The another adventure of FRONTIERPUB 26(Part 2)

Contributor/ねずみのママさん
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ホワイトクリスマスとその顛末 2 ――ウェッソン――


 静かな朝だ、と思った。ウェッソンは大きく伸びをしてベッドから這い出した。
 窓の外がなんとなく暗い。カーテンを開けると、窓ガラスに白いものが貼り付いている――雪だ。
 夜のうちに降り出したようだ。窓を開けて外を見ると、おそろしく積もっていた。10年に1度くらいの大雪だな、とウェッソンは思った。
 そのとき突然、目眩がした。すぐにおさまったが、なんとなく気分が悪い。昨夜は飲み過ぎもしなかったし、夜更かしもしていない。なぜだろう、と彼は不思議に思った。風邪でもひいたかな……。それとも雪の白さに目がくらんだか……?
 彼は窓を閉め、カーテンをひいた。
 たぶん、あとでテムズから雪かきをいいつけられるだろう。さっさと食事を済ませておかないと、食べている途中でも外に引きずり出されるかもしれない――彼がそう思うほど、雪の降りかたは激しかった。いそいで着替えると、ウェッソンは階段を下りていった。
 先程の不快感が尾を引いて、食欲も今ひとつだったが、とにかく朝食を胃の中に流し込んだ。お茶を飲んでいたテムズは窓の外を眺め、
「サリー、だいじょうぶかしら」 などとつぶやいていたが、ウェッソンが食べ終わったのを見ると、さっそく重要任務を彼に命じたのだった。
「店の前の雪をかたづけておいてね。このぶんじゃどんどん積もってきそうだから、こまめにやらないといけないわね」
「……ああ、わかった」
 ウェッソンはぼそっと答えた。考えただけでもうんざりだ。いったい今日1日で何回雪かきをしなくてはならないだろう。早く雪がやんでほしいものだ。
 店の入り口のドアを開けたウェッソンは、スコップでざくざくと雪をかきわけはじめた。そして、一ヶ所に積み上げる。あっというまに大きな雪山ができた。そのとき、また彼は軽い目眩を覚えた。なんだかわからないが、どうも今日は体調が良くないようだ。
「ウェッソーン、裏口の方もお願いねっ」
 店の中からテムズが叫んだ。
 少しは自分でもやったらどうだ、と思ったことを正直に口にするのは悪い結果になることを知っていたウェッソンは、ため息をつき、黙って裏口に向かった。
 手足が寒さでしびれてきた頃、彼は店の中に戻り、熱いお茶にありつけた。ほっとするひとときだ。
「さっきやってもらったばかりなのに、もうあんなに積もってるわ。2時間おきくらいにやらなきゃだめかしら」
 小さな幸せ気分をぶち壊すテムズの一言だった。
「強い降りだからな」
「ねえ、ウェッソン……」
とテムズが首を傾げながら言った。
「なんだ?」
「……ううん、なんでもない」
 彼女はカップを持って行ってしまった。何を言いたかったのだろう?
 とにかく今日は雪かきに明け暮れる覚悟が必要だ。ウェッソンはそう思い、つかのまの休息をむさぼるために、自分の部屋に戻った。
 パイプの手入れをはじめた彼は、なにげなくカーテンを開けて窓の外をちらりと眺めたとき、またしても嫌な気分に襲われた。パイプを放り出し、ベッドの上に体を投げ出す。
 ――いったい、どうしたっていうんだ……雪を見ただけで――。
 雪。たしかに、雪を見て気分が悪くなる。なぜだ? 今までこんなことはなかったのに。考えても、なにもわからない。彼は諦めて布団をかぶった。が、うとうとする間もなくテムズに呼ばれた。またひと仕事だ。


