包まれた。それに怯えるかのように、蝋燭の炎が揺れる。
その明かりの中に、三人の男たちがいた。
「間違いないんだな?」
「はい。今回積み込んだ荷物は全て時限式の爆弾です。爆発は明日の昼頃。解除は成功する可能性のほうが……」
若い男は言葉尻を濁した。かみ締めた唇からは血が滴る。
「どうする、船長?」
船長と呼ばれた男は炎を見つめた。その心を写し取ったかのように、炎は哀しげに揺れる。
「明日中に全員船から降ろせ」
「船長、私もお供します!」
「副長、この船はオレの船だ。お前が責任を感じるのは船員だけで充分だ」
「……はい」
副長はうなだれ、それでも返事をした。
「で、俺にはどういう命令を下すんだ、船長?」
「お前さんには何も言わんさ、好きにしろ」
三人目の男の言葉に船長は苦笑をもらした。その様子に、男は楽しそうに笑う。
「さあ、相談は終わりだ。……明日は頼むぞ、二人とも」
「……はい」
「ああ、任せときな」
二人が退室するのを見届けた後、船長は窓から空を見上げた。
月が霞んで見える。
「泣くことはない。これもまた、俺が望んだ道だ」
男の言葉に月は恥じるように雲の影に隠れた。
朧月は何をするでもなく見張り台の上から海を見つめていた。
「おう、オボロ! 暇なら買出し、頼まれてくれや」
珍しく『純潔の女神』号の甲板の上にでてきた料理長の声に、見張り台を降りる。
「珍しいな。いつもの御用聞きはどうした?」
「金が貯まったから旅行だとよ。いなくなられたら不便でいけねぇや」
「他に使えそうな奴はいないのか?」
朧月の言葉に料理長は渋い顔をしながら首を振った。
「だめだな。船の連中はもちろん、港をうろちょろしている小僧どもはダメだ。漁船じゃないからって何でこうも目利きが出来ないもんかね」
「なるほど。それで目利きの出来るオレに声をかけたってわけか」
「目利きの出来るやつぁ、船長でも使えってな。で、今は大丈夫か?」
「大丈夫だ。それで、何を買ってくればいい?」
料理長は紙片と財布を差し出した。
「今日のところは船に居残っている奴らの飯の分だけだ。他に必要なものがったら買ってきても良いぞ」
「わかった。行ってくる」
「珍しく船から降りるんだ。寄り道してこい!」
料理長の言葉に朧月は苦笑しながら手を振って答えた。
市場には活気があった。あたりには客を呼ぶ声、値引きの声――捕らえきれないだけの様々な声が氾濫している。
「人ごみに入るのも久しぶりだな」
朧月はいくつかの見せで手早く買い物を終えると、屋台の前で足を止めた。少し悩み、屋台の前に設置された席に座る。
「いらっしゃいませっス」
丁度一息ついたところで金髪の少年が声をかけてきた。屋台としては珍しい接客係らしい。
「ウチではメニューは一つしかないっスけど、一人前でよろしいっスか?」
「ああ、構わない。……ところで、人気がねぇが味の方は大丈夫だろうな?」
「……味の方は自信があるっス。だけど、お客さんには別のことで迷惑をかけるかもしれないっス」
そう言うと少年は何かをこらえるように震わせた。
「どういうことだ?」
「……なんでもないっス! 今、料理を持ってくるっスから、少々お待ちをっス!」
朧月は少年の背を目で追った。少年は「カレン姉ちゃん、一人前っス!」と、屋台に声をかけ、料理が出てくるのを待っている。
ドンっ!
