The another adventure of FRONTIERPUB 44
どこまでも高く青い空。草原の彼方に地平線が見える。ふるさとの大地に、サリーは立っている。
と、突然、馬のいななきがした。驚いて振り返ると、すぐ後ろに小屋があり、そのなかに一頭の馬がいる。全身真っ黒なその馬は、もう一度声を上げると小屋から飛び出し、サリーの傍を通って走り去っていってしまった。闇夜のようなたてがみをなびかせながら。
サリーは声も出なかった。全身が真っ黒な馬――それは、ある種の警告なのだと、祖母が言っていたのを思い出したのだ。
と、これまた突然のことに、小屋が音もなく崩れた。屋根が落ち、壁はボロボロと砕けて地面におちていく。すると急に、氷のように冷たい風がサリーの身体に吹きつけた。今まで風をさえぎってくれていた小屋の壁が、なくなったからだ。サリーは寒さに身を震わせ――そして、夢から覚めた。
外は本当に強い風が吹いているらしく、窓がガタガタと音を立てていた。
いつものように朝食を勢いよくかき込みながらも、どことなく浮かない顔のサリーを見て、テムズは首を傾げた。
「どうかしたの? 元気ないみたいだけど」
テムズの問いに、サリーはかじったトーストをごくんと飲み込んでから答えた。
「え……そのぉ、ちょっと夢見て」
「嫌な夢でも見たの?」
「お告げ夢ですぅ」
「お告げ……夢?」
「部族に伝わるお告げ夢があるんです。夢に出てくる馬が、未来を教えたり危険を警告したりするっていうのが。ゆうべの夢のなかの馬は真っ黒でしたから――」
「真っ黒な馬が出てくると何なの?」
サリーは答える前にティーカップをとり、お茶を一口飲んだ。
「それが、黒い馬が出てくる夢は、『大事なものが失われる危険があるから気をつけろ』という警告らしいです。私のおばあちゃんが昔、黒い馬の夢を見て、そのあと命より大切な祭事用の衣装を風に飛ばされてしまったことがあるんですよ。そのときはすんでのところで取り返したんだそうですけど」
「ふうん……そう。じゃ、大切なものをなくさないよう気をつけてね」
サリーの真剣な顔を見て、「ただの夢でしょ」と一笑に付すわけにはいかないと思ったテムズは、他に言うことも思いつかなかったので、そう言った。
そこに、眠そうな目をしたウェッソンがやってきた。手にタブロイド新聞を持っている。
「サリー、忘れ物だ。ゆうべ俺の部屋で一大演説したあと置いていっただろ」
サリーはあっと小さく叫び、あわてて大事な新聞を受け取った。
「すっかり忘れてた……。ありがと、ウェッソン」
「大切なもの、なくさないですんだみたいね」
テムズはほっとしたように言う。しかしサリーは首を横に振った。
「……でもこれは祭事用の衣装に匹敵するほど大切なものではないです。たぶん……もっと別のものだと思います」
「なんだ、催事用の意匠って。商店街で祭りでもあるのか?」
とウェッソンが見当はずれの発言をしたが、サリーはとりあわなかった。彼女は新聞の紙面をじっと見ている。
「どうした?」
ウェッソンが尋ねたとたん、サリーは騒ぎ出した。
「ああ〜、どうしよう! ここに出てる【明日の運勢】でも同じようなこと書いてありますぅ。『なくしものに注意。貴重品は身につけておきましょう』ですって。これから出かけるというのに……何を持っていったらいいんでしょう……。えーとえーと、探偵七つ道具にスクラップブックにお財布にメガネケースに……あっ貯金も大事ですぅ……だけどあの貯金箱はおもたくて、持っていくのは大変ですよう」
「サリー、貯金箱は置いて行きなさいよ。心配なら私が預かっていてあげるから」
とテムズ。するとサリーは疑わしそうなジト目でテムズを見た。
「横取りしませんね?」
「するわけないでしょ!」
「じゃ、お願いしますですぅ」
サリーはそう言って自室へ飛んでいき、はにわのかたちの貯金箱を抱えてきた。それをテムズに渡してからまた部屋に引き返し、しばらくしてから服のポケットをいっぱいにふくらませて戻ってきた。占いの忠告どおり、貴重品を身につけてきたらしい。
