The another adventure of FRONTIERPUB 21
「暇ですぅ〜」
いつものようにサリサタ・ノンテュライトは言った。
「ほっほっほっ。たまには平和もいいものじゃよ、サリーちゃん」
サリーの前に座っている老爺が、好々爺の笑いでサリーを慰めた。
「でも、暇なものは暇ですぅ」
サリーは椅子に座ったまま、手足をばたつかせた。押さえの効かない若さを表現して見せたのだ。
「そうじゃのう……」
そのサリーの様子に、何か話題はないかと悩んだ様子を見せていた老爺だったが、やがて何かを思いついたらしく、にっこりと笑った。
「テムズ……」
激しい鼓動を押さえるかのように、青年が囁いた。
「ウェッソン……」
頬を紅色に染め、少女が囁き返す。
二人の距離は吐息が触れる程に近く、視線が交わらない程に身を寄せ合っている。
「テムズ、俺は――」
「ううん。何も言わないで、ウェッソン」
二人の間で言葉は無意味だった。少女は言葉を求めず、青年は言葉の無力を知った。
どれだけの時が過ぎ去っただろう。それは一瞬であったかもしれない。あるいは、永遠であったかもしれない。
永遠が去ろうとすることにも気がつかないままに、二人の時間がそこにあった。
激しい音と共に、店の扉が開かれた。
「ワトソン君、準備したまえ。ですぅ!」
太陽の光を背に立っていたのは、サリーだった。どこからか調達したコーンパイプを片手に、仁王立ちしている。
「……なにやってるんですかぁ?」
サリーの目の前に展開される光景は、異様なものだった。
まず目についたのは、顔を赤くするほどに力を入れている様子のテムズ。そして、瀕死の重傷者のように顔を歪めたウェッソン。二人は複雑に絡み合った体勢だった。それは後の世にコブラツイストと呼ばれる体勢だったが、サリーにわかるのはテムズが何らかの攻撃を行っているということだけだった。
「あ、サリーおかえり。……ウェッソンがいきなり撃ったのよ! 信じられない!」
笑顔でサリーを迎えたテムズだったが、その笑顔は続かなかった。憤怒の表情でウェッソンを締め上げる。
「………」
ウェッソンは反応しなかった。青い顔をして白目を剥いている。
「テムズさん、ウェッソンが限界みたいですぅ」
「え? ……だらしないわねぇ」
テムズが離れると、ウェッソンは締め上げられたままの姿勢でゆっくりと横に倒れた。かすかに胸が上下している所を見ると、かろうじて生きているらしい。うなされたように「ウ、ウサギが…」とだけ呟いた。
「それで、なにかあったの、サリー?」
「そうでしたぁ、これを見てください」
サリーが紙片を差し出した。テムズが受け取り、目を通す。
「『猫顔の貴婦人をいただきに参上します 怪盗R・グレイ』……怪盗?」
「無名の画家の作品を狙う怪盗ですぅ。最近は貴婦人関連を狙ってるみたいですねぇ」
サリーが訳知り顔で肯いた。
「それじゃあ、『猫顔の貴婦人』っていうのは絵画なわけね?」
「そうですぅ。同じ画家の作品で『狐風味の貴婦人』や『豹を思わせる貴婦人』がすでに盗まれているんですぅ」
テムズは「へぇ」と気のない返事をしながら紙片をサリーに返した。
「で?」
「で? じゃないですぅ。その怪盗R・グレイを捕まえに行くんですぅ」
サリーは胸を張り、得意げに言った。だが、ちらりとウェッソンを見て、困ったように付け加える。
「ウェッソンを助手に連れて行こうと思っていたんですけどぉ、これじゃあ役に立ちそうにないですねぇ……」
相変わらずウェッソンは気絶したままだ。
「……あんまり危ないことに首を突っ込んじゃダメよ」
興味なく去ろうとしたテムズだったが、その足が止まった。サリーが腰にしがみついている。
「な、何よ、サリー?」
「助手を探しているんですぅ〜」
ちょっと危ない人の笑みを浮かべるサリー。
「嫌よ、あたしは店を――」
「逃がしはしないですぅ」
腰にしがみついていたサリーが、じわりじわりと絡みつくように上にあがっていく。
「だから、嫌だってば――」
