The another adventure of FRONTIERPUB 11
「その手はどうしたんだ?」
サリーの両手の指が包帯だらけになっているのを見て、ウェッソンが尋ねた。
サリーはあわてて両手を後ろに隠した。
「なんでもないの。ちょっと怪我して……明日には治るわ」
「おとといにもおなじ会話をしたような気がするが」
「そ……そうだった?」
なにか隠し事をしているのは明白だったが、ウェッソンはそれ以上詮索するのをやめた。年頃の女の子は、何かと秘密を持ちたがるものだ。
サリーはそそくさと逃げていった。その姿を見送りながら、テムズはくすっと小さく笑った。彼女はサリーの秘密を知っているのだった。
サリーもずいぶん元気になったようで良かった、と彼女は思った。退院してからもしばらくの間、サリーは夜中に悪夢にうなされることがしばしばだった――ウェッソンはテムズに、サリーと一緒に寝てやってくれと頼まなくてはならなかった。しかししだいにサリーの気持ちも落ち着き、明るさを取り戻してきた。
一方ウェッソンのほうは、入院費を工面するために、夜間のアルバイトを始めた――どこで何をしているのか詳しくは知らなかったが、夜のほうが割がいいというので、テムズも渋々ながら、店の手伝いを免除してやったのだ。確実に支払ってはいるようである――ただ、かなりハードな仕事らしく、休みの日は朝から晩までひたすら眠っているので、やっぱりテムズは彼に手伝いをさせることはできなかった。支払いが全部終わったら、たっぷりこき使ってやろうと彼女は考えていた。
ところでサリーはあれを間に合わせることができるのだろうか?テムズはだんだん心配になってきた。
日曜日の午後、サリーは昼食後の片づけをしているテムズのところに来て、こう言った。
「テムズさん、あのぉ、お庭のバラをすこしもらえませんか?」
「バラね。いいわよ。」
テムズは手袋と園芸用のハサミを持って庭に出た。色とりどりの花が咲いている初夏の庭は、午後の光が満ちあふれている。
テムズは咲きかけた赤いバラのつぼみを3、4本切り、サリーが持っている花瓶にさしてやった。
「ありがとうございます」
サリーは嬉しそうに礼を言った。
「どういたしまして」
それからテムズは、白いバラのつぼみを数本切り取り、こちらは手に持って家に入っていった。
お茶の用意をしていると、ウェッソンが居間にやって来た。起きているのか眠っているのかわからないような感じだが、それでもテムズに挨拶すると、ソファに掛けて新聞を読み始めた。
サリーはどうしただろう? 花を持っていったきりだ。テムズはとりあえずウェッソンに紅茶を淹れてやった。しばらく待っても、まだサリーは来ない。なにげなくウェッソンのほうを見たテムズは、叫び声を上げそうになった。急いで彼のそばに飛んでいき、傾いたティーカップをしっかり押さえる。
「ウェッソン! お願いだから、カップを持ったまま眠るのはやめて!」
ウェッソンはテムズの声に目を開き、
「ああ――すまん」
と言ってカップをソーサーに置いた。そして腕組みをして、すぐまた眠ってしまった。
テムズは念のため、彼の手の届かないところまでティーカップを押しやった。
そのとき、サリーがばたばたと駆けてきた。
「たいへんですぅ! おじいちゃんの家に行く約束を、うっかり忘れていましたあ!」
「え? 出かけるの?」
「はい。ええと、ウェッソン、これ――」
サリーは手に持ったさっきの花瓶と、小さな箱を差し出そうとしたが、その手を止めた。
「……寝てるんですか」
「そうみたいね。たたき起こそうか」
「だっ、だめですぅ!疲れて寝てるのに、気の毒ですっ!ええと、ええと……」
サリーはテーブルの上に花瓶と箱を置いた。
「起きたら、話しておいてください。私、もう出かけます。夕方には帰りますぅ」
そして彼女はまたばたばたと駆けていった。
「え……直接渡さなくていいの?」
と言うテムズの声は、もう届かなかった。
ウェッソンが夢から現実世界に戻ると、目の前に花瓶と箱があった。
青いガラスの花瓶に、赤いバラ。そして黄色いリボンのかかった小さな箱。
「……なんだ? これ」
「サリーから、あなたによ」
テムズがすかさず答える。
「サリーから? あいつはどこにいるんだ」
「あんたが眠りこけている間に出かけちゃったわよ。いつものおじいちゃんのところ」
「……そうか」
ウェッソンはリボンを取って、箱を開けてみた。中に入っていたのは紳士物のハンカチが2枚。ウェッソンのイニシャルが、古風な書体の飾り文字で刺繍されていた。なかなかに不器用な出来映えで、あちこち失敗した針の穴が残っている。
「指の包帯は、これのためか――しかしなんでまた? 俺の誕生日は今日じゃないんだが」
「やっぱりね。そう来ると思った。カレンダーを見て」」
テムズが指さした壁のカレンダーを見たウェッソンは、そこで初めて気がついた。
「――そうか――そういうことか……まいったな……」
彼は再びハンカチに目を落とす。
「俺は……あいつのおやじさんの代わりになるようなことは、なにひとつ満足にしてやれていないのに……こんな――」
言葉は途中でとぎれた。
「ちょっとウェッソン!」
テムズが説教口調で言う。
「サリーの前ではもっと素直に喜びを表現しなさいよね。すごく一生懸命だったんだから。見かねて私が手伝おうかって言ったら、断られちゃったのよ」
「……わかってるさ――」
ウェッソンはまだ下を向いて、手に持ったハンカチを見つめていた。テムズはため息をついた。
「――あんたたちが少しうらやましいわ」
その言葉にウェッソンが顔を上げたとき、すでにテムズの姿はなかった。
開店前の店のカウンターに、花瓶が置かれた。白い薔薇が生けてある。
それを眺めながら、テムズはつぶやいた。
「とうさん、ありがとう……。私、がんばってこの店を守っていくわ。それが私にできる、ただひとつの親孝行だものね――」
彼女の瞳は、ほんの少し涙で潤んでいた。
おしまい