The another adventure of FRONTIERPUB 20
鳥が鳴いていた。
フロンティア・パブの朝は早い。早朝より門戸を開き、いそいそと掃除に取りかかる。
だが、朝が早いのは赤毛を背にぶら下げた少女だけのようだ。彼女一人がめまぐるしく店内の清掃に取りかかっていた。
まあまあな広さがあるので時間がかかるのは確かだが、その点に関しては大丈夫だった。
フロンティア・パブの客足は遅い。
どの道酒場が主体な為に客が来るのは夕暮れ時がほとんどだからだ。
それまでの間ゆっくりと彼女一人でも掃除できる。
「あら、いつも早いのね」
「あ、おはようございます」
そして隣にある雑貨屋のおばあさんにいつも通りいつもの如く挨拶する。
そして彼女はいつもの如くお気に入りのバケツに水を入れて運んでいた。
それはいつもと変わらないいつも通りの朝。
ふにっ
と、彼女は妙に柔らかい感触を足の裏に感じた。
「……?」
ゆっくりと彼女は視線を足下へとやる。
そこには二つの碧い目があった。
「やぁ」
彼女に顔を踏んづけられていた美青年の死体は笑いながら片手を上げた。
「……」
余りのことに彼女は思わず更に踏んづけてしまった。
そして、男はそのままホントに動かなくなった。
それはほんの朝の出来事。なんでもない、ただのいつも通りの朝に起こった出来事であった。
「いやぁ! 助かった!」
そう言いながら5人分の食事をがっつく美青年の姿はある意味では壮観だった。
赤毛の少女――このフロンティア・パブを一人で切り盛りするテムズは思わず吹き出しながら食器を片づけていく。
「一体どれだけ食べてなかったの?」
「なーに一週間と4日さ」
「なんでそれで生きてるのよ?」
使い終わった皿を次々と洗いながらテムズは答える。
「……いいね」
何となく洗い物しているテムズの後ろ姿を見てその美青年は言った。
「?……何が?」
不思議そうにテムズは振り向く。そして目が合うと思わず目を逸らしてしまう。こんな美青年に見つめられれば何となくどきっとしてしまうものだ。
「いや、……お母さんって感じがしてね」
冗談ともつかない事を言いながら彼は最後の皿を平らげた。
「そ、そんな! まだ私は独身よ!」
「あ、そうなんだ。じゃあ僕にもまだチャンスはあるんだね?」
笑いながら彼はエールを飲み干す。
「ば、ばかねぇ……冗談ばっかり」
何とか笑って誤魔化しながら彼女は皿洗いを続ける。どうしてこんな時に限ってうちの万年未滞納客は出払っているのだろうか?
「と、取り敢えず、この3日間は人手が足りないから食べた分は働いて貰うわよ!」
逃げるように言い切って彼女は皿洗いに専念した。そう、何故かまたサリーが「宝の地図」――たしかキャプテン・アイスピックの財宝だっただろうか? ともかくその財宝の在処の書かれた地図――を知り合いのおじいさんから貰い、船をチャーターして旅に出ているのだ。往復だけで最低でも後3日は帰ってこないことになる。
「そう言えば貴方は何者なの?」
一段落して手を拭きながら彼女は問う。
「え? 僕かい?」
どこか芝居がかっていて、でもそれがとても自然に見えてしまう。そう、どこか高貴な香りを漂わせながら、金髪碧眼の美青年が笑う。服装こそ乞食のそれだが、なんというかそれ以外の人間という本質がどこか高貴な感じを匂わせていた。
「僕はアリスト=P=サンクェスト=フェルディール。旅の吟遊詩人さ」
彼はそう言って床に置いてあった頑丈そうなギターケースを指差した。
「吟遊詩人?」
首を傾げながら彼女は聞く。
「それってあのおとぎ話とかで出てくる?」
その口振りに彼――アリストは心外と言わんばかりに大きく首を振る。
「おとぎ話だけの存在じゃないさ! 昔は詩人が旅をしながら口伝によって伝承を各地に伝えたもんさ。もっとも、僕は伝承とか伝える気はないけどね」
そう言いながら彼は飲み物も平らげる。
「じゃあ何を伝えるって言うのよ?」
「それはたった一つ――魂さ」
笑いながら自信を持って彼は言う。
「魂?」
テムズは聞き慣れない単語に首を傾げる。彼は霊媒師とでも言うのだろうか?
