The another adventure of FRONTIERPUB 5
「君には魔法少女の素質がある。やってみる気はないかな?」
サリーとウェッソンをお使いに出して、特にすることもなく本日何度目かの掃除をしていた時、そんな声を聞いた。
「誰か何か言った?」
テムズは誰もいないことがわかっていながら訊き返した。当然答える者はいないはずだった。
「まあな。こっちだ」
テムズは声のしたほうを向いた。そこには黒いウサギがいた。しかも黒いタキシードを着て後ろ足二本で立っている。
「な、何、ウサギ…よね?」
「一般的にはそう呼ぶな。だが、私はフォートルと名乗っている。君もそう呼ぶといいだろう」
テムズは訝しげに眉をひそめた。本当にウサギなのだろうか?
「本当にウサギなの?」
「フォートルだ。私はそれ以上でもそれ以下でない」
テムズは黒ウサギ――心の中ではそう呼ぶことに決めた――に反発を覚えたがひとまず会話を続けることにした。何よりも暇つぶしになる。
「フォートルね。まあそれはそれでいいけど、何しに来たの?」
「君の頭脳が人並みならばすでに私が来訪した意味を知っているはずだが?」
テムズは思わず拳を作ったがそれを行使することは思いとどまった。小動物を虐待するのは気が引ける。
「人並みだからわからないってこともあるわよ。何よ、魔法少女って?」
「魔法を使う少女のことに決まっているだろう。…ま、まさか――」
いまいち説明になっていない説明をしていた黒ウサギが突然ひるんだ。何かに怯えたように続ける。
「――さりげなく四十代前半などということ――」
フォートルは言葉を言い切ることができないままに宙を飛んだ。
「私が君に魔法の力を貸し与えるわけだ。そうしてその力を使って君が様々な事件を解決する。どうかね?」
フォートルの左の頬は何かを詰め込んでいるのではないかというほどに腫れていた。だが言葉は明瞭だ。声を出しているのとは別の方法で話しているらしい。
「どうかねって、そんなことをして一体あたしに何の得があるのよ?」
「…はぁ、損得などたいした意味のあるものではないということに何故気がつかない――」
テムズの振り上げられた片腕を見ると途端にフォートルに落ち着きがなくなった。両前足をわたわたと動かしながら続ける。
「い、いやいや、もちろんこの世はギブ&テイクだ。さあ、君はなにが欲しい? 言ってみなさい」
「別に何もいらないわよ」
「へ?」
フォートルの顎がかくんと落ちる。
「魔法少女なんてやるつもりないし」
「は?」
フォートルの顎はさらに落ちた。苦労して戻す。
「こ、これだけ説明させてやる気がないと?」
テムズはさらりと言った。
「面倒そうだし」
「いや、あの――」
「何かを貰うほどに欲しいものもこれといってないし」
「でも、ほら――」
「何よりもそんな暇なんてないしね」
「あ、あの――」
「以上。何か質問は?」
フォートルが挙手。
「はい、フォートル君」
「ほ、本当にやる気、ないんですか?」
「しつこいわね。ないわよ」
「い、今なら商売繁盛の祝福をつけますよ」
「商売繁盛」
「そ、それに日常生活でのちょっとした幸運の祝福とか」
「む、ちょっと考えたいわね」
テムズは腕を組むと考え込んだ。あまりにも大げさなことではなくささやかな幸運というのが心をくすぐる。
「で、では、今ならお試し期間キャンペーンということでとりあえず一回だけやってみるということで」
この一言がとどめになった。そして、テムズは人生転落の決まり文句の一つをいった。すなわち――
「一回だけならいいかな」
である。
「フム、それでは契約は成立だな。これを――」
フォートルはテムズに鈍い銀色の指輪を渡した。指輪には鎖が通されている。
「首からかけなさい」
テムズはおとなしく従った。
「では、行こうか」
「どこに?」
「もちろん悪のいる所だ。てぃっ!」
フォートルの気合の声と共にテムズの足元に黒々とした穴が開く。テムズはなすすべもなく落ちた。
「で、ここはどこ?」
テムズが訊いた。フォートルは涙を目に溜めながら答える。右の頬も腫れていた。
「マジカル☆ワールドだ」
「は?」
「マジカル☆ワールド。純粋化された善と悪の共存する世界だ。魔法が一番力を発揮できる場所でもある」
フォートルは胸を張って言った。
「ところでさ」
「なにかな?」
「ここでその悪を倒すと誰がどう得をするわけ?」
