The another adventure of FRONTIERPUB 53
その晩の最初の客は、夕方の開店間もないころにウェッソンが連れてきた。とはいっても、彼の知り合いではない。街でフロンティア・パブへの道を聞かれたので、そのまま連れてきたという。 年齢は二十代半ばくらいか。背が高く、心持ちほっそりしている女性だ。長い金髪がゆるやかに波打ち、顔立ちはすっきり整っている。知的で落ち着いた雰囲気だが、奥に何か静かな情熱を秘めているようにも思えるエメラルドグリーンの瞳。フロンティア・パブで、これだけの美人を見かけるのはめずらしい、とテムズは思った。 彼女は窓際の席につき、コーヒーを注文した。バッグから書類を取り出し、目を通したり、なにか書き込んだりしながらコーヒーを飲んでいた。時々窓の外を気にしている。誰かを待っているのかもしれない。 そのうち、彼女はコーヒーのお代わりとサンドイッチを頼んできた。サリーがそれを運んで行き、客の足元に小さな紙片が落ちているのを発見した。サリーはそれを拾い上げ、書いてある文字を読むと、目をきらきらさせながら、客に話しかける。 「『まるまるタイムズ』の編集長フィンネ・グランミィさんですかぁ? 私、いつも読んでるんですよぉ!」 女性客は一瞬驚いた顔をしてサリーを見た。そしてにっこり笑いながら言った。 「ああ、その名刺ね……違うの。今日、フィンネに会ったときにもらったのよ」 「なぁんだ、そうですかぁ」 サリーは少し残念そうな顔をしながら、名刺を彼女に渡した。 「彼女と私、学校の同級生だったの。でも驚いた。あなたのような女の子があの新聞読んでるの?」 「はいですぅ。編集長のお友達なら、ぜひ伝えてほしいです。熱烈な読者からのご意見ご要望――」 「サリー! こっちを手伝ってちょうだい!」 テムズが先手を打って、客の迷惑になるのを阻止した。サリーはしぶしぶ戻ろうとした。 「あ、ちょっと待って」 女性はサリーを呼び止めた。バッグの中から小さな包みを出して渡す。 「これ、良かったら食べてちょうだい。あちこちのお得意先でお菓子を頂いたんだけど、たくさんあって食べきれなくて」 「わぁ、いいんですかぁ? それじゃ遠慮なく、ありがとうですぅ」 高級そうなお菓子の包みをもらって、サリーはにっこり。女性も微笑んだ。 「テムズさーん、あの人にいただいちゃいました〜」 「ええ? これ、ファルテルル・コールのマドレーヌじゃない! こんな高級品もらっちゃって、いいのかなあ」 「くれるっていうんだから、もらわないと失礼ですよぉ」 「……そうね。ま、よかったわね」 暗くなるにつれ、店も次第に客が増えてきた。仲間で盛り上がる常連、カウンターで静かに飲む老紳士、あちらのテーブルは恋人たち? 景気がよくなったせいか、最近は店も繁盛してきたのだ。 そんな中で誰かの視線を感じたテムズは、それが窓際の女性からのものだと気がついた。なにか追加注文をするのかと思ったが、そうでもないらしい。彼女は時々テムズを見つめ、時々窓の外を気にしながら、さめたコーヒーを飲んでいる。 テムズは、グラスを磨いているウェッソンに尋ねた。 「ねえウェッソン、私の顔になにかついてる?」 「目と鼻と口がついてるな」 「そうじゃなくて」 テムズはぷっとふくれて言う。 「じろじろ見られるようなへんなものがなにかついているかって聞いたのよ。顔とか、背中とかに」 「いや、べつに。いつもと変わらん」 「そう……じゃ、どうしてあの人私のほうばかり見てるのかしら」 「暇なんじゃないか? 待っている相手がこなくて。だが確かにテムズばかり見ているな」 テムズの気のせいではなかった。ウェッソンも気がついていたようだ。 やっぱり、誰かを待っているのだろう。もう、けっこう長い時間が経っている。 