And others 7

Contributor/聖風時恵さん
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屋根裏の小さな出会い


 ある晴れた日、はにわはやはりフロンティア・パブの人間達を観察していた。
 何だかんだ理由をつけては、同じグラスを三十分近く磨いているウェッソンに、テムズの鉄拳が飛ぶ。
 そして、サリーはそれを横目で見ながら、自分の日記に書き写していた。(しかも絵入りで)
 ――ああ、いつもの情景だ。
 それを見て、はにわは何故か安堵感を覚えていた。
 自分がこの店に来てもうだいぶ経つが、このパブの名物は酒や料理ではなく、このどつき漫才もどきであるのではないかと思うほど、何度もその光景を目にしていた。
 が、今日はいつもと違うことが起こった。
 いつもははにわにちょっかいを出さないうさぎが、何を思ったか、彼の傍に寄り――
がりっ
 噛みついた。
「ああっ!!」
 驚いて、はにわは思わず声を上げる。
「ん?」
 はにわの声に、テムズは辺りを見回した。
「…ねえウェッソン。今誰かの声が聞こえなかった?」
「ああ、確かに聞こえたが…」
「お客さん…なんていないわよね」
「ミステリーですぅ! 誰も居ないパブに人の声…しかも叫び声が!」
 何やら騒ぎになってしまった。
 このままではまずい。私のことがバレるかもしれない。もしバレてしまったら、極秘のあのことを話さなければならなくなるかもしれない。何より、いつぞやの葡萄酒の代金を請求されるかもしれない!
 彼は焦った。未だ無一文だったのだから。
 とりあえず、テムズ達に気づかれぬようにその場を抜けだし、奥へと入って行った。
 すると、ある部屋で屋根裏に登るためのはしごらしき物を見つけた。
 迷わずに、はにわは登ることにした。誰が何のためにこんな物を置いておいたのかが気になったが、このさい関係ない。屋根裏なら、少なくともほとぼりが冷めるまでは見つからずにすむだろう。
 身体に絡みついてくる蜘蛛の巣が気になるが、それもこのさい関係ない。
 一人きりになり、はにわは安心した。
 …だがしかし、現実とはそう甘くない。
がりっ
 先程と同じような音が、はっきりと聞こえた。
「ああっ!!」
 そして、先程と同じ声を上げる。
「あっれー? 柱じゃなかったんだ? ごめんごめん」
 先程と違ったのは、相手が謝罪をしてきたことだった。その声は、まだ幼げな少女のもののようである。
「でもさ、あんたこんなとこで何してんの?」
 はにわの返事を待たぬまま、彼女(?)ははにわの前に回ってきた。
 彼女は、小さなねずみだった。
「失礼、ここはあなたの家だったのですか?」
「ん、別にいーよ。気にしてないもん。でさ、あたしの質問に答えてほしいんだけど」
 初対面の者に対してもこの口調。元気がいいのだか礼儀知らずなのだかよくわからない。
「少々訳ありで。しばらくかくまってもらえませんか?」
「…あんた、何やったのさ。んな虫も殺さないよーな顔して」
 はにわの『少々訳あり』と言う言葉に、彼女は警戒するような目を向けた。
「いや、大したことでは…」
「ふぅ〜ん…まあいっか。知らなかったとは言え、さっきかじっちゃったしね。そのお詫びっつーことで」
 そう言って、ねずみは一人(一匹?)ケラケラと笑った。
「あたしはタイムっての。よろしくっ!」
「私ははにわ。よろしく」
 すると、屋根裏の奥から別の声が聞こえてきた。
「タイム〜! タイム〜! どこにいるざますか〜?」
「あっ、ママだ」
 タイムは後ろを振り向き、走っていった。
「あんたも来なよ。ママに紹介したいから」
「そうですか?では…」
 そして、二人は奥へと入っていった。
 そこには、タイムの母親らしきねずみがいた。…何故かフリル付きエプロンをしている。
「タイム! どこへ行ってたんざぁます?」
「んー、ちょっとね」
「あまり遠くへ行ってはダメざますよ。…で、そちらの方は?」
「ああ、はにわって言うんだって。今友達になったんだ。ねっ、はにわ!」
「は、はぁ…初めまして、はにわです。よろしく…」
 彼が挨拶をすると、母親ねずみも礼儀正しくお辞儀をした。
「初めまして、娘がお世話になったようで…私はマザーと申します」
「そのまんまの名前っしょー」
「人が話をしている時に、口を挟むんじゃありません! 何度言えばわかるんざます? 全く、そんなでは素敵なレディーになれないざますよ?」
「別にいいやい。上品なだけが女の魅力じゃないよねっ、はにわ!」
「はにわさん、あなたからもいってやってくださいな! 女ならもう少し上品にと!」
「は、はぁ…」
 彼女達のノリについていけないのか、はにわは生返事をする。
「『はぁ』じゃなくてさぁ! ママにビシッと言ってやってよ!!」
「この娘に、大人の常識と言うものを教えてやってください!!」
「え〜と…ま、まあ…人それぞれですから…」
「ほぉら、あたしの言った通りじゃん! あんた話わかるねー。嬉しいよー♪」
 嬉しそうに笑うタイムとは対照的に、マザーは不機嫌そうな顔をしていた。
「もう! 我が家は代々フロンティア・パブの屋根裏で暮らす由緒正しいねずみなんざますよ?タイム、あなたもそれを自覚して