The another adventure of FRONTIERPUB 14(Part 2)
ウェッソンは完全に寝不足だった。おまけに、女王様のご機嫌は最悪だ。
扉と床板が壊れている理由を、テムズは延々と話してくれたが――詳しく聞けば聞くほど謎は深まるばかりだった。路地裏にころがっていた男達は正気にかえったが、自分たちが怪我をしたわけも、なにをしでかしたのかも、まったく覚えていなかった。病院の場所を教えてやると、彼らは礼を言って立ち去った。
じきに夜が明けた。商店が営業を始める時間よりもかなり早く、ウェッソンはサリーを連れて逃げ出した――いや、買い物にでた。
テムズの怒りを少しでも鎮めておかなくてはこのさき生きていけない、というのが二人の一致した意見だった。そこで、よくある手――彼女の好物をおみやげに持って帰ろうということになり、カフェに立ち寄った。このカフェの特製スコーンを食べるのが、テムズの楽しみだったのだ。ただ、忙しい彼女には、なかなかここに立ち寄る機会がない。そんなわけで、テムズのご機嫌取りにはうってつけのアイテムだった。
サリーは店のカウンターに走っていき、焼きたてのスコーンを注文した。ウェッソンは近くのベンチに腰をおろして待った。
ふと、一人の女性の姿が、ウェッソンの目にとまった。フリルがたくさんついているドレスを着た、若い女性だ。いかにも上流階級らしい歩き方で、彼の前を通り過ぎていく。この時間にこのような身なりの女性がいるのは珍しい、と彼は思った。
……待てよ。テムズはたしか――バズーカを担いできた女のことを、そんなふうに言っていなかったか?
ウェッソンの視線を感じたのだろうか、彼女はふいに振り向いて彼の方を見た。そして、驚いたような表情を見せた。しかし、じつはウェッソンのほうも少なからず驚いたのだ。彼は思わず立ち上がった。数秒間、二人は無言で見つめあい……どちらからともなく歩み寄る。
サリーがテムズへの貢ぎ物を手にして戻って来た。それに気がついたウェッソンは、サリーのほうに駆け寄りこう言った。
「悪いが先に帰っていてくれ。急用ができた」
「え? いったいどうし――」
「テムズにはうまく言っておいてくれ。道具屋に寄ったとか何とか」
彼はそのまま早足で行ってしまった。呆気にとられたサリーだったが、彼が見知らぬ女性と連れ立っていくのを見て、さらに目を丸くした。
――あのひとは誰? ウェッソンの知り合いに、お金持ちの女の人なんていたかしら?
遠くなっていく二人の姿と、手にした名物スコーンとを見比べて迷ったすえ、サリーは宿主との関係修復よりも好奇心の満足を選んだ。
「これは、事件ですぅ」
探偵モードに入ったサリーは二人に気づかれないよう、離れてあとをつけはじめた。
数分後。
サリーは早くも二人を見失ったのだった。小さな男の子がサリーとすれ違うときにぶつかってころんでしまったので、助け起こしてやっている間に……二人の姿は消えてしまった。
道は3方向に分かれている。どちらに行ったのだろう?
虫眼鏡が登場。小さな名探偵は、路上に痕跡がないかと真剣に観察する。しかし、何も見つからなかった。結局、カンに頼って――当てずっぽうとも言う――サリーは進む道を決めた。
しばらくいくと、先ほどの店と同じようなオープンカフェが現れた。そして、サリーは自分のカンが正しかったことを知った――。隅っこのテーブルで、ウェッソンと例の女性とが何やら話し込んでいる。
幸い、そのテーブルの横には植え込みが続いている。あの裏に回れば、気づかれずに話を聞くことができるかもしれない。
サリーは慎重に行動した。植え込みの中にもぐるところは誰にも見られなかったはずだ。今度はそのまま、音を立てずに、目的の場所まで移動する。ゆっくり、ゆっくり……。
なぜ私がこんなことをしなくてはならないんだろう、とサリーは自問した。
ウェッソンがいけないのだ。――あの「怒りテムズ」さんのところへ、ひとりで先に帰すなんて。そうしておいて自分は女の人とお茶。ずいぶんじゃない!