「そう、魂。人と人を繋ぐ絆の形の一つさ。ま、言ってみれば『忘れてはいけない感動』とか『思い起こすべき感覚』とか『知りうるべき考え』を伝えるのが僕の役割さ」
彼は役者のように手を広げ語る。
「みんながみんな最近大事なモン忘れてるって思ってさ。だからみんなにそいつを教えてやろうと思ってね。そう、言ってみれば僕は救世主なのさ」
そう言って彼は彼女にウインクする。
その目はとても真摯でふざけているようなそぶりなど全く見せていなかった。
その瞳に見つめられ彼女は思わずどきりとする。この目はどこかで見たことがある。
――そうだ。あのいつもうちの宿で寝転がっているあのうだつのあがらないガンマンと同じ瞳。
間違いない。
彼女は直感した。
この男は彼と同じだ。
そう、彼と同じ――
――甲斐性なしの目をしている――
他人のことばっかり考えて自分のことは何も省みない、どこか捨て鉢で、それでも真面目に生きてるつもりでいる、――見ていてイライラする生き方をしている奴だ。
そんなことばっかりしてないで自分で働いたらどうなのだろうか?
夢とか追いかけるのもいいがまず生きていくことが大事なのだ。こんなボロボロになってまで、行き倒れてまで彼は何をしようと言うのだろう?
彼女だって昔は夢ぐらいあった。でも借金に追われて仕方なく働かざるをえなくなったり、借金を返済しても他に生きる術なくただこの酒場を経営していき、結局なし崩しに今のようになってしまったのだ。
なのに彼は自分よりも年上のくせになんでこんなに目を輝かせて精一杯生きてますって顔をしているのだろう?
うちにいるガンマンの如く何かやりたいことをやりきれていない葛藤など何処にもない。
――なんでこんなにもイライラするのかしら?――
笑いながら店内をくるくる踊っている彼を見ながら――。
「ん? って何踊ってんのよ!」
何故かノリノリで踊っているアリストをテムズはカウンターからの絶妙なドロップキックで吹き飛ばす。
「……あっごめんなさい。ついいつもの調子で……」
「はっはっはっ痛いじゃないか」
必死で謝ろうとするテムズにむくりと平気で彼は起きあがる。
「……え?」
今度は別の疑問が浮かぶ。
――結構見た目の割に頑丈ね。それなりに本気で蹴ったのに――
まあ、テムズがそんなことを考えているうちにアリストはいそいそと店の適当なところに座る。
「……って? なにしてるの?」
テムズが不審に思い彼に問う。
「なぁに、手伝いとして客寄せしてあげようと思ってね」
そう言いながら彼は軽く発声練習してからさらりと歌い出した。
「――え?」
Edelweiss, Edelweiss,
Every morning you greet me.
最初に感じたのは戦慄だった。
そして、あとよりゆっくりと湧き起こる何かが彼女の中で弾けた。
Small and white,
Clean and bright,
You look happy to meet me.
緩やかにその旋律は辺りへと染み渡っていく。
Blossom of snow, may you bloom and grow,
bloom and grow forever.
どうしてだろう? ギターもピアノも、なんの伴奏もないのに彼はただ声のみで普通にはない何かを確実に「調べ」に載せて歌っていた。
アカペラの歌で、いや、それ以前に「Edelweiss」の歌で感動なんかしたことがあるだろうか? 何処にでもあるただの歌なのに。
Edelweiss, Edelweiss,
Bless my homeland forever.
