The another adventure of FRONTIERPUB 42
ある日の昼下がりのこと。サリーがいつものように、情報収集活動にでかけようとしていると、店の入り口のドアが開いて、一人の若い男が入ってきた。作業着姿で、両手にひとつずつ、バケツを持っている。ふたがしてあるので、なかに何が入っているのかはわからなかった。
「店主はいるかい?」
と彼は尋ねた。サリーは頷いて、奥に聞こえるように声をはりあげた。
「テムズさん、お客さんですぅー」
エプロンで手を拭きながら出てきたテムズは、男を見ると少し驚いたようだった。
「あなたは……!」
「覚えていてくれたかい、嬉しいねえ。約束してからずいぶん経っちまったが、いいのが手に入ったんで、持ってきたよ」
そういうと男は二つのバケツをカウンターの横に置いた。テムズはそっとふたを取って中を確認している。サリーが覗こうとする間もなく、ふたはまたかぶさってしまった。
「ありがとう。いま、代金を持ってくるわ」
テムズはそういってまた奥へ引っ込んだが、すぐにお金を持って出てきた。
「またお願いできるかしら。一週間くらいあとに」
「ああ、ちょいと難しいかもしれないが、あんたの頼みじゃいやとはいえねえな。……よし、確かに受け取った。それじゃ、まあがんばりなよ」
男はいたずらっぽくにやりと笑った。日焼けした顔に、真っ白な歯が妙に浮いた感じだ。
「今度、仲間と飲みに来るよ。またな」
そういって彼はドアから出ていった。見送ったテムズは、カウンターの横に置かれたバケツをちらりと見てから、サリーに向かってこう言った。
「サリー、悪いんだけど店番お願い。急な用事ができて、ジェフリーのところに行ってきたいのよ」
「え……でも私もこれから出かけるところなんですよう――」
「ごめん! 今日じゃないとだめなの。あとでフィッシュアンドチップスをおごるから」
と、テムズは拝むように両手を合わせた。
「しかたありませんねぇ……まあ、いいでしょう。べつにきょうはおじいさんと約束したわけじゃないし」
と、サリーはわざとらしく溜息をついた。フィッシュアンドチップスにつられたわけではないことを印象づけるために。
「でも、いったい何の用事なんですか?」
「そ、それは……」
テムズはなぜか顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。
「たいしたことじゃ……とにかく、サリーには関係ないことよ。それじゃお願いね」
そう言い残すと、テムズはバケツをかついでそそくさと出ていった。
「……あやしいですぅ。事件の匂いがしますねえ。この私の目をごまかすことはできませんよ」
サリーはつぶやいた。尾行して行きたいところだが、店が空っぽになってしまってはまずい。しかたなく、頭の中でなにやら独自の推理を展開し始める。そこになんとも都合良く、出かけていたウェッソンが帰ってきた。彼はサリーを見て、
「どうしたんだサリー、難しい顔して」
とうっかり尋ね、すぐさま後悔した。
サリーの顔がぱっと輝いた。
「あ、ナイスタイミング。ウェッソン、お店番お願いね。私はテムズさんを追いかけるから」
「え? テムズがなんだって――」
「追跡開始ですぅ〜」
ウェッソンが状況を把握する間もなく、迷探偵サリーは店から飛び出していった。呆気にとられたウェッソンだけが、フロンティア・パブに残された。
病院まで来たサリーは、とりあえず中を覗いてみた。待合室には誰もいない。受付でぼーっとしているアリスに聞いてみる。
「あのぉ、テムズさん来てますか?」
看護婦は、いつものようにほわわんとした笑顔で答えた。
「テムズさんですか? さっき見かけましたねぇ。なんか、先生と一緒に奥の方にいっちゃったみたい。患者さんが来たら呼んでくれって言われてますけど、あなた患者さん?」
「違いますよ。いまのところは元気ぴんぴんピンボールです」
「そうですか。それじゃ、二人の仲を邪魔しないで帰ってくださいね」
「……はぁ?」
サリーにはなんのことか意味がわからなかったが、相変わらずこの看護婦は勘違いをしているのだった。
サリーはアリスの相手をするのをやめて、建物の外に出た。裏口に回って、ひょっとして開いていないかどうか、確かめる。残念ながら、戸締まりはしっかりしていた。それではと、こんどは空いている窓を探す。大きな窓が開けはなしてあるのを見つけ、その下まで行って聞き耳を立てた。患者のいない病院の中は静かで、物音は聞こえない。
諦めようとしたサリーの耳に、かすかに人の声が――まちがいなく、テムズの声だ――聞こえてきた。どこか奥の方にいるらしくて、なにを言っているのかはわからない。しかし、相手の声がジェフリーのものであるのは確実だ。
耳をすませて、ふたりがいる部屋の見当をつけた。サリーはふたたび移動した。すると、夏だというのに窓を閉め切った部屋がある。声はこの中からだった。近い分だけ、さっきよりも聞き取りやすくなった。
「……やっぱり……だめ。私にはできないわ」
「なにをいまさら……。さあ、覚悟を決めて」
「だってジェフ……」
「ぐずぐずしていると次の患者が来てしまう。私も忙しいんだ、テムズ」
「い、いや……離して、ジェフ」
「いいかげんにしてくれ。君が言い出したことだぞ」
「だって……きゃっ!」
小さな悲鳴が聞こえた。サリーは焦って、思わず走り出していた。心臓がドキドキしている。どうしよう、なんだかわからないけどテムズさんが危ない……?
