Super short 13
「ありがとうございます、先生。でもぉ、なんか勘違いしてませんか?」
アリスにそう言われて、医師は驚いたように顔を上げた。
「え? なんの話だ?」
アリスは大きな目をもっと大きく見開き、信じられないと言った顔で答える。
「やだっ。たったいま、小さい声で『アリス、誕生日おめでとう』って言ってたじゃないですかぁ。3秒で忘れちゃったんですか?」
ジェフリー・ハリスン医師は唖然とした顔でアリスを見つめた。それから、ばつの悪そうな表情になって目をそらしながら言った。
「……そうか、声に出していたのか……いや、すまない。違うんだ」
「そうですよ、違いますよお。私の誕生日は――」
「アリスというのは私の妹のことだ」
「えーっ! 先生に妹さんがいたんですか? 私と同じ名前?」
アリスは目をきらきら輝かせて、嬉しそうに言う。アリスという名前など、この国ではごまんとあるだろうに……。
「ああ、君と同じ名前だ。しかし誕生日は違うな」
「今日が誕生日なんですか〜。おめでとうございます」
ジェフリーはそう言われて困ったが、とりあえず妹のかわりに礼を言うことにした。
「ありがとう」
「妹さん、何歳ですか? どこに住んでいるんですか? やっぱり先生みたいに眼鏡かけてるんですか? 会ってみたいですー」
立て続けの質問。答える義理はない、とジェフリーは思った。しかしアリスが答えをじっと待ちながら突っ立っているので、あきらめる。
「たぶん、17、8歳だろう。妹が赤ん坊の頃別れたきりで、はっきりとは覚えていないが――」
「え……?」
能天気なアリスも、いまの言葉には反応した。なにやら同情のまなざしとともに、さらに聞いてくる。
「ずっと……会ってないんですか?」
「ああ。私もまだ子供だったから、詳しいことは知らないんだが……ある朝、突然いなくなってしまった。人さらいに連れて行かれた、と両親は言っていたが、本当のところはどうだったのか……。売られていったのかもしれない。あるいは病気か事故で急死したのかもしれない。しかし、死んだところを見たわけでもないのでね――生きていれば、17か18になるはずだ」
ジェフリーの言葉に、アリスはムキになって、
「きっと生きてますよぉ! どこかで元気に暮らしてて、いつか感動的な兄妹の再会をするんです! そうでなきゃ……」
と言った。それに対し、ジェフリーは中途半端に微笑を返す。
「そう願いたいね。だが、もし生きていて、どこかで出会うことがあっても、お互いに肉親だとは気がつかないだろうな……髪の色や瞳の色すら、もう憶えていない……」
いったいどうしたというのだろう? 今夜の自分は喋りすぎだ、と医師は思った。少し浮かれているのだろうか? たしかに、今年はクリスマス前に一人の入院患者もなく、三年ぶりにテムズのクリスマス料理を味わうことができそうなので、喜んでいるのは事実だ。しかし……。
相手がアリスだからかもしれない。セリーヌが相手なら、絶対にこんなことを話したりはしないだろう。
そんなことを、ジェフリーがなんとなく考えた時だ。アリスの大きな目が急に潤んだかと思うと、大粒の涙がどっとあふれ出してきた。
「そんなっ、か、かわいそうですう! アリスさん、まだ赤ちゃんだったのに……ひっく。先生、なんでそんなひどい話をそんな平気な顔で話せるんですかぁ……ぐすん」
そう言うと、アリスはわあわあ大泣きを始めた。さすがにジェフリーも慌てた。やはりよけいなことを話してしまった、と後悔しても遅い。
「お、おい、なにも君がそんなに泣くことはない……アリス! 今日はクリスマスイブだ。楽しい晩のはずだろう? 泣かないでくれ――」
「だってだってえ……こんな素敵な日がお誕生日なのに、家族に祝ってもらうこともなくって、きっとひとりぼっちで……うわぁぁーん」
そこに、もう一人の看護婦が最悪のタイミングで入ってきた。焦ったジェフリーがどう言い訳しようかと考える間もなく、セリーヌは無表情のままふたりを一瞥しただけで、机の上のカルテの山を持ち、無言で診察室から出ていった。アリスはそれにも気がつかず、ずっとわんわん泣き続けている。
「……アリス……いまのは嘘だ。冗談だよ。だからもう泣きやんでくれ」
とうとうジェフリーはそう言ってアリスの肩をぽんと軽く叩いた。
「へ? ……冗談、ですかあ?」
ぴたりと泣きやむアリス。
「ああ、そうだ。日を間違えたのを取り繕うためについた嘘だ。……本当は妹などいない」
アリスのピンクの頬がぷーっとふくれる。
「ひっひどいですっ! 私、本気にしちゃいましたよぉ……なあんだ、嘘ですか。ああよかった。泣いて損しちゃった」
と、最後は涙も拭かずににっこりと、変わり身が早い。
医師は冷や汗を拭い、溜息をついた。
「すまなかった。さあ、機嫌が直ったらフロンティア・パブに出かけよう。今夜は早く行かないと、席が全部埋まってしまうかもしれないからな」
「はあ〜い」
アリスはぱたぱたと部屋から出ていった。
「セリーヌ〜。今夜はお外でお食事だよー」
その直後、派手にすっころぶ音が聞こえてきた。……いつものことだ。いまの音からすると、べつにけがもないだろう。そう思いながら、医師は眼鏡をはずして布でごしごしと拭き、かけ直した。そして窓を開け、夜空を見上げる。星がひとつ、すっと流れていくのが見えた。
「メリークリスマス……そして、誕生日おめでとう――アリス」
待合室にいるアリスには絶対聞こえないように、彼は窓の外に向かって小さく呟いた。そして同時に、会ったこともない人間のために涙を流してくれたやさしい看護婦に、心から感謝したのだった。
おしまい
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