Super short 5(Part 3)
けたたましくベルが鳴り、秘書のウェッソンが電話を取った。 「もしもし。ノンテュライト探偵局です…あ、はい! ええ、サリー所長はいらっしゃいますがバキューン……………ええ、はい。はいバキューン」 革張りの椅子にゆったりと腰掛けて、奥の書類に目を通していたサリーは顔を上げることもなく、ウェッソンが呼びかける前に答えた。 「王室からですねぇ、直ぐに行くと伝えてください」 「え、どうして分かったんですかバキューン!?」 サリーは微笑み、指先でメガネを直した。 「自分では気づいていなかったようですねぇ、君は緊張したときに語尾がバキューンになるんですぅ。日常的に各界の著名人や貴族たちの依頼をこなしているこの事務所の秘書である君が緊張する相手といったら王室くらいのものです。初歩的な推理ですよぉ、ウェッソン君」 「お、お見事ですサリー様バキューン!」 恐れ入ったとばかりにひれ伏すウェッソン。 難事件を次々と解決へ導き、メイ探偵の名声を勝ち取った彼女はここフロンティアパブの一室に事務所を構えてから何年が経っただろうか。昨年の暮れ、某伯爵から事務所にどうかと城を譲られそうになったときにも断っている。サリーは有名になった今でもこのフロンティアパブが好きだった。有名人の事務所があるせいか、店は連日大繁盛で、「あなたのお蔭よサリー!」とテムズも喜色満面でしなを作って少し気持ちが悪いくらいである。また、女王から騎士の称号を贈られそうになったときにもサリーは「私は一介の探偵に過ぎないですぅ」と断った。そんな実力はあるのに庶民的で親しみの持てるサリーの人気は鰻上りの天井知らずである。もうなんていうか今や国民的ヒーロー。 サリーが腰を上げると、ウェッソンが慌てて衣桁からインヴァネスコートを外してドアの前に立つ。彼もようやくサリサタ・ノンテュライト探偵局長の秘書が板についてきたようだ。サリーはトレードマークとなったそのコートを羽織り、差し出された鹿討帽を被る。そして忘れちゃいけないルーペも装備。恭しくお辞儀するウェッソンに見送られてサリーは部屋を出た。 「あ、サリー。出かけるの? 行ってらっしゃい。気をつけてね」 「行ってきますですぅ」 廊下で通りがかったテムズに片手を挙げて応じるサリー。彼女も最初は物凄く卑屈だったのだが、それだと正直余りにも気持ち悪いのでざっくばらんにやってもらうことにした。 フロンティアパブの二階は改築されており、壁のスイッチを押すと大きな音を立てて屋根が開く。開けてしまってなんだが、折角なので彼にも出番を作ってやることにする。 「飛べ車の整備はできてますかぁ?」 「万全です、サリー様!」 爽やかに元鍛冶屋。出番終わり。 “飛べ車”とは、彼女の発明した空を飛行するための機械である。歴史上にサリーという大天才が現れなければ全く異なる動力源によって全く異なる原理による飛行機械が発明され、進化を遂げたのかもしれないが、今やこの飛べ車によってメイ探偵は自由に空を駆け回ることができるようになってしまった。 「じゃあ、ちょっくら行ってくるですぅ」 サリーの声と同時に飛べ車は力強く大空へ飛び立った。フロンティアパブはみるみる小さくなっていく。見れば、人々は未だに地面の上を走っている。近頃流行っているヤカンの湯を沸かして使うような乗り物も、サリーにとって見れば玩具のようなものだ。 「はぁ…時代が私に追いつくにはまだまだ時間がかかりそうですねぇ」 ちなみに飛べ車が原動に要するエネルギーは推理力である。これが彼女の発明したこの飛べ車の唯一の欠点であった。一般人はおろか、並みの推理しかできない三流探偵では近所の魚屋に行くのが精一杯なのである。だがメイ探偵サリーの脳裏に次々と閃く推理はますますも冴え渡っていく。 「女王が私を呼んだ…つまり、それほどの重大かつ難解な事件が起こった。流石に解決までには時間がかかる…勿論、お昼ご飯までに帰らないとテムズさんがお冠…だが、私はそのときには居ない…取り敢えずウェッソンにとばっちり…何せウェッソンは甲斐性なし…分かりました、犯人はウェッソンですぅ!」 飛べ車の勢いはぐんぐん力強くなり、空に連なった電話線の群れ群れを飛び越えて遂に大空を駆け上った。それを地上から見上げる人々は両手を振って大歓声を上げる。サリーがこれもメイ探偵の務めと車の窓から顔を出して声援に応えると、よりいっそう声が大きくなる。