何日か前に新装開店の看板を掲げた酒場があった。
人通りの多い十字路の角にあるその店はなかなかの賑わいを見せていた。
しかし他の店が持つ常連は、たとえその店に足を運んでもなかなか常連にはなってくれなそうだった。
そこでその店は「酒とつまみ類セット」にするとお得などのセットメニューを考えだし、昨日あたりから従業員にチラシ配りをさせていた。
私の家はその店のある十字路からほんの少し離れた、しかし徒歩二分もかからない位置にある。ちなみに二階建てで私室は二階だ。
私は夕方、窓辺に椅子を持っていき外を眺めるのが最近の日課だ。なんとも平和を感じる日課である。
今日は私の家の前でチラシ配りをする従業員がいた。目の前の通りの人通りは悪くない。チラシ配りにはちょうど良い場所なのかもしれない。
しかし従業員の男は妙におどおどしてチラシを渡すどころか渡すための掛け声すら出せないようだった。人手不足に雇われた新米なのだろう。
何気なく眺めていると金髪のお下げ髪の少女が買い物籠を腕に掛け新聞を堂々と広げ読みながら十字路のほうに歩いていくのが見えた。
少女には見覚えがある。たしか「フロンティア・パブ」という店の居候だ。名前はサリーだったかな? サリーは愛称だったかも。
私は「フロンティア・パブ」独特の雰囲気が結構お気に入りで、何度も足を運んでいるのだが。
店主たちとはあまり話をしたことがないので名前は覚えられていないかも……
差し詰め成りそこないの常連だ。
サリーが従業員の前に差しかかる。従業員はおどおどしながらチラシを渡そうと努力をするが新聞に集中している彼女に気づかせるには掛け声を出せないのは致命的だった。サリーは結局気づかず行ってしまった。
従業員はサリー以外にもチラシを差し出す、気づかないのか無視しているのかすべての人が受け取ってくれない。
一人ぐらい受け取ってくれても良いだろうに、気弱な性格が災いしているのはわかっているが、運のない人だ。
黒髪の男が従業員の前を通る。従業員はまたも受け取ってもらえなかった。
この黒髪の男にも見覚えがあった。サリーと同じ店のこれまた居候。「ウェッソン」といったか。銃の腕前は相当のものらしい。
心持早歩きな彼の手には似つかわしくない財布が握られていた。
サリーは買い物籠を持っていた。きっとサリーは財布を忘れ、それに気づいたウェッソンが届けに向かったのだろう。
少し後から赤い髪のエプロン姿の女性がやってきた。
「フロンティア・パブ」の店主「テムズ」だった。
手にはなにやら一切れの紙が、先の二人から察するにもしや買い物のメモでは?
急いでいる彼女にチラシを渡すのはもちろん無理だった。
そういえば「フロンティア・パブ」の三人を目にした。酒場の盛り上がりが急成長するこの時間帯に店に誰もいなくていいのだろうか?
そもそもそんな時間帯に買出しとは彼女らしからぬポカだ。もしくは今日の店は予想を上回る大繁盛、めったにない黒字をたたき出しているのかもしれない。
客しかいない店内を想像する。私のイメージの中でだが店主のいない間に悪さをするような客は見当たらない。財布を忘れた。メモを忘れた。と慌てる店主達を肴に笑いながら酒を飲む人たちばかりが席を埋めている。
客との信頼を大切にしているこの店ならではの光景だった。まぁ私のイメージなのだが、今店に行けば恐らくそれに近しい情景を拝むことができるだろう。
そう思うと「フロンティア・パブ」に行きたくなり、私は席を立つ。
「あれ? どったの?」
ふと良く知る声を掛けられた。そういえば友人が来ていたんだっけ。外を眺めていていつの間にか忘れていた。
「え? ええ、ちょっとね」
「話しかけても無視だったから落ち込んでるのかと思ったけど。もしかしてぼーっとしてただけぇ?」
返事に少し間が空いたことで相手も気づいたようだ。友人関係は長い、一瞬で見抜くとはさすがと言うべきか。
彼女はさっきまで私が見ていた方を見て。チラシ配りの男を見つける。
「なに? ひとめぼれ? あんた惚れっぽいからねぇ」
茶化すように言う。彼女は色恋沙汰に目がない。私が何気なく見てたり、落し物を拾ってあげたりしただけで恋だと茶化して楽しんでいる。
もちろん私が惚れっぽいというのも彼女の頭の中だけだ。いくら言ってもこれだけは誤解が解けない。
「違うわよ」
経験上強く否定すると疑って掛かるので素っ気なく否定する。そんな考えも虚しくしつこく追求する彼女を適当にあしらい、出かけるからと退出を命じる。
「この事については今度みっちりと質問攻めにしてあげるから覚悟しときなさいよ〜」
彼女の言葉に相槌を打ちつつ玄関まで送る。ドアを開けるとチラシ配りの従業員が見えた。相変わらずチラシは受け取ってもらえないようだった。
「声掛けるんだったら早いほうがいいんじゃない?」
「馬鹿言わないで」
「あっはっは、じゃーねぇ」
去って行く彼女に手を振る。そのまま「フロンティア・パブ」に向かうことにする。
チラシ配りの従業員は心なしか落ち込んでいるように見えた。チラシを配ることができないのだ、当然といえば当然だ。
歩き出そうとした時、「フロンティア・パブ」の三人組が帰ってきた。そう多くはない荷物はウェッソンが持っていた。
お客を待たせているテムズは焦りを隠せないが、サリーとウェッソンは「待ってくれてるんだろう?」とか「財布とメモを籠に入れ忘れるテムズさんの責任問題ですぅ」などと急ごうとしない。
すぐにテムズは怒りだし、二人は渋々帰路を急ぐ。そのやり取りはとても楽しく感じた。
もちろん素通りされたチラシ配りの従業員は諦めたようにため息をつくのだった。
私が内心上機嫌だったのと、彼が哀れに見えた為か。私だけでもチラシを貰ってあげようという気になった。
頭に友人の「声掛けるなら早いほうがいい」という台詞が過ぎる。
決してそういう気はないのでちょっと癪だった。
「あ、ありがとうございますっ!」
チラシを受け取ると彼は心から嬉しそうな表情でお礼を言ってきたので何だか照れくさかった。
別の店のチラシを持って店に入るのは失礼なことだったが気がつかなかった。私も店主も。
特に何もなかったようで貴重な体験をしたような。気のせいではない様に思うのは気のせいか?
何でかこの日はお酒が一層美味しく感じられた。
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