The another adventure of FRONTIERPUB 51

contributor/哲学さん
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 春。今年も春がやってきた。
 気怠い春の陽気が机に突っ伏す青年――ウェッソン・ブラウニングの背を温める。
 日の光は存外に熱を持っている。こうしてひなたぼっこをしているだけでベッドに匹敵する程の暖かさを与えてくれる。
――ああ、このまま溶けてしまいたい。――
 そんなだらけにだらけた幻想を持ちながら、ウェッソンは夢うつつの狭間を行き来する。
「……ったく。最近はいつもそうね」
 モップを片手に紅髪の店主――テムズが話しかけてくる。
「んー?」
「んー? じゃないわよ。ここ最近ずっと昼寝してるじゃない。ちゃんと寝てるの?」
「んー」
 夢うつつの中、適当に答えを返す。
「もう、ホントだらしがない」
 溜息と共にテムズは店の掃除を続けた。
 実の所、ここ最近の寝付きは最悪だった。
 毎年この時期になると何故か昔の事を良く思い出す。今年は特に酷かった。
 ウェッソン・ブラウニングの眠りは浅い。
 それはきっと……夢からも逃げているせいかもしれない。
 だが、結局その夢から逃げる事も出来ず、ウェッソンは白昼夢に身を任せるのであった。
 と、そんな折。白昼夢を打ち破るようにそれはやってきた。
「随分とふぬけたな、死神よ」
 一瞬にして眠気が吹き飛んだ。
「な……アンドリュー……貴様」
 フロンティア・パブの戸口に立っていたのは場末の酒場には場違いな初老の紳士だった。シルクハットに燕尾服、杖を持ち歩き、まさに英国貴族の体現である。彼の名はアンドリュー・J・ペンウッド男爵。正真正銘の貴族であり、――正真正銘の殺人鬼でもある。もっとも、合法的な殺戮者――軍人であるために法に抵触することはない。全く世間は危険人物を野放しにしている。
「いらっしゃいませ」
 テムズが営業スマイルで応じる。
「おお、これはこれは。まさかこんな美しいご婦人がこの店にいるとは予想外だ」
「やだ、お客さんたら」
 それは貴族の二枚舌な社交辞令だったが、テムズはまんざらでもないようだった。さすがに、女性の扱いは心得ている。
「さて、失礼するよ」
 そう言って帽子を脱ぐと、英国紳士はウェッソンの座っているテーブルの向かいに腰掛ける。
「……貴様。何をしに来た」
 ぎらり、と睨むも老紳士は動じない。好々爺然とした態度を崩さずに肩をすくめる。
「ふむ。まずは顔を上げてよだれを拭きたまえ。礼儀がなってないな」
「うるさい。俺のヒーリングタイムに文句をつけるな」
 机に突っ伏したままウェッソンは覇気を放つがどうにも様になっていなかった。
