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Contributor/影冥さん
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外伝 屋根の上での出会いの話




 あたし達は宿の屋根の上で月を見上げていた。晴れの日に寝る前に空を見上げるのは旅をしているときの日課だ。もっとも、この日課は相棒のが伝染ったものだけど。
「ん? なに、ヘレナ?」
 隣で空を見上げていた相棒――オードがあたしの目を見つめながら訊いてくる。あたしはオードに寄りかかった。
「ヘレナ?」
「いい天気ね」
「……うん。そうだね」
 あきらかに別のことを言うあたしにオードは怪訝に思いながらも素直に答えてくれた。いつもこんな調子ならあたしはオードと一緒にいなかっただろう。甘えていいときは甘えさせてくれるし、ただオードに依存してしまうだけになりそうになった時はきちんと叱ってくれる。そんな心遣いのできるオードに、あたしは惹かれている。
「そういえばさ」
「ん?」
「いつもこうやって空を見上げているけど、何を考えてるの?」
「そうだね……今はヘレナと始めて会った時の事を考えてるな」
 そういえば、オードと始めて会ったのは屋根の上だった。今日みたいに星の良く見える月の夜。

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 屋根裏部屋にある窓から屋根の上に出る。屋根の上。そこが、あたしのお気に入りの場所だ。
「こんばんは」
 他には誰もいないはずの屋根の上に、黒い髪の男の子がいた。その子が、にっこりと笑ってあたしに挨拶する。
「こんばんは。何、してるの?」
 あたしは男の子の隣に座った。
「星を見ていたんだ。それと、人を待っているんだ」
「人を? 誰? 知り合い?」
 あたしは男の子の横顔を見つめながら聞いた。男の子は優しく微笑みながら、首を横に振った。
「知らない人。名前がなんて言うのか、瞳の色は何色なのか、どんなことが好きなのか、僕はその人のことを何も知らない。だけど、待たなきゃいけないんだ」
「ふ〜ん……大変なんだ」
 男の子はまた首を横に振った。
「そうでもないさ。楽しみながら待つ方法を知ってるからね」
「へぇ……それって、どんなの?」
 男の子は寝転んで夜空を見上げた。
「空を見るんだ。昼でも、夜でも良い。そして、その人のことを思う」
「空を?」
 あたしは空を見上げた。見慣れた夜空。
「飽きない? 星を見るのは嫌いじゃないけど、ずっとこうしてると飽きちゃうな、あたしは。テムズやアリサと遊ぶ方が楽しいと思う」
「友達?」
 テムズとアリサの名前を出すと、男の子があたしの方を見た。
「親友よ。きっと、これからもずっと一番の友達」
「……幸せだね、君は。きっと素敵な友達なんだろう」
「……友達、いないの?」
 なんとなく気まずいような気持ちであたしが聞くと、男の子は優しく微笑んだ。
「いるよ。けど、今は会えないんだ」
「どうして?」
「いつか、僕と会う人を待っていないといけないからね。友達に会いに行くわけにはいかないんだ」
「……一人ぼっちなの?」
「今は、ね」
 男の子はそれでも悲しそうな様子は見えなかった。無理をしているようでもない。けど……悲しそうじゃないけど、悲しそうだった。
「それじゃあ、あたしが一緒に待っていてあげる」
「え?」
 ほとんど微笑んでいた男の子の表情がはじめて変わった。驚きに。もっとも、すぐに微笑みに変わったけど。
「あなたがどこかに行けないなら、あたしがあなたに会いに来てあげるよ」
「……ありがとう。……でも、僕のことは気にしなくていいよ。一人が辛いわけでもないしね」
「なに言ってるのよ、友達でしょ、あたしたち」
「え?」
 男の子はまた驚いた顔をした。今度は長い。
「なに、あたしが勝手に思ってただけってやつ? うわ、それってなんか情けないかも」
「あ、いや、そうじゃない――」
「なら、友達だね。あ、名前、まだ知らなかったね。お互い。あたしはヘレナ。あなたは?」
 あたしが差し出す手を、体を起こして握り返した男の子が笑って――微笑じゃない、満面の笑みだ――言った。
「僕はオード。よろしく、ヘレナ」