 新しく積もった雪を片づけ、家の中に戻ろうとしていたウェッソンは、隣の店からおばあさんが出てくるのを見た。きのう、サリーへのクリスマスプレゼントのことで世話になったばかりだ。
 雑貨屋のおばあさんはスコップで雪と格闘しはじめたが、どうも足元が危なっかしい。転んで怪我でもしたら大変だ。ウェッソンは見かねて手伝いを申し出た。老婦人は大変喜んだ。
「すみませんねえ。いつもなら近くに住む孫が来てくれるのだけど、今日は熱を出して寝込んでいてねえ……」
 おばあさんがそう言ったとき、ウェッソンは何かを思いだしかけた。……しかしそれはすぐに消えてしまった。重苦しい気分だけが残った。
「そうそう、孫といえばね。どうかしら、うちの孫をひとりもらってくれないかしら? 年頃の孫娘が何人もいるのだけどね、そのなかに……」
「ああ、その話はまた今度にしよう。おばあさんも風邪をひかないように、早く家にはいったほうがいい」
 そう答えてウェッソンは逃げた。彼女はウェッソンの顔を見るたびに、孫の話を持ち出してくる。いや、ウェッソンだけではない。適当な若い男に誰彼構わず声をかけているようだ。べつに誰でもいいのだろう。それにしても何人の孫娘がいるのだろう……?
 フロンティア・パブにもどったウェッソンは、テムズに怒られた。
「どこに行ってたのよ。雪かきが嫌で逃げたのかと思ったわ」
「隣を手伝ってたんだ」
「あら、感心ね。サリーといい、あなたといい、お年寄りには親切なのね。ところで」
 テムズは昼食をテーブルに運びながら言った。
「どうかしたの?」
「何がだ?」
「……なんか変よ、今日のウェッソン。どこか具合でも悪いの?」
 何と答えたらいいのか、ウェッソンは迷った。なんともない、とも言えるし、具合が悪いとも言える。しかしそんな曖昧な答え方をすればきっとテムズはにっこり笑って「仮病?」と尋ね、次の瞬間……いや、考えるだけでも恐ろしかった。
「……いや別に」
 ウェッソンは無難にかわした。
 しばらくしてウェッソンは、テムズから言いつけられる前に仕事を片づけようと思って外に出た。入り口のドアの横に、小さな雪だるまがあった。いつのまにか、テムズが作ったのだろう。赤い毛糸の帽子をかぶって、すまし顔で立っている。
 雪は相変わらず、しんしんと降り続いている。灰青色の瞳で見上げた空は、もっと暗い灰色だった。ウェッソンは絶望のため息をついた。
 今日3度目の雪かきだ。途中で彼はスコップを雪に突き立て、しばらく休まなくてはならなかった。理由のわからない雪への嫌悪感は、いっそう増していた。それでもどうにかテムズに文句を言われない程度に雪を片づけることができた。
 家の中に戻ろうとしたとき、さっきの雪だるまが目に入った。赤い帽子の上には、すでに数センチの雪が積もっている。それを見たとき突然、ウェッソンは雷に打たれたような衝撃を受けた。心の奥底を槍で突かれたような痛みを感じた。そして、そこに封印されていた記憶が一気に開放された。それは津波のように襲いかかってきて、彼を飲み込んだ。


