The another adventure of FRONTIERPUB 13
テムズは紅茶の入ったカップを片手に窓の前に立つウェッソンを見た。
「何か面白いものでも見えるの?」
テムズの質問には答えず、ウェッソンは紅茶を一口飲んだ。眉をひそめ、カップを覗き込み――また何事もなかったかのように視線を戻す。
「ねぇ。起きてる?」
「無駄ですよぅ、テムズさん」
先程テムズに手渡されたハタキを、店の隅の暗がりで丸くなるウサギの目の前で振りながらサリーが言った。ウサギは気だるそうにサリーを見ている。
「どうして無駄なのよ?」
「ウェッソンは今、十一年と三ヶ月ごとにおこる満月の呪いを受けているんですぅ。その間は起きていてもまるで寝ているかのごとく亀の歩みのようにのったりとした性格になってしまいますぅ。この呪いを解くには黄金色のワインと呼ばれる伝説のオリーブのみを三日以内に砕いて三年くらい煮込んだものをなまずの住むいけすに流し込んでその後に…青銅色の…ミミズ…を…」
ウサギに視線を戻しながら意味不明の説明を行っていたサリーだったが、だんだん口が重くなり、とうとう口を閉ざしてしまった。
「サリー?」
サリーは空ろな目つきでふらふらとテムズの所まで来ると頭を下げた。
「おやすみなさいですぅ」
サリーは呆気にとられるテムズを尻目に、ふらふらと自分の部屋に戻っていった。
テムズは、ふと、ウサギのほうを見た。ウサギはテムズを見、にやりと笑う――そう見えた――と、目を閉じて眠り始めた。
「…なんだったのかしら」
テムズはわけもわからず疲れた気分になり、再びウェッソンに視線を戻した。
ウェッソンは、やはり先程の体勢を崩してはいなかった。テムズが見ているとまた紅茶を一口、眉をひそめ、カップを覗き込み、また体勢を戻す。
「…………」
テムズは無言のままウェッソンに近づくと窓の外を見た――これといって珍しいものは見えない。ウェッソンの視線はどこか遠くにあった。
「…ウェッソン、疲れてるのなら今日はもう休んでいいわよ?」
テムズが声をかけると、ウェッソンは彼女のほうを見、カップを差し出した。
「?」
テムズが思わずカップを受け取ると、ウェッソンはようやく声を発する。
「そうか。それなら休ませて貰おう」
そう言ってきびすを返した。そのまま去ろうとするウェッソンを、テムズが呼び止める。
「ウェッソン」
ウェッソンは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「なんだ?」
「仮病?」
テムズの言葉に、ウェッソンはしばし考えるそぶりを見せ、言う。
「まあ、当たらずとも遠からず…か」
「仮病?」テムズの手が拳を形作る。
「…はずれとは言えないな。だが、それは時にはずれともいえる」
「仮病?」テムズの拳が腰のあたりまで下がった。引き絞られた弓矢を連想される姿勢だ。
「…あるいは概ね当たっているというべきかも知れないな」
「仮病?」拳を支える手首に捻りがくわえられた。
「……ごめんなさい、仮病です」
恐ろしい衝撃が建物を揺らした。それがたった一人の少女の踏み込みによるものだとは誰が信じるだろう。だが、それは紛れもない事実だ。
結果、ウェッソンは負傷し、正式に手伝いを休んだ。
軽傷で済んだのは、まあ、奇跡というものだろうな。とは、彼が後に語った言葉である。
「結局今日はあたし一人でやらなきゃいけないって訳ね」
ぶつくさ言いながら手早く掃除を終わらせる。そして、次の仕事に手を出そうとしたとき――
「部屋は空いてる?」
入り口のほうから声をかけられた。
「あ、はい、空いて、ま――ヘレナ、なの?」
振り向いたテムズの前にはヘレナがいた。旅装束で髪が短くなっていたが間違いなくヘレナだ。
「久しぶり、テムズ。元気だった?」
笑うと目が細くなる所は昔と同じだった。変わらない、間違いなくヘレナだ。テムズはへレナのもとに駆け寄った。
「いつ帰ってきたの?」
「今」
そう言ってニッと笑ってみせる。
「一体どこに行ってたのよ。心配したのよ」
「ちょっと父さんと喧嘩しちゃってさ、それでふらふらと旅に――」
「嘘つくのは禁止よ、ヘレナ。まあ、詳しいことはゆっくり聞かせてもらうわ。お茶でも入れるわね」
テムズはそう言うとヘレナをカウンター席に座らせ、お茶の用意を始めた。
「本当は、さ」
「え?」
「本当は、確かめに行ったんだ」
「確かめる? 何を?」
テムズはカップをヘレナの前に置いた。自分も椅子を持ってきて正面に座る。
「あたしの本当の親のこと。この町を出る前の日にさ、掃除をしてたんだ」
ヘレナは紅茶をゆっくりとした動作で口に含んだ。視線は紅茶に移る自分の顔に向けられている。