そこに、数人の若者たちが、どやどやと入ってきた。彼らはまとめてエールを注文すると、にぎやかにしゃべり出した。 「さっき、うちの近くで捕り物があったんだよ」 「ああ、拳銃撃ちながら逃げていった奴だろ? 俺、ちらっと見たぜ。刑事が追っかけてった」 「へー、どんなやつだった?」 「遠くてわからなかったよ」 「捕まった後で見かけたよ。意外としょぼくれたやつだった。刑事のほうがよっぽど凶悪そうだったぜ」 テムズがふと見ると、窓際の女性客に変化があらわれていた。落ち着かない様子で、窓の外を何度も見る。ほおづえをついたり、頭を抱えたり、さっきの書類をまた出したり入れたりしている。やがて彼女は立ち上がってカウンターまで来た。 「エールを――いえ、ブランデーちょうだい。ロックで」 「はい、少々お待ちください」 連中の今の話の何が彼女を動揺させたのだろう、とテムズは思った。 彼女はグラスを受け取ったが、その手はわずかに震えていた。そのまま席に戻り、テーブルの上にグラスを置いてそれを見つめている。そのうち、グラスを持って一気にあおった。そして大きなため息をついた。 彼女のことが気になったが、テムズはしばらく厨房にこもって料理をしなければならなかった。奮闘していると、サリーが来て小声でこう言った。 「ねえねえテムズさん、さっきの女の人なんですけど……」 「なあに?」 「酔っぱらって、寝ちゃったみたいなんですよぅ。ほっといていいんですか?」 「えっ?」 「ロックで何杯も飲んでましたよ。おつまみも取らずに」 テムズが窓際の席を見ると、金髪の女性はテーブルに突っ伏していた。近づいて、そっと肩を揺すってみる。 「あの、お客さん……こんなところで寝たら風邪ひきますよ」 女性は横を向いて目を半分開けた。 「ん……いったいいつまで待たせるのよぉ……ばか……撃たれて死んだわけでもあるまいし……」 「お客さん、あの……」 「……人は見かけじゃないっていってるくせにどうして……赤……こだわるの……」 「え?」 彼女はまた目を閉じてしまった。まだなにかむにゃむにゃ言っている。 テムズはあきらめて、ウェッソンを呼んだ。 「ねえ、この人、二階の客室のベッドまで連れて行ってくれる?」 「わかった。しかしめずらしいな、こんな早い時間に酔いつぶれる女なんて」 ウェッソンは女性を抱きかかえて、階段をのぼっていった。 「彼女、妙なねごと言ってたぞ……」 戻ってきたウェッソンが言った。 「なんて?」 「どうして赤毛に生まれなかったんだろう、とかなんとか」 「……なんなのかしら? さっきもそんなこと言ってたみたいだけど……」 「そのダイイングメッセージの意味、名探偵サリーには一目瞭然!ですぅ」 とサリー。 「ちょっと待て、勝手に殺すな」 「あの人、きっと、『赤毛連合』に入会したかったんですよ」 「『赤毛連合』? なによそれ」 「知らないんですかぁ? 赤毛の大富豪の遺産でつくられた助け合い基金です。仕事がなくて困っている赤毛の人を助けるために、二年前にできたんですよ。百科事典を写し書きするとかの簡単な仕事をして、そこそこのお給料をもらえるんです」 「聞いたことないわ。なんだか怪しい話ね」 「そんなことないですぅ。通りのむこうのグレーさんの息子さんも、しばらくそこで仕事してたそうですよ。テムズさんもきっと入会できますよ」 「私はけっこうよ。でもあの人、仕事に困っているようには見えなかったわよ。むしろバリバリのキャリアウーマンっていう感じで」 そんな話をしていると、ドアベルが鳴って、またひとり客がやってきた。背広姿の小太りの青年が、焦った様子で店の中を見回している。 「あらっ、マンフレッドさん! こっちに来ていたんですか?」 テムズが声をかける。 