「それじゃ、貯金箱の保護をよろしくお願いしますね。私、ネルソンおじいさんのところに行ってきます」
サリーがそう言うのと同時に、ウェッソンが立ち上がった。
「俺もそろそろ出かけないとまずいな」
「二人とも、夕方までには帰ってくるんでしょうね? 油を売ってたりしたら承知しないわよ」
鬼店主の声が響く中、サリーとウェッソンは慌てて店を飛び出した。
北風がサリーのジャケットをはためかせた。街路樹の枝がざわざわと音をたてて大きく揺れている。歩道では落ち葉がくるくると舞い踊っている。
「すごい風だな」
ウェッソンが呟き、風を遮るようにサリーの横に並んで歩き出した。
ゆうべの夢の、ふるさとの草原を吹く風にくらべたら、そよ風みたいなものだ、とサリーは思ったが、せっかくウェッソンが親切にしてくれているみたいなので、黙っていた。
「今日はどこに行くの? ウェッソンにしては早起きよね」
「川向こうのホテルで人に会う約束があるんだ。ちょっとしたアルバイトをもらったんで、その打ち合わせに行く」
「ふうん。アルバイトって、用心棒かなにか?」
「まあそんなところだな。それよりサリー、じいさんのところには彼が来ているんだろう? よろしく伝えておいてくれ」
サリーはちょっぴり頬を赤くしながら、
「うん……」
とうなずいた。何をよろしく伝えればいいのか、よくわからなかったが。たぶん当のウェッソン自身も、わかっていないにちがいない。
ネルソンさんの孫のフレデリックは、三日ほど前から祖父の家に泊まりに来ている。それでサリーは今日も、会いに出かけるところだった。
――ウェッソンはまた、チェスの相手でもしてもらうのかしら。このあいだはこてんぱんにやられてたけど、今度は勝てるといいなあ。でもフレッドが負けたらかわいそうだし……。
そんなことを考えながら歩いていると、やがて、橋の手前まで来た。ここから二人の行き先は別れる。
「それじゃ、行ってらっしゃい」
「ああ、気をつけて行けよ」
ウェッソンがサリーから離れたとたん、北風がサリーの身体を容赦なく叩きつけた。彼女は思わず身震いし――あの夢を思い出した。黒い馬。崩れる小屋。壁がなくなって、吹き抜ける冷たい風――。
そのとき、サリーの頭の中に雷のような衝撃が走った。次の瞬間、彼女はウェッソンを追って駆けだしていた。
「待って! ウェッソン、待って!」
足を止めて振り向いたウェッソンにとびつき、彼のコートをしっかりつかんで離さないサリー。その剣幕に、ウェッソンは驚いた。よろけた身体の体制を立て直しながら、彼は尋ねた。
「な、なんだ? どうしたんだいきなり」
「行っちゃだめ!」
「え?」
「だめなの! ウェッソン……私から離れちゃだめ」
「だけどサリー、たったいま行ってらっしゃいって――」
サリーには、いま、はっきりとわかっていた。あの夢の警告が何をさしていたのか。――なくすかもしれない大切なものは、ポケットの中にはなかったのだ。
「だめ……お願いだから、私と一緒に来て。ネルソンさんの家に」
ウェッソンはめんくらったような表情で答える。
「いますぐにというのは無理だな。そりゃまあ、2、3日のうちには行くつもりだが……どうして急にそんなことを言いだすんだ?」
「それはその……あの……」
ウェッソンを納得させるような答え方がみつからなかった。しかし今この手を離せば、彼は風に飛ばされるか、壁のようにバラバラになるか、小屋のようにぺしゃんこになるか……いずれにしろ、良くない結果が待っていると、サリーの体の中に流れる祖母の血が教えていた。離してはいけない。絶対に。
「サリー、頼むから離してくれよ。時間に遅れるわけにはいかな――」
そのとき大きな爆発音が響き、ウェッソンは言葉を途中で切った。びっくりした二人が音のしたほうを見ると、橋の真ん中あたりが、もくもくと煙に覆われている。
「爆弾テロだっ」