「やれやれ、君はいつも機嫌が悪いな。もっと栄養をとったらどうだね?」
「誰のせいだと思ってるんだ」
 禍々しいオーラがテーブルを包む中、バターン!と大きく二階の方から音がした。
「あ、この前のお爺さんですぅ」
 部屋から出てきたサリーは珍しい昼間の来客を見つけて大声を上げる。
「おー、確かサリーちゃんだったかな。久しぶりだね」
 ウェッソンが制止するよりも早くサリーはペンウッド卿の側に駆け寄っていた。
「ネルソンさんには勝てましたか?」
 そう言ってサリーはチェスのコマを動かすジェスチャーをする。
「はっはっはっ、痛い所をついてくる。残念ながら、私はまだまだ修行が足りないらしい」
 和やかな空気が二人の間に流れていた。それが余計に苛立ってウェッソンは声を荒げた。
「今日は何の用だ?」
 精一杯の力を込めて睨んでみる。だが、相手は動じた様子もなく、あごひげを弄くった。
「ふむ。実は、明後日は私の誕生日でな。旧知の仲間を私の城に呼んでささやかなパーティを開くのだよ」
「わぁ、パーティですかぁ! すごいですぅ!」
「しかし、困った事があってな。それで君たちに頼み事を……」
「……断る」
 目を輝かせるサリーとは裏腹にウェッソンは即座に拒否した。
「な、なんでですかぁ!」
「そんなクソジジイの誕生日なんてろくなもんじゃないに決まってる。俺は明日も明後日もここで惰眠をむさぼりたいんだ」
 ウェッソンは力の限り腑抜けたことを力説した。
「もう、最近のウェッソンは怠けすぎですぅ!」
「そうよ。することがないならお爺さんの手伝いくらいしてあげなさい」
 女性陣から非難の声が次々とあがる。ああ、この二人はこの老人の本性を知らないからそんな事が言えるんだ。
「やることならあるだろう。この店の手伝いどうするんだ? 昼間はともかく、夜は盛況で一人で切り盛り出来ないだろう」
「大丈夫よ、それくらい。アリサとか呼んでなんとかするわ」
 本人の許可を取らず、さらりと友人を巻き込む発言をするテムズ。
「ああ、それならお嬢さんも一緒に来ては如何かな?」
「え……でも」
 突然の提案にテムズは困惑する。
「やめとけやめとけ。確かこのジジイの所領は汽車で半日はかかるぞ。そんな金ないだろ」
「費用は私が持とう。招待する側なのだから」
 貴族がここぞと金の在る所をアピールする。
「え、そんな……悪いですよ」
「いやいや、構う事などない。美しい婦人に誕生日を祝われるのは幾つになっても嬉しいものだ」
 まあ、なんて言いながらテムズは頬を赤らめた。
「ウェッソン、行きましょう!」
「そうね。たまには外に行くのも悪くないわ」
 流れは完全に向こうに流れていた。
 だが、ここで屈する訳にはいかない。
 ウェッソンは突っ伏していた顔の向きをごろん、と反対側に向けて精一杯の抗議行動を行った。