有名人もなかなか大変である。 サリー程の推理力があれば、女王の住む城まで、ものの数分。以前に会った女王は年を取って威厳に満ちていて、少しやりにくかったので今回は同い年くらいの若さである。 「まぁ、サリー! きてくれたのね!!」 王城にあるバルコニーはサリー専用ポートだ。飛べ車をそこに止めると、彼女は颯爽と降り立ち、跪いて出迎えた女王陛下の手の甲にキスをする。後ろにはずらりと並ぶ傅いた騎士たち。長く続く紅いビロードの敷布。 王冠を被り、鮮やかなドレスに宝石で着飾った女王とは対照的に、サリーの服装はいつものこれだった。仕事をするときには誰に会うのであろうと必ず鹿討帽にコートというのが彼女の信条なのである。これには誰も、それこそ国の統治者であろうと口出しすることはできない。 「うふふ、メイ探偵サリー! 今日は貴女のためにこれを用意して待っていたのよ!」 「あぁ!? もしや――」 間違いない。サリーの推理によれば、「――その中身はサバですねぇ」だった。何せラベルに書いてある。しかし誰もがこんな簡単なことに気付けないのだ。そこが探偵と一般人の大きな違いである。 「流石メイ探偵サリーね、一目で分かってしまうなんて。さぁ、北の国から特別に取り寄せたのよ! この超! 高級ブランド『ファルルテル・コール』のサバ缶を一緒に開けましょう!!」 見る者を眩惑するほどにキラキラした瞳で華やかなレースの手袋にサバ缶を乗せ、女王は懇願してきたが、サリーはなんとか誘惑を断ち切ることができた。仕事が最優先である。 「女王様。それよりもそろそろ時間も押してきたので巻いていきましょ…じゃない、本題に入ろうじゃありませんか、ですぅ」 渋く言ったので、 「そうね、そうだったわ!!」 女王は口惜しそうに俯くと、「さぁこっちですのよ」。また顔を上げてサリーを城の奥へと案内した。奥へ奥へと。 サリーはとっくに看破していたが、城には秘密の地下通路があったのだった。水が滴る冷ややかな鍾乳洞を通り、鎖で繋がれた猛獣のいる石室を潜り抜け、転がり迫り来る巨岩を間一髪でかわし、とても二行や三行では書ききれない冒険劇を経て、色々あって遂にそこへと到着した。とても二行や三行では書ききれない理由でもう後には退けない。 ぜぇはぁと二人は肩で息をする。 「サリー、傷が痛むの?」 「…くっ、一度くらい死んだことにして再登場するのもいいですけど、世界の謎を解き明かすまでは取り敢えず死ねませんからねぇ」 「ごめんなさい、私を庇ってくれたばかりに…」 左肩を押さえているのは外国マフィアに襲われ、飛び交う銃弾を掻い潜ったときに受けた傷のためだ。本来なら致命傷だが、サリーの開発した治れ湿布を貼っているのでそれほどでもない。擦り傷、打ち身、創傷、裂傷、虫刺されから火傷に冷え性、心の傷に不治の病までなんでもござれ。言うまでもなくエネルギー源は推理力だ。 「何を仰います、女王様。友だちじゃないか、ですぅ」 「そうね、こんな私のたった一人のとても大切な友だち。探偵拳法の達人なのは言うまでもなく奇跡的発明の数々、誰からも愛される人柄、明眸皓歯頭脳明晰成績優秀品行方正メイ探偵サリーの現るところたちまち難事件が巻き起こる、そしてそれら全てを卒なくおやつの時間までに解決してしまう完璧な推理。貴女になら王位を譲ってもいいくらいだわ。いいえ、わたくしなんかよりサリー、貴女の方が女王に相応しい!」 そんな特技があったのかというくらいの早口で、両手を組んで首を振りながら言う。それを聞いてサリーはぴしゃりと女王の白い頬を平手で打った。 「…なっ、酷いっ、母上にもぶたれたことがないのに…!」 「分からないんですか、だから私が打ったんです。女王様、あなたそれでも女王様か、ですぅ!」 「え?」 「この国の人たちを幸せにするという大切な仕事をそんなに簡単に放り捨てるだなんて、私の知っている女王様はそんなに無責任じゃありません!」 第一、サリーはそんな面倒なことまっぴらごめんだった。 「ごめんなさい…わたくし、わたくしは自分の運命から逃げていたのね。もう逃げない、闘うわ!」 「大方その意気ですぅ」 そんな二人の眼前には巨大な両開きの扉がででんと構えている。 「さぁ、この先に今まで捕まえてきた犯罪者たちの秘密組織…えーっと、名前はじゃあ『死のサバサバ団』の親玉が待ち受けていますぅ。決着をつけるときがきましたぁ!!」 