歌い終わった時、沢山の拍手が酒場を包んでいた。
いつの間にか彼の歌声に寄せられて酒場に人が集まっていたのだ。
「うそぉ!?」
彼女は急いでカウンターに戻る。
「おっと酒を飲むのにはちょっと大人しすぎる歌だったかな」
笑いながら彼はギターを用い、陽気な曲を奏で始める。すると、歌に聴き惚れてぼぉーっとしていた人達が軽快な旋律にはっとし、テムズの元へ酒の注文が相次いだ。
そうして、この日は大盛況のうちに幕を終える。
「凄いわね」
再び皿を洗いながら彼女は言う。
時刻はもう夜だ。結局いつもより客が増えてしまい、彼女一人で捌ききれなくなってアリサとか呼んで手伝って貰ったくらいだ。ついでに知り合いの医師にも応援を呼んだがかの無能な看護婦たるアリスが「厄介払いされた〜」とか涙目で言いながら来たくらいだ。彼女のせいで余計に仕事が増えたのは確かだったが。まあ、医院に後日破損分の弁償を請求するので問題はないだろう(彼の有能な看護婦であるセリーヌが「何か壊すでしょうから後日まとめて請求書をお渡し下さい」と手回ししていたのだ)。
なんにせよ、彼は一日中歌ったりギター弾いたりして疲れ、ちびちびと酒を飲んでいた。
もう深夜だ。酒場の夜は遅い。いつも以上に客が来て酒場もかなり散らかっている。明日早起きして掃除しなければならないだろう。
「何が?」
取り敢えず、酒を飲みながら彼は聞いてくる。
「貴方の歌よ。なんであんな風に歌えるの?」
「ああ簡単なことさ。それが使命だからね。魂伝えなきゃ〜♪」
そう言いながら彼は更に酒をあおる。
「久しぶりの酒はやっぱりいいねぇ〜♪」
その様子に思わず彼女は吹き出す。
「貴方くらいの腕があればちゃんとした楽団でやっていけるでしょう? なんでわざわざ放浪の旅なんかを? 酒なんてそうすれば買えるじゃないの」
「ああ、別に金が欲しい訳じゃないし、ああいうかたっくるしいのは嫌いなのさ。昔なんかとある貴族とこに仕えてたんだけど、あそこの執事が『戒律』とか『しきたり』とかにウルサくってね」
それを聞いてやっぱり、高貴な所にいたんだとテムズは何となく思った。
「ある日、そこの嬢ちゃんが『外が見たい』って言ってたから館から連れ出したら執事の部下にボコボコにされてね。そこの女主人は許してくれたけど、執事が無理矢理僕を首にしたんだよ」
そう言って彼はまた酒をあおる。
「許可取ればよかったんじゃない?」
テムズは皿を洗いながら聞く。
「それじゃ駄目なんだよ。貴族ってのは何処に行くにしても必ず部下がついてくるからさ。あの娘(こ)は一人で自由に野原を駆け回りたかったんだよ」
「へー。でもなんか分かるわね。何処に行ってもウサギがついてくるとかって面倒だもの」
「ウサギ?」
「あ、いえ。なんでもないのよ! ホントに! あ、その首飾りの紋章ってもしかして……」
何とはなしに彼が酒を飲みながらいじくっていたのは……。
「ああ。これは宮廷楽団の紋章だね」
「えっ?!……ってことはもしかして」
「いや、これは拾ったんだよ。綺麗だろ?」
驚く彼女に対して彼はさらりと受け流す。
「ホントにぃ?」
「ああホント! ホント!」
「大体、貴方も貴族じゃないの?ファミリーネームが二つあるし」
テムズはそう言って話題を変えた。
「ああ。僕が仕えていたのは僕よりも階級の高い貴族さ。ま、失業した後ギャンブルにハマって全財産かけた挙げ句全部吹っ飛んじゃったけどね」