裏口のドアをドンドンと叩く。人が来たことがわかれば、医師は悪事を中断するしかない……はずだ。案の定、裏口のドアをあけてジェフリーがあらわれた。少し不機嫌そうな顔をして、サリーを見る。メガネの奥の鳶色の目が、こちらの気持ちを見透かしているように思えた。ごくり、とつばを飲み込むサリー。
「なんだ、きみか。どうした? 熱でも出したか」
「あっ、あの、そうじゃなくて、えーと……」
サリーはしどろもどろで答える。
「テムズさん、来てませんか?」
「いるよ。……しかしあの様子では、あと1時間やそこらは店には戻れないな」
「どうしてですか? テムズさんがいないと困るんですぅ」
「もうしばらく我慢してくれ。なるべく早く終わらせるから」
「終わらせるって、なにをですか?」
強い口調で迫るサリー。しかし医師はなにも感じない様子だ。そのとき奥からテムズが顔を出した。
「サリー……店番はどうしたの?」
青ざめた顔のテムズが、怒るでもなくそう尋ねる。
「ウェッソンに頼んできました。でもテムズさん、はやく帰ってきてくださいよぅ。もうじき夕方だし……」
「……そうね。じゃ、あと30分……いえ、20分だけ待って。それまでに必ず決着をつけるわ」
「決着?」
「あ、なんでもないの。すぐ行くから、店に戻っていて。ジェフ、私が悪かったわ。さっさと片づけてしまいましょう」
テムズはそう言うと、踵を返して奥のドアのむこうに消えた。ジェフリーは、
「そういうことだ」
と言って、ドアを閉めてしまった。
サリーは呆然と立ちすくんだ。せっかく逃げ出すチャンスを作ってあげたのに、テムズはどうしてそうしなかったのだろう?――まさか……彼女も共犯? そうだ!きっとハリスン医師が犯した犯罪の後始末を、むりやり手伝わされているに違いない。とにかく、あの二人をこのままにしておくわけにはいかない。どうしよう……ぐずぐずしていると取り返しがつかなくなるかもしれない……。
つぎの瞬間、灰色かどうかわからない彼女の脳細胞の中で、結論が出た。この際、店に戻って、こういうときだけ頼りになる助手を呼んでこよう。
そう決心したサリーは、急いで駆けだしていった。が、急ぎすぎた。通りを曲がったところで誰かと衝突し、勢いよく石畳の上を転がってしまったのだ。
「うわっ、すまんすまん!大丈夫か、嬢ちゃん!」
聞き覚えのある、太く響く声とともに、サリーはやさしく抱き起こされた。
「マーティンさん……」
「けどあんたも急に飛び出してきたのはいけないな!」
と、説教口調のマーティン。
「ごめんなさいですぅ。急いでたんです。テムズさんが大変――」
立ち上がろうとしたサリーは、目の前が急に真っ暗になってしまったので驚いた。
「ど、どうした? おいっ!」
バルダー・マーティンの声が遠ざかっていく。意識が薄れていくのが自分でもわかっていた。でも、どうしようもない。
こんなところでのびている場合ではないのに……テムズさん……。
気がつくと、白い天井。見慣れた場所――病院のベッドに寝ていたのだった。
サリーは、がばっと身を起こした。
「急に動かないほうがいいですよ」
落ち着いた女性の声が横から聞こえた。看護婦のセリーヌだ。見ると、そのとなりにハリスン医師が、そしてうしろのほうに心配そうな顔をしているバルダー・マーティンがいた。
ジェフリーはサリーの顔を覗き込み、それから彼女の手をとり、軽く振って様子をたしかめながら質問してきた。
「どこか痛いところは? 手足はしびれていないか? 吐き気はないか?」
「そ、そんなことよりテムズさんはっ?」
「さきにこちらの質問に答えたまえ。きちんと診断がつけられない」
サリーはしぶしぶ答えた。
「……どこも痛くないし、しびれも吐き気もないです」
「そうか。なら大丈夫だ。心配しなくていいよ、マーティンさん」
医師の言葉を聞いて、安心したように、マーティンは笑顔を見せた。
「よかった。俺のせいで大変なことになっちまったかと、はらはらしたぜ!」
「ごめんなさい……どうもありがとう」
サリーはマーティンにぺこりと頭を下げ、それからジェフリーを睨みつけた。
「テムズさんはどこですか?」
医師はようやく答えてくれた。
「君が担ぎ込まれてくる直前に、裏から帰ったよ。入れ違いだったな」
「えっ?……か、帰った?」