派手な音に朧月は視線を向かいの席へと向けた。外見で相手を威嚇する類いの男が座っていた。
「よう、兄ちゃん。ここの飯は食わんほうがいいぜぇ?」
男はニヤニヤと笑いながら――唇が歪んでいるだけだったが、おそらく笑っているのだろう――朧月に言った。
「そうか。忠告はもらっておこう」
言葉を気にする様子のない朧月に男はニヤニヤ笑いを収めた。ゆっくりと席を立つ。
「言ってる意味をわかってくれねぇよう――」
「待つっス!」
様子に気が付いた少年が走りよってきた。男の顔を見て顔をしかめる。
「またあんたっスか! いつもいつも邪魔をするなっス!」
「んだと!? 俺は正しいことを言っているだけだ!」
男が少年の胸倉を掴んだ。そのまま持ち上げる。
「テリー!」
少年がカレン姉ちゃんと呼んでいた相手だろう。少女が屋台の方から飛び出してきた。
「やめてください! テリーを放して!」
「だったら今すぐこの店をたたむんだな! こんな――」
騒ぐ男の腕を朧月が掴んだ。気が付いたときには移動していた朧月にカレンも男も驚いた表情を見せた。
「おい、あんた。あんたが何故騒ぐのは知らんが、さすがにこれはやりすぎだぜ? ……それ以上騒ぐってんなら、黙らせる」
朧月の言葉に秘められたものに男は体をすくませ、テリーを放した。
「ちっ、わかったよ。……後悔するぜ?」
捨て台詞を残して逃げていく男を見送った朧月は椅子に座った。その朧月に、二人が頭を下げる。
「ありがとうございました」
「すごかったっス!」
「あ〜、いや、気にするな。それより、飯を食いたいんだが……」
朧月は照れくさくなって頬を掻きながら言う。
「あ! 申し訳ありません! 今すぐ持ってきますね!」
カレンは急いで屋台へと走っていった。それを見届ける間もなく、テリーが朧月に話し掛けてくる。
「アニキ、強いっスね! 普段は何をやっているんっスか?」
「あ、アニキ? オレがか?」
「ダメっスか? ……オイラ、アニキの弟分にしてほしいんっス!」
憧れに満ちていた表情が、真摯な表情へと変わっていた。
「……突然だな。何故弟分にしてほしいんだ?」
テリーの真剣さに応える朧月に、テリーは肩を震わせた。男が来る直前と同じ姿だった。
「おいらとカレン姉ちゃんは今まで孤児院で暮らしてきたんス。だけど、子供が増えてやりくりが苦しくなって、オイラ達みたいに働ける年になったのは孤児院を出ることにしたんス。外ではおいらがカレン姉ちゃんを守るって決めたのに……一緒に生きていこうって約束したのに、オイラには、力がなくって……」
「それで、俺の力を利用して代わりに守ってもらおうってのか?」
「違うっス! アニキみたいな人についていけば、きっとオイラも強くなれるって思ったから、だから……」
「……お前さん、名前は?」
「テリーっス」
朧月はテリーの目を見つめた。青い瞳が揺れている。
「テリー。オレはお前さんの力になってやってもいいと思っている。だが、オレは船乗りだ。オレについて来るってことは船に乗らなきゃならねぇ。それはつまりあの嬢ちゃんとは離れなきゃいけねぇ。わかるよな?」
テリーは頷いた。
「それにな、弟分になりたいってんなら兄貴分はもっといい奴を探しな」
テリーが口を開こうとした時、カレンが戻ってきた。器を朧月の前に置く。
「お待たせしました。暖かいうちにどうぞ」
器の中には乳白色のスープが満たされ、黄色いパスタと様々な野菜が顔を覗かせている。
「おお、こいつはうまそうだ。じゃ、さっそく――」
パァン!
スープの中にフォークを入れた瞬間、器が爆発した。
「な――なにしやがるっ!」
朧月は勢いよく通りを向いた。余りの勢いに顔に刺さった破片や浴びたスープが飛び散る。
そこには上等な衣服に身を包んだ男がいた。片手には拳銃を持っている。
「ああ、お客さん。その店は許可も取ってなくてね。食事をされては困るんですよ」
男はニヤニヤ笑いながら言った。自分の力を楽しんでいる表情だ。
「てめぇ、さっきの野郎の仲間か?」
「なんのことです? それよりも早くいなくなってもらえませんかね? これが見えないわけでもないんでしょう?」
男は銃をひょいと振って見せた。
キィン!
そして、その銃はもう前を向くことはなかった。ナイフによって弾き飛ばされてことに気がつく前に、男自身も朧月によって地面に組み伏せられた。
「へ?」
「しばらく寝てな」
朧月は手早く男を気絶させた。その手際に周囲からは拍手と歓声が起こる。
「あ〜、いや、まいったな……」
朧月は屋台に視線を向けた。驚いた顔のカレンとテリー――テリーがいない!