「お久しぶりですぅ」 とサリー。 「あ、どうもごぶさたしてます。また仕事で一週間くらいこっちにいるんですが……あの……」 フレッドのいとこ、マンフレッドは途方に暮れた様子で、テムズに尋ねた。 「女の人来ませんでしたか? 背が高くて金髪で――」 「エメラルドグリーンの瞳か?」 ウェッソンが言った。マンフレッドは大きくうなずいた。 「そうです、やっぱり来たんですね? 待ち合わせに遅れちゃって、先にこっちに来てるかなと思ったんですが……もう帰っちゃいましたか?」 「二階でお休みよ。すっかり酔いつぶれちゃって」 「ええっ?」 「女の人を待たせすぎちゃだめですよぉ。振られますよ」 「いや、そういうんじゃなくて、会社の先輩ですよ。しかたなかったんです。ちょっとアクシデントがあって、医者の世話になってて」 「まあ、大丈夫?」 「ええ、たいしたことありません。でもめずらしいな、先輩が酔っぱらうなんて。あんまり酒飲まない人なのになあ」 「待ちくたびれて、することがなかったんだろう」 「まあとにかく、待っていた相手が現れてくれてよかったですぅ」 彼女がずっと待っていたのは、マンフレッドだったのだ。それにしても……。 マンフレッドが何かを思い出したように、あっと小さく声をあげた。 「しまった……たいへんなことを忘れてた」 「どうしたんですか?」 「別の先輩が言ってたんです……絶対、グローリア先輩を酔わせちゃだめだ……そうとう酒癖悪いからって……」 すでに遅かったようだ。テムズの後ろにいつのまにか、金髪の女性がいた。ふらふらしながら立っているが、目は完全にすわっている。 「マンフレッド……いま何時だと思ってるのよ」 「こっこんばんは先輩。すみません遅くなって……じつは――」 「遅刻するなってあれほど……あんたは……」 「ゆ、許してください。これには事情が」 彼女の手にはなぜかモップが握られている。テムズは髪の色の違う自分がそこにいるような気がしてきた。当然、つぎに起こる事態がなんとなく予想できた。そして……。 |
翌朝。朝食のテーブルでののどかな会話。 「そんなことがあったのなら、早く言えばよかったのに」 「言う前に問答無用で殴りかかってきたのは誰ですか」 「さあ、誰だったかしら? なーんにも覚えていないんだけど」 「ひどいですよ先輩……」 金髪美人、グローリアは幸せそうな顔で、モーニングティーを飲んでいた。後輩のマンフレッドは目の下に隈をつくり、頭には瘤をつくり、手足には痣をつくるという悲惨な姿だったが、せっせとトーストにかじりついていた。 「まあ、よかったじゃない、気絶くらいですんで。てっきり、銃で撃たれて死んだかと思ってたのよ」 「殺さないでくださいよ。……まあ、よかったのかなあ……」 テムズは、そんな二人を微笑みながら見ていた。 「こんど先輩がこの店に来ても、ぜーったいお酒を飲ませないでくださいね、テムズさん」 と、マンフレッドはまじめな顔で言った。 「なによ、ロックで一杯飲んだだけじゃない。人を酒乱みたいに言わないで」 「一杯? なに言ってるんですか、サリーさんの話によると七、八杯は飲んだそうですよ」 「そんなに?」 「ほんとに、なにも覚えてないんですねー」 あきれ顔でマンフレッドはつぶやいた。 「そんなことより、そろそろ出かけないと。今日は営業五件とお役所と銀行と港の管理事務所と……」 「はい、今日もあいかわらずハードスケジュールですね」 「しかたないわよ、ぎりぎりでやってる会社だから。私たちががんばらないと、いつまでたってもこっちにお店出せないのよ」 「そうですね。がんばりましょう」 二人はテムズに挨拶をして、霧雨の降る街へと出て行った。とても仲がよさそうだ。ゆうべの騒動は夢だったのではないかと、テムズは思った。 おしまい |