The another adventure of FRONTIERPUB 34

contributor/ねずみのママさん
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謎の鍵


 この国の人々は、幽霊が好きなようだ。あちこちに有名な幽霊屋敷があり、観光名所となっている。怪奇小説も人気がある。そして、実際にぞっとするような体験をした人達も多く、頼めば話を聞かせてくれるかもしれない。
 フロンティア・パブにもときおり不思議な現象が起こることはあった。誰もいないはずなのに声が聞こえてきたり、置物の位置がいつのまにか変わっていたり、食料が消えていたり――というようなことは、どちらかというとささいなできごとだった。怪事件として記憶に新しいのは、店主テムズが何者かに刺されたあの一件だった。謎だらけで、今も犯人は不明のままだ。
 しかし、これから語られる出来事は、少なくともテムズ自身にとっては、それに匹敵するくらいおそろしい話だったのだ。
 

 今になって考えると、どうしてあの時サリーがその鍵を見つけることができたのか、まったくわからない。それがあったところは、本来彼女の目にふれる場所ではなかったはずだ。にもかかわらず、彼女は発見した。そして、それがテムズにとっての不幸の始まりだった。もしかしたら、これにはなにか超自然の力が関与していたのだろうか――いまとなってはそれを知ることはできないが。
「テムズさぁん、これなんの鍵ですかぁ?」
 ある日の午後、サリーがテムズのところにやってきて、手のひらを開き小さな鍵を見せた。錆びつくほど古くはなく、かといってぴかぴか光る新品でもない、鈍い光沢を放つ鍵だった。テムズはそれを受け取り、首を傾げてちょっと考えたが、わからなかった。
「何となく見覚えがあるような気はするけど……思い出せないわ。どこからこんなもの見つけてきたの?」
「窓枠が壊れかけてて、その中から出てきたんです」
「窓枠?……サリーの部屋の?」
「いいえ、向かいの部屋ですぅ。まえから窓枠に開いていた穴が大きくなって、とうとう割れちゃったんですぅ」
「なんで割れる前に言わないのよ!」
 テムズの剣幕に少したじたじとなったサリーだが、負けずに声を張り上げた。
「そんなことよりこの鍵です! なんの鍵だかテムズさんにもわからないなんて、謎です。怪しすぎます。きっと……そう、きっと床下の宝箱とかの……」
「そんなものがあるなんて話、聞いたことないわ。本当にあったなら、父さんも借金で苦しい思いなんてしなくてすんだはずよ。……どこかの使わなくなった箪笥の鍵かなにかでしょうよ、きっと」
 そう否定したテムズはもう一度鍵を見た。一瞬ぞくっと寒気がした。それはすぐに消えたが、なにかわけのわからない不安が尾を引いた。
「こんなものもう忘れなさい」
「え〜! どうしてですかぁ。ぜったいお宝ですよぉ。必ずさがしだしますぅ。見つけたら謝礼くださいね」
 そんなことを言いながら、サリーは鍵をテムズから取り返した。
 何の根拠もなく、サリーは宝箱の存在を確信しているようだ。反論するのも面倒になって、テムズは適当に相槌をうった。
「いいわよ、本当に見つけたら謝礼を出すわ。たまりにたまった宿代もそれで払ってもらえるわけだし」
「さっそく捜索開始ですぅ。ワトスン君!」
 サリーは張り切って助手を呼んだ。しかし、
「ウェッソンなら花の苗の買い出しに出かけたわよ」
というテムズのひとことに、出鼻をくじかれてしまった。
「……そうですか……。では初動捜査は一人で行くですぅ……」
 めげずに一人でわめきながら、サリーは行ってしまった。テムズは肩をすくめ、中断していた仕事に戻ったが、どうも気分が落ち着かなくなっていた。どうしてだろう? あの鍵を見てからだ。ただの鍵なのに……。自分は何をそんなに気にしているのだろう?……それにしてもどうして、窓枠に開いた穴なんていう変なところから鍵が出てきたのだろうか? サリーの言うとおり、謎ではある。
 しかし忙しいテムズはそのうちにそんなことを忘れてしまったのだった。