フォートルは溜息をついた。テムズを小馬鹿にするような目で見ながら言う。
「言っただろう? ここは善と悪が純粋化された世界だ」
「聞いたわよ。それは」
テムズの手が拳になった。それを確認してフォートルは逃げ腰になるがそれでも逃げずに続ける。
「では、善と悪とは何か?」
「人の心、かしら?」
「そのとおり。すなわちマジカル☆ワールドとは人の深層意識につながっているのだよ」
「それで?」
「…君の頭は飾りか? 深層意識で悪が消える。それは悪事をしなくなるということだ」
「なるほど。よくわかったわ」
テムズは足を動かしながら納得の意をフォートルに伝えた。
「でもね、物を教えるときに馬鹿にするのはどうかと思うの」
テムズの足の下でフォートルがうめいた。
「わ、わかった。以後気をつけよう」
テムズはフォートルを解放してやった。
一息ついたとき、フォートルが警戒しながらテムズに声をかけた。
「…マジカル☆ガール。来るぞ、気をつけろ」
「誰、それ?」
「君のことだ。マジカル☆ガール」
テムズは反論しなかった。その暇なく敵が来たからだ。
「きゅけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
奇声をあげながら襲いかかってくるそれは――
「羽と足の生えた酒瓶」
しかも足にはカールしたすね毛が生えて嫌な感じ1.5倍だった(テムズ調べ)。
「みもふたもない言い方をするな。あれは低位の悪意『酒乱』だ。悪意がない分大して強くもない。だが、君にとっては初の敵だ、油断するなよ」
「わかってるわよ! それで、どうやって戦えばいいの?」
『酒乱』の突撃をよけながらテムズが怒鳴った。突撃の速度は速いが動きが単純なので何とかよけていられる。
「ここに来る前に渡した指輪を手に持って呪文は唱えろ! そうすれば君の意思に従った形のマジカル☆ステッキが現れる!」
「呪文?」
「私の言うことを繰り返せばいい! いくぞ、『開け心の扉』」
「ひ、開け心の扉」
「『私の心は希望に満ちて』」
「わ、私の心は希望に満ちてってあぶなっ!」
「『あなたの心を癒してみせます!』」
「あなたの心を癒して見せます!」
「『いでよ! マジカル☆ステッキ!』」
「いでよ! マジカル☆ステッキ!」
呪文が完成するとテムズの手が炎に包まれた。『酒乱』はその光景に警戒したのか間合いをとった。
「おお! あの炎こそ善なる心『バーニング☆ハート』!」
そして、テムズの手の中にマジカル☆ステッキが現れた。
「…ずいぶんの装飾の方向を間違えたステッキが出てきたな」
フォートルは誰にともなく言った。
「…いいわよ、無理に柔らかい表現にしなくても。見たまんまを言って」
「いいのか?」
「言って。もしかしたらあたしの目がたまたまおかしくなっているのかもしれないし」
「わかった。…何故ハルバードがステッキとして出て来る?」
テムズの手の中にあるのはハルバードだった。槍の先に斧がついた形状の凶悪な武器だ。一応、穂先についたリボンがラブリーだった。
「えーい! もうやってやるわよう!」
その後、『酒乱』は二秒丁度で浄化された。魔法なしで、だ。
「今回のは、まあ、ある意味いい経験になったわ」
「そうか。一応聞いておくがもう二度とやる気はないだろう?」
「当然ね」
フォートルは辛そうに頷いた。腫れあがった顔が痛みにうずいてしょうがない。テムズの怒りの行き場がそこだった。
「その指輪に祝福の魔法をかけておいた」
テムズは首を横に振ると、指輪をはずしてフォートルに握らせる。
「いいのか?」
「ええ。あたしには必要ないわ」
「そうか」
フォートルはおとなしく受け取った。ゆっくりとテムズに背を向ける。背骨がきしんで速い動作は無理だったからだ。
「じゃあね」
「ああ、さようなら」
フォートルは振り返らずに言った。首もうまく動かない。もっとも振り返る気もさらさらなかったが。
「さよならだ。マジカル☆ガール」
ゆっくりと歩きながらフォートルは最後にもう一度囁いた。全力で歩いてはいるが破壊されかかった関節では今の速度で精一杯だった。
フォートルの瞳から涙がこぼれる。夕日の中でその涙は輝いていた。生きていることに対しての感動の光だった。
END
テムズが店に戻った時には,サリーとウェッソンは帰ってきていた。
「どこに行ってたんです、テムズさん?」
「ちょっと、暇つぶしに、ね」
そうして、テムズはいつもの仕事にもどった。
本当に、END