The another adventure of FRONTIERPUB 50
春の暖かな日差しが彼の目覚めを妨げていた。 でも、一度目がさめたものは仕方ない。 観念して彼はベッドから起きあがる。 目覚めとはいつも煩わしいものだった。それは悪夢からの脱却であり、追憶の終わりであり、現実との直面である。 とどのつまり、彼――ウェッソン・ブラウニングにとって目覚めとは余り喜ばしいイメージがなく、楽しかった覚えもないのだ。むしろ、戦っていると言っていい。世間一般に置いて目覚めとは新しい一日の始まりを表す。されど、ウェッソンにとっては新しい一日が果たしていいものとは限らないのだ。 後ろ向きな考えだが、今の暮らしがずっと続いてくれさえすればそれでいいのだ。新しい生活というのに憧れをもたない訳ではないが、それはえてして現状からなにかを切り捨てると言うことである。どちらかといえばウェッソンは現状について満足をしている。永遠にそれが続くことがないのは分かってはいるが…… それでも可能な限りこの楽しい時間がつづいて欲しいと彼は願うばかりである。 彼の目の前には扉がある。 今日は柄になく早く目が覚めた。これはあまりいい兆候とは言えなかった。 今扉を開けてしまえば何かが崩れてしまう……そんな予感すらしていた。 けれど、彼はすぐに頭を振ってそれを否定した。下らない妄想だ。 日常とはそう唐突に崩れるものではない。 自らの心に立ちこめる暗雲を押し込め、彼は扉を開いた。 この時間ならば、きっといつも通りに赤毛の主人がモップ片手に清掃作業を励んでいるに違いない。 だが、扉を開けると見える階下には誰もいなかった。 入り口の近くになみなみと水の入ったバケツがぽつりと置かれており、その横では水分を含んだモップがだらしがなく倒れている。つい先ほど出されたのだろう。だが。 ――いない。一番肝心な人物がいない。 ウェッソンはなにかの見落としたのかと階下に降りて、店の中を見て回る。 そこには誰もいなかった。 いるはずの彼女はどこにもいなかった。 とっさに彼は階段を駆け上がり、自室の隣にある少女の部屋の前に行く。 ノックをしたが返事はない。当然だ。この時間に起きているはずがない。 ――若干の後ろめたさと恐怖心。 意を決して彼は扉を開く。そこには余りいいとは言えない寝相で金髪の少女がベッドを占拠している。そっとなにも見なかったことにし、彼は扉を閉めた。 そして、今度はこの宿の主の部屋へ。 ノックに返事はない。 声をかけても返事はない。 勇気を持って扉を開けば、整理された清潔な部屋が目に映る。寝間着もたたまれており、朝起きてこの部屋を出たのは確かである。 改めて彼は扉を閉めて、宿の中を歩き回った。 どこにもあの印象的な赤い髪の持ち主は見あたらなかった。 どこにも彼女はいない。 テムズ・コーンウォルは彼の前から姿を消したのである。 |
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「あ……」 声が震えた。 「ああ……」 それは夢なのだろうか。 それとも幻なのだろうか。 「はっくしょんっ!……寒いわね。今はいつかしら?」 彼女は秋だというのに半袖の服を着てそんなとぼけた事を言った。 「もう、秋ですよ、……さん」 絞り出すように、サリー。 「あらそう? あはは、なんか急に――ってぇぇぇぇええええっ!秋!!?」 その言葉も、その赤い髪も、その口ぶりも――やっぱり彼女のままで。 それが本当に――悲しいくらいに嬉しかった。 「えーと……その……なんて言ったらいいのかしら?」 なにやらしんみりした二人を前にしてテムズは所在なげに立ちつくす。 「その、ごめんね」 珍しく上目遣いで申し訳なさそうに言う赤毛の女性。 この店の主。 誰もが待ち望んでいた女性。 ウェッソンがちらりとサリーに目をやると彼女もまたこちらを見ていた。 どちらともなく笑みをこぼし、同時に言った。 「お帰り、テムズ」「お帰りなさいです、テムズさん」 彼女――テムズはしばらく目をぱちくりさせた後、ゆっくりと微笑んだ。誰もが安心出来る母性的な笑み。 「ただいま」 ――サリーも十年後にはこんな笑顔をするのだろうか。 「ってぎゃぁぁぁぁ! なにこの大穴!」 でも、それはまだ先の話。 「テムズさんが開けたんですよぅ」 そして、自分たちがここを出て行くのもまだ先の話だろう。 「え、嘘?」 今はまだ――この素晴らしい場所にいたいと思うのだから。 「あれ? ちょっと待って……内装が全部変わってる?!」 その言葉に和みかけたウェッソンの意識が唐突に現実に引き戻された。 「あーそれはそのなんだ」 実のところ……テムズが帰ってくる可能性は低いと思ってかなり思い切った事をした。壁なんてサリーがどこからか調達してきた探偵ペンキで描いた壁画―― 一部では芸術的と名高い抽象画と言う名の落書き――がでかでかとあり、テーブルも明度の高いペンキが塗られてかなりポップに仕上がっている。正直ウェッソンには目の毒なのだがなんの因果かこの奇抜なデザインに惹かれて訳わかんないくらいに客が増えたのだ。 