The another adventure of FRONTIERPUB 6
「問題、ですぅ」
「…何がだ?」
難しい顔をして唸るサリーにウェッソンは朝食の後の紅茶――テムズは金を払わない限り食後のお茶について選択権を与えてくれなかった――の香りを楽しみながら訊いた。
「最近、平和すぎるとは思いませんかぁ?」
「そうか?」
新聞には話題になりそうなこそ泥の話題から話題になりそうな横領まで様々な事件が載っていた。平和すぎるということはないだろう。
「霧の中で一人見かければ十人はいると言われるこの街なのに平和すぎますぅ!」
「誰が十人はいるんだ?」
「切り裂きジャックですぅ!」
ウェッソンは紅茶をゆっくりとすすった。猫舌の彼には程よく冷めた紅茶ですらまだ少し熱かった。
「それはジャック氏を片端から切り裂き魔にするようなものじゃないのか?」
「例えに決まってるじゃないですかぁ! そんなことはどうでもいいんですぅ!」
ウェッソンはもう一度紅茶に挑戦した。今度は彼にとって程よく冷めていた。
「これはきっと政府によって事件が隠蔽されているに違いありませぇん!」
そういえば、昨日『政府の謎』とかいう本を読んでいたな。その影響か。ウェッソンはサリーを眺めてそう判断した。
「その事実を突き止めてやりますぅ!」
サリーは立ち上がり、ウェッソンに指を突きつけた。まるで彼が政府の犬とでも言うように。
「程々にしておけよ」
ウェッソンはそう言うに留まった。言うだけ無駄だ。
「それじゃあ、早速情報を集めてきますぅ!」
サリーは朝食のときに食べずにおいたとっておきのゆで卵をポケットに入れるとあわただしく店を出て行った。入れ違いにテムズが入ってくる。
「あら、サリー…って、行っちゃった」
「おかえり」
「ただいま。…サリーどうしたの?」
「探偵病」
「なるほどね。ウェッソン、サリーの分まで働いてもらうからよろしくね」
ウェッソンはおとなしく頷いておいた。これも保護者の仕事なのかね?
サリーは道を走っていた。まずは行きつけの新聞社で情報収集だ。
「おや、サリーちゃん。お茶でもどうかね」
途中のオープンカフェで食事をしていた知り合いの老人が声をかけてきた。サリーは移動をやめ――それでも足踏みしながら――老人に挨拶する。
「ごめんなさぁい、おじいちゃん。今、急いでるんですぅ!」
「そうか、残念じゃのう。依頼しようと思っていたんじゃが…」
依頼。サリーの中で優先順位が上位の言葉だ。それに目の前に困っている人がいる。放って置くことなんかできない!
「わかりましたぁ。おじいちゃんの依頼をうけますぅ」
「いいのかね?」
「もちろんですぅ」
老人はほっほっほっと好々爺の笑いをするとまずはサリーに紳士らしく椅子を勧めた。
「それでぇ、依頼を聞かせてくださぁい」
「まあ、待ちなさい。まずは注文じゃ」
サリーはパフェを注文した。やってきたそれをぱくつきながら老人を促す。
「実はな、猫がいなくなったんじゃ」
「猫、ですかぁ…」
サリーは思わず声の調子を落としてしまった。依頼というから期待したが猫探しとは。それに民族的な趣向から犬派だった。猫も好きだが。
「ほっほっほっ。ただの猫探しではないぞ。れっきとした誘拐事件じゃ」
誘拐! 目の前にあるパフェよりも実に甘美な響きだった。バシバシ解決していっていつかは名探偵の仲間入り!
