The another adventure of FRONTIERPUB 27(Part 1)
人は 心に鳥を飼っている 何かに縛られて身動きできない自分がいるからだ だからその鳥を飛ばす まだ見たこともない 遥か彼方の地へ |
――――雨が降っていた。
その勢いは強く、まるで全てを打ち崩そうとするかのように絶え間無い。ただただ単調に、地面に弾けては霧と煙ることを繰り返すだけ。テムズはカウンター奥の椅子に腰掛けて、雨粒の
ぼんやりとした灯りの下。暫らく視線を落として、また読んでいた本から顔を上げる。何度も何度も繰り返し読んだ本だ。もう半分くらい覚えてしまったかもしれない。それに両手を添えて思い切り伸びをすると、鬱な気分は幾らか良くなった。力を抜き、ふと見渡すと、店内には当たり前のようにウェッソンとサリーが居る。客でも家族でもない彼らが何故ここに居るのか、それすら考える必要のないことに気付き、彼女は苦笑した。その様子を見たのか、カウンター越しでオートミール ――朝食の残りだ―― を
「どうしたんですかぁ?」
この
「サリーは心に鳥を飼ってる?」
「………………」
これはまずいという顔になって、スプーンを持ったままのサリーが振り向く。保護者の方へ。
「ウェッソン、テムズさんが変になっちゃいましたぁ」
本人の前でなんの容赦もない。
少し離れて、窓際の席にはテーブルに鉄の欠片を並べたウェッソンがいる。彼はそれを汚れた布で磨きながら、「ん?」と顔をこちらへ向けた。しかし恐らく、今のやり取りを聴いていただろう。彼にも尋ねてみる。
「貴方はどうなの?」
ウェッソンは薄い、あるかないかの顎髭をさすりながら答えた。
「いや、少なくとも餌をやったことはないな」
「………そう」
予想外に大人しい反応を返されたからか、ウェッソンは2、3回目蓋を
………自分はどうだろうか? 結局、独りなら同じだ。そんなガンマンと同じで、テムズは本来とても静かな女性である。時折見せる凶暴さは、その静謐を崩されたときにだけ現れる――単に崩される回数が多いというだけの話だ。ところが不思議なことに、それも悪くないな…と思えてしまう。随分と慣れてしまった。
「サリー」
テムズはまだ訝しげにしているサリーの食器を受け取ると、本を小脇に抱えてカウンターの奥へ消えた。
……テムズがフロアに居なくなってから、2人は顔を見合わせた。
「事件の匂いがしますぅ!!」
サリーは小走りでやって来て向かいの席へ座ると、ぐっと握った両拳でテーブルに乗りかかってきた。ここの調度品はわりと頑丈な造りで、そのくらいでは軋みもしないが。ウェッソンは新品のパイプをくわえて火をつけ、
自分の吐き出した白煙を見つめて呟く。
「…………恋、だな」
「恋ですかぁ?」
女の子が変わるときは大抵そうだろう。それに心当たりがないでもない。
……しかしそれならそれで、自分たちがどうこう言う問題でもないはずだ。悪いのにひっかからないよう注意してやる程度でいい。本当なら他人事のはずが、まるっきり老婆心を抑えることも出来ないのは何故だろう? テムズは同年代に比べれば人生経験が豊富なのかもしれないが、やはり家族もいない一人ぼっちの女の子だ。まだ若い。たとえお節介だとしても、自分が目を離してはいけないのだと思えた。
だがそう考えると――――――あの歳で家業を継いで、青春も知らずに毎日赤帳簿とにらみ合い、掃除をして、自分達の食事を作って、酔っ払いの相手をして……そうやって過ごしてきた数年の歳月を、赤毛の彼女はそんな日々をどう思っているのだろうか。考えてもみろ、彼女の趣味は何だ? 友人は数人知っている。しかしこの宿を一人で切り盛りしている彼女にどれだけ自由があるだろう。彼女は自分やサリーや、このフロンティアパブに縛られているのか? それは果たして彼女の意思なのか?