客が増えたのはいいが、正直こんな店はとっとと閉めたい……それが実は隠されたウェッソンの本音だった。 「新・サリー的探偵事務所兼酒場兼宿屋的フロンティアパブですぅ!」 説明に詰まるウェッソンに対し、サリーはどこか晴れやかに説明する。 自信満々なサリーを前にしてこの宿の本当の主人はただただ絶句するばかり。 無理もない。 行方不明になって、やっと自分の家に帰ってきたら家中がメルヘンに改造されていたのだ。怒るよりむしろ呆れるというか悲しいというか……何とも言えない心持ちに違いない。 「あーと……えーと」 やたらキラキラした目でサリーに見つめられながらテムズは言葉を探す。褒めるべきか、怒るべきか……。 と、そんな時にドタドタと足音が近づいてくるのをウェッソンは感じた。 「さっきの爆発は一体――って、テムズさん!?」 最初に現れたのは鍛冶屋の青年だった。爆発音を聞きつけて真夜中だというのに走ってきたらしい。来ると同時にテムズを見つけて立ち止まる。 「よかっ……」 涙を浮かべ、純朴な青年はテムズに――。 「テムズちゃん! 帰ってきたのね! 心配したのよ!」 後から来た隣のおばさんが、青年を突き通し、テムズに駆け寄る。なおも青年は起きあがろうとするが。 「テムズさん!」 雑貨屋のバルさんが、青年を踏みつぶしてテムズの下へ。 「おやおや、帰ってきたのかい、テムズ」 謎の従者を連れた白いマントの王子様(?)が現れ、更に青年を踏んでいく。心なしか踏む瞬間にぐいっと力を込められていた気がする。ちなみにサリーはいつの間にかウェッソンの背後に隠れてる。 「テムズ!」「テムズ!」 更に、テムズの親友たるヘレナとアリサがどうやって知ったのか駆けつけ、当然の如く青年を踏んでから友人の下へと向かった。 「う……ううぅ」 それでも愛の力で立ち上がろうとする青年は近所の常連客約二十名の皆様によってあえなく撃沈した。 トドメとばかりに、二人の看護婦がその死体の上を踏んでいく。 「可哀想に」 ウェッソンは嘆息と共に青年を入り口からどかした。入り口から離れれば悲劇も終わるだろう。一番最初に駆けつけたばかりに哀れな結末である。 「やれやれ、爆発が起きたので駆けつけてみたら――重傷者一名だな」 遅れて、なじみの医者たるジェフリーが現れた。彼はプロらしく無念の涙を流す青年に適切な応急処置を施す。 その間にも船乗りの二人組など様々にバラエティの富んだ面子が顔を揃え、テムズの帰還を祝っている。それどころかみんな勝手に酒を取り出して宴会すら始まっている。誰も彼もたくましい限りだ。どこからかギターの音すら流れてきている。 「ふむ、どうやら捜索願は取り消しだな」 たばこをくわえたレインコートの男が店に顔を出す。これまたこの店になじみの深いレドウェイト警部である。 「殺人犯が担当じゃなかったのか?」 ウェッソンは軽く茶化す。 「別に、ただ帰り道に寄ってみただけだ。今日もできの悪い部下のおかげで始末書の山でな。帰りが遅くなったんだよ」 その言葉にウェッソンは苦笑する。 ――下手な嘘だ。なぜなら彼の部下は今日の夕方「今日は早く終わった」とここに飲みに来ていたのである。まあ、そんなことを言うと彼を怒らせることになるので言わないが。 「それは難儀だったな」 なんにしても、彼も彼女のことが心配だったのだろう。 「和んでるところ悪いが……」 鍛冶屋の青年の処置を終えたジェフリーが会話に加わる。 「ん?」 「彼女は確かに帰ってきた。しかし、果たして元の様な生活に戻れるかな?」 眼鏡を押し上げ、医師は鋭い言葉を放つ。 考えてみれば当然だ。彼女がいない間に色々なことがあった。そしてサリーも、ウェッソンも成長した。無論、いない間にテムズもなにかしら成長・変化をしているだろう。 もう、あの頃のようなのんびりとした生活には戻れないかもしれない。 けれど――。 「大丈夫さ」 ウェッソンは確信を持って応えた。 「ほう?」 レドウェイトが意外そうにこちらを見てくる。 「色々あったけど、その分俺たちは成長した。きっと、前以上に楽しい日々が待っているさ」 柄にもないウェッソンの言葉にレドウェイト警部とジェフリー医師は顔を見合わせる。 「……精神鑑定の依頼が必要かもしれん」 「いやいや、その前に麻薬検査だ。彼はここのところ疲れていた。手を出していてもおかしくはない」 「成る程」 「…………おいおい」 意外にコンビネーションのいい二人にウェッソンは絶句する。 「よし、話は署で聞こう」 「むしろ、あんたの脳みそが見たくなったね」 やれやれとウェッソンは肩をすくめる。どうやら本当に警部殿は機嫌がいいらしい。こんなにユニークな男だとは驚きだ。 それとも、それだけテムズが帰ってきて嬉しいのだろうか。 「やれやれ、これは酒をおごって貰わねば気が済まないな」 医師の言葉に三人の男達は思わずにやりと笑う。 今の三人なら記憶が飛ぶまで飲みかねない。 ――まあ、それもいいだろう。 久しぶりに夜を徹して飲んでやろう。 明日の事なんてどうでもいい。 今日がこんなにも素晴らしいのだから。 そして、乾杯の声が上がる。 店からはいつまでもいつまでも、楽しい音楽が流れ続けていた。 これからも続く楽しき日々を祝う様に。 |
おしまい