The another adventure of FRONTIERPUB 46
Destiny 4
薄い――だが深い闇の中二つの影が駆ける。
弾ける銃声、響き合う金属音。
いかに習熟したガンマンであろうと、実戦での命中率は驚くほど低い。
競技のように止まったものに命中させる、あるいは規定の動きをするものを打ち砕くのなら問題はない。
だが、実戦は違う。相手が予想外の動きをする上に、自分もまた相手の動きを予想をし、それを越える動きで敵の攻撃を避けなければならない。
結局の所、銃の武器としての優位性は手加減の出来ないほどの致死性・高速攻撃・遠距離攻撃の三点につきる。それは途方もないアドバンテージではあるものの、もっ
とも大事である「命中率」がどうしても弱いのだ。
理由は単純――その莫大な間合いとは裏腹に、一撃ごとの攻撃範囲がとても狭いためだ。弾丸の攻撃範囲は直径僅か数ミリの直線――ただそれだけである。
それに対し、相手の得物は鉤爪と短刀――そして薬物強化された強靱な肉体だ。
牽制用の銃を持ち合わせているが、この1対1の状況で、相手が使ってくることはない。
戦いの舞台は人工物が作る複合的な闇の中。しかも、うち捨てられた数々の遮蔽物としてそこにはある。どう考えても相手に有利な状況だ。
幾度かの交錯の後、二人は距離を置く。
「――はぁ、はぁ」
木箱を背にウェッソンは必死で呼吸を落ち着かせる。
人間が瞬間的に出せる力は凄まじいものだ。しかし、誰にでも限界は存在する。薬物強化された相手でもそれに代わりはない。体を薬で酷使しているからこそ敵は自分
の体力の管理に気を使っている。廃人になるギリギリで理性を保ち、常人以上の身体
能力を維持しているのだ。
けれど、体力がないのはこちらも同じ。むしろ、実戦から離れている分、向こうより条件が悪い。技量を落としているつもりはないが、死に対する嗅覚はどうしても鈍
っているだろう。
「――はぁはぁ――――」
無理矢理呼吸を落ち着かせ、ウェッソンは足音を消し、気配を消し――自分の立ち位置をずらしていく。
「さすがだな! 死神。ここまで手応えがないのは久しぶりだ!」
暗闇の中、神父の声。
――当たり前だ。
一度でも捕まればそれは死を意味する。それは僥倖ではあるが、自分が勝利するためには絶対条件とも言える。
「だが、逃げるばかりでは何にもならん! お前は私を殺すんじゃなかったのか!」
声で相手の位置を把握しようとする。
しかし、遮蔽物を作りだしている断続的な閉所がそれを妨げる。おかげでこちらも向こうに気付かれていないのだが。
「知らないのか。最近の死神は優しいんだよ。懺悔の時間くらいは与えてやる!」
全ての音が唱和し、互いの音を掻き乱す。されど、それが何の音かは分かる。
ジジジジ
鉤爪で地面を削る音。
コッツ コッツ コッツ コッツ コッツ
不規則な足音。
「死神が聞いて呆れる。さっきまでの勢いはどうした!」
「成る程、懺悔の必要もないのか」
ぴたり、と足音がやむ。
ウェッソンも位置をずらすのを辞める。
目を瞑り、周囲の位置を脳内で整理し、把握する。
3メートル前方には建物の壁。自分の両隣には2メートル四方の巨大な木箱。
――では、その向こうには?