「え?じゃ借金とかあるんじゃないの?」
「いいや、借金はないよ。財産しか賭けてないから。取り敢えず、カジノのある街に行ったら適当に歌って稼いで、その日のウチに使い切るのさ」
「うーん、いい加減ねぇ」
「『宵越しの銭は持たない』ってギャンブルの師匠に言われたからね」
笑いながら彼は言う。
「安定した生活する気ないの?」
「僕は気に入った場所できが向いたと時しか歌わないよ。ま、この店ならずっと歌ってもいいけど」
「えっ?!」
テムズはその言葉にどきりとする。
「そそそそ、それはどういう意味よ!?」
ガラにもなく声が震えるのを感じた。
「別に、ここは雰囲気がいいからね。ま、どう受け取っても自由だよ」
ニヤリと笑いながら彼はグラス越しに彼女を見つめる。一瞬の交錯。それは永遠とも言える一瞬だった。
そこで何か言ってしまうと大きく変わってしまいそうな気がした。
「ええと、二階の部屋適当に使っていいわよ。私はもう少し皿洗いを済ませてから寝るから」
結局――彼女は無難に明言を避けた。
「じゃ、お先に」
手を振って彼は階段を上っていった。
「GOOD NIGHT♪」
警戒に彼は言ってくる。それに彼女は軽く笑顔で返した。
「GOOD NIHGT!」
そうして二人きりの三日間が過ぎた。
彼の歌のおかげで客が集まり、酒場はとても大盛況だった。
そして四日目の朝。
「すいません。伝言頼まれたんスけど……」
朝早くにアジア人と金髪巻き毛の船乗り風の男が訊ねてきた。
「はいはい……なんの用でしょう?」
見ると男達は何故か疲れた様子でげっそりとしていた。なんにせよ一人から手紙を受け取る。裏にはサリサタ=ノンテュライトと記してある。
「あ、サリーからだ」
「じゃ、アッシ達はこれで……」
「ああ行こう」
「へぇアニキ……」
そう言って元気の無い男達は酒場を出ていった。
「まったく……何がアイスピックだ」
「だからもう財宝関係は諦めましょうよアニキ。もう限界ッス」
「馬鹿野郎! 海の隠された財宝探しは男のロマンだ!」
バキッ
「すいません! アニキ! アッシが間違ってました!」
「おう! 分かってくれたか!」
ガシッ
「……?」
殴り合ったり抱き合ったりしながら遠ざかっていく男達を不思議な顔して見送った後、彼女は手紙を開いた。
「どうやら今日の昼頃には到着できるみたいね」
手紙を読んでいると二階からアリストが降りてくる。ちゃんと風呂に入ってちゃんとした服を着た彼はやはり魅力的であった。清々しい朝を感じさせる。
「ああ、話に聞いていた住人が帰ってくるんだね」
「ええ。あんまり役にたたない住人だけどね」
そう言いながらテムズは微笑む。なんだかこうやって毎朝彼と何気ない会話をするのが当たり前になってしまっていた。なんというかそれはイイ感じではあった。それがどういう事かはあまり分からないが。でも、何となく落ち着いていられた。
「じゃ、僕もそろそろ旅に出ようかな」
「えっ?!」
突然の言葉にテムズは驚く。
「約束は三日間だったしね。あんまり迷惑をかけるわけにも行かないし」
「そんな迷惑だなんて――あ、その……」
彼女は必死で何か言い繕うとした。が、言葉が出ない。いや、必死で彼を引き留める言葉を探して居る自分に気付き、逆に愕然とした。
自分は何をやっているのか?
