The another adventure of FRONTIERPUB 26(Part 3)

Contributor/ねずみのママさん
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ホワイトクリスマスとその顛末 3――テムズ――


 雪は少しもやみそうになかった。
 テムズはパブのカウンターのなかから、窓の外を眺め、ため息をついた。このぶんでは、またあとで店の前の雪かきをしなくてはならないだろう。本来なら居候のふたりにやらせたいところだが、今日はそうできない事情があった。まったく、クリスマス前の忙しいときに、どうしてこう仕事が増えてしまうのだろう。
開店の準備はだいたい終わったので、彼女は一休みしようと思った。お気に入りの紅茶を淹れてカウンターの上に置き、椅子に腰掛けた。そして、首にかけているペンダントを――かの吟遊詩人がくれた、宮廷楽士の紋章のことだが――服の下から引っ張り出した。
 暇があればこうして眺め、彼のことを思い出す。いまごろどこで何をしているか、全く消息のわからないアリスト。元気でいるだろうか。あいかわらず、甲斐性なしなのだろうか。そして、今日もどこかの街角でギターを弾きながら美しい声で歌っているだろうか。

 そんなことを考えながらお茶を一口飲んだとき、店の入り口のドアが勢いよく開き、雪にまみれた一人の男が駆け込んできた。テムズが声を掛ける間もなく、彼はその勢いのままカウンターを飛び越えてテムズの隣に着地した。と思うとしゃがみこんで、カウンターの陰に隠れるように身を寄せたのだった。
 一瞬あっけにとられたテムズだったが、すぐに、カウンターを汚されたことに気がついた。怒りの表情で、
「いったいなんのまね――」
と言いかけた彼女は、男の顔を見て驚いた。そこにいたのは、今しがた彼女が思いをはせていた相手、紋章を彼女にくれたアリストそのひとだったからだ。
 言葉を失って呆然と見つめるテムズに、彼はにっこり笑いかけると、ひとさし指を立てて口に当て、小さな声でこう言った。
「今、追われてるんだ。誰かが僕を探しに来ても、知らないって言ってくれ。頼むよ」
「え……? いったいなにを……」
 テムズが聞き返そうとしたとき、再びドアが開いた。彼女は慌てて視線をアリストからそらし、平然を装って客を迎えた。
「いらっしゃいませ」
 入ってきたのはひとりの若い女性。なかなか良い身なりをしていて、どうやら上流階級の人間と思われた。金髪をきれいに結い上げ、品の良いスーツを着こなしている。彼女は緑がかった灰色の瞳でまっすぐテムズを見つめ、こう尋ねた。
「金髪の若い男性がはいって来たでしょう。こちらに泊まっているのかしら?」
 テムズは落ち着き払って答えた。
「そのかたなら、店の中を駆け抜けて裏口から出て行かれましたが」
 テムズの指さす店の奥に、裏口のドアが見えた。女性はそれを見て、
「そう。どうもありがとう。通らせていただきますね」
と言うと、早足で裏口に向かい、出ていった。
 1分ほど経って、もう大丈夫と思ったテムズはアリストに言った。
「今の人が追っ手? 美人ね」
 吟遊詩人はゆっくりと立ち上がり、頭や服に付いた雪を手で払いながら答える。
「まあね。……もう何年も経ったのに、まだ僕を探し回ってたんだな。いいかげんあきらめてくれたかと思ったのに」
「ちょっと、そこに雪を散らかさないでよ。掃除したばかりなんだから」
 テムズはそう言いながら、モップを取りに走った。なぜだか、胸が苦しい気がした。彼女はモップで床を拭きながら、
「恋人?」
と思わず尋ねていた。
「そうだったらまだうれしいんだけどね、昔一緒に仕事をしていた楽士だよ。僕を連れ戻すようにいいつけられているらしい。そんな暇があったら、ハープシコード弾いていればいいのにね……なかなかの名手なんだよ、彼女は」
 アリストがそう答えると、テムズの胸の息苦しさはちょっぴりやわらいだ。それがなぜなのか、彼女にはまだそのわけがわからなかったのだが。
 アリストはあいかわらずだった。前に来たときと同様、5人前の料理をものすごい勢いでたいらげ、何日も飲まず食わずだったことを証明した。
 変わっていないわね、とテムズは思った。
「ちょうどいいときに来てくれたわ。店の前の雪かき、してくれるわね?」
 テムズは笑顔で、しかし有無を言わせぬ調子でそう言った。
「今日は居候たちが役に立たないから、ひとりでどうしようかと思っていたの。」
「そういえば、ウェッソン先輩とサリーちゃん……いないのかい?」
「サリーは知り合いのひとの代理で、キングズ・クロス駅まで人を迎えに行ってるわ。どうせ夕方まで帰らないと思う。ウェッソンは、なんだか知らないけど調子が悪いらしくて、途中でリタイアしちゃったの」
「ふうん……それじゃたいへんだね。雪はまだまだ積もりそうだし……僕が手伝わなきゃね」
 すなおにそう言ってくれたので、さっそくテムズはアリストに雪かきを頼んだ。優男に見えても、さすがに力はあった。店の前の雪はどんどん片づけられていった。一段落ついて彼が店の中に戻ってくると、テムズは熱いお茶を差し出した。
「ご苦労様。ねえ、夜はまた歌を歌ってくれる? クリスマスソングとか」
「おやすいご用だ。民謡から最新の曲まで、なんでも歌うよ」
 アリストはギターの調律をすませると、さっそく声慣らしに一曲歌い始めた。テムズもよく知っている賛美歌だった。パブで賛美歌を聞くなんて、なんとも不思議な感じがした。
 かれの澄んだ歌声に、テムズは時を忘れて聞き惚れていた。外は暗くなり、雪は降り続いていた。そして、こんな天候のせいか、客はまだひとりも来なかった。
 そのうち、ウェッソンが姿を現した。久しぶり、とアリストに挨拶すると、暗くなったからサリーを迎えに行ってくると言って出かけていった。フロンティア・パブは本当に二人きりになった。