奇妙な沈黙が周囲に漂う。
無駄口を叩くことなく、ただ二人は互いの得物を構え、次の刻を待つ。
それはとても長い時間。
永遠にも思える時間が矮小な自分の神経をすり減らしていく。
無限にも続く睨み合い。
――風が駆け抜けた。
ざぁぁぁ
地面に落ちていた紙が風に煽られ、地面を走る。
先に動いたのはどちらだったか――。
そんなことを考える間もなく、気が付けば二人とも動いていた。
ウェッソンは木箱の影を飛び出し、引き金を引いた。この閉所ならば避ける隙間もないはずだ。
「――――!!」
しかし、相手の姿はそこにはない。だが、相手の気配は限りなく近い。
どこか。
背後に回られたか。いや――。
――気が付けば、足下の影が濃くなっていた。
銃声。
「あぁぁぁぁっ!」
地面に叩きつけられながらも、ウェッソンは体を回転させ、すぐにその場から離れる。
だが、神父も追撃をしない。
「ぃぃ――さすが、と言ったところか」
悔しげに呟き、ウェッソンがいた場所へとひく。
滾るような熱さと痛みが右足から寄せ来る波のごとく押し寄せる。薬によって敏感になった神経ならば尚更だ。
「――現場を退いたとは言え、あの悪魔の相棒。恐るべきポテンシャルよ!」
だがしかし、神父の顔に焦りの色はない。
左の鉤爪をペロリと舐めれば芳しい血の味と、とてもマズい肉片。
「手応えはあった。首をもげなかったが、それでも僥倖だったのかもな」
懐から注射器を取りだし、足に刺す。直ぐさま痛みは沈静化され、足が動くようになる。だが、それは傷が塞がったわけではない。あくまで痛みを感じなくなっただけだ。この状態で長時間動けばすぐに足も腐るだろう。
そう考えるととてもゾクゾクしてくる。
「いいぞ。いいぞ。死が近づいてくる。これを待っていた。殺せるものなら殺してみよ! 貴様にならそれもいい! だが、その時には貴様も神の御元へと贈ってやる!」
「神に生贄の趣味は無いはずだぜ! 神父!」
闇の向こうから声が返ってくる。
だが、その声もどこか震え、痛みに耐えているようだ。
「この世に存在する全ては神の供物となりえる! たとえそれが銃弾であろうとな!」
闇の何処かで憎らしげな舌打ち。
それももはや彼を歓喜させる材料でしかない。
「さあさあ、もっと私を楽しませてくれ!」
そうして神父は闇の中を疾走する。
「――くっそ」
相手に聞こえぬように小さく呟く。
ウェッソンは無理矢理左手を動かし、ポケットからハンカチを出す。
――左肩の肉をけっこう持って行かれた。
もはや左腕は使い物にならない。神経はまだ繋がってるから再起不能では無さそうだが、これからの戦い次第では一生使えなくなるかもしれない。
「さっさとケリつけないと」
ハンカチの端を口で固定し、動く右手だけを使って器用に右肩を縛る。布が足りないのでやや不安定だが止血が出来るだけマシとしよう。けれど、長くは持たない。早
々にケリを付けて傷を塞ぐ必要がある。
しかし、倒したところでどうなるのか。
彼は何処へ帰ればいいのか。
――もう、テムズはいないのだ。
成る程、向こうの狙いは的確だったと言えよう。
もし、サリーが殺されていたならば、神父を殺した後ずっとサリーの事を思いながらあの宿で後悔の日々を過ごせただろう。
だが、彼女が死んで――自分はどうすればいいのだ。
惚れていたわけではない。
けれど。
――本当に。
本当に大切な女性であったことに間違いない。
サリーを連れてどこか別の地に逃げればいいのか。
いや、もはや自分に彼女と一緒にいる権利があるのだろうか。
――『僕を、殺せばいい』――
不意に、脳裏に浮かび上がる相棒の言葉。
思えば奇妙な関係だった。
何故あんな奴に背中を任せていたのか。
自分はあいつと同種の人間なのか。
――『さあて、それはどうだろう?』――
声は消えない。
まるで、その声は会話をしているように――。
「――――?」
気が付けば周囲が明るくなっている気がする。
サラサラと光り輝く砂塵が辺りを漂い、周囲を照らす。
これは夢か。
それとも――自分が狂ったのか。
光の一つ一つから浮かび上がるイメージ。それはどれも自分と関わって死んだ人々。
数々の戦士と――女性達。
今更何をしに来たのか。
自分を迎えに来たのか。
彼が手で追い払うとその光達は笑いながら消えていく。
その先には――。
「…………」
――『頑固だね。君はいつになったらこっちに来るんだい?』――
風雅=スミス。
悪魔の称号を持つ男。
そして、自分の相棒だった男。
それが、目の前にいた。