「――そのときテムズが悪ガキに鉄拳制裁! あれは一撃必殺ね、まさに」
 話のオチにオードが楽しそうに笑う。
 出会ってからほとんど毎日、あたしたちは屋根の上で会っていた。オードはあたしが屋根の上に来た時には必ずいた。「一日中いるの?」と聞いた時には答えずに微笑んでいただけだったけど……まさか、ね。
「……ヘレナ」
 ひとしきり笑った後、ふいに真面目な顔をしてオードが言った。
「ん? なに?」
「このまま待ち続けて……会うことができるかな?」
 オードは空を見上げた。その表情はあたしには見えない。
「どこかへ行くの?」
 あたしは質問に答えずに聞き返した。空を見上げるオードの横顔をじっと見つめる。
「わからない。僕がここからいなくなったら、どこかへ行ったということかもしれない」
「なにそれ? 自分のことでしょ?」
「自分のことだから……かな。僕にできることは待つこと。そして、想う事。それだけだから……」
 なんとなくオードが消えてしまいそうな気がしてオードの手を握った。――オードの手は震えていた。
「オード?」
「僕は……僕は一体いつまで待ち続ければいいんだ……誰のことを想えば良い? 僕は何のために存在する? 僕はっ!――」
「オード……」
 それはいつものオードじゃなかった。柔らかくて、何でも受け止めてくれるオードじゃない。あたしが普段悩んでいる事とはもっと別のこと悩んでいるけど、不安なことに涙を流す、あたしと同じ小さな子供。
 あたしは俯いて肩を震わせるオードを抱きしめた。お父さんのように力強く励ましてあげれないから、お母さんと同じように落ち着くまで一緒にいてあげたかった。
「落ち着いた?」
 しばらくして、あたしはオードにできるだけ優しく聞いた。
「うん。ごめん、ヘレナ」
「なに言ってるのよ、友達の力――にはなれなかったけど、何かしてあげるのは当然じゃない」
 オードが微笑んだ。それは、今までとは違う笑みだ。こんな笑みをあたしは見たことがなかった。
「ありがとう、ヘレナ。……決めたよ」
「え? 決めたって……」
「僕は行く。どこに行けばいいのかわからないけど……探しに」
 オードが立ち上がった。あたしを見るその目はとても力強い。
「また、会えるよね?」
 オードはにっこり笑ってポケットから指輪を取り出した。そして、その指輪を握り締めて目を閉じる。何をするつもりなんだろう?
「古き記憶に封じられし門よ」
 オードがゆっくりと呟く。不思議な雰囲気がオードを包んでいた。そよ風のような囁き。
「未来の鍵を持つ者が命じる」
 指輪を握った手が光に包まれた。手品?
「開け。自由の名のもとに」
 その言葉が最後だったらしい。言い終わるのと同時に光が消えた。
「オード、一体何をしたの?」
 あたしの質問にオードが手を開いた。そこにはさっきと同じ指輪が――違う。さっきはなかった文字が内側にあった。
「『オードからヘレナに。再会を誓って』……これが約束の証。僕を信じてくれるかな、ヘレナ?」
 あたしは指輪を受け取った。
「魔法使いみたいね。……信じる。信じろなんていわれなくたって、この指輪がなくたって信じる」
「行ってきます」
 オードが嬉しそうに笑って、言った。
「いってらっしゃい」
 あたしも笑って言った。あと、声に出さないで呟く。約束破ったら承知しないからね。
 オードは器用に屋根から屋根へと飛び移ってやがて見えなくなった。
 この日から、屋根の上に行ってもオードはいなくなって、あたしは屋根の上に行くのを止めた。

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「で、探しに行ったら見つかったの? 待ち人は」
 オードは首を横に振った。
「ふ〜ん。てことは今も探してたりするんだ?」
「ヘレナは、再会したときすぐに気がついてくれなかったね……」
 あたしの質問を遮るようにオードが悲しそうな声で言った。……もっとも、悪戯を仕掛けた子供のように笑っているけどね。
「そういえばさぁ。指輪の贈り物ってやっぱり恋人同士の贈り物よね。婚約指輪とか。あの時からあたしのことそーゆー目で見てたんだ?」
「え?」
「まあ、昔からあたしってば愛らしかったもん――ねっ! と」
 言いながらあたしはオードを押し倒した。不意をつかれたオードはなすすべなくあたしに組み敷かれる。
「へ、ヘレナ……」
「んっふっふ。責任、とってもらうわよ」
 あたしはじわりじわりと顔を近づけていき、キスをした。毛深かった。
「あ……」
 慌てて顔を離したあたしは見た。タキシード姿の黒ウサギの後頭部を。
「オード」
 オードが振り向いてにやりと笑った。
「本当の婚約指輪を贈る時までおあずけだよ。お休み、ヘレナ」
 黒ウサギ姿のオードはひょいと屋根から飛び降りた。あとにはうつ伏せの姿勢でオードを見送ったあたしが一人。
「む〜……今日の運勢。待ち人、もうしばし待て。って感じ?」
 ホント、いい天気だね。うん。

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 オードは屋根の軒下にぶら下がってヘレナの唸り声を聞きながら密やかに笑った。
「僕は待ち人、すでにあり。って所かな?」
 オードはポケットから指輪を取り出した。ごく普通の指輪だ。その指輪を見るオードの表情は暗い。
「……恋愛、決断の先の道は険しい……」
 月は静かに照らしていた。


END

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