「もう、何が気に入らないのかしら」
「まあまあ、彼にも理由があるのだろう。そうだ。今日は土産にケーキを持ってきた。君たちで分けてくれると嬉しい」
「うわーい、ありがとうですぅ」
 そんなやりとりの最中、静寂な店内にひとつの音が響き渡る。
ぐきゅる〜
「……おや、はしたない」
「ウェッソン……」
 今日はだらけていたせいでテムズに昼飯を抜きにされていた。そんな気もする。
 テムズとサリーの冷たい視線がヒシヒシと背中を打っていた。
「そう言えば……私の誕生日パーティ。豪華な食事が沢山用意される予定だったな」
 ウェッソンはかなりの自制心を持って沈黙を保った。
 これは罠だ。あの殺人鬼がただのパーティに誘う訳がない。
「出される食事は……このお土産のケーキよりも上手いだろうな」
 じゅるり、とよだれが垂れるのをウェッソンは自覚した。

「で、困った事って何だ?」






月下の夢に






 豪華なシャンデリア。着飾った貴婦人達。そしてテーブルを埋め尽くす食事の数々。会場の中を緩やかに流れるクラシックの演奏。
 そう、ここがアンドリュー・J・ペンウッド男爵の誕生日パーティの会場である。
「……くっそっ、俺たちは何でここに居るんだ」
 七面鳥のチキンをもしゃりもしゃりと食べながらウェッソンは愚痴をこぼした。
「お爺さんの依頼を私が受けたからですよぅ」
「…………くっそ。大体どこがささやかだ。滅茶苦茶派手じゃないか」
「はいはい、ウェッソンも愚痴らない。せっかくのパーティなんだから楽しみましょ」
 ドレスで着飾ったサリーとテムズがイライラするウェッソンをなだめる。二人の衣装は男爵から貰ったものだ。貸すのではなく、あげる辺りが貴族らしくていやらしい。
 まあ、そんな経緯に関係なく、元々二人の素材が良かったのか、そこらの貴族に負けないくらいに綺麗になっていた。先ほどから色んな男達に声を掛けられている。
 テムズなんかは久しぶりに倫敦から出た事や、こういう社交場に憧れていただけあって、まんざらでもないようだった。
――全く、誕生日を祝って貰うどころか、女に貢いでるだけじゃないか、あのエロじじいめ。――
 最も、、今回の本題は別にある。
 実はこのパーティには怪盗からの盗みの予告状が来ているというのだ。
 その怪盗の名は「アルセイヌ・レパン・ザ・セカンド」。
 ペンウッド卿の居城に代々保管されている家宝たる宝石「ツヴァイシュタイン」をこの誕生日パーティの夜に盗み出すというのである。この「ツヴァイシュタイン」は代々ペンウッド家当主の誕生日の日にしかお披露目がされないため、他の貴族もそれを目当てに沢山やってくる。そんな中、宝石が盗まれたら一大事である。かといってパーティを中止するのも、パーティでお披露目を中止するのも貴族というしがらみ故に行う事が出来ない。
 そんな訳で、この宝石の護衛を名探偵サリーに依頼された、と言う訳である。
「ふぅー、わくわくしてきましたよぅ」
 サンドイッチを食べながら、サリーが叫ぶ。
「……あほらしい」
 ウェッソンはため息をつきつつ、三匹目の七面鳥をほおばった。
――あのクソジジイが泥棒如きに遅れをとる訳がない。むしろ、サリーを焚きつけて無理矢理俺を呼んできたに違いない。暇つぶしのために。――
 せめてこのごちそうを存分に味あわないと割に合わない。故にウェッソンはともかくごちそうの味を噛みしめるのだった。
「あら、あれが例の宝石かしら」
 テムズがパーティ会場の真ん中に運び込まれる台座を指さした。沢山の警備員が周りを囲んでいる。
 その先頭に立つのは小さな箱を抱える金髪碧眼の好青年である。
 彼はペンウッド男爵の甥で、叔父とは似ても似つかぬ人格者であり、子供の居ないペンウッド卿の後継者は彼だと目されている。
「いよいよお披露目ね」
「警備のために見てくるですぅ」
 女性陣は宝石を見るために会場の中央へと走った。
「……ったく。なんで女は宝石が好きなんだか」
 ウェッソンは愚痴りながらスープに手を伸ばした。
 少し熱かった。



 パーティは大した騒動もなく、つつがなく終了した。
 まあ、予告は今夜中とか書いてあったらしいのでパーティ中に盗まれなくてもいいのだろう。
 パーティ中に色々妖しい人間がウェッソンに話しかけてきたが、全部無視してやった。なぜなら、誰が怪盗の変装か当てる気がさらさらなかったからである。
 そんな事をいちいち気にしていたら拉致があかない。サリーも話しかけてくる連中の中に犯人が居るはずだと色々推理していたが、結局あきらめる事にした。
 今夜、離れの倉庫にしまう時に同行すればいいだけのことだからだ。
 そんな訳で、ウェッソン達は今宝石を倉庫に戻す警備員達に同行している。
 宝石を持っているのはやはり、ペンウッド卿の甥だ。
 現在警備員達は城の屋上に出て、隣の塔への通路を歩いている。
 月が綺麗な夜だった。
 何のかんので物事は順調に進んでいた。
 ウェッソンはなんだか、このまま上手く事がまとまるような気がしていた。
 旨い飯も食った。宝石も守り続けている。
 もういいだろう。今日はこんな所で帰ってもいいはずだ。
 だが、そんな彼の希望を打ち破るかのようにそれはきた。