物陰に隠れ、腰を下ろしている自分を立った状態から見下ろしている。
果たして一体何が起きているというのだろうか。
タタタタタタッ
迫り来る足音に反応し、ウェッソンは現実に引き戻される。
「悪いが――」
だが、目の前の相棒は消えない。
それでも、ウェッソンはそれが幻だと断言することが出来た。少なくとも、今更自分で来るほど相棒は勤勉ではない。
だから――。
「お前に構う暇はない!」
そう言ってウェッソンは立ち上がる。
既に神父は近くまで迫っていた。
薄明かりの中、ニィィと顔を歪ませる。どうやら背後の相棒の姿は見えていないらしい。
「くそったれが」
無理に急所を狙わず、腹部へと弾丸を撃つ。撃つ。撃つ。
ウェブリーの反動が左肩の傷を軋ませ、苦痛が全身に伝播していく。だが、耐えるしかない。
「くっ」
「どうした死神! お前は私に死を与えるのではなかったのか!」
迫り来る黒弾の間を縫うように神父は叫ぶ。
もはや至近距離となった間合いでこの回避運動は尋常ではない。これだけ接近していれば体を動かすよりも弾丸が早く体を突き破るはずだ。それを覆すほどの身体能力。
それに関してはあの悪魔と呼ばれた相棒以上だろう。
なんにしても、選手交代である。この距離まで近づけば逆に銃を放つよりも鉤爪が飛んでくる。
凶刃を右から感じ、後のことを考えず、ウェッソンは左へ体を倒す。
「――ぁっ」
刃が鼻先を掠めると同時に、地面と激突した左肩が悲鳴を上げる。
だが、休む暇はない。
上から迫り来る鉤爪を左右へ体を傾け、必死で避ける。
右、左、左、右。
それこそ奇跡のような確率でそれは成功し、相手に僅かな隙が出る。
攻撃が成功しない事による次の手を考える間。これは誰にでもある。いかな身体能力を持とうとも、相手は人間なのだ。
銃を上げる時間も惜しみ、足払いを敢行する。
しかし、相手もさる者。直ぐさま反応し軽々と飛び上がる。その驚異的な身体能力はウェッソンの足の遙か一メートルもの高みへとその体を押し上げる。
――攻撃は失敗。
足は虚しく近くにあった木箱を蹴る。
神父は嘲るような笑みを浮かべ、腕を振り上げる。
それに応えるようにウェッソンも引きつった笑みを返す。
だがこれは――傷が痛むからだ。
手だけでウェブリーの銃口を上に向ける。
どんなに早く動くことが出来ても、落下スピードまでは変えることは出来ない。
――つまり、相手は少なくとも数秒は空中に釘付けになる。
「飛んだのは失敗だったな」
相手の答えを聞くよりも速く、三つの銃声が轟き、周囲の音をかき消す。
遅れて上がる悲鳴。
大量の返り血を浴びつつ、ウェッソンは直ぐさま体をころがし、その場を離れようとする。
「逃さぬ!」
怒号が背中に熱い痛みを走らせる。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
背中に三つの直線が走り、思わずウェッソンは仰け反る。
それでも、ウェッソンは立ち上がった。無理矢理リボルバーを開き、空薬莢を地面に落とす。
振り向けば弾丸は相手の腹部から大量の血が流れ出ている。
「はぁはぁはぁはぁ――」
左手は震えて次の弾丸を充填できない。
それに対し、相手はギラギラと滾った目でこちらを睨み、今にも立ち上がりそうだ。
一瞬の逡巡の後、ウェッソンは左にあった木箱を蹴った。
うち捨てられた積み荷がバランスをくずし、神父の元へと雪崩れ落ちる。
それがどうなったかを確認せず、再びウェッソンは走った。
後頭部を何かが叩いた。
体が熱い。
節々が痛む。
体内に残る異物感。
あの忌まわしい人工物が自らの体を冒している。
「ああ神よ、私はまだ足りないのでしょうか」
思わず呟く。
自分はあの戦地の中生き延びたのだ。
敵味方関係なく焼き払う殲滅戦の中、自分だけがあのミサイルの雨を受けなかった。
人々はこれを奇跡と言った。
従軍神父であった彼はその時確信したのだ。
自分は神に守られていると。
戦地に残っていたのは自分だけだ。
愚かなる人間達は自らの同胞すら巻き込み領土を増やした。
硬直する戦況に業を煮やした上部が下した判断だ。
実際、自分と共にいた傭兵達は皆どうしようもないろくでなしばかりだった。
それでも彼は死んだ全ての仲間を弔い、神の御許へと送った。
後に残ったのは自分だけ。
後から来た仲間のはずの兵士達は自分に銃を向けてこういった。
「悪いがこの事を外に知られては困るんでな。恨むのなら――」
あぁ聖なるかな。
愚鈍なる神父シールはそこで初めて気付いたのだ。
――神が自分に使命を下したと言うことに!
