And others 15(Episode 1)
外伝 朧月夜〜下弦〜
「朧月よ、お主、出歩くことが多いそうだな」
老人の言葉に、少年はただ俯いていた。
「殺せ」
老人の言葉に少年は勢いよく顔を上げた。そこには、いつものように柔和な表情の老人がいる。
「年若いお主には女は毒にしかならん。自らの手で始末をつけて来い」
少年は口を開こうとした――が、できなかった。老人の放つ気に、完全に動きを封じられている。
「よいな、朧月?」
むしろ優しさを感じさせるその声音に、少年は何もできなかった。
「桜……」
突然の声に少し驚きながらも、少女は自分の名を呼ぶ声に振り返った。そこにある姿に、少女の頬が名前と同じ色にほんのりと染まった。
「桜、俺は……」
「朧?」
いつもと違う様子の少年に、少女は訝しげに声をかけた。
「俺は……桜……俺……」
「朧、どうしたの?」
桜が心配して手を伸ばす。
「近寄るなっ!」
朧月は桜の手を跳ね除けていた。同時に桜から逃げるかのように後ろに跳ぶ。
「え? なに? 私、なにかした? ねぇ、朧……」
「違う、違うんだ、桜」
泣きそうな顔をする桜に、朧月は思わず手を伸ばしていた。
その手に握られた抜き身の小刀に、桜が息を飲む。
「朧……何があったの?」
「桜、俺はお前を……殺さなければならない……」
それから朧月はぽつぽつと自分たちの置かれた状況を話した。朧月の話が終わるまで、桜はただじっと立っていた。
「……勝手な、話だよね……」
朧月の話しが終わった後、桜がポツリと言った。朧月は弁明することも出来ず、ただうつむいていた。
桜が、朧月の小刀を持つ手をとり、持ち上げた。その間も、朧月はただ黙って俯いていた。
「……いいよ。朧月のためなら」
桜の言葉に、朧月ははっと顔をあげた。桜は小刀を自分の喉に突き付けながら、微笑んでいた。
「好きになったんだもの。しょうがないよね」
桜の全てを受け入れようとする姿に、朧月は決断した。最も重い決断。
二人で、生きる。
月が頂点に差し掛かる頃、、二人は山奥の道を進んでいた。雲と木々の葉の隙間からこぼれる月光が、二人の進む道をまだらに照らす。
「大丈夫か? 少し休もうか?」
「大丈夫。それよりも急いで遠くへ行かなきゃ、ね?」
気遣う朧月に、桜は笑みを見せながら言った。
「だが――」
ぽつ。桜に向き直って口を開いた朧月の額に冷たいものが当たった。ぽつぽつぽつと冷たいものが増えてゆき、やがて、サーという静かな音が周囲に満ちる。
「こんな時に天気雨か……どこか雨宿りできる所は……」
「朧、あそこ!」
雨宿りできる場所を探しながら進んでいると、桜が道から外れた場所を指差した。木々の間に今にも朽ち果ててしまいそうな山小屋が見えた。
「よし、あそこに行こう」
山小屋は切り開いた場所に建てられていた。だが、今は使われていないらしく、野草の中に埋没していた。
傾いた戸を開け――引き剥がして中に入ると意外にまともだった。雨が漏っている様子もなく、床板も致命的に腐っているわけでもない。
「あ」
「どうした?」
小屋の中を調べていた朧月は桜の間の抜けた声に振り返った。
「あれ」
桜の指差す先には月があった。半分に割れた月が、ぼんやりとかすんでいる。朧月。
「朧とおんなじだね」
桜がにっこりと笑って言った。
朧はその笑顔を見、自分の名の由来となった月を見た。空の上の朧月もまた、自分を見下ろしている気がした。
「ね、結婚しようか」
少女は月を見上げながら、降り続ける雨粒を手に受ける。
「お嫁さんになる狐のお祝いをおすそ分けしてもらってさ、結婚、しよう?」
少年は少女を見つめた。
「……そうだな。結婚しよう。俺たちは、ずっと、一緒だ」
少年の言葉に、少女は心の底から嬉しそうに微笑んだ。だが、ふと、困ったようにあたりを見回す。
「桜?」
やがて少女は少年が帯びている小刀に目を向けた。少し迷った素振りを見せてから、言う。
「これ、借りるね」
少女は返事も待たずに小刀を抜き取った。その刃を使い、自分の小指に傷をつける。ぷぅ、と血の玉が小指の先に膨らむ。
「お、おい、桜。何を――」
慌てる少年を気にする素振りもなく、少女は唇に小指をすぅっ、と滑らせた。赤い、朱い――紅が、唇に引かれた。
「せめて、これくらいは……ね」
「傷を作ってまでやることでもないだろう?」
少年の言葉に少女は首を横に振った。
「女は、愛しい人には少しでも綺麗な姿を見てもらいたいものよ?」
その時少女の浮かべた微笑は、少女が初めて見せる、女の濃い、艶やかな笑みだった。
ざ、ざーん。
海に対して牙を剥く岸壁に、白波が砕ける。
「……すげぇ……」
「これが……海」
果てることなく続く青い世界に、二人は圧倒されていた。崖の上で、二人は手を繋いで支えあいながらその世界に向かい合っていた。
「これが、外の国に繋がっているんだ……」
震えを抑えきれずに言う朧月の言葉に、桜は朧月を見上げた。
「外の国?」
「ああ。南の方にある港町から、ずっと遠くの国に船が出ているって話だ。そこまで行けば、もう逃げなくてもすむはずだ」
きゅっ、と、どちらからともなく繋いだ手に力を込めた。
「幸せに、なれるよね?」
「なれるさ。俺が、幸せにしてやる」
「それは無理だな、朧月」
その声が、朧月の決意を叩き潰した。
朧月は自分の胸から鮮血が迸るのを見た。迸った後には黒刃が顔を見せる。
「な――」
振り返ると、そこには黒装束の姿があった。
朧月は自分の体から力が抜けていくのを感じた。バランスを崩し、青い世界へと体が傾いていくのを感じながら桜に目を向ける。
「さ、く――」
熱い、赤を見た。
桜は微笑んでいた。唇を染めていた紅に全身を染めながら。
『女は、愛しい人には少しでも綺麗な姿を見てもらいたいものよ?』
愛しい人に――
綺麗な姿を――
最期まで――
暗転。全ては、闇に。
END
Episode 2》