「ほうれ、口では嫌がっていても体はこの通り。ですぅ」
「何よその台詞は。ちょっと、いい加減にしなさい」
絡み付く蛸を思わせるその動きは、テムズに恐怖を覚えさせるには十分だった。
「今日のあたしはちょっとだ・い・た・ん。ですぅ」
「わ、わかったわよ。わかったから離れなさい!」
ついに根負けしてテムズが叫ぶ。
「へっへっへ。お嬢さん、ここまで来てそりゃないだろう。ですぅ」
だが、サリーはなおもじわりじわりと進行し続け、ついに喉元までサリーの顔が上がってきた。
言葉にならない悲鳴が、フロンティアパブに響き渡った。
「ほう、お嬢さんがネルソンの紹介できた探偵かね。なかなかに頼りになりそうじゃないか」
そう言って、白いひげと白髪の目立つ老人が笑った。
場所は変わり、怪盗R・グレイの予告状を受け取った人物の屋敷に、サリーとテムズは来ていた。時刻は約22時。
ちなみにネルソンとはおなじみの老爺の名前だ。今の今まで名無しの脇役で通そうかと思っていたということは、ここだけの秘密である。
「おじいちゃんが、ヘンダーソンさんですねぇ?」
しきりに自分の頭を撫でながらサリーが確かめた。まるでコブがあるかのような撫でっぷりである。
「いかにも。ワシがヘンダーソン男爵である」
姿勢正しく、気品を滲ませて、男爵の部分に力を入れてヘンダーソン卿が言った。残念なことにサリーには伝わらなかったようだが。
「それで、『猫顔の貴婦人』はどこにあるんですかぁ?」
「サリー、敬語使ったほうがいいんじゃないの?」
いつもの口調のサリーにテムズが耳打ちする。
「大丈夫ですよぅ。おじいちゃんがもし怒られたらこれを見せろって渡してくれた秘密兵器もありますしぃ」
「どうかしたかね?」
突然ひそひそ話をはじめた二人に、ヘンダーソン卿が声をかけた。
「なんでもないですぅ。それで、『猫顔の貴婦人』はどこですかぁ?」
二人は愛想笑いをしながら、問題のないことを意思表示して見せた。
「ああ、案内しよう。ついてきたまえ」
怪訝そうな表情をしていたヘンダーソン卿だったが、結局は気にしないことに決めたらしく、先にたって歩き始めた。それに二人が続く。
その広い部屋には、貴婦人がいた。その顔は、猫であるというほどに猫ではなく、人間であると言い切ることができないほどに猫に酷似していた。まさに、『猫顔の貴婦人』であった。
「……猫顔ですぅ……」
「……猫顔ね……」
絶句する二人の背後で、ヘンダーソン卿はしてやったりの表情を浮かべていた。
「この貴婦人は実際に存在していたそうだ。同じ時代に生きていたら、一度は会ってみたかったよ」
ようやく驚きから立ち直った二人にそう言った。想像で描かれたものではないということを言いたいのだろう。半分は本音かもしれないが。
「それで、怪盗R・グレイが来るのはいつごろなんですかぁ?」
ヘンダーソン卿はその質問に、おや? という表情をしてみせた。懐から出した懐中時計にチラリと目をやって言う。
「あと三分ほどすれば時間だが……渡した予告状には書いていなかったかね?」
ヘンダーソン卿が時計を懐に戻すのと同時だった。
「ふはははははははははは!」
笑い声が響き渡った。その声は屋敷全体に響き渡り、サリー達の耳にも届く。
「なにものっ! ですぅ!」
対抗するように、窓を開け放ってサリーが叫ぶ。
「我が名はっ!」
中庭をはさんだ向かいの屋根の上に奴はいた。その姿は、銀色の光に包まれているかのようだ。
「あぁぁぁぁぁるっ! ぐれいっ!」
名乗りと共に銀色の光が弾けた。否、銀色のそれはマントであり、弾けたように見えたのはマントを大きく開いたのだ。闇の中ですら映えるであろう真紅の裏地と同じく真紅のタキシードがあらわれた。
「現われましたねぇ、R・グレイ!」
サリーは屋根の上のR・グレイに向かって叫んだ。距離があるせいで叫ばないと声が届かないからだ。
「ふっ、『猫顔の貴婦人』はいただくぞ! とぅっ!」