「ああ、やっと片づいたのでね……そうだ、バケツを忘れていったから、持って帰ってくれないか」
なにごともなかったように、医師はそう言った。
「犯罪の痕跡をあとかたもなく消し去ったつもりでしょうが、そうは問屋がおろさないのですぅ。この私がかならず真相を白日の下にさらしてみせます!」
「犯罪? なんのことかわからんな」
「とぼけるつもりですか……それじゃあ、さっき、何を言い争っていたんですか?」
サリーは探るような目でジェフリーを見ながら尋ねた。医師は目をそらしながら答えた。
「つまらないことだ。知りたければ、店に帰ってテムズに聞くんだな」
次の瞬間、うさぎのように、サリーは病院を飛び出していった。
「あ、待ってくれよ嬢ちゃん!」
マーティンがあとから追いかける――空のバケツを持って。
サリーは息を切らせながら、店に飛び込んだ。
「どこに行ってたんだ? テムズは戻ってるぞ」
ウェッソンがテーブルにグラスを置きながら言った。
「お帰りなさい、サリー。お客さんが来る前に、味見してくれる?」
テムズがこれまた何事もないような顔で、料理をテーブルに並べながらそう言った。
「ウナギの料理を作ったのよ。けっこう悪戦苦闘したけど、味のほうは大丈夫だと思うわ」
そこにマーティンが駆け込んできた。
「ひどいな、俺をおいてけぼりかよ! それにしても足が早いな、嬢ちゃんは!」
「いらっしゃいマーティンさん。ちょうどよかった、あなたも味見してくれませんか」
と、テムズ。
「あら……そのバケツ」
「あんたが病院に忘れてったやつらしいよ」
「まあ、わざわざすみません」
テムズはマーティンからバケツを受け取った。それを見たサリーはやっと気を取り直し、
「テムズさん、そのバケツになにがはいっていたんですか? それに、ハリスン先生となにをこそこそやっていたんですか!白状しなさぁい!」
びしっとテムズを指さして、詰問した。テムズの顔が真っ赤になった。
「そ、それは……その」
「心配になったからマーティンさんに応援を頼んで乗り込んだら、もう帰ったなんて……ひどいじゃないですかぁ」
「いや、乗り込むも何もあんたが頭を打って気絶しちまったから連れて行――」
とマーティンが言いかけるのを遮り、サリーは続けた。
「正直に言えば、ことと次第によっては見逃してあげますぅ。強要されたというのなら、情状酌量の余地はありますからね。でも世の大原則に従うと、悪事の栄えたためしはないのです」
「おい、いったい何の話だ?」
ウェッソンはきょとんとして、二人の顔を見比べている。
テムズが小さく溜息をついた。
「わかったわよ、話すわ。こんなこと恥ずかしいから黙っていようと思ったけど、なにか勘違いしているみたいだし、しかたないわね」
いよいよ真実が明らかになる。サリーは喜びと期待を顔には出さないように心がけ、探偵らしく落ち着いた態度で大きく頷いた。
「じつは私、あのにょろにょろが苦手で今までウナギが料理できなかったのよ……でもいつまでもそれじゃダメだと思って、ジェフリーにウナギのさばきかたを特訓してもらったの」
「……ウナギの……さばきかた?」
拍子抜けしてサリーは上げていた腕をだらんと垂らした。体中から力が抜けていく。
「その成果がこれか」
とウェッソンが言いながら、ウナギのパイを口に入れた。
「なかなかいけるぞ、テムズ」
「関西風の腹裂きも、関東風の背裂きも、ぶつ切りも三枚おろしもバッチリマスターしたわ。マリネ、グラタン、ゼリー寄せにシチューに蒲焼き。さあ、食べてみて」
告白を終えてすっきりしたのか、にこにこしながらテムズは料理を勧めた。
「こりゃあ、うまそうだ! それじゃ遠慮なく、いただくぜっ!」
と、マーティンはテーブルにつく。
「あ……あの怪しい会話は……いかにもそれっぽく見せかけておいて……お料理教室だったなんて! 詐欺ですぅ……犯罪ですぅ」
わけのわからないことを言いながら、しかたなくサリーは料理を口にした。とてもおいしいのだが、今の彼女には敗北の苦い味がした……ような気がした。
「うん、うまいっ! 最高だよ、これ! 俺は今日運がよかったなあ! ああそうだ、今夜はもうここで飯食っていくことにしよう、うん!」
サリーの虚しい気持ちをよそに、バルダー・マーティンのご機嫌な声が店の中いっぱいに響いていた。
おしまい