Super short 1

Contributor/ねずみのママさん
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秋の午後の静かな想い


 ポットに、ゆっくりと熱湯を注ぐ。蓋をして少し待つ。
 テムズはトレーに乗せたお茶のセットを持って、階段を上っていった。ウェッソンの部屋の前に立ち、ドアをノックすると、
「開いてるよ」
と声がした。
 ドアを静かに開けたとき、涼しい風が部屋を通り抜け、窓のカーテンをわずかに揺らした。ウェッソンは机に向かって、手紙でも読んでいたようだ。
「お茶淹れてきたわ。ひと休みしたら?」
とテムズが言うと、ウェッソンは驚いたような顔をした。確かに、頼まれもしないのに部屋までお茶を運ぶなどということは、今まで一度もなかったが――やはり、わざとらしい行為に思われただろうか?
「あ……ありがとう……」
 戸惑ったように礼を言い、彼は手に持っていた書簡を机に置いた。そしてカップを受け取る。
「妙に親切だな。いったいどうした風の吹き回し――」
 ウェッソンはふいに口をつぐんでテムズの顔を見つめた。テムズは自分が知らず知らずのうちに泣きそうな表情をしていることに気づき、あわてて営業用の笑顔をつくった。
「なんとなくね……ヒマだったから」
 それが嘘だということは、完全に気づかれているだろう。でも、そんなことはかまわなかった。こうして普通に口をきいてくれるだけでも、ずいぶんましになったというものだ。つい1週間前の彼とは別人のようだ。
 ひと月ほど前になにが起こったのか、テムズはなにも知らない。あの晩、川の上流のほうにある崖の下で、彼は瀕死の重傷を負って倒れているところを発見された。一緒にいたはずのサリーは忽然と姿を消していた――。一命をとりとめたウェッソンが、ようやく口をきけるくらいに快復しても、サリーは帰ってこなかった。それだけだ。そしてウェッソンは、誰にもなにも語らなかったのだ。
 一週間前、病院を出てフロンティア・パブに戻って来た彼は、数日のあいだ、ベッドに横たわり、青灰色の瞳でじっと天井を見つめているだけだった。テムズがそれを見てどんなに心を痛めたか、彼は知らないだろう。彼女はまだ身体が充分回復していない彼のために、毎日いろいろ気を遣い、世話をした。そんな中でウェッソンも少しずつ元気になり、ふたりの間に会話が戻ってきた。そして、今の言葉からすると、周りの人間に目を向けるだけの心の余裕もできてきたようだ。
「テムズ……すまない」
 ウェッソンが静かな声で、まじめな調子で言ったので、テムズはどきっとしてしまった。
「すまないって、な、何が?」
「なにもかもだ……さんざん迷惑かけて……心配もかけて……俺が今、なんとか自分を見失わずにいられるのは、おまえのおかげだ」
「そんなことないわよ……でももしそう思うのなら、はやく元気になってよね」
 テムズはそう答えたが、自分がどうがんばっても、ほんとうにウェッソンを元気にしてあげることはできないとわかっていた。それができるのは、あの子だけだ。
 ウェッソンは紅茶を一口飲んで、
「こんなに美味いお茶は久しぶりだな……」
とつぶやき、わずかに微笑んだ。
 また風が吹き、カーテンがふわりと揺れた。
「――もう秋の風ね」
 テムズはそう言って窓の外を眺めた。ウェッソンも窓の外に目をやった。明るく柔らかい日ざしが、街並みに降り注いでいる。夏はすでにどこかへ行ってしまった。そして、夏の太陽のように輝く金髪を持つあの少女も。テムズは、サリーの眩しい笑顔を思い出していた。ウェッソンも同じことを考えているだろうか……?
「……ねえ、今日は天気もいいし、散歩でもしてみたらどう? 部屋にとじこもってばかりいないで、少し日に当たった方がいいわよ」
 テムズはさりげなく言った。よけいなお節介だと思われるだろうか、と心配しながら。
「……そうだな。少し歩いてくるか」
 ウェッソンはゆっくり立ち上がった。テムズの表情が少し明るくなった。
 彼は窓の外を眺めながら、大きく伸びをした。
「テムズ、それとも庭のほうを見てきたほうがいいだろうか? ずっとほったらかしにしているし――」
 その時、彼の動きが止まった。彼は窓に貼り付くようにして、外を覗いた。
「ウェッソン……? どうしたの?」
 不思議に思ったテムズは尋ねた。
「……サリー……」
「え?」
「俺は昼間から夢を見ているのか? それともとうとう幻覚を見るようになったのか……?」
 テムズも急いで窓ぎわまで行って、外を見おろした。そして、窓を見上げている少女と目が合った。幻覚ではない。まちがいなくサリーだ。日ざしの中に立つ彼女は困惑し、あるいは少し怯えたような表情で、ウェッソンとテムズを見つめている。テムズは思わず横にいるウェッソンの腕にしがみついて言った。
「夢じゃないわ……私にも見える……」
 驚きと喜びで涙が込みあげてくるのを必死に抑えながら、テムズは精一杯明るく元気のいい声で叫んだ。
「サリー! お帰りなさい!」


おしまい

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