あぁ聖なるかな聖なるかな。
目を開ければほら、数々の人々の笑顔が見える。
眩い光の粒が、神の力が自らを照らし出す。
この幾千の輝きがある限り、神の祝福がある限り、どんな闇にいようとも自分が負けるはずがない。
あぁ聖なるかな聖なるかな聖なるかな。
どんなことがあろうと父なる神は我等を見守っている。
彼は小さい頃から戦いを続けてきたわけではない。故にその絶対的な修練不足が自分と死神の間にはある。その差を埋めるには――。
彼は懐に手を差し伸べ、錠剤を取り出す。
高みへと近づくために。
はるかな神へと近づくために。
錠剤を飲み干すとぽつりぽつりと光が増えたような気がした。
気持ち悪い異物感も消えていく。
「ぁははぁっはっ! 私はまだ戦えるっ!」
ゆらり、くらり、と神父は立ち上がる。
体中に力が漲っていく。
鼻をひくつかせれば血の臭い。
香しく、嫌らしく、どこか情熱的で、汚らわしい血の臭い。
感じる。
「――Amen(確かに)」
感じる。
「――Amen(確かに)」
感じる。
「……Amen(確かに私は受け取りました)!」
全身を駆けめぐるかつてない興奮の中――神父は走り出した。
もたれかかるのも苦痛だった。
左肩と背中の傷が思考能力と低下させる。
これは思った以上に重傷だ。
体を真っ直ぐに固定できない。おかげできちっとした狙いも定められない。
目を瞑り、歯を食いしばり、ウェッソンは立ち上がろうとする。
だが、どうにも力が入らない。
「――――」
――ここまでなのか。
――『まだ早いよ』――
脳裏に響く声。
「うるさい」
――『君にはやることがあるだろう』――
消えてくれない耳障りな声。
「うるさい。消えろ」
――『分かっているだろう。どうすれば、僕が消えるのか』――
声と共にウェッソンは銃を握りしめる。
――『ウェッソン』――
「名前を呼ぶな」
弾丸なら取り替えた。
――『ウェッソン』――
「呼ぶなと言っている」
荒い息を必死で押さえながらウェッソンは目を開き、右手を上げる。
痛みのせいか意識があやふやだ。こんなに目の前に相手がいるのにぼけて見える。
だが間違いない。目の前にいる金髪は。
そして引き金を――。
「ウェッソン!!」
そこで意識がはっきりする。
「……サリー」
気が付けば目の前にはサリーがいた。
「もう、何処行ってたんですか! 探したんですよ!」
その言葉を聞いて――ああ、これは幻なんだ、とウェッソンは直感した。
「まいった。いよいよ俺も死期が近いのか」
「何言ってるんですか?」
むっとした表情で少女が言う。眼鏡のように大きなくりくりっとした目がせわしなく動いている。
「ああ、なんでもないさ流石名探偵だな。絶対に見付からないと思ってたんだが」
「ふふん、当然ですぅ。我が探偵術に死角無しっ! ですぅ」
「そうかそれはよかった……な」
そう言いながら、ウェッソンは肩を竦める。冗談もやすみやすみにして欲しい。サリーがこんな場所を見つけられるはずがない。
「さぁ、帰りますよ」
瞬間――脳裏に浮かぶテムズの姿。
ボロボロの宿の入り口で、彼女は背を向けて掃除をしている。
声をかけると彼女は振り返り、笑った。
それに微笑み返そうとした瞬間、幻想の世界は一瞬にしてひびが入り、赤く染まる。まるで鏡に銃弾が撃ち込まれたよう。
「――悪いが帰れない」
「どうしてですかぁ?」
幻のサリーは不思議そうに首を傾げている。
「帰る場所がないからだ」
いいや、嘘だ。
帰る場所ならある。
血塗られたあの場所へと自分はいつでも帰ることが出来る。
――それでも。
「もう、俺はお前と一緒に帰れないんだ」
頬を熱い何かが伝う。