「ちょっと待ったぁぁぁぁ!」
 月を背にして三つの影が城の頂に立っていた。位置的にはウェッソン達の背後に現れた事になる。
「な、あなた達はまさか!?」
 ペンウッド卿の甥が驚愕の声を上げる。
「いかにも! 我こそは『アルセイヌ・レパン・ザ・セカンド』!」
 羽織った黒マントを風になびかせ影の真ん中に居た男が叫ぶ。
「そして、右に控えるのが、我が相棒、ディメンション・ダイスケ!」
「……ふんっ」
 月を背にガンマンが鼻息を荒げる。逆光と帽子のせいでその顔は見えないがどこか不服そうだった。
「左に控えるのが、敵か味方か、謎の剣士ゴエモン・ザ・ストーンリバー!!」
「よろしくね」
 月を背に剣士が手を振った。逆光と長い髪の毛のせいでその顔はやはり見えない。だが、どこか楽しげであった。
「予告通りお宝を頂きに来た!」
 各々ポーズを決める三人を見てウェッソンは力が抜けるのを感じた。
――馬鹿馬鹿しい。――
「な、なんということでしょう」
「いや、あれ。お前の叔父だろ」
 狼狽するペンウッド甥に冷静に突っ込むウェッソン。
「なんて言う事を! そんな訳ないですよ。叔父はあんな変な格好しません!」
 びしぃ、と指差した先にはオペラ仮面をした『レパン・ザ・セカンド』。しかし、ウェッソンにはどう見ても普段着にそのままオペラ仮面をつけただけにしか見えない。
「なぁ、サリーも何か言ってやれ」
「むぅー怪盗めー、ついに現れましたねぇ〜! でも大丈夫ですぅ! 名探偵サリーが来たからには貴方の好きにはさせませんですぅ! ペイペイッ!」
 ウェッソンは頭を抱えた。気付いてないのか。
「テムズ、何か突っ込んでやってくれ」
「全く……いい年した大人が何やってんのよ」
 やはり、この中で常識人は彼女だけらしい。
「人様から物を盗んで罪の意識がないの! 謝りなさい! 今頃自室にいるアンドリューさんも心配で気が気でないはずよ! 人様の迷惑って物を考えなさい!」
「ああそうだ! その通……ってお前も気付いてないのか!!」
 まさかの事態にウェッソンは目を見開く。
「何が?」
「何がですかぁ?」
「大丈夫ですかウェッソンさん。疲れてるんじゃないですか?」
 ウェッソンは思った。世の中上手く出来てるもんだなぁと。
「何はともあれお宝は頂く!」
 怪盗が叫び、その一味は城の屋根から飛び降り、廊下に舞い降りる。
「ちぃ、サリー! テムズ! お前は甥の人をつれて先に行け!」
「分かりましたですぅ! 行きましょう、甥の人!」
「そうね、急ぎましょう! 甥の人!」
「僕はオーセリーです!」
 甥の人改めオーセリーを連れて警備員達と共にサリー達は走る。
「ちぃ……出来るか」
 果たして今の自分にあの"血塗れ紳士"<ブラッディ・ジェントル>と呼ばれたあの男を止められるか。
 ウェッソンはウェブリーを握りしめ、敵を迎え撃つ。
 だが、相手は三人。残りの二人の素性がはっきりしないがきっと、ある程度の強さなのだろう。とてもじゃないが止められる訳がない。
 けれど。

――止める。止めてみせる。――

 出来る出来ないではない。

――出来なければサリーが、テムズが、――

 抜き放つと共に銃声が二つ響く。手加減抜きの心臓への一撃。
「ほぅ、腕は鈍っておらんようだな」
 向かい来る弾丸を仕込み杖で簡単に切り落とす怪盗。もう歳のはずなのに衰えた様子は毛ほども見せない。
「ちぃ……何が目的だ!」
「実を言うとな……」
 きぃん、と仕込み杖の刃をウェブリーの銃身で受け止める。
 刀と銃のつばぜり合い。
「一度やってみたかったのだよ……怪盗というものをな!」
 そのまま老人は地面を蹴り、脅威的な脚力でウェッソンを飛び越えた。
「な……しまっ」
「誕生日プレゼントだと思ってしばし付き合ってくれ!」
 怪盗を追いかけようと振り向こうとするが、後から来たディメンション・ダイスケが筋肉のかたまりのような拳を放ってきた。仕方なく、ウェッソンはそれを避ける。
どごぉぉん
 避けた先にあった石壁が一瞬にして粉々に砕け散った。
――おいおい……なんて馬鹿力だ。――
 近くで見ればD・ダイスケはペンウッド卿と近い歳の様だった。そう言えばどこかで見た事が……。
「ふ、さすがブラウニング。枯れたと思ったが……まだまだ」
「!? ……まさか」
 動きの止まったウェッソンをよそにそのままD・ダイスケはウェッソンの横を通り過ぎていく。