「嬢ちゃん! テリーはどこだ!」
走りよってきた朧月の剣幕にまたも驚いたカレンだったが、周囲を見回し、顔色を変えた。
「嬢ちゃん、あの男がどこから来たか、心当たりはあるか?」
「たぶん、このあたりを仕切っているカレンツォ一家の人だと思います……まさか!」
「嬢ちゃんはここにいな。俺が見てくる」
震えるカレンの肩に手を置いて安心させるように笑いかけてから、朧月は走り出した。
「テリーを、お願いします!」
カレンは、朧月の背中に祈った。
「カレンツォ! 出てこいっス!」
テリーは店にやってきた男の持っていた銃を拾い、カレンツォの屋敷に来ていた。
門の前から叫ぶテリーに、門番らしい男たちが銃を向ける。
「まあ、待てお前たち」
その声に、門番の男たちは緊張した様子を見せた。
門が開き、その奥から純白のスーツ姿の男が姿を現した。
「あんたが、カレンツォっスか?」
「その通り。まあ、正確にはその息子だがな」
テリーはカレンツォ・ジュニアに銃を向けた。
「カレンツォを出すっス」
「父は体が悪くてね。そう気軽に外に出るわけにはいかないんだ。だが、君の勇気に敬意を表して会うことは出来ると言っている。君にもそのつもりがあるならばついてきたまえ」
カレンツォ・ジュニアはそう言うと、テリーの様子を気にすることなく屋敷の中に入っていった。門は開いたままだ。
「…………」
テリーは、ゆっくりと中に進んだ。
老カレンツォは老いてもマフィアだった。ベットの上で半身だけ起こすその体は衰え、干からびても、その眼光は鋭い。
「お、お前がカレンツォっスか?」
テリーは手の中の銃にすがりつくような気分だった。目の前にいる老人が同じ人間だということすら怪しく思えてくる。
「そうだ。わしが、カレンツォだ」
テリーは唾を飲み込んだ。体の震えを抑えることが出来ない。
「い、市場で好き勝手するのはや、やめるっス! み、皆が迷惑してるっス!」
「小僧、何もわかっておらんな」
老カレンツォは、むしろ優しく諭すような口調でテリーに話し掛けた。
「お前の言うとおりに今すぐ市場から手を引いたとしよう。その結果、何がおきるかわかるか?」
「へ、平和になるに決まってるっス!」
「いいや。わしら以外のマフィアが市場に進出するのだ。そのマフィアも大きな組織だったらまだ良い。もし、小さな抗争状態にある組織が同時に狙ったとしたら……それは平和と呼べるかね?」
「そ、そんなこと――」
「ない、と言えるかね?」
老カレンツォは疲れたように溜息をついた。
「話は終わりだ」
老カレンツォの言葉にカレンツォ・ジュニアが動いた。テリーの持つ銃をその手ごと鷲掴みにし、部屋の外へと引きずり出す。
「ジュニアよ」
「なんでしょう?」
振り向くことなく答える息子に、老カレンツォは口を開き――
「いや、なんでもない」
心に浮かんだこととは別の言葉を口に出し、溜息をついた。
「な、何をするっス――」
バキっ! ガスっ!
廊下に出たカレンツォ・ジュニアは、騒ごうとするテリーの手を掴んだまま、その顔を殴りつけた。
「まったく、親父も甘いよなぁ。ああ、安心しろ、少年。お前はちゃんと殺してやる。あと、お前の所に女がいるそうだな? じきにここに来るからお前が死ぬ前に可愛がる所を見せてやるよ。それなら死んでも心残りがないだろう?」
「や、やめる――」
ガスっ!
顔を上げたテリーの顎にカレンツォ・ジュニアは拳を入れる。
「私のような優しい人間に殺されることを感謝しろよ?」
テリーを殴り、蹴りながらカレンツォ・ジュニアはテリーを屋敷の奥へと引きずっていった。
「なんだ貴様! 止ま――ぶはぁ!」
突然現れた影に、門番たちは銃に手をかけることすら出来ずに昏倒した。
「やれやれ、おもいきったことをしたもんだ」
朧月は屋敷を見上げると苦笑した。そのままごく自然な調子で中へと入る。
いくつか扉を開けた中に、ベットに横たわる老人のいる部屋に当たった。
「何の用かね?」
「悪いな、爺さん。人違いだ」
そう言って部屋を出て行こうとする朧月に、老人は「待て」と声をかける。
「おぬしの探している者はここより奥だ。趣味の悪い扉の部屋だからすぐにわかるだろう」
「……ありがとよ」
「あれでもわしの息子だ。できれば殺さんでくれ……と、言っても暗殺者には無駄な願いかの?」
背中にかけられたその言葉に、朧月は何も答えなかった。ただ、奥歯を噛み締める。
老人の指示通りに屋敷の奥へと進み、金メッキの施された悪趣味な扉を開けた。そこには、天井から吊るされたテリーとそのテリーを殴り、蹴り続ける男の姿があった。
「遅かったな――誰だ、お前は?」
朧月の姿に、男は眉をしかめて見せた。
「テリーの兄貴分だ。テリーを返してもらうぜ」
「……いいだろう。持っていけ」
少し思案気な顔を見せたあと、男は素直に横に退いた。
「テリー、生きてるか?」
「……アニ…キ……カレン……危な……助けに……」
走りよった朧月に、テリーは必死に話し掛けた。その言葉に朧月が顔色を変える。
「詳しいことを聞かせてもらおうか」
朧月が振り向いた。
男は銃を構えた姿勢のまま動けなかった。指を動かすだけのことが、できない。
「か、かんた、かんたん、たんな、かんた――」
男は怯えた。荒事には慣れていた筈が、この男は格が違う。睨まれただけで動けなくなるなど、こんな馬鹿な話があるものか!