我慢しようとすればするほど、目頭は熱くなり、乾いた肌を濡らしていく。
――ああそうだ。
――もう自分は帰れないんだ。
神父への怒りで忘れていたが、そうなのだ。もう帰れないのだ。
楽しかったあの頃に――自分は帰られないんだ。
「あ……あ……あ……あぁ」
そんな自分の肩をサリーはよしよし、と優しく叩く。傷口に触れられたはずだが、そんなことは気にもならなかった。
「大丈夫ですよ」
サリーは微笑む。幻とは思えないほど綺麗な笑みに思わず、ウェッソンはどきりとした。
それまでただの保護対象でしかなかった少女は。
子供のように無邪気であった彼女は、ただ子供のように泣く自分なんか問題ないくらいの――美しい女性となって自分の目の前にいた。
服が、眼鏡が、化粧が――そんなものが変わったわけではない。
ただ、彼女は変わっていた。女性としての美しさと、淑やかさ、そして何よりしなやかさをもって目の前にいた。
「大丈夫ですよ。さぁ、帰りましょう」
一瞬、その言葉に頷きかける。
だが、ウェッソンは慌てて首を横に振った。
「いいや、ダメだ。俺にはまだやり残したことがある」
そう言って肩の手を振り払う。彼女はそれに気を悪くせず、ただ微笑む。
「そう。じゃあ、終わらせましょう」
「それが出来ないんだ」
どうしようもなく情けない顔。本当は今の彼女に見せたくないのに、どうしてもこんな顔になってしまう。
「体中が痛む。立つこともできない。――俺にはまだやることがあるのに!」
思わず怒鳴り込むが、やはり彼女は怒らない。
「それはどこ?」
「分かるだろ、この傷の――」
そこでウェッソンは気付く。
――体が動く。
「――っ!」
ウェッソンは驚愕と共に彼女を見た。
その視線を包み込むような優しさで彼女は受け止めていた。
もう何がなんだか分からない。
だが、それでも――。
――彼女を信じるなら悪くない。
「――じゃあ、行ってくる」
おもむろに立ち上がり、ウェッソンは言う。
会話の流れとしては不自然だろう。
だが、彼女は動じることなく、笑みを返してきた。
「いってらっしゃい。早く帰ってきてね」
そんな彼女を背に――。
「ああ、それと――」
ウェッソンは振りかえる。
「――なんですか?」
言っておかねばならないことがある。
自分の気持ちを。
本物には言えないことでも、幻になら言うことが出来る。
だから、今まで言えなかったこの気持ちを此処で――。
「サリー、俺は――」
――そこまでだった。
それが限界。
サリーは何も言わず、ただこちらの答えを待っている。
先程までの大人びた雰囲気はどこかへと吹き飛び、いつものように快活な子供らしい雰囲気が漂っていた。
「――なんですかぁ?」
ウェッソンは息を吸い――静かに首を横に振った。
「言えないさ。そんな恥ずかしいこと」
「えーずるいですよぉ! なんなんですかぁ!」
不満の声をあげるサリー。
だが、ウェッソンは肩を竦めて言った。
「――そのうちな」
「絶対ですよ!」
「……ああ」
そう言って、今度こそウェッソンは走り出す。
自分には帰る場所がある。
だからこそ――勝つ。
ただそれだけだ。
「何処に行った狼よ! 偽りの神を語る狼よ!」
血走った目で神父は叫ぶ。
相手は完全にこちらを見失っているようだった。
ウェッソンは言葉の代わりに銃弾で返事する。
「そっちか!」
追撃の声を無視し、そのままウェッソンは走り出す。
相手の様子から、どうやら限界を超えて薬を使ったらしい。
神父は狂ってはいたが、廃人にならない程度――戦闘を維持できる程度に投薬を続けてきた。
だが、遂に限界を超えて投薬したらしい。
おかげで前より御しやすくなっただろうが、油断は禁物だ。