たった三日しか一緒にいなかったのに。
変だ。何か変だ。
三日間だけ雇うって約束したのは自分なのに。
――でも、変でもいい。
もう少しでいいから、彼と居たかった。よく分からないけれど、それだけは確かだと思った。
「……そんな顔しないでくれよ。こっちまで哀しくなるから」
「え?……あれ?……今私……」
彼に言われて慌てて服の乱れを直したり顔を叩いてしゃきっとさせたりする。今自分はどんな顔をしていたのだろう。そう思うと恥ずかしくて顔から火がでそうだ。きっと今はとても赤い顔をしているに違いない。思わずエプロンの裾をぎゅっと握りしめてしまう。
「取り敢えず、そうだな。最後に君だけに歌をプレゼントするよ」
そう言って勝手に店の看板を締めて彼はギターを引っ張ってくる。
そして、ゆっくりと歌い出した。
君と過ごした この街に
ざわめきと共に 朝がやってくる
さあ目覚めよう 新しい朝が来るから
君の手を取ろう
僕が君を助けよう 君のためなら
さあ歌おう 君のために歌おう
忘れかけてた 心を取り戻そう
僕が居るから 明日へ向かおう
立ち止まってもいい
急がなくていい
泣いたっていい
間違ってもいい
待っているから 君を待っているから二人が遠くても 声が届かなくても
絆があるから やっていけるさ
いつか会えるさ
「どう?」
歌い終わって彼が感想を聞いてくる。
「曲はともかく変な歌ね」
なんとか笑いながらテムズは言う。
「そうかな?」
「ええそうよ。相手のことばっかり考えて自分のこと何も考えてないもの」
「それって変かな?」
「ええ変よ」
「そっか……」
「そうよ」
思わず顔を合わせて笑う。笑った。腹の底から笑うことが出来た。
「じゃ、もう行くよ」
そして彼は立ち上がる。もう、引き留める気は起こらなかった。なぜだか分からないけれど、それでいいと思った。
「あ、ついでにこれもあげるよ」
そう言って彼は首から下げていた宮廷楽団の紋章を彼女に投げた。
「え? いいの!?」
それはバッジに無理矢理ヒモをくくりつけて作ったらしく器用にバッジの後にひもが入っていた。そこには間違いなく「アリスト=P=サンクェスト=フェルディール」と書いてあった。
「なあに。今の僕にはもう関係ないものだからね。君にあげるよ」
「で、――でも」
「See you, again!」
彼は明るく手を振る。仕方なくテムズはなるたけ明るく言い返した。
「See you, again!」
そうして彼は店を出ていった。
「さてと……」
支度をしなければならない。サリーやウェッソンが帰ってくる。それに店も開けないといけない。
いつもの生活、いつもの毎日がやってくるのだ。
「はぁ……」
「まあまあいいじゃないですか。これでおいしい氷割できますし!」
「……でもなぁ……」
と道の向こうから聞き慣れた溜息と少女の歓声が聞こえてくる。
「あ、来たみたい。意外に早かったのね」
そう言いながら通りに出ようとした時……嫌な物を聞いた。
「あ、師匠じゃないですか〜♪」
「あ、アリストじゃねぇか久しぶりだな」
「なぬ!?」
それは間違いなくアリストと万年居候のウェッソンの声だった。なにかとてつもなく嫌な予感がした。
これは……。
「知り合いなんですか?」
「ああ、昔、暇そうにしてたからギャンブルに誘ってやったんだ」
「もーあれからギャンブルに首っ丈ですよ♪ 人生が潤いました」
「でもお前、全財産俺との勝負につぎこんだじゃないか? あれからどうしてる?」
「諸国放浪の旅ですよ(ジャララーン♪)はっはっはっ!」
「すごいですぅぅ〜! どんな財産があったんですか!」
「えーと山二つに館3つと別荘1つだっけ?」
「へーとっても金持ちだったんですね〜」
「ま、あれは人生最大のもうけだったな」