 ぞくりとした。

 気がつけばその場を飛び退いていた。
 すると、ウェッソンの両脇にあった石壁がごとり、と内側に倒れ込む。
 切断面はまるで鏡のように美しかった。
 間違いない。こんな事が出来るのは一人しかいない。
「何故だ」
 ウェッソンは動く事が出来なかった。本当なら今すぐにでもサリー達を追いかけるべきなのだろう。このままではあの狂った老人どもに何されるか分からない。
 ――だが。
 ――だが。
「何故此処にいる……風雅・カトマンドゥ・スミス!!」
 風が緩やかに流れた。
 月を背にして、悪魔は優しく笑った。

「久しぶりだね、ウェッソン」

 悪魔の微笑みは――相も変わらず柔らかだった。



 オーセリー率いる警備員達は廊下を渡り終え、離れの塔に辿り着いていた。宝物庫にさえ入れてしまえば相手も手出しは出来ないはずである。何故ならば、わざわざ宝物庫から出る日に盗みにやって来たからである。
「宝物庫の扉は色々な仕掛けがありますが取りあえず、そこは一族の秘密です!」
「それは分かりましたけど、どうすればいいんです?」
「時間を稼いでください! 宝物庫の扉は解除するにも施錠するにも時間が掛かるんです!」
 オーセリーの答えは明確だった。つまりは時間を稼げと言う事。
 塔の中に入ると同時に――テムズは入口の隅にロッカーを見つけた。
「このロッカーは何?」
「ああ、用務員の清掃道具入れです」
 答えを聞くやいなやテムズはロッカーを開いた。
 中を確認すると共にテムズは決意を込めて言った。
「ここは私が食い止めるわ。あなた達は先に行って!」
「いや、しかし……」
 戸惑うオーセリー。
「大丈夫ですぅ! ここはテムズさんに任せましょう!」
 そう言ってサリーは無理矢理オーセリーと警備員達を城の地下へと走らせた。
「ほほう。ただ一人で残るとは相当な自信家の様だ」
 背後から声。
「悪いわね……ここは私のフィールドよ!」
 そう言ってテムズは手にした獲物を振り回す。
「そんな物で……むぅ」
 避けたはずの獲物が遅れて怪盗の耳朶を打った。それはモップの雑巾部分だった。
「あなたにこの間合いが掴めるかしら?」
「成る程……ならば、ディメンション・ダイスケ!」
 怪盗のマントを隠れ蓑にしてD・ダイスケが突進してくる。岩をも砕く怪力がテムズを襲う。しかし、テムズは慌てずモップの雑巾部分を相手の拳にあて、相手の力のベクトルを受け流す。
「どうよ!」
「ほほう、前より凄くなっておるな」
 D・ダイスケが楽しげに笑みを浮かべる。
「前? 何の事?」
「なぁに、こちらの話よ!」
 そのままD・ダイスケはモップの柄を握り、引っ張った。
「……しまっ!」
 テムズの体が宙を舞う。それとは入れ違いに怪盗レパンが階段へと走る。少し遅れてテムズの体は掃除用ロッカーに叩きつけられた。
「今回は人を殺しちゃいかんらしいんでな。少々痛い目にあって貰うぞ」
 モップをへし折り、D・ダイスケはぼきりぼきり、と腕を鳴らした。
 しかし、テムズの戦意は衰えない。
「悪いけど……私にも負けられない理由がある」
「ほう」
「宝石を護りきったら宿の改修費を貰えるのよ」
 にやりと笑い、テムズはロッカーから二本目のモップを取り出した。
――サリー、後は頼んだわよ。――