R・グレイが飛んだ。跳んだではない。滑空と言ったほうが近いかもしれないが、間違いなく飛んでいた。その空を横切る姿は、小説の登場人物を思わせるほど現実離れしていた。
「空を飛ぶなんて非常識ですぅ! 人のやることじゃありませぇん! 鳥かムササビに特許料を払えですぅ!」
サリーの後ろではテムズがちょっと傷ついた顔をするが、サリーは気がつかない。
「はっはっはっ。威勢のいいお嬢さんだ。だが、私が怪盗である以上聞く気はないな」
R・グレイが降り立ったのはサリーが顔を出す窓――絵は一階にあった――のすぐ傍だった。その顔は、駒鳥の顔を模した仮面に包まれている。
「さあ、ヘンダーソン卿。『猫顔の貴婦人』を渡してもらおうか」
サリーのすぐ横で顔を出すヘンダーソン卿に、R・グレイが言った。
「ふん。もっていかれても困るものではないが、素直に渡すつもりもない。欲しければ力ずくで奪っていきたまえ」
「ほう、なかなかに威勢の良い方だ。ならばお望み通りにさせていただこう」
R・グレイが手を拳に形作った。力ずくを表現したのだろう。
そのR・グレイを見ながら、ヘンダーソン卿がサリーに囁く。
「よし、後は頼んだぞ。探偵のお嬢さん」
「は?」
「ワシは見てのとおり老人だ。だが、お嬢さんは探偵と名乗るほどなのだから腕にもそれなりの自信があるのだろう?」
「無責任ですぅ」
「どうかしたかな、ヘンダーソン卿。抵抗しないのならば遠慮なく貰っていくぞ?」
ひそひそ話をする二人にR・グレイが言う。
「……仕方ないですぅ。いきなり最終兵器ぃ、テムズさん投入ですぅ!」
サリーは背後で傍観者を決め込もうとしていたテムズをびしりと指差した。
「あ、あたし!?」
「こんなとき以外に一体いつテムズさんの出番があろうかぁ。いや、ない。ですぅ」
「いや、反語で決め付けられても」
「バトルなくしてはテムズさんのテムズさんたる所以が80%減ですぅ!」
「け、けど――」
「問答無用ですぅ。戦わないというならばぁ、夜な夜なテムズさんの枕もとを涙で濡らしますよぅ。――ウェッソンが」
「それは嫌ね――ってどうしてウェッソンなのよ?」
「寝ぼけたテムズさんの犠牲者は最小限に抑えなければなりませぇん」
サリーは関係のない方向を指差しながら断言した。
「どうしていつもこうなのかしら?」
「見かけによらず、なかなかに手強い相手のようだな」
自分の身の上を嘆くテムズに対して、R・グレイは窓枠に引っかかることによって倒れずに済んでいるサリーの姿をちらちらと見ながら言った。
「もう、さっさと終わらせるわよ!」
テムズは頬を膨らませながら無造作に踏み込み、蹴りを放った。動き自体は素人のものだが、威力は一撃必殺のものを備えている。
テムズの初撃は空を切った。R・グレイは紙一重だが、確実にかわしている。
「たぁっ!」
テムズは、そこからいくつかの攻撃をつなげたが、すべてを紙一重でかわされた。
「はぁっ!」
渾身の突き。それまでの攻撃の倍近い速度と威力を持つ突きだ。だが、R・グレイはそれすらも紙一重でかわしてみせた。さらに隙のできたテムズの背後に回りこむ。
「くっ――」
テムズは相手の攻撃に備えてとっさに身を硬くした。だが、攻撃はなかった。あったのは頭を軽く触れられたような感触だけだ。
「どういうつもり?」
間合いを十分に取ってR・グレイに向直り、訊く。
「退きたまえ。君は私に勝つことはできない」
「ずいぶんと余裕じゃない?」
「素人相手だからな。それで、退く気はないのかな?」
「格闘家のプライドなんてないけど、ここまで手を抜かれるのは気に入らないわ」
R・グレイは軽く溜息をついて見せた。肩をすくめると、月の光が銀色のマントにはじかれる。
「やれやれ、それを格闘家のプライドというのだよ。――どうしても続けたいのならば頼みがある」
「頼み?」
「気合の声は『にゃあ!』にしてもらえないかな?」
「は?」
混乱するテムズに、R・グレイは鏡を取り出して投げ渡した。次いで、テムズを指差す――正確にはテムズの頭を。
テムズは警戒しながら鏡を覗き込んだ。ゆっくりと鏡を動かし、目に入ったものは――ネコミミ。正確には猫の耳を模した作り物。