「詳しく教えてくだぁい」
少なくとも真剣さで言えば、そのときのサリーの目は名探偵の輝きだった。もっとも鋭さはまだまだ足りなかったが。
「ここが現場ですねぇ」
何の変哲もない家の一室だった。誘拐されたのはこの家で飼われている猫のシャルロット。2歳。小さい頃に外にでて酷い目にあってからは外にでようとはしない。
それどころか無理に外に連れ出すと一目散に家に戻ってくる。今回は戻ってこないので誘拐と判断したわけだ。
「今のところ得ている情報だけではまだ足りませんねぇ…」
ルーペを片手に部屋の中を歩き回る。どんな手がかりでも見逃さない覚悟だ。
「これは…マタタビ、ですねぇ」
窓の近くで見つけたその実をつまんだ。匂いをかぐ。
「油の匂い?」
マタタビをハンカチに包んだ。きっとこれは証拠になる。
サリーは外に証拠を探しに出ることにした。ルーペ越しに道を眺めながら歩く。
「何もありませんねぇ…」
それからしばらく歩いていると、転んだ。その拍子にゆで卵がポケットから転がり出る。運の悪いことに坂道だった。
「まぁ〜ってぇ〜くぅ〜だぁ〜さぁ〜い〜」
転がる卵を追って全力疾走。そして、追いついた場所は港。
「はぁ…遠くまできてしまいましたぁ」
呼吸を整えるために船を眺めていると目の前の船からかすかな猫の鳴き声。それも結構な数がいるらしい。
「…よし」
サリーは決意すると船に乗り込んだ。幸いというか誰にも見つからない。
「下ですねぇ」
猫の声を頼りに船内を歩く。そしてついに一つの扉の前についた。
「ここですねぇ」
「おい、貴様、何をやっている!」
だが、ついに見つかってしまった。サリーは逃げずに船員を睨み付けると言った。
「あなたが猫の誘拐犯ですねぇ! 閉じ込めておいて船で外国に運ぼうとしていたんでしょぉ!」
前に読んだ推理小説に出てきた手口だ。
「貴様、何者だ」
船員の言葉に物騒な響きが加わったがそれに気がつかずにサリーは宣言した。
「探偵ですぅ!」
船員は銃を取り出した。
「チッ、完全犯罪のはずがこんなガキに見つかるとはな。まあいいさ、死んでもらうぜ」
「きゅ、急展開ですぅ」
「死ねッ!」
発砲。
咄嗟に扉に体を貼り付けたおかげで外れた。その拍子に扉が開く。中に転がり込んで急いで閉める。閂もしっかり閉めた。
「どうしよぉ…」
どんどんと扉をたたく音を聞きながら部屋の中を見る。猫の入った檻が多数に丸い窓が一つ。窓を開けて叫ぼうかと思ったが他の船員が近くにいるかもしれない。
とりあえず猫だけでも逃がすつもりで檻の扉を開けた。するとなぜかすべての猫がサリーに擦り寄ってくる。全部で五十匹くらい。
ポケットを探るとハンカチに包んだマタタビがでてきた。このせいだろう。だからといってなんになるというのか。
「助けてよぉ…ウェッソォン…」
涙が出て来る。どうしようもない。それでも他にすることもないのでポケットを探った。誕生日にウェッソンに買って貰った鉛筆つきの手帳、テムズ特製の半熟ゆで卵、家を出る時にお父さんの持たせてくれたルーペ、お母さんが作ってくれた刺繍入りのハンカチ、油のついたマタタビは出さない方が無難だろう。あとは誘拐された猫の写真。
「シャルロット…」
「にゃー」
心細げな声が答えた。視線を走らせると窓を見上げる一匹の猫。シャルロットだ。
「家から出たがらないシャルロット…そうだ!」
サリーは手帳からページを一枚破るとそこに現在地と状況を書いてシャルロットにハンカチを使ってくくりつけた。マタタビは懐の奥にしまいこむ。
「ちゃんと家に帰ってね、シャルロット」
窓を開けてシャルロットを出そうとする。最初は嫌がっていたシャルロットだったがやがて外に出ると一目散に駆け出した。
シャルロットが見えなくなるとサリーは窓をしっかり閉め、扉の前に檻を重ねた。応援が来るまでの篭城戦だ。いつのまにか相手も静まっていた。
「後は待つだけ…」
サリーは膝を抱えると部屋の隅で丸くなった。擦り寄ってくる猫が暖房の代わりになる。
どれくらい経ったろう。扉がまたどんどんと打ち鳴らされた。立ち上がって扉を睨み付ける。負けるわけには行かない。
「負けない!」
声に出して言った。少しだけ勇気が出た。
そして、ついに扉が破られた。ハンマーでも使ったのだろう衝撃で檻もあっさり退いた。
「たぁ!」
サリーは飛び込んできた男にマタタビを投げつけた。猫が一斉に飛び掛る。
「のわぁ!」
聞き覚えのある声だった。その声の主は――
「ウェッソン!」
次の瞬間にはサリーは猫と一緒にウェッソンに飛びついていた。
END