狂ってるとは言え最後に執着した件に関しては通常以上に鋭く頭を働かせる可能性がある。
なんにしろ、敵の弱点は分かった。
そこを攻めれば――。
「ああ、神よ。我が神よ。今あなたに狼を捧げましょう。戦うしかできぬ狼を。その為なら私は幾らでも戦え――」
「黙れ! お前はただ戦いに飢えているだけだ!」
鬱陶しい神父の口上を遮る。
「ああ、なんと愚かな。私の純粋な気持ちを汚そうというのか」
「あぁ何度でも汚してやるさ! 人間はそうやって傷ついて、汚れて、悩むんだ。でもその度に前へ進める! 罪を自覚せず、罰だけを望む貴様に神は応えない!」
走りながら叫んでせいで息切れが激しくなる。
だが、それは向こうも同じだった。
限界を超えた怒りがあり得ない奇声を作りだし、筆舌にしがたい、この世のものではない何かが背後から聞こえてくる。
――これでいい。
敵を罠にはめるには怒らせるのが一番だ。
後は――。
裏通りを駆け抜け、ウェッソンは目的のものを見つける。
建造中のビル。
まだ内部の骨組みしかない、模型のようなビル。
鍵を破壊し、その工事現場へとウェッソンは走る。幸い休業中なのか中には誰もいない。
「無駄なことを! それで逃げたつもりか!」
後に続く神父がそう言って銃を撃ってくる。だが、銃に精通していない神父は走りながらこちらに命中させることは出来ない。
そんな相手にウェッソンは言ってやる。
「これが――最終ラウンドだ!」
ウェッソンはビルの中にはいるなり、格子を盾に応戦する。
至る所で火花がはじけ、跳弾が飛び交う。
ちらりとウェッソンは背後に目をやる。
――あそこまで誘導しないと。
「イアァァァァァァア」
「――っ!」
気が逸れた一瞬をついて神父が駆けだしてくる。
――早い!
咄嗟に応戦するが、限界を超えた肉体能力は弾丸すら凌駕し、銃弾を回避する。
「後悔の果てで祈るがいい!」
ギィィィン
耳障りな金属音。
舌打ち。
背後に倒れ込んだおかげで鉤爪から逃げることに成功する。
が、直ぐさま反対方向からの追撃。
「っくそ!」
一か八かで足を突き出す。それは見事に相手の腹を蹴るが、相手はよろける事なく攻撃を実行してくる。
「――っ!」
声にならない悲鳴とともに腹部から血が吹き出る。
――痛みはともかく傷は浅い。いける。
ウェッソンはその思いこみに全てを賭け、引き金を引く。
銃声
銃声
銃声。
「おぁぁぁぁぁぁ」
たまらず仰け反る神父。
その隙にウェッソンは走る。
そして、空に向かって。
二度撃つ。
弾丸が切れ、ウェッソンは立ち止まり、直ぐさま空になった薬莢をぬく。
「悲しいな、銃使い」
声は背後から。
気が付くよりも早く体は動いていた。
右に飛ぶと同時に再び背後に違和感。
「――く」
地面を転がるウェッソンの足にナイフが突き刺さる。
立ち上がるタイミングを逸し、見上げれば、そこには喜悦に満ちた神父の顔。
「終わりです」
「――そうだな」
溜息と共に充填の終わったウェブリーが空を撃ち抜いた。
「どこを狙っている!」
嘲るような神父の笑み。
それが――彼の最期の言葉だった。
後は一瞬の出来事。
空から落ちてきた鉄工が神父の体を貫き、後を続くように数々の鉄工が神父の体を潰し、貫く。
それまで不死身を誇っていた神父はあっさりと潰されてしまったのであった。
――ほんとうにあっけない。
どうしようもない物悲しさの中、ウェッソンはゆっくりと立ち上がる。
「お前の敗因は、空を見上げなかったこと」
ぽつり、と呟く。
彼は上に吊り上げられていた鉄工の山をずっと狙っていた。
跳弾が発生するどさくさに紛れて上にある鉄工の留め具を狙い、逃げながらも、最後の瞬間も、ただそれだけを狙っていたのだ。