がきょんと壁にくっ付いているレバーを倒す。扉が開くとその先には霧が立ち込めており、やがて晴れたと思うとそこには如何にもな黒のマントを身に纏った初老の男が立っていた。背後は怪しげな機械に埋め尽くされており、喧しげな音を立てて作動し、あちこちで灯りが明滅している。 「おや、これはメイ探偵サリー様に女王陛下ではありませんか。当サバ缶工場へようこそ。ご見学でしょ―――――」 「と言う訳で、あなたが犯人ですねぇ!」 つかつかと足早に歩み寄り、鼻先へ人差し指を突きつける。工場長は仰け反ってたじろぐ。 「ぐっ、何故ばれた!?」 「何故ならあのときあなたは以下、全略ですぅ!」 「な、な、な、なんたる完璧な推理!? 蟻の這い入る隙もない!」 「フフフ…」 驚愕して辺りを見渡す女王。 「なんてことなの。『死のサバサバ団』の秘密基地がサバ缶工場に偽装されていたなんて、とてもメイ探偵サリーでなければ見つけることはできなかったわ。危なかった…私もサリーの制止を聞かずにあのときサバ缶を開けていたら今頃……」 「フッ、そういうことですぅ」 とにかくどうにかなっていたに違いない。更にサリーは工場長に詰め寄ると、変装に使われていたゴム皮を引っぺがす。 「ついでに言うとあなたの正体はウェッソンですねぇ!」 「…な!?」 「はは……そこまで見破っていたとはな…サリー。その通り、俺だ。ウェッソン・ブラウニングさ。決して定職にも就かずぶらついていたわけじゃあないのさ」 「出世したものですねぇ」 マントを打ち払うと、なんとそこにはいつものチョッキ姿の青年が。 「なんてことなの、サリーの秘書になった振りをして死のサバ缶を製造し続けていただなんて…でもどうして?」 「ぶっちゃけ今決めましたぁ。何故ならさっき飛べ車に乗ってるときそう推理しちゃいましたからねぇ!!」 「…やはりサリー、あなたは怖ろしい人…」 すっかり解説役になってしまった女王は調子に乗り、拳を握って力説する。 「観念しなさい工場長、いえウェッソン・ブラウニング! メイ探偵サリーがいる限りこの国を好きにはさせないわ!!」 「ふはは、ここまで来るとは流石だな、サリー。だが、これで勝った気になってもらっては困るな。俺の手元にあるこのリモコンと呼ばれるもののスイッチを押せば、あそこのあの辺りに適当に仕掛けた爆弾が炸裂してお前たちもろともこの工場は崩壊するの…だ………って、あれ?」 「…フフッ、お探し物はここかい? ですぅ」 自分の手とサリーを交互に見るウェッソン。彼女の手には時間の都合で省略された展開により、とにかくリモコンと呼ばれるものが握られていた。 「い、いつの間に!? 最早これまでか…」 「………………」 しかしなんだか……………… 「どうしたのサリー!? そんなにリモコンと呼ばれるものを凝視して」 この丸っこいボタンは… 「んー…」 「ま、まさか…止めろぉお!?」 とても押したくなるのである。 「どうせそろそろ起きなきゃいけないんで」 「あら、残念ね」 「仕方がないな、また会おう我が永遠の宿敵メイ探偵サリー。フハーッハッハッハ!!!」 要するにサリーは夢を自在に操れるのだった。 「次回へ続く、ですぅ」 ぽちっ。 「………………わ、わわ?!」 目を覚ましたのか、サリーが急に暴れ出したのでウェッソンは彼女を地面に落とさないように苦心した。 「おい、落ち着け」 暗闇の廊下で、彼は彼女を抱きかかえていたのだ。それも腿と脇を支えた、いわゆるお姫様抱っこで。 「は、恥かしいですぅ。降ろして…」 言う割りには力が入っていないらしく、サリーはウェッソンの腕の中で弱々しくそうこぼした。ウェッソンが足の方からゆっくりと彼女を下ろすと、サリーは少しよたよたとしてから壁にもたれつつ慌てて立ち上がった。 「ト、トイレはどっちですか?」 何故だか当たり前のことを訊かれる。 「…いや、階段を下りて右だが」 「ありがとございました。行ってきますぅ…バキューン……」 「は?」 サリーは目を合わせないように伏せ眼がちで、彼が預かっている眼鏡も忘れてとたとたと暗がりの階下へ駆けて行ったのだった。 その叫び声が聞こえたのは正にウェッソンが欠伸を一つついて、自分の部屋に帰ろうと踵を返したときである――――― 「さ、殺人事件ですぅ!!!」 |
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