「逃げろ! 橋が落ちるぞ」
そんな叫び声が聞こえ、橋の中央にいた人達が、すすだらけになって逃げてきた。
その後サリーとウェッソンは自分たちの約束をほったらかし、近くにいた他の人々といっしょに、けが人の応急手当だの、医者に連れて行くための道案内だのに奔走した。幸いなことに、死者やひどいけが人は出なかったようだ。しかし橋は、落ちはしなかったものの、真ん中に穴があいて、しばらくは通行できそうになかった。
警察による事情聴取が始まる前に二人はその場を脱出し、近くのカフェでやっと一息ついた。しばらくはお互い無言で静かに飲み物をすすっていた。近くの客達の話が耳に入ってくる。何者かが爆弾をしかけたのだとか、橋を通っていた馬車の荷物に危険物が積まれていたのだとか、飛行船が墜落したのだとか、怪獣が橋を踏みつぶしたのだとか、さまざまな噂が飛び交っていた。いつものサリーならばそれを聞きながら、「○○タイムス」と「超タイムズ+1」は売り切れないうちに手に入れなければ、などと考えるところだが、今日はそんな余裕はなかった。高ぶりすぎた気持ちを落ち着かせようと必死だったのだ。
「……サリー」
黙っていたウェッソンがようやく口をきいた。
「さっきは……助かったよ。お前が引き止めてくれなかったら、橋の真ん中まで行っていたところだ。無傷ではすまなかったかもしれない……だが、どうしてわかった……?」
「夢の……ううん、なんでもない。なんとなく、危ないと思ったの」
「なんとなく、だって?」
「うん――」
サリーは夢の話をすることをためらった――なぜなのかはわからなかったが。たぶん、サリーにとってウェッソンが、祖母の祭事用の衣装と同等かそれ以上に大切なものだと説明しなくてはならないからだろう。いや、それ以前にまず「催事用の意匠」を訂正しなくてはならないのがやっかいだ。
「そうか……」
ウェッソンもそれ以上のことを尋ねてはこなかったので、サリーはほっとした。すると、その反動だろうか、全身が震えてきた。そのうえ涙まで出てきてしまったのだ。
――やだ……どうして今ごろになって……!
サリーはなんとか震えを止めようと努力したが、だめだった。
震えながらぽろぽろ涙を流すサリーを見て、ウェッソンは心配そうに声をかけた。
「サリー、だいじょうぶか?」
俯いたまま、軽くうなずくサリー。ウェッソンは少しの間、無言で見守っていたが、やがて言った。
「そろそろ出ようか。だが、まだ橋は通行止めだろうな。迂回するついでに、じいさんの家まで送っていくよ。なんだか町中が混乱していて物騒だし……」
サリーはそれを聞いて、ちょっぴり嬉しく思った。もうしばらく、彼と一緒にいたいと思っていたのだ。目に涙をためたまま笑顔でうなずくサリーを見て、ウェッソンも安心して微笑した。
店から出てネルソン宅に向かおうとしたとき、二人は道ばたに見慣れた人物の姿を見つけた。テムズとフレッドが立ち話をしていたのだ。
「テムズさん?……フレッド……どうしてここに」
サリーの声を聞いて、テムズとフレッドは驚いたように振り返った。
「サリー! いままでどこにいたの? けがはない?」
と、少し青ざめた顔のテムズ。フレッドはほっとした表情で、
「よかった、無事だったんだね。騒ぎを聞いて、爆発に巻き込まれたんじゃないかと心配していたんだ」
と言った。
「ご、ごめんなさいですぅ……」
「すまなかった。実際、巻き込まれかけたんだが……」
焦って言い訳を始める二人。しかしテムズは容赦しなかった。心やさしい彼女だったが、その怒りの鉄槌は橋に穴をあける以上の破壊力があった。実際、ウェッソンと待ち合わせていた人物は、遅れてきた相手の悲惨な姿を見て、怒るよりも先に心配してくれたのだ。てっきり、爆発事件に巻き込まれたと思ったに違いない。
それはともかく、サリーは夢の警告のおかげで大切なものをなくさずにすんだようだった。そしてその後しばらくのあいだ、黒い馬が彼女の夢に出てくることはなかった。
おしまい