「ま、神も裏切る事があるってことさ――Amen」
そう言ってウェッソンはパイプに火を付ける。
ゆっくりと煙が空へと昇っていく。
不思議なことに、かなりの轟音が鳴ったにも関わらず、誰も此処に来ない。
そして、彼の目の前には今日、何度目かの相棒。
――『君が勝つと思っていたよ』――
「あぁそうかい」
ウェッソンはやる気のない返事。
しかし、相手は気を悪くすることなく、言ってくる。
――『さぁ、僕を殺してくれ。君なら出来るはずだろ?』――
「…………」
ウェッソンは銃口を相棒に向け――。
パチン
その音に。
悪魔はそっと目を見開いた。
視線が交錯する。
「は……ははは」
相手は何も言えない。
何も応えない。
ただ、自分は今までやったことないくらい意地悪な笑みを浮かべ……。
「ははははははははははははは」
糸の切れた人形のように笑い出す。
ひとしきり笑った後、ぽつりと呟いた。
「……悪いな。もう弾丸(たま)切れなんだ」
さっさとホルスターにしまう。
「死にたきゃ自分で何とかすることだな」
そう言ってウェッソンは歩き出す。
もう、声は聞こえて来なかった。
さて、どうするか。
まずはレドウェイトに連絡だろう。
彼は嫌な顔をするだろうが、まあ、匿名で届け出を出せば害は及ぶまい。
後は帰るだけだ。
そう、彼は帰るのだ。
どこに?
決まっている。フロンティア・パブにだ。
それ以外にどこがあるだろうか。
いや、何か。何か忘れている気がする。
それは何だっただろうか。
――ふと、詩人の顔が思い浮かぶ。
「……そう言えば、一つ仕事が残っていたな」
その日、ウェッソンの帰りはとても遅かった。
突如降り出した雨の中、必死でウェッソンは宿に向かう。
そして、宿に着くと――。
「おかえり」
「おかえりですぅ」
いつものようにテムズとサリーが帰りを迎えてくれる。
「びしょびしょじゃない。今日は予報で雨が降るって言ってたでしょ!傘ぐらい持って行きなさいよ」
「……ああ」
気のない返事と共にウェッソンはタオルを受け取り、雨に濡れた体を拭く。
何か忘れている気がする。
それは何だっただろうか。
何かとてつもない違和感を彼は感じた。
だが、目の前の光景が余りにも当たり前すぎて――それが何かウェッソンには分からなかった。
ただいつも通りの時間が過ぎる。
「ねぇ、ウェッソン。言っておかないといけないことってなんですかー」
一瞬、ウェッソンはどきりとする。
――あれは幻じゃなかったのか?
「さぁ、なんのことだ?」
「とぼけないでくださいよぅ」
なにか、そんなやりとりを――とてつもない幸せに感じた。
だから、ウェッソンは言わない。
「気にするな。ああ、なんでもないって」
「えー! ひどいですぅ」
そんな二人を尻目に、テムズは外を見ていた。
雨は土砂降りとなり、雷鳴が轟く。
おかげて今日は客が誰も来ない。
いいや、誰だってこんな天気の中で外出したくないだろう。
そんな空をテムズは心配そうに見つめている。
「ねぇ、ウェッソン?」
「ん?」
話しかけられ、サリーとじゃれ合っていたウェッソンはコーヒーを飲む。冷えていた体が芯から温まる。
「アリスト知らない?」
「――――」
何も言えず、彼はコーヒーを飲む。
しばらくして、言った。
「いや、俺は知らないが」
「……そう」
テムズは何も言えず、ただ空を見上げていた。
何気なく視線をずらしていくと、ラッパの化け物みたいなものが載っている台にギターが立てかけられている。
「…………」
だが、ウェッソンには関係ないことだ。
テムズはまだ雨を見ている。
「……今日は冷えるわね」
雨はまだやみそうになかった。