 サリーは鍵を持って、店中を駆け回っていた。鍵穴があるところは片っ端から突っ込んでみた。しかし鍵が合うところは見つからない。
「本当に、どこにあるんでしょうねえ……宝の箱は」
 呟きながら、探偵は虫眼鏡を取りだして壁や床まで調べだした。次に建物の周りを、そして、庭を。捜査は足だ――いや、根気だ。サリーは熱心に探索を続けた。


 その晩、テムズは夢を見た。
 夢に出てきたのは、12歳くらいの赤毛の女の子。それはおそらく、昔のテムズ自身だった。少女は怯えた顔で、何度も何度も繰り返してこう言った。
「この鍵は絶対に使っちゃダメよ。これで開けたら恐ろしいことが起こるわ」
――恐ろしいことって何? 何を開けたらダメだっていうの?
 テムズは尋ねようとしたが、小さいテムズはいつの間にか姿を消していた。かわりに父親が現れた。ふだん温和な彼がめずらしく怒りの表情でこちらを睨み、
「テムズ!」
とひとこと叫んだ。それがとても恐ろしかったので、テムズは思わず後ずさりした。すると足もとの地面が突然消えてなくなり、彼女はそのまま落ちていった。そこで目が覚めた。
 テムズはベッドから起きあがり、大きく息を吐いた。それから額の汗を手の甲で拭った。
――どうしてこんな夢を見たのかしら。お父さんまで出てきて、これはいったい何の警告?
 何か良くないことがおこりそうな気がした。しかし彼女はそれを「気のせい」で片付けたかった。毛布を頭までかぶり、ぎゅっと目をつぶって、彼女は「なんでもないわ、なんでも……」と自分に言い聞かせながら、もう一度浅い眠りに落ちていった。


 やがて運命の朝が来た。いつもの朝とはちがうことに最初に気づいたのは、ウェッソンだった。目の下に隈をつくり、ぼんやりしているテムズを見た彼は、かすかな胸騒ぎを感じていた。彼女がカップにお茶を注ごうとして、うっかりこぼしてしまった時、ウェッソンはたまらなくなって言った。
「テムズ、どこか具合が悪いのか? 無理しないで休んだ方がいいんじゃないか?」
 熱いお茶を自分の手の上にでもかけられてはたまらない、と思ったのだ。テムズはしかし、ちょっと不機嫌そうに、
「なにいってるの? どこもなんともないわよ。ちょっと手元が狂っただけよ」
と答えただけだった。そう言われると、ウェッソンはもう何も言えなくなった。しかしお茶のお代わりを頼むのはやめておこうと決心した。
 このとき彼がさっさと自室に引き上げるか、散歩にでも出かけていたなら、そのあとの騒ぎに巻き込まれずにすんだかもしれない。しかし彼はそうしなかった――これも運命だったのかもしれない。
 そこに、サリーがにこにこしながらやって来た。
「おはようございますぅ、テムズさん。お願いがあるんですけどぉ」
「なに?」
「二階の奥にある開かずの間、あそこを開けてほしいんですぅ」
「ああ、物置になっているあの部屋?……どうして……」
「他のところは隅から隅までぜーんぶ調べました。でも鍵が合うところはなかったんですぅ。だから、残っているあの部屋の中に宝箱が隠されているに違いありません」
「……そんなものないと思うけど。まあ、気が済むなら探してみれば……」
 本当のところ、テムズは気が進まなかった。なぜと言われても説明できなかったが、とにかく嫌な感じがしていた。しかし、サリーの頼みを断るべき理由は何もなかったので、朝食後、彼女は鍵束を持って二階に上がっていった。サリーとウェッソンが問題の部屋の前で待っていた。
 ドアに鍵を差し込むとき、テムズの手が震えていたのを、サリーは今でもはっきり覚えている。その時は、宝箱発見の期待に興奮しているのだと、サリーは勝手に思いこんでいた。しかし違ったのだ。テムズはその時すでに予感していたのだ。
 ドアが開いた。かすかなかび臭さが漂う部屋の中に、サリーは少しの躊躇もなく足を踏み入れた。部屋の中には古い家具や道具がいろいろと置いてあったが、サリーはひとつひとつ舐めるように観察し、秘密の鍵穴がないかどうか調べていった。
 テムズの心の中で、何者かが叫んだ。いけない! 鍵を合わせてはいけない! 身の破滅だ――じわじわとふくらんでいく不安に、さすがに気丈なテムズも気が動転してきた。彼女は声を震わせながら言った。
「ね、ねえ、何もないでしょう?……もう、出ましょうよ」
「もう少し待ってください。あれなんかあやしいですぅ」
 古い小さな箪笥があった。高さが人の腰くらいになるそれは、テムズが昔使っていたものだった。鍵のかかる引き出しがあり、サリーは当然のことながら、鍵穴に鍵を合わせてみた。