「な、なによこれ!」
テムズは、確認すると同時にネコミミを頭から取り、地面にたたきつけた。
「ひどいな。作るのに結構手間取るのだぞ?」
「何のつもりよ!」
羞恥と怒りに顔を赤く染めるテムズに、R・グレイは軽蔑の笑みをむける。
「やはりお嬢さんには『萌え』を理解することができないようだな」
「燃え?」
「『萌え』だ。この崇高な感情をどうして世の人々は理解できないものか……」
R・グレイは心底悲しそうに溜息をついた。
「どうでもいいけど、隙ありっ!」
目元を押さえて泣いたふりをするR・グレイに、突きを放つ。十分に勢いの乗った会心の一撃。
「最後の一歩が常に足りないのが素人というものだよ、お嬢さん」
だが、次の瞬間、テムズの体は宙を舞った。攻撃の勢いがそのまま投げの力に利用されたのである。
なすすべもなく地面に転がったテムズに、どこからか取り出したロープを片手に持ったR・グレイが飛び掛った。
「ほどきなさいよ! このへんた…い……」
抵抗する間もなくテムズは縛り上げられていた。そして、その頭には新たなネコミミ。
「はっはっは。よく似合っているよ、お嬢さん」
さらにテムズに眠り薬をかがせ、R・グレイは満足げに笑うと、『猫顔の貴婦人』のある部屋へと向き直った。
「探偵としては、負けるつもりはないですぅ!」
そこにいるのは散弾銃を構えるサリーだ。窓枠を支えにしてR・グレイに銃口を向けている。
「無粋なものを使うのだね、君は」
怯んだ様子のないR・グレイに対して、サリーは無言だ。下手に口を開いて、弾の入っていない銃であることを悟られるわけにはいかない。
「だがまあ、壁からとった弾の入っていない銃ならば問題はないよ。好きに使いたまえ」 ばれていた。
「な、何のことでしょお? これは弾の出る銃ですよぅ!!」
威嚇してみるが、R・グレイは気にした様子もなく近づいてくる。
「そ、それ以上近づくと、撃ちますよぅ」
サリーの言葉はまったく効果をあらわさなかった。R・グレイはゆっくりとだが、確実に近づいてくる。
「う、撃ちますぅ!」
サリーの指が引き金を引いた。もちろん、弾は出ない。――本来は。
ドパァァァァァァン!!
予想していなかった轟音と衝撃に、サリーは仰向けになって床に倒れた。銃は手の中から消えていた。
「な、なんだったんですかぁ」
頭を振りながらサリーが立ち上がると、自分以外の全員が、一点に注目しているのに気が付いた。自分もそちらを見る。
木が倒れていた。大人が手を広げても、抱えるには少し足りない程度の太さの木だ。射線がずれたとすれば、丁度そこにあたっていただろう場所にある。
「え〜とぉ……」
「おお! 特注で作らせたワシの銃がどこに行ったのか探していたが、ここにあったのか」
完全に観客となっていた老人が、ぽんと手を打って言った。二人の視線が老人に集まる。
「いや、はっはっは」
老人は気まずい雰囲気を払拭しようと笑って見せた。だが、どうも若者たちはそれが気に入らなかったらしい。今まで戦っていたはずなのに、示し合わせたようにゆっくりと近づいてくる。
「はっはっは――老人虐待はいかんぞ?」
「もって行って良いですぅ」
メイド服を着て悶絶しているヘンダーソン卿の顔に落書きしていたサリーが、ぽつりと言った。
「いいのか?」
つい先程までヘンダーソン卿をくすぐっていたせいで、だるくなった手を振りながらR・グレイが聞く。
「探偵は怪盗を捕まえるのが仕事ですぅ。今日の所は殺しかけちゃいましたから、そのお詫びで見逃してあげますぅ」
「……それならば――」
「………」
「それならば、私は君に勝負を挑もう。いつか、この絵をかけて」
「……望むところですぅ。いつで挑戦は受けますぅ」
「ああ、いつか、この街に戻ってきたときに、予告状を送ろう」
「え?」
R・グレイの言葉に、サリーは顔を上げたが、その姿はもうなかった。ただ、月明かりの下で『猫顔の貴婦人』が静かに微笑むだけだった。
END