「やっと会えたね。ウェッソン」
 風の中、悪魔は静かに佇む。
「俺は……お前になんか会いたくなかった」
 吐き捨てるようにウェッソン。
「酷いなぁ。僕はいつだって君に会えるのを楽しみにしていたのに」
「俺はお前とは違う」
 フクロウの声が聞こえた。
 気がつけば辺りがやけに静かだった。
 まるで。
 二人の戦いを見守るかのように。
「そう。僕等は違う。でもね。違うからこそ……似てる部分も分かるんだよ」
 一歩、悪魔が歩を進めた。
「何をしに来た風雅」
「やだな。警戒しないでよ。僕はアンディおじさんの誕生日パーティに呼ばれただけさ」
――『旧知の仲間を呼んでささやかなパーティを開くのだ』――
 脳裏にペンウッド卿の言葉が響く。成る程。蓋を開けてみればそう言う事か。
「お前は変わらないな」
「君もね」
 言葉と共に神速の斬撃。しかし、ウェッソンはあえて前に踏み込んだ。そのまま体を倒し、前転する。
 刹那、二人の立ち位置が入れ替わる。
 そのまま起きあがる瞬間、ウェッソンは銃の引き金を引いた。
 放たれた弾丸は風雅の背中に吸い込まれていく――が、目測はわずかにそれて相手の服を僅かにかすっただけだった。
「体力も、技術もなまってるみたい……でも、鋭さは増してるかな。これなら新大陸でも通用するね」
 振り向き、嬉しそうに風雅は言う。
「悪いが新大陸に行くつもりはない」
 新大陸は大国による干渉がない無法地帯だ。何故ならば、大戦の際に疲弊した国々はとてもではないが新大陸を支配する力が残っていなかったのだ。
 そこで、下した結論が新大陸への不干渉である。大戦終結から十年間、新大陸へ国家は手出ししないという条約を結んだのである。
 そう言う事情から新大陸は無政府状態が長く続き、治安は悪化の一途を辿っている。
 だが、それは逆に無法者達の天国でもあるのだ。故に、他とは相容れないはみ出し者達は今も新大陸へと向かっている。
「何もない君が、何故この国に拘るの?」
 再び一歩、風雅は歩き出す。
 二人の距離は七歩程度。廊下は大の大人が三人並んで歩ける程度。
「護るべき誇りも、貫くべき矜持も持たず、日々を無為に過ごす。そこに何の意味があるのかな」
 更に一歩近づいてくる。問題なのは距離だ。遠すぎれば、風雅は銃弾を跳ね返す。近すぎれば、避ける事の難しい斬撃が襲ってくる。
「僕は君をよく知っている。君は何もない。戦うしかできない」
 更に一歩。互いの間合いが曖昧になってくる。
「戦いが嫌いなんだろ。戦う奴を止めたいんだろ。じゃあ、なんで俺に戦わせる?」
 ぴたり、と風雅の足が止まる。微妙な距離。この距離ならば、ウェッソンにも勝機はある。
「新大陸は余りにも広い。やってきた無法者達の争いを僕だけで止める事は出来ない」
「甘えるな」
 二人の間を風が流れた。ふわりと、風雅のポニー・テイルが揺れる。
「お前は結局理想を追うのに疲れただけだ。何も出来ない自分が嫌になって、それでも諦める事が出来ず、俺に泣きついてるだけだ」
 月の光がうっすらと陰る。
「悪いが俺は負けないぞ」
 雲が月の光を遮っていく。
「俺にはあいつが居るからな」
 そして、世界から光が消える。
 星の光も消え、ただ夜という闇が世界を覆い尽くす。
 先に動いたのはどちらだったか。

