Super short 4
Fate 2
この宿には不思議なことがよく起こる。
いつだってここには奇跡が詰まっている。
そして、それと同じ様によく分からないことも多い。
たとえば――彼である。
不意に、店内に流れる音楽に耳を傾け、白いウサギはその小さな顔を上げる。
そこでは詩人がギターを片手に気前よく歌を披露している。
誰もがその言葉、その歌声、その音色に耳を傾けている。
――なのに、何故、誰も彼の事を見ないのか。
ウサギは理解できず、ただ首を傾げる。
ふと、詩人の傍らに近づくと、彼は微笑みながら話しかけてくる。
「やあ、兄弟。調子はどうだい?」
ウサギは何も言えず――。
しばらくの沈黙の後に、ウサギはそっとため息をついた。
その仕草に詩人も苦笑し、再びギターを奏で始める。
酒場には陽気な音楽が流れ、人々は笑い合いながら酒を飲みかわす。
だが、誰も彼を見ない。
――そして、彼女も。
「あら、ウェッソンどうしたの?」
赤毛の店主が黒髪の青年に問いかける。ものぐさな彼にしては珍しくせかせかと何かを探し回っている。
「いや、ちょっとインクを切らしててな。どっかに控えを置いて置いたと思うんだが……」
「あら、手紙でも書くの? 珍しいわね」
「ま、色々あってな」
そう言って彼は肩を竦める。
そんなやりとりを遠くから詩人は眺めている。
だが、誰も彼を見ない。
「はい、インク。そろそろ客が増える時間だから用事が済んだら手伝ってね」
「ああ、分かってる」
そう言って黒髪の青年は二階へと上がっていく。
誰も気付かない。
誰も、気に留めない。
ただ、ウサギだけが彼を見つめている。
ふと、詩人はため息をつく。
「……仕方ないさ、ええっとなんだったかな。こういうの。そう確か……」
ぽつりと彼は呟く。
その横顔は、とても寂しげだった。
何故彼はそんな顔をするのか。
彼を自分と同じものへと押しやったその言葉の名は――。
ウェッソン・ブラウニンは白い煙を上げながら、真っ白な紙面の前で腕を組む。
果たしてどう書くべきか。
むしろ、何を書くべきか。
自分の中で確固たる何かを決意したのだが……果たしてそれを言葉に表そうとするのはとても難しいことだ。
ふと、足音が部屋に近づいてくるのを感じる。敵意はない。
――難儀な体だ。彼女に敵意などあるはずがない。
その足音は扉の前で立ち止まり、乱雑なノックと同時に聞こえてくる。
「ウェッソン、テムズさんが呼んでますよー。いい加減店手伝わないと後が大変ですぅ」
愛らしいその声にすぐ返事をしたくなるものの、彼は慌てず、ゆっくりとパイプから口を離し、白い煙を吐く。
更に部屋の白さが増すのを彼は感じた。
そして、応える。
「ああ、分かってる」
「もう。そんなことばかり言って全然聞いてないんですからぁ」
「ああ、分かってるって」
何気ないやりとり。
いつもならめんどくさいと思うのだろうが……今はどこか心地よい。
もしかしたら、こう言うのを幸せと言うのかもしれない。
「なあに、すぐにいくさ。そろそろ終わる頃だ」
そう言って彼は筆にインクを塗っていく。
不思議と何を書けばいいか頭に浮かんでいた。
焦ることなく、だらけることもなく、ただ静かにペンを走らせていく。
――遠き友へ、久方の文(ふみ)を送る。
相変わらず父君は健在だろうか。相変わらず、君は戦い続けているのだろうか。
いつかそこに幸せな結末が待っていることを私は心より願う。
さて、今回筆を執ったのには理由がある。
真に自分勝手なことなのだが、頼みがある。
君と交わしたたった一つの約束を破ることを許して欲しい。
何故ならば――
「ウェッソン! 早くしてください!」
扉の外で少女が叫ぶ。
その言葉に、彼は嬉しそうに応えた。
「ああ、後少しだ」
詩人には記憶がない。
気が付けばふらふらとこの街を歩き、いつの間にか此処にいた。
赤毛の彼女の居る、この店に。
詩人は吸い寄せられるようにギターを取り、そして日がなギターを弾きながらこの店で暮らしている。
誰も彼に気付かない。
誰も、彼を見ない。
誰も、彼を感じない。
ただ、白いウサギが時折彼の周囲を歩き回るのみ。