「そしたらさ、手紙を見つけたんだ」
「手紙?」
「そ。手紙。書かれていたのはたったの一行だけ。『私たちの最後の願いです。ヘレナという名前を付けてやってください』ってね」
ヘレナの言葉は淡々としていた。ヘレナらしさがなかった。いなくなったあの日のように。
「それでさ、父さんに聞いたの。あの手紙の意味。そうしたらあっさり教えてくれたわ」
テムズはヘレナを見ながら紅茶を飲んだ。目を離すといなくなってしまいそうな儚さが、このときのヘレナにはあった。
「あたしは生活費のために売られたんだってさ。子供のできなかった父さんたちが買ったって」
ヘレナは顔をあげた。だが、その瞳は閉じられ、そのまま天井を向く。
「詳しいことを聞いて、あたしはその生みの親に会いに行ったんだ。捨てられた子供の気持ちだった。あの時は」
ヘレナがテムズを見た。
「生みの親に会いに行く前にテムズの所に来たのはさ、羨ましかったんだ。テムズが」
「羨ましい?」
「そう。羨ましかった。本当の親から貰ったものがあったからね。もしかしたら失ってかもしれないけれど失わなかった。それが羨ましかった」
羨ましいといいながらも、その瞳に宿る光は歪んではいなかった。
「それからさ、会いに行ったんだ。小さな村だった。人買いが良くありそうな村ね。もっとも買われるような年の娘はいなかったけど」
ヘレナはテムズから視線をずらし、また目を閉じた。その村の情景を思い出しているのだろう。
「それで、村の人に聞いたの。そうしたらその人は連れて行ってくれたわ。墓地にね」
「墓地…」
「笑い話ね。娘を売って結局死ぬなんて」
「それは、けど――」
テムズが何か言おうとするとヘレナはそれを止めた。
「それから、あたしを案内してくれた村の人は生みの親の住んでいた家に案内してくれたわ。それからペンダントを渡してくれたの」
ヘレナは服の中に隠れていたペンダントを取り出して、テムズに見せた。赤い石のついた、決して安くはなさそうなペンダントだ。
「もしもあたしが二十年以内に来たら渡してくれって預かっていたそうよ。これ、いくらすると思う?」
テムズは受け取って調べてみたが、さっぱりわからなかった。頭を横に振って見せて、ペンダントを返す。
「答は、あたしと同じ値段。――生活費のためにあたしを売ったわけじゃなかったの。死なせないために売ったのよ」
ヘレナはペンダントを自分の目の前に持ってきて続ける。
「それを知って、あたしはあたしが嫌いになった。信じられなかった自分が。それからどこに行くともなく旅をして…帰ってきたの。ここに」
話はそれで終わりらしく。ヘレナはペンダントを首にかけ、テムズを見た。
「自分嫌いは治ったの?」
「旅をしてたらね。親と子供の考えがすれ違うなんて当たり前のことだってわかったわ。だから、帰って来た」
「そっか…おかえり、ヘレナ」
テムズは改めて笑顔で迎えた。
「ただいま」
それに返ってきたのも笑顔だった。テムズは親友が帰ってきたことを実感した。
その日のフロンティアパブは、貸切になった。アリサを呼び、ヘレナの育ての親を呼び、パーティーになったのだ。
そして、次の日。
「テムズ! ヘレナは!」
アリサがテムズの前に立つなり言った。昨日は泊まって行ったのだが、寝起きそのままらしく髪があちこちにはねている。
「おはよう。アリサ」
「あ、おはよう。じゃなくて!」
「ヘレナ? 部屋にいるんじゃないの?」
テムズが言うとアリサは黙ってテムズをヘレナの泊まっている部屋の前まで連れて行った。
「返事がないの」
「は?」
「何度ノックしても返事がないの! ヘレナぁ!」
アリサが自分の言葉を証明するように何度も扉を叩き、叫ぶ。だが、返事はない。
「テムズ、鍵!」
状況をのみこめないテムズにアリサが手を突き出した。勢いにつられ、思わず合鍵を差し出す。
アリサが鍵を入れ、回し、扉を開けようとするが、開かない。鍵がかかっていなかったらしい。
「どこかであったような…」
呟くテムズには構わずアリサはもう一度鍵を回して扉をあけた。体当たりするように飛び込む。
「ヘレナぁ、どこ!」
テムズは、アリサの横を通って寝台の上にのっていた鍵を手に取った。ほとんどがあの時と同じだった。ヘレナがいなくなったあの時と。
「テムズぅ」
すでに泣き出しながらアリサが振り向いた。だが、テムズは手紙を読んでいた。鍵と一緒に置かれていた手紙だ。
『旅が楽しいのでまた行ってきます。父さんと母さんにはよろしく言っておいてね。 ヘレナ』
テムズはアリサに手紙を渡すと笑い出した。不安になった自分が滑稽に思えた。
フロンティアパブの平和な一日の最初の出来事だった。
「あっ! 宿代踏み倒された!」
……たぶん、平和な一日のはずである。
END