 アリストは歌うのをやめた。ギターを置くと、テムズの傍に歩いてきて、
「今夜はさっぱり……かな?」
と言って笑う。
「そうね。せっかくいい歌を歌ってくれるのに……ごめんね」
「謝ることなんかないさ。それなら君だけのために歌うから」
「気障ね……」
 テムズも笑った。
 アリストはもう一度ギターの調律をし直すと、しずかな歌を歌い始めた。テムズは目を閉じてそれを聞いた。
 大空を自由に飛んでいく鳥のようだ――そう彼女は思った。ここでしばらく羽を休めても、やがて彼は行ってしまう。止めることなどできない。
 もし……もし彼女が望めば、彼と一緒に行けるのだろうか?――あのとき……人生に絶望し、すべてを失ったと思っていたあのとき、「あの人」に言ったのと同じことばを、彼に言えば……「連れて行って」と。そうしたら彼は連れて行ってくれるのだろうか? そして、彼と一緒に空を飛ぶことができるのだろうか……?
 ……しかしテムズには言えない。あの時と違って今の彼女にはこの店がある。多くの友人がいる。それをすべて置いていくことなど、できはしない。――彼と一緒に空を飛ぶことなど、夢のまた夢なのだ。
 テムズの目から涙がこぼれ落ちた。
 アリストは驚いて彼女の顔をのぞき込んだ。
「どうしたの? 僕、なにか泣かせるような歌を歌ったかい?」
 テムズは首を横に振る。涙が頬を伝って流れた。アリストは困惑して見つめているだけだ。
 ようやく彼女は口を開いた。
「ちがうの……なんでもないわ。ごめんなさい……」
 そう言って後ろを向こうとするテムズを、アリストの腕が引きとめた。彼はテムズの体を自分の方に引き寄せて言った。
「いつもそうやってひとりで泣いているの?……つらいだろう?」
 テムズは顔を背けた。
「泣いてなんか……」
「僕で良ければこの胸を貸してあげるよ。気が済むまで泣くといいよ」
「なに……馬鹿なこと言ってるのよ……私は……」
 とうとう、彼女は感情を抑えきれなくなった。彼の胸にすがって、本格的に泣き始めたのだ。アリストは黙ってテムズをそっと抱きしめた。
 自分の父親以外の男性の胸の中で泣くなどということは、めったになかった。――もっとも、つい最近、やっぱりこうして泣いたことがあったような気がする――そんなことがふと頭をよぎったが、すぐにどうでも良くなってしまった。ただ、アリストのやさしさがうれしくて、彼女はよけいに涙が止まらなかった。
 そうして気が済むまで泣いたテムズは、やがてゆっくり顔を上げた。アリストが静かに微笑んでいる。と思うと、彼はいきなりテムズに口づけをしたのだ。
「なっなにするのっっ!」
 テムズはうろたえて思わずアリストを張りとばしていた。彼は勢いよく吹っ飛んで、壁に激突して床にのびた。しまった、とテムズは思ったが後の祭りだった。
「いてて……ひどいなあ……」
 アリストは顔をしかめ、腰をさすりながらながら立ち上がった。
「だ……だっていきなりあんなこと……」
 テムズが顔を真っ赤にして言い訳する。
「だってさ、ちょうどそこに君が立っていたから……」
 そう言って彼はテムズの頭上を指さした。テムズが見上げると、天井から吊されたヤドリギが見えた。
「あ……!」
 それは、彼女がクリスマスのために飾り付けたヤドリギだった。この枝の下に立つものにキスをしても良いという昔からの風習を、アリストは実行しただけだ。
 テムズはどうしていいかわからず、黙って突っ立っていた。アリストはそばにやってきて、
「もう一度やりなおしてもいいかい?」
と尋ねた。テムズは恥ずかしさでまともに彼の顔を見られなかったが、こっくりうなずいた。


 アリストが歌った晩のフロンティア・パブは今回も大繁盛だった。大雪にもかかわらず、あのあとたくさんの客がやってきて彼の歌に酔ったのだ。
 そして数日。いつものように朝食の後かたづけをしていたテムズのところに、アリストがやって来た。
「テムズ、しばしのお別れだ。僕はもう行くよ」
「えっ? もう行っちゃうの?……もう少しいたら? 新年のお祝いを一緒にしましょうよ」
「そうしたいのはやまやまだけど……彼女がまだこのあたりをウロウロしているらしいんだ。迷惑かけるといけないし。それに先輩も元気になったみたいだから、手伝いはもういいだろ?」
「そう……」
 ――自由に空を飛んでいく鳥。
 テムズはそれ以上彼を引き留めなかった。仕事を中断し、笑顔で彼を見送った。
 ――きっとまたここに戻ってくるよ……
 ことばには出さなかったが、アリストの目はそう言っていた。
 ――待っているわ……
 テムズの目はそう答えていた。
 その日の午後、彼女は何時間も自分の部屋にこもりきりだった。ようやく出てきたとき、テムズは急に大人びて美しくなっているように見えた。不思議そうな顔でサリーはウェッソンに尋ねた。
「テムズさん、いったいどうしたのかしら?」
 ウェッソンは静かに微笑みながらサリーに言った。
「そのうちおまえにもわかるさ」

おしまい

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