「――――と言う訳なんです。…ウェッソン、早くぅ!」
「なんだ、何処へ行――――おいおい」
彼が考え事をしている間にも、推理は進んでいたらしい。サリーに袖を引っ張られて仕方なく席を立ち、ウェッソンの思考は途切れた。仕方ないので小さな背中についていく。その間にも、サリーは歩きながらひそひそと何か呟いていた。外の雨は一向に止む気配がなく、普段なら通りの良い彼女の声も雨音に掻き消されて聞き取りづらい。そう言えば、この雨はいつから降っているのだろうか。
「私の推理ではぁ、テムズさんが最近読んでるあの本です。一週間もずっと同じ本を読んでるなんて怪しいです。奇々怪々ですぅ」
「そう言えば、去年からずっと読んでるな」
雨漏りしている天井から目を逸らしながら考えてみると、あながち的外れでもないかもしれない。別に彼女の全てを知っているわけではないにしても…少なくともテムズが読書家だというイメージはなかった。
サリーは立ち止まらずに、首半分振り返った。
「あれはきっと交換日記ですぅ!」
「…は?」
「らぶらぶな秘密の交換日記に違いありません」
「彼女がそんな柄か?」
「はぁ、ウェッソンは乙女心が分からないんですねぇ」
探偵は自分の推理に絶対の自信があるようだった。
「………………でもだなサリー」
「探偵には真相の解明をする義務がありますぅ! 早速調査に行かないといけません!」
きっと悪意の欠片もないのだろう。寧ろ気持ち良いくらいの無邪気さで、びしっと指を突きつけるサリー。ウェッソンは鼻先のぼやけた指を見て、「…ふぅ」と歎息するしかなかった。恐らく雨がいけない。大雨が降り続けているせいで、今日は外に出かけれないからだ。こうなったらもう、本人が飽きるまで付き合うしかない。
それからテムズの私室の前で、少し距離をおいて張り込みが始まった。いくら毛布に包まっていても、真冬の…しかも深夜の廊下はなかなか冷える。
「なぁ、そろそろ戻らないか?」
既に何回目か、ぶるぶると震えながらウェッソン。一方の探偵はコートに鹿討帽にルーペ、それと探究心があれば別に寒くはないらしい。さっきまで居眠りしていたサリーはもう眼が覚めたようだ。代わりにこちらは眠くて堪らない。
「あ、テムズさんが出ます…」
壁にぴたりと張り付いて、向こうを見たままで押し殺した声のサリーが言う。
「いいですか、ウェッソンは見張りですよぉ」
本当にトイレか? 無意識に罠の可能性が脳裏をよぎるが……とにかくテムズの影が消えるのを見計らって、探偵はルーペ片手に部屋へ入っていく。案の定、ドアの隙間からテーブルの上に目的のものがあるのがウェッソンにも見えた。テムズが読んでいたに違いない。夜通しか? ついさっきまで馬鹿馬鹿しいと思っていたのだが、彼にだって気にならないわけでもない。テムズには悪いが、ここまで来て見なければ嘘だ。
僅かに逡巡したが、ちらりと廊下の方を確かめて、
「ちょっと待った、俺が見よう」
毛布を脱いだウェッソンは、サリーの後ろからすっと割り込んだ。
「あ、ずるいですよぅウェッソン」
「しっ、静かに」
「………うぅ」
取り敢えず手にとって眺めてみる。ごく簡素な装丁。おまけに背表紙には題名も書いていない。表紙を開くと最初の1頁目、空白には数行ほど手書きで何か記してある。これは……………詩集か? いや、次の頁を捲り、直ぐにその考えを訂正した。
「日記でしたかぁ?」
「当たりだ、サリー………」
本を流し読みながら、それだけ言う。
「やっぱりですかぁ、私にも見せて下さい」
横から背伸びをするサリーを牽制しながら本を返して見ると、裏表紙の隅に擦れた小さなサインがあった。段々と罪悪感が込み上げてくる。ウェッソンは馬鹿なことはするもんじゃないなと心底後悔した。
朝からずっと鳴り止まなかった雨音が徐々に聞こえなくなり、世界が静寂を取り戻した頃には朝になりかけていたらしい。廊下の向こうからぼんやりと光が差し込んでくる。そこで小さな足音を耳にして、ウェッソンは直ぐさま日記を閉じ元通りテーブルの上に置いた。もし雨が止んでいなかったなら雨音に誤魔化されて気付かなかっただろう。
「まずい、彼女が帰ってきたぞ」
「私がまだ見てな――」
「このことはもう忘れよう、さぁ早く」
サリーの両肩に手を乗せて、くるりと方向転換を強いる。夜闇にくすんだ金色のお下げ髪が名残惜しそうに揺れた。
「ダメですまだ真相……が…ウェッソン?」
振り向こうとしたサリーに、ウェッソンはただただ目を閉じて微笑んでいた。優しく。
2人が慌てて部屋から出てくると、廊下の向こうから細い影が伸びてくる。間に合わなかったらしい。見事に廊下で寝間着にショールのテムズと出くわしてしまった。窓の向こうの、朝日を背にした仁王立ちでこちらを見据えている。
「何やってるのあんた達?」
咄嗟に言い訳を考えるが、どれも末路は同じ程度のものしか浮かばない。さすがに寝坊助が起きるのにはまだ早いのだ。
「いや、その…なんと言うか」
「えーっと、そのあの、調査ですよぉ」
その一言でウェッソンは心臓が止まるかと思ったが、意外にもテムズは「あぁそう」とだけ言って通り過ぎて行った。どうやら、いつものサリーの探偵ごっこと思ってくれたようだ。
「やれやれ…………」
冷や汗をかきつつ、2人はこそこそと遁走するのだった。
部屋に戻ってきてから、扉に背を当てて息をつく。まったくあの2人と来たら、いい歳をして一体何をやっているのか。思わず笑みがこぼれる。彼女はテーブルの上に手をやって日記を開きかけたが…………やはり思い直し、両手でパタンと閉じてそれをチェストの
決して盛況ではないが、宿はなんとか潰れない程度にやりくり出来ているし、それに……それに退屈なはずの毎日に刺激を与えてくれる居候達も居るではないか。
雨も止んだ。さて、今日は店を開けるとしよう―――――――
おしまい
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