 響く銃声。

「俺は、あいつを護ってやらないといけないからな」
 雲がゆっくりと月から離れていく。光のない世界に再び月の光が差し込まれる。
「それが、君の答えかい?」
 二人の立ち位置は再び入れ替わっていた。
「不服か」
 すると風雅は鈴のように笑った。その頬には一筋の紅い傷。そして、同じような傷がウェッソンの頬にもついていた。
「少し、ね。正直君が羨ましい」
 そう言って月を見上げ、やがてゆっくりと視線をこちらへ持ってくる。
「でも、何故だろう。悪い気はしない」
 かちり、と風雅は刀を収める。
「もういいのか」
 余りのあっけなさに思わず拍子抜けする。二人の実力は拮抗していた。だからこそ、どちらかが僅かにでもミスらない限り千日手が続く。
 後幾度かの撃ち合いを覚悟していたのだが――。
「また、手紙を書くよ」
 その言葉にウェッソンは眉をしかめる。
「あはは、次は大丈夫。少なくとも、次はね」
 その次は――、それを聞く事は出来なかった。
「それよりも彼女たちを放っておいて大丈夫なのかい?」
 その言葉にウェッソンは苦笑した。
「うちのサリーを甘く見るなよ」




「じゃんじゃぁぁぁぁぁん!!」
 新聞の一面をかざし、サリーは大声を上げる。
 そこには『探偵少女!怪盗を撃退す!』とある。
「やりましたよ! ついに大手柄ですぅぅ! 警察にも金一封もらう予定ですよぅ!」
 あれから更に三日が過ぎていた。
 結局怪盗レパンはサリーによって塔の階段に張り巡らされた唐辛子と塩こしょうの煙幕に耐えきれず撤退を余儀なくされたのである。その量たるや恐ろしい量で、まき散らした粉塵が収まるのに丸一日かかったという。おかげで地下に籠もったオーセリーは宝石をしまった後、丸一日苦しみ続けたと言うのだからその量は推して計るべし。常識を越えた犯罪者も度を超した過剰防衛には勝てなかったという事である。と、いうかどこでそんなものを用意してきたのか。ウェッソンにはそれが一番謎だったのだが。
「とはいえ……堆積したこしょうや唐辛子を完全に掃除するのに一週間かかるし、その費用は馬鹿にならない。で、差し引きゼロで金一封はなしだ」
 ウェッソンは冷静に突っ込む。
「ぶぅぅ」
 頬を膨らませ、サリーはうなる。
「第一、依頼人のアンドリューの爺さんもあおりを喰らって後数日は寝込むらしいしな。怒られなかっただけましだと思え」
 もっとも、テムズには怒られたのだが。怪盗の一味と戦っている最中、サリーによって放たれたこしょうの余波を受けてかなり喉や鼻にダメージを受けたのである。彼女としては踏んだり蹴ったりだろう。まあそれでも、貴族気分を味わえたのだからよしとして貰うしかない。そんな彼女は現在買い出しに出かけている。
「んーでも、いくら風の強い日だったからって城の本館まで塩こしょうが飛ぶはずないと思うんですけどねぇ」
 ウェッソンは苦悶の表情を浮かべる。
「いや、だから実はジジイがあの怪盗だったんだって」
「またまたそんなー。そんなベタなオチは今時の推理小説でもないですよぅ」
「…………」
 どうやらこのまま真相は闇に閉じこめられるようだった。
「まあいい。それじゃ、俺は皿洗いでもするか」
 そう言ってウェッソンは席を立つ。少しくらいはテムズをねぎらってやらねばなるまい。
「そう言えば……最近は昼寝しませんねぇ。どうしたんですかぁ?」
 カウンター越しにサリーが聞いてくる。
 そんなサリーをウェッソンはちらりと見つめた後――苦笑して、皿洗いを始めた。
「何でもないさ」
 別に大した事ではない。
 そう、別段気にするほどの事ではないのだ。
 ――ただ夜が来ても、静かに眠る事が出来るようになっただけなのだから。
 そうして再び、いつものようにフロンティア・パブの日常は過ぎていく。
 だが、その何気ない日常こそ、彼にとってかけがえのないものなのである。
 ウェッソンは思う。
 ――果たしてかの友人にもこんな時が来るのだろうか。
 未来は誰にも分からない。
 自分もいつまでこの暮らしが出来るか分からない。
 だが、夢を見るくらいは許されるだろう。
 人は夜にしか夢を見ない訳ではないのだから。





おしまい


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