「成る程……そう言うことだったのね」
バッキン
静かに彼女の持っていたトレイが真っ二つに割れた。
「ん? 二人ともどうしました?」
「な、なんか嫌な予感ですぅ」
「ああ、俺もなんか嫌な予感が……」
「風でもひいたんじゃないですか?」
次の瞬間テムズは手近にあったモップを持って飛び出した。
「原因はお前かぁぁぁぁ!!」
「おおあれはモップ術108の構えの1つ! 氷虎の構えから放たれた"氷虎猛突牙"ですぅ!」
「ぎゃぁぁぁあ」
あっけなくモップの尻で突かれたウェッソンは吹っ飛んだ。
「いったいなぁ……なんだよ急に」
突かれた顎をさすりながらウェッソンは立ち上がる。
「大丈夫ですか師匠ー」
「なんでアリストをギャンブルに巻き込んでるのよ!」
いつの間にか呼び捨てで呼ぶようになっているのに気付かずテムズはウェッソンに問う。
「あ、なんか暇そうだったし、金持ってそうだったし……」
何となく気圧されながらウェッソンは答える。
「全財産あんたが巻き上げたんでしょ! 大体そんな大金とっときながらなんで今グータラ生活してるのよ!」
「えーとそれはその……」
ウェッソンは目線をそらしながら口ごもる。が、それをよそにアリストは軽い口調で言った。
「確か帰り道に綺麗な女の子居たからその子に全部貢いだんですよね」
「あ、馬鹿……ぐはっ!」
「ああ今度は鳳凰の型からの"鳳凰天空翔"→キャンセル→"鳳凰霊震撃"ですぅ!」
何故かよく分からない事を言いながらサリーは解説する。上空へ打ち上げられたウェッソンの体に残像を伴ったモップの逆袈裟斬り×2が決まり、ウェッソンの体は吹き飛ぶ。
「ま、まて! 別に俺は間違ったことしてないぞ!……たぶん」
「ど・こ・が!」
サリー曰く皇龍の構えでウェッソンに詰め寄るテムズ。
「まあまあまあ……そういきり立たないで。大体なんで僕のことで怒ってるんだい」
割って入ったアリストが言う。
「え、あ……いいじゃないこの際そんなこと!!」
一瞬鼻白むもののテムズはその場のノリで切り返した。
「ま、でも僕は気にしてないし。何より僕の金が他の人のために役立てばそれでいいじゃないか」
「うんうん、まさにその通り」
何故か目を輝かせながらアリストは言った。まるでオペラ役者の様だ。その横でウェッソンも頷く。
「ま、彼も言ってるしその女の子の役にたてばそれで良しじゃないか」
ちょっと顔を引きつらせながらウェッソンは言う。二人の男の目が自分を見る。
それは間違いなく……
甲斐性なしの目だった。
「この甲斐性なしぃぃぃぃぃぃぃぃぃいい×2」
「ああ伝説の昇竜閃空波ですぅ!!」
――こうして二人はお星様になりました。
ちなみにしばらくテムズさんは宮廷楽団の紋章を見てはため息をついてました。
二人の間に何があったのでしょうか?
新しい謎を作りつつ、後日アリストさんとウェッソンがドーバー海峡でヘレナさんに救助されるのでした。
「はぁ――甲斐性なしか……うーん、悪い人じゃないんだけどなぁ……」
そう言う彼女の前ではただ宮廷楽団の紋章だけが輝いていた。なんとなく彼女だけにはその向こうにアリストの笑顔が見えたのかもしれない。
「あぁぁぁぁぁぁもぉぉぉぉぉ」
じたばたとテムズは体を奮わせる。
「うっさいわね! わざわざ私の部屋で悶えないでよ!」
そう言って看護大のテスト勉強中のアリサはげんなりとするのであった。
「いい人なのよ……ホントに……」
そうしてテムズの耳奥でゆっくりと優しい旋律が流れた。いつまでもいつまでも。
立ち止まってもいい
急がなくていい
泣いたっていい
間違ってもいい
待っているから 君を待っているから
二人が遠くても 声が届かなくても
絆があるから やっていけるさ
いつか会えるさ
「でもねえ……」
「だから静かにしてよ!!」
おしまい