「ずいぶん積もったな。10年に1度の大雪だろう」
 そう言ったのは叔父だった。
「みんなで雪かきしなきゃ、まにあわないな」
 長男のアーサーがコートを着ながら言った。
「僕も雪かき、やる」
「ウェッソンはだめよ。風邪ひいてるんだから」
 金髪の娘、アンは優しい声で、しかしきっぱりと黒髪の少年にそう言った。
「だいじょうぶだよぉ。ぼくもやりたい〜」
「熱があるんだから、おとなしくベッドに入っていなさい」
「そうよ、クリスマスまでになおさないと」
 姉そっくりの口調で、ちいさなメアリもだめ押しした。
「ちぇっ」
 ウェッソンは渋々寝室に戻っていった。それでも熱が高かったのは本当なので、ベッドにはいるといつのまにか、うとうとと眠っていた。
 大きな音を聞いたような気がして、彼は目を覚ました。
「なんだろう……?」
 もう一度、それは聞こえた。少年は驚いて跳ね起きた。
 銃声だ。それも、向こうの森からではなくて、すぐ近くで――家のそばで。同時に、人の叫び声のようなものも彼の耳に入ってきた。続いてまた銃声。
「なに……? なにが起こったんだ?」
 言いしれぬ不安に駆られ、ウェッソンは部屋から飛び出した。そこにアーサーが走ってきた。
「隠れてろ、ウェッソン!」
 青年はそう言うと叔父の部屋に駆け込んでいく。
「どうしたの?」
 なにか恐ろしいことが起こっている、という気がした。アーサーはまたすぐに出てきたが、その手には叔父のライフルを抱えていた。
「アーサー! どうして……」
「死にたくなかったら隠れているんだ。いいな、絶対出て来ちゃダメだ!」
 緊迫した声でそれだけ言うと、彼は走って居間のほうに行ってしまった。
「待ってよ、アーサー」
 そのとき再び近くで銃声と、女性の悲鳴。
「アン!」
 今のは、アンの声だ。ウェッソンは思わず駆け出していた。すると今度は続けて2発聞こえた。家の外からだ。
 居間にはいったウェッソンが見たのは、信じがたい光景だった。叔父とアンが床に倒れていた。ふたりとも血だらけで――少しも動かなかった。
「うそだ――アン!」
 彼はアンに駆け寄り、体を揺すった。彼女は眼を閉じたまま何も言わない。まだ体は温かく、血が流れ続けているが、すでに息絶えていることはウェッソンにもわかった。信じたくはなかったが、事実だ。そして叔父も同様だった。
 メアリは? それから、アーサー。
 外だ。きっと外に――。
 表に出ようとしたとき、ドアが開いて誰かが飛び込んできた。ウェッソンが見たことのない、30歳くらいの男だ。猟銃を手にしている。男はウェッソンを見て、すばやく銃を向けた。
「まだガキがいたのか。仲良くあの世に行きな」
 そう言いながら引き金を引く。少年は驚きと恐怖のあまり、身動きひとつできなかった。銃声と同時に、彼は目をつぶった。これで終わりだ、と思ったが――終わりではなかった。
 弾丸が右肩をかすめていったのを感じた。鋭い痛みをこらえながら目を開けてみると、男が前のめりに倒れるのが見えた。その向こう、戸口のところに銃を構えたアーサーが立っている。
「アーサー!」
「あれほど……隠れていろと言ったのに……」
 そう言うアーサーの手から銃が落ちた。服の胸のあたりが、真っ赤に染まっていた。彼はゆっくり、崩れるように倒れた。
「アーサー……! やだ――死なないで!」
 ウェッソンはいとこのそばに駆け寄った。
「待ってて……隣に行って助けを呼んでくるから!」
「ウェッソン……もう……」
 アーサーは血まみれの手をウェッソンの肩にかけた。
「すぐに呼んでくるよ。アーサー、だから……」
 ウェッソンの目から涙がぽろぽろとこぼれてきた。
「おまえは……長生きしろよ」
 微笑みながら言ったその言葉が最後だった。彼の手はウェッソンの肩から滑り落ちていった。
「……アーサー」
 ウェッソンはがたがたと震えながら、いとこの死を看取った。そして――残る一人のことを思いだした。小さなメアリはどこだろう?

 家の外に出てすぐ、彼はメアリを見つけた。赤いセーターを着ていたので、雪に埋もれていてもすぐわかった。彼女もすでにこと切れていた。ウェッソンは降り続く雪の中で、少女のそばに呆然と立ちつくした。雪が、赤いセーターを隠すように降り積もっていく。ひとりぼっちになったウェッソンは、いつまでもそれを見つめていた。
「ウェッソン、どうしたの?」
と、アンの優しい声が聞こえた。ウェッソンは驚いて顔を上げた。
「アン……?」
「何言ってるの? 私はテムズよ」
 こうして彼は現実に引き戻された。