「やめて――」
 テムズがかすれた声で叫んだ。彼女はついに思いだしたのだ。引き出しに封印されているものがなんだったのかを。
「やめて! 開けちゃだめ!」
彼女の取り乱した様子を見て、これはただごとではないと思ったウェッソンが、
「サリー、ちょっと待て――」
とあわてて言ったが、時すでに遅かった。鍵はピタリと合い、サリーの手が引き出しを手前に引いていた。
 テムズは息を呑んだ。もうだめ……
 引き出しの中から出てきたのは――白いシーツを被った亡霊ではなく……毛むくじゃらの怪物でもなく――数枚の古い紙切れだった。サリーは顔面蒼白になっているテムズの様子にはまったく気づかず、紙切れの確認を始めた。
「やっぱり宝の地図ですぅ……え? なんですかぁ、これ?」
 それは学校のテストの答案のようだった。テムズの名が書いてある。そして点数は、ここに書くことができないくらいひどいものだった……。
 サリーの前に立ちふさがったテムズは、黙って紙切れの束を取り上げた。その時迷探偵は幽霊よりも恐ろしいものを見た。怒りに満ちたテムズの顔が、そこにあった。
「あ、あのぉ……」
「せっかく……せっかく忘れていたのに――どうしていまごろこんなものを思い出させるのよ! あんたがよけいなことをするから……どうしてくれるの!」
 目に涙をいっぱいためて、赤毛の少女はそう叫んだ。
 答案を隠した日のことが、昨日のことのようにありありと思い出された。父親に叱られるのを恐れた彼女は答案を引き出しに入れて鍵をかけ、その鍵を、ある客室の窓枠の穴に突っ込んで隠したのだ。そしてしばらくのあいだは、いつばれるかとビクビクしながら暮らし、父に叱られる夢を見たりしたものだが、やがてこの小さな秘密をすっかり忘れてしまっていた。なのに、いまごろになって、自分でも覚えていなかったこの悪事が、探偵気取りの少女の詮索のせいで白日の下にさらされてしまったのだ。もはや言い逃れはできない。いつの日かあの世で父親に再会したとき、いきなり雷を落とされるにちがいない――夢で見たように。それはテムズにとって、なによりも恐ろしいことだった。
 部屋の隅に、古いモップが立てかけてあった。テムズはそれを掴み、おもむろにサリーを見た。探偵は危険を感じた――こういうときは、この場を助手に任せて次の捜査に向かうのが得策だととっさに判断したサリーは、
「ウェッソン、あとはよろしくっ!」
と言い置くと、脱兎のごとく部屋から飛び出していった。
「お、おい……」
 ウェッソンはあっけにとられてサリーの後ろ姿を見送ったが、テムズの発する強烈な殺気をひしひしと感じ、数秒後に起こるであろう我が身の災難を確実に予感した。


 こうして、フロンティア・パブの店主を巡るひとつの怪事件は決着を見た。鍵が隠されていた窓枠の穴はその後すぐに修理され、もう何者もそこに潜むことはできなくなった。件の答案用紙は暖炉で燃やされた。そんなものを気にしているのは彼女以外にはいなかったのだが、残しておくつもりにはなれなかったのだろう。そしてテムズはようやく安眠できるようになった。
 ただひとり、何の悪業もおこなっていないにもかかわらず不幸な目にあった男は、その後しばらくのあいだ、この世の不条理について真剣に考え込んでいたという。


おしまい


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