サリーはウェッソンへの怒りを覚え、同時に彼を横取りしたこの女性に対してライバル意識を燃やした……それはかなり低次元のものだったが。
話し声が聞こえてきた。彼女は、言葉が聞き取れるところまで、更に慎重に進んだ。
「……そうでしたの。ようやく納得がいきましたわ」
すずやかな、きれいな声だった。
「今の話をそのまま信じるのか? 俺は君に会うまで半信半疑だったが」
これはウェッソンの声。
「ええ。それで話のつじつまが合いますもの。なぜ私がこんなところにいるのか、何も覚えていないのか……そしてなぜあなたが――」
彼女が優雅な手つきでティーカップを持つのが、枝葉の隙間から見えた。サリーはなんとかして顔を見ようと、少しだけ首を伸ばした。見えたのは大きな帽子と、その下から僅かに覗く横顔だけだった。上品な色の口紅が、色白の肌に映えている。
「フォートルとかいうウサギの魔法のせいで、私がここに飛ばされて――本来なら何の関係もないはずの、テムズさんという方と一戦交えたというのですね。そして、魔法が消えた今でもなぜかこうしてここに残っていると……」
「はじめは同姓同名の奴がずいぶんいるもんだと思ったが……どうやら何の関係もないというわけではなさそうだな。しかし、どうしたら君がもとのところに戻れるのか――」
「私――婚約披露パーティーに向かう途中でしたのよ。気がついたら見知らぬこの街にいました」
「そいつは気の毒だったな」
「いいえ……かえって幸運でした。さっきあなたをお見かけして、決心がつきました。婚約は解消していただくことにします」
「なんだって?」
上流階級らしからぬ爆弾発言に、ウェッソンは驚いた。――彼女は平然として話し続ける。
「相手の方はそれは立派な紳士ですが……私はもとから乗り気ではありませんでした。いえ、相手がべつの方でも同じことです。私はお義兄様に、自分の気持ちをはっきり申し上げることにしますわ」
「ああ……それはけっこうなことだが……」
「初めてお会いしたあなたにこんなことをお話しするのは、失礼なことかもしれません。でも、お義兄様にそっくりなあなたなら、きっとわかってくださるような気がします。ですから、ぜひ聞いていただきたいのです」
かなり強引で理屈になっていない理屈だとウェッソンは思ったが、今そんなことを言っても、彼女は聞く耳を持たないだろう。彼はあきらめ、黙って話を聞くことにした――面倒なことにならなければいいが、と思いながら。
「事故で両親を亡くした私を、お義兄様は実の妹のようにかわいがってくださいました。私もお義兄様をお慕いし、いつでもどこにでもついて行くほどでした。男勝りになってしまった私を見て、お義兄様はこれではいけないと思われたのでしょう、私を寄宿学校に入れて、女性としての最高の教育と教養を身につけさせてくださったのです。私はお義兄様と離れるのがとても寂しかったのですが、努力して勉学に励みました。卒業の日、『もうどこに出しても恥ずかしくないレディーだ』と言われたとき、どんなに嬉しかったことでしょう!」
寄宿学校では銃火器の扱い方も教えてくれるのかと聞いてみたかったが、ウェッソンはやめておいた。うっかり気を悪くさせて、撃ち合いにでもなったらまずい――そこの植え込みに隠れている誰かに、流れ弾が当たらないとも限らないのだ。
「9歳、歳が離れていましたので、私は、お義兄さまにはいつも子供扱いされていました。でも、大人になればそんなものは関係なくなる、一人の女性として見てくださる――そう思っていました。いつかきっと、お義兄様をお慕いするこの気持ちをお伝えして――許してくださるなら一生おそばに置いていただきたいと……」
――なるほど、婚約を解消したいというのはそういうわけか。
ウェッソンは思わず、自分とサリーとの年齢差を数えていた。
「……なかなか言い出せないうちに、婚約のお話が進められていたのですわ。私の知らない間に――それで私……」
スコーンの香りに引き寄せられたのだろうか、一匹の犬がサリーの隠れている植え込みに鼻を突っ込んできた。しかしサリーは気がつかない。犬はくんくんとかぎまわり、サリーの後ろで「ワン!」と吠えた。
「きゃっ!」
あわてたサリーは植え込みから飛び出してしまった。目の前にいきなり現れたおさげの少女に、二人が驚いたのはいうまでもない。ウェッソンが叫んだ。
「サリー! なにをやってるんだ!」
サリーは恥ずかしさで顔を真っ赤にして立ち上がった。そのひょうしに、スコーンの袋が地面に落ちて転がった。そこにぱっと飛び出してきた犬が袋をくわえあげると、さっと走り去っていった。
サリーはウェッソンに怒られるのを覚悟で、うつむきながら彼の方に歩み寄る。ただし、目は相手の女性の方を向いている。初めてまともに顔を見たが、彼女は目のばっちりした、優しい顔だちの美人だった。そして、何か懐かしい感じがした。サリーはふと、故郷の母を思い出した。しかし、眼鏡をはずした自分がどれほど彼女に似ているかということには気がつかなかったのだ。
「サリー……? それではその方が……」
彼女は慈しむような眼差しで、サリーを見つめた。ウェッソンはサリーの肩を抱いて自分の方に引き寄せながら答えた。
「――そう、こいつが俺のサリーだ」
サリーはウェッソンの腕につかまりながら、思った。
……いま、”俺の”っていうところが微妙に強調されていたような気がしたんだけど……?
サリーは大きな目で、優雅な貴婦人の顔を見つめた。相手はにっこり微笑んだ。
「サリーさん……お待たせしてごめんなさいね。お話はもう終わりましたから、私帰ります。ウェッソンさん、つまらない話を聞いてくださってありがとうございました」
「いや――しかし帰るといっても……」
「大丈夫……いま、お義兄様の声が聞こえてきましたわ。……ああ、ほらあそこに……」
そう言う彼女の体が突然、空気に溶け込むかのように、薄くなり消えていく。サリーはびっくりして叫んだ。
「ああっ! きっ……消えちゃう! ウェッソン、このひと……!」
貴婦人の姿は完全に消えた。怯えてしがみつくサリーに、ウェッソンは言った。
「消えたんじゃない、帰ったのさ。彼女のいるべき世界に」
そう言われても、サリーにはこの事態が全く飲み込めていなかった。ただ、ウェッソンが落ち着いているので、たぶん大丈夫なんだろう、と思った。
さっきまで彼女がいたあたりを見つめながら、ウェッソンはつぶやいた。
「――がんばれよ、サリー」
「サリー? あのひともサリーっていうの?」
サリーがウェッソンを見上げて尋ねる。
「ああ、おまえと同じ名だ」
「……ふうん……そう」
「なあサリー、もし――」
「なあに?」
インディゴ・ブルーの大きな瞳でじっと見つめられたウェッソンは、喉まで出かかったことばを飲み込んでしまった。
「……いや、なんでもない」
「?――変なウェッソン」
ウェッソンはその言葉を無視した。そして、話題を変えた。
「ところでサリー……これからどうする?」
「どうするって――」
おそろしいほどの沈黙が続いた。
やがてふたりは無言のまま、重い足取りで帰っていった。
その後のことは語らないほうがいいだろう。
おしまい
And continued there》