 パブの入り口のドアを開けたテムズは、はっと息をのんで立ちすくんだ。  血の気の引いた顔のウェッソンが膝をついて、手で胸を押さえ、うつろな目で戸口の脇の雪だるまを見ていたのだ。突然心臓の発作でも起こしたのかと、一瞬思った。
 しかし彼がテムズの声に反応したので、彼女はいくらか安心した。彼を中へひっぱり込み、暖炉の前まで連れて行った。雪のついたコートを脱がせて彼を椅子に座らせ、タオルを取りに走っていく。
「体の具合が悪いのなら、どうしてさっきそう言わなかったのよ! 私だって鬼じゃないんだから……」
 戻って来たテムズはそう言いながら、ウェッソンの濡れた髪をごしごし拭きはじめた。
「……違うんだ、テムズ。別にどこも悪くない……だいじょうぶだよ」
 ウェッソンはようやくそう答えた。
「だいじょうぶなわけないでしょう! こんなに真っ青な顔して、体は冷え切ってて……おまけに人の名前を間違えて」
 泣きそうな声だった。ウェッソンは思わずテムズの顔を見た。青い顔をしているのは彼女のほうだ――ひどく心配させてしまったらしい。
「病院まで歩ける? それともジェフリーに来てもらいましょうか。私、呼んで――」
「すまない――でも本当になんともないんだ。医者は必要ない。ただ――この大雪で突然思い出したことがあるだけだ」
 テムズは手を止めた。どうやら正気に戻ったようだ、と彼女は思った。
「昔泣かせた彼女のことでも思い出したの?」
「いや、アンは俺のいとこだよ。もう15年も前に死んだ」 
「……そう。でもなにも雪の中で思い出に浸ることないじゃない」
「そうだな……」
 テムズの声がアンの声と似ていることに、ウェッソンは初めて気づいた。全然タイプの違う二人なのに……。不思議な気がした。
 ウェッソンは大きくため息をついて、まだ冷たい手で自分の目を覆った。そして考えた。
 あの男は何者だったのか。どうして叔父一家が惨殺されなければならなかったのか。そして、なぜ、自分はいままであんな重大なことを忘れていたのか――いや、忘れていたのではない。忘れさせられたんだ。
 彼の脳裏に、白衣の男の姿が浮かび上がった。顔は覚えていない。ただ、なにか薬のようなものを無理矢理飲まされたということを思い出した。
 でも、なぜ?
 新たな疑問が湧いてきたが、今のウェッソンにはそのことにかまっている余裕はなかった。いまは、ただ――。 
「ウェッソン、これ飲んで。今日はもう雪かきはいいから、部屋で横になっていなさいよ」
 と言いながら、テムズは紅茶のカップをウェッソンに差し出した。
「いや、しかし――」
「私がいいって言ってるのよ! まったく、どうして男っていうのはへんなところで意地を張りたがるのかしら。ふだん甲斐性なしのやつほどそうなんだから、いやになっちゃうわ」
 なにやら怒らせてしまったようだ。テムズはカップを側のテーブルに置いて、ぷいっとうしろを向いてしまった。
「テムズ、俺はべつに――」
「もう知らない! 勝手にしなさい!」
 彼女はそう言い捨てて、奥に駆け込んでいってしまった。
「ま、待てよテムズ――」
 慌てて立ち上がろうとしたウェッソンの体がふいにバランスを崩した。大きな音を立てて椅子をひっくり返し、彼は床に転がった。怒って行ってしまったはずのテムズがあわてて戻って来た。
「ウェッソン!」
 彼女が駆け寄ると、ウェッソンはテムズを見上げながら、
「……この床は濡れると滑りやすいな」
と言った。テムズが顔を真っ赤にして拳を振り上げたので、彼はあわてて跳ね起きた。テムズの拳は立ち上がったウェッソンの顔に向かってきたが、途中で失速し――彼の胸に力なく当たった。
「……さっきは本当にびっくりしたんだから……」
 テムズはうつむき、小さな声で言った。
「父さんがね……いつも、だいじょうぶだ、なんでもないよ、って言いつづけてたの――あんなに無理しなければ、もっと長生きできたのに……」
悲しいことを思い出させてしまったようだ。すまないことをした、とウェッソンは思った。
「……ありがとう、テムズ」
 ウェッソンはテムズの肩をポンと叩き、テーブルの紅茶を手にとって、ひとくちすすった。テムズはようやく、ほっとした顔を見せた。
「サリーが帰ってきたときにまだそんな顔してたら、承知しないわよ」
 そう言ってテムズは今度こそ本当に行ってしまった。
「何でもお見通しだな……」
 ウェッソンはつぶやいた。そして思った。少なくとも今は、自分はひとりぼっちではない――と。


 雪はいつまで降り続くのだろう。この――10年に一度の大雪は。
 ウェッソンは外が薄暗くなったのに気がついた。時計を見る。それから部屋を出て階段を降り、テムズを探した。彼女は店のほうにいて、久しぶりに来た珍しい客と話していた。ウェッソンは心ここにあらずという様子で、適当に挨拶をした。そしてテムズに尋ねた。
「サリーはまだ帰らないのか」
「ええ、まだよ」
「もう真っ暗だ。ネルソンじいさんの所まで、迎えに行ってくる」
「だ……だいじょうぶ? まだ青い顔してるじゃない」
 テムズが一応心配すると、彼は力なく微笑んだ。
「なんとか、な。とにかくあいつが心配だ。どこかで雪に埋もれているといけないしな……」
 彼の頭の中に、雪に埋もれたメアリの姿が蘇った。理由のない不安にかられ、しかたがなかった。一刻も早く、元気なサリーの姿を見たいと思ったのだ。
 そんなわけで――一大決心をして、彼はおもてに出ていった。
 

おしまい

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