「楽に死ねるとは思うなよ?」
男の意識はそれ以上、恐怖に耐えることはできなかった。
朧月は「チっ」と舌を鳴らした。テリーを背負い、部屋を、屋敷を出る。
走り続け、市場に入った。そして、屋台が目に入り――
「な、に?」
そこでは『純潔の女神』の船員たちがカレンツォ一家の人間らしい男たちを縛っている所だった。
「おう、遅かったな、オボロ!」
船員たちの一人が朧月に気がついて声をかける。
船員の声に、カレンも気がついて朧月に寄って来た。
「テリー!」
そこでテリーに気が付いたカレンが悲鳴をあげた。その声に、朧月も背負ったままのテリーを思い出した。
「おっと、病院にいかないとな。嬢ちゃん、ついてきてくれ」
「は、はい」
病院への道すがら、朧月はカレンから話を聞いた。
朧月が男を取り押さえた時に野次馬の中に『純潔の女神』の船員が数人、混じっていたらしく、朧月がテリーを追いかけた後にやってきたごろつきからカレンを守ったとのことだった。
「こんな面白そうなことを独り占めしやがってとか言っていました」
というカレンの言葉に、朧月は苦笑しながらも、「仲間っていいもんだな」と呟いた。
「あの」
と、カレンが口を開いた。
「あの、テリーの傷が治ったら、テリーを連れて行ってあげてくれませんか?」
「聞いてたのか?」
「はい。立ち聞きするつもりではなかったんですけど……」
肯いたあと、カレンは俯いた。
「それなら、嬢ちゃんのためにこいつがついてくるのを諦めたのもわかっているだろう? 嬢ちゃんはどうするつもりだ?」
「市場の人の知り合いに、この街の人ではないんですが、私たちを養子にしてくれるという人がいるんです」
「それなら何故さっさと養子にならなかったんだ?」
「テリーが、言ってくれたんです。『市場みたいな所で働いていれば、カレン姉ちゃんの母ちゃんが見つかるに違いないっス』って」
朧月はカレンを見た。俯いたままで、表情は見えない。
「私、お母さんの顔を知っているんです。だから、かもしれませんね。お母さんのことを忘れられないんです。そのことをテリーも知っていて、気を使ってくれて……」
朧月は黙ってカレンの言葉に耳を傾ける。
「テリーがこんなことになって、ようやく気付きました。私、テリーに甘えていただけでした。だから、私も強くならなきゃって、思ったんです。過去のことにこだわるよりも、今を、未来をテリーと生きるために」
朧月は足を止めて、力強く頷いた。
「そうか。……わかった。テリーは、オレが鍛えてやる」
「テリーを、よろしくお願いします」
カレンが、深々と頭を下げた。
船長が船室へと入ると、そこに待っていた料理長が片手を上げて挨拶してきた。
「よう、船長殿」
「やはり残ったか、料理長殿」
二人は顔を見合わせると「くっくっく」と楽しそうに笑った。
料理長がテーブルの上の料理を指差す。
「最後の晩餐といこうや。ま、晩じゃないがな」
「何を言っていやがる。お前のようなむさ苦しい男と顔をつき合わせて死ぬつもりはねぇよ。ついてこい」
船長はワインを2本持つと、甲板へと出た。料理長もそれに続く。
「俺は最期は彼女と迎えると決めているんだ。料理長、お前さんも特別に加えてやるぜ」
船長が足を止めたのは船首像の横だった。ワインの栓を抜き、一本を料理長に渡す。
「は、お前らしいな」
「当たり前だ。俺は最期まで俺だ」
船長はにやりと笑ってから表情を引き締めた。
「我らが最愛の純潔の女神に! そして、我が全ての友の進む先にある栄光を祝して!」
二人は瓶を高らかに掲げる。
「「乾杯!」」
END
Episode 1》