意味もなく、理由もなく、ただ彼はここにいる。
赤毛の彼女を見つめながら。
彼には何か大切なものがあった気がする。
何かかけがえのないものがあった気がする。
だが、分からない。
何も、彼にはない。
失われた何かは確かにある。
けれど、詩人はそれを悲しいとすら思わなかった。
これが――結末なのだから。
ある朝。変わらない朝。
ただ、一つの異変。それは青年が早起きをしていたことだ。
「本当に、いいのかね」
老人は手紙を受け取りながら、言う。
「ああ、後悔はない」
青年は迷いなく応える。
「どこへ逃げようとも過去はお主を追う。
人殺しはどこまでも人殺しであり、生きてる限り戦い続けなければならない」
「ああ、そうだな」
答えはどこか軽薄でもあり、確かな何があるようでもあり――。
「消せない罪も、終わらない罰も全部背負ってやるさ」
微笑む青年に老人は軽く柳眉を吊り上げる。
「それでも、俺はここを出ることはない。ここを壊すつもりも、壊されるつもりもない」
「――ずいぶんと我が儘なことだ」
老人は呆れたように言う。
「ああ、あんた達には悪いが、俺も我が儘を通させて貰う」
青年はコインを取り出す。
約束のコイン。
「単純なことさ」
青年は戯れに右拳の上にコインを載せる。
「誰が相手だろうと、何があろうと、大事なものは全て俺が守り抜く」
そして、親指を弾く。
「ただそれだけのことさ」
甲高い金属音と共にコインは宙を舞う。
そして次の瞬間――。
いつの間にか二人の立ち位置は入れ替わる。
互いの手には魔法のように得物が現れ、互いの急所には当然の如く相手の武器。
老人の眉間には銃口。青年の喉元には刃。
「成る程……。強くなったな」
「どういたしまして」
冷たい鉄の感触を味わいながら、老人は刃を引く。刃は、相手に触れてはいなかった。
刃を杖の中へと戻し、老人は帽子のずれを直す。
「では、確かにこの手紙は届けよう」
「ああ」
青年は満ちた表情で応える。見ているこっちが羨ましいと思うほどの清々しい表情だ。
「では、次は子供の顔でも見せてくれ」
「……なっ?!」
青年が何かを返す前に、老人は笑い声と共に深い霧の中へと消えていった。
「………………誰のだ?」
しかし、誰も応えるはずもなく――。
「あら、今日は早いのね」
バケツ片手に女性が出てくる。赤毛の店主を上から下までなんとなく見つめ直し。
「――――ま、色々あってな」
そう言って青年は店の中へと入っていた。もう一眠りするのもいいだろう。
「……? なんか失礼ね」
取り残された店主は釈然としないものを感じ立ち尽くす。
が。
「あら、テムズちゃん、おはよう」
「ああ、おはようございます」
こうしていつもの朝が始まる。
夜。いつものように人が集まり、酒を飲みかわす。
いや、ここ最近は客が増えている気もする。いい傾向だろう。
別段この店が改装されたわけでもなく、新メニューが加わったわけでもない。
ただ変わったのは……。
今日も詩人は歌を歌う。その歌に人々は癒され、店の中へと惹き込まれていく。
詩人は笑う。だが、誰も彼を見ていない。
それは空気のようにただそこに彼はある。
眼鏡をかけた金髪の少女が彼の側を通り過ぎる。
「成る程、君の言うとおりだったよ。一番やってはいけないことは――」
彼は呟く。だが、彼女は気にも留めず、店の外へと向かっていく。
相変わらずの店内。何も変わらない事実。
「よろしいのですか。確かあの赤毛の女をものにするとか言っていたような――」
遠目にフロンティア・パブを盗み見つつ、店の外で従者は言う。だが、美麗なる主人は首を振る。
「君も無粋だね。役者が揃っていない。それはフェアじゃないだろ」
主人の言葉に肩を竦める。
「恋敵はいない方がよいのでは?」
「やっぱり無粋だね、君は」
そう言って、主人は笑う。
従者はただ首を傾げるしかない。
「して、その恋敵とは?」
すると、主人は困った顔をする。
「――それが分からないんだ」
「はぁ?」
従者の呆れた声。
「けど、きっと彼はくるさ。それまで僕は大人しくまつだけさ」
「…………行きましょうか」
従者の言葉。
そして、二人は通りの奥へと消えて――。
と、そこに幸せそうな顔をした青いバンダナの青年が歩いてくる。手にはプレゼントなのか大事そうに包装された手の平大の小箱を持っている。
主人は気付く。あの形状――あの顔。
気付いた瞬間、男装の麗人は軽く足を一蹴させる。
すると青年はあっさりとひっかかり、その場で転けた。
そのショックで小箱は彼の手を離れ、コロコロと地面を転がり――工事中という書かれたテープを越えて蓋のないマンホールの中に落ちていく。
「…………あぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!」
叫ぶ鍛冶屋の青年を尻目にそそくさと美貌の麗人がその場を後にする。
「――十年早い」
そんな主人を見ながら、ぽつりと従者は言った。
「ひでぇ」
ふと、ウサギは忙しい店主の元へと駆け寄る。
「あら、どうしたの?」
赤毛の店主は足を止め、白いウサギに目をやる。
ウサギはクリクリっとした目をしばらく泳がせて……突如走り出した。
「ちょっと!」
突然のことに戸惑い、思わずテムズはウサギを追う。
しかし、狭い店内のこと。すぐに、追いつく。
レコーダーの置かれている台のすぐ近く。
と、ウサギが誰かの足にぶつかり、そこでウサギは足を止めた。
「す、すいません!」
思わずテムズは謝り――ふと気付く。
そこには白いギターを持った金髪碧眼の青年がいた。
『――え?』
突如ウサギが突進してきて、思わず詩人はギターの手を止める。
珍しいこともあるものだ。決して誰ともぶつかることのなかったウサギが初めて自分にぶつかった。
いや、当然だろう。何故ならウサギは彼と同じく誰にも――。
「す、すいません!」
ふと、彼に赤毛の店主が話しかけてくる。
『――え?』
ふたりは同時に声を上げた。
詩人が此処に来て数日、初めて二人の目があった瞬間だった。
彼は思う。彼女は大切な女性――のはずだ。
何かかけがえのない、大事な――。
だが、思い出せない。
分からない。
彼女は思う。彼はとても大事な、――なんだったのだろう。
彼は――誰だ?
とても身近にいて、気さくで、とても頼りなくて、危なっかしくて……。
だが、思い出せない。
何か忘れている。
何を忘れているのか。
そういえば――。
「ええっと……あなたの名前は?」
問われて彼は気付く。
名前。
自分の大切な名前。
それはどこにいったのだろう?
だが、そんなことはどうでも良かった。
彼女が気付いてくれたのだ。
彼女が見てくれたのだ。
ふと、店内に曲が流れる。
振りかえれば、いつの間にか黒い円盤が回転し、心地よいワルツを店内に響かせている。
なんとなく、彼は何を言うべきか分かった気がした。
「一曲お願いできますか、フロイライン(お嬢さん)?」
ある日どこかの河原で。
気がつけば、彼女は空を見上げていた。
――起きたかい?
耳元で囁かれる相棒の声。
「行かなきゃ……」
彼女は体を起こし、その漆黒の髪をかき上げた。
――どこへ?
相棒はやや、遠慮がちに聞いてくる。
「……どこかしらね? 私にも分からないわ」
頭痛があるわけではない。だが、何か脳裏に不安を感じ、額に手をあてる。
――分からないな。
「でも、何かしないといけないと思う。ええ、私は何か……」
そこまで喋って、ふと左手に違和感を感じた。
左手に目をやると――。
「宮廷楽師の紋章?」
その裏をちらりと見る。そこには何も書かれていない。
ただ、直感でそこには何か描かれていたのだと彼女は気付いた。
「――まずは、これの持ち主を捜しましょう。なんでか知らないけど……」
不意に、僅かな怒りを感じつつ、彼女は嘆息して入りかけた力を全身から抜いた。
「この持ち主には借りがある。そんな気がする」
そう言って、彼女は立ち上がった。
――もう行くのかい?
「ええ、善は急げよ」
てきぱきと自分の服装と荷物を確認する。さすが相棒である。全て揃っている。
――彼女には会わないのかい?
脳裏に浮かぶ、赤髪の親友。
僅かな時間をおいて、彼女は再び空を振り仰いだ。
「お互いの為よ」
そう笑って、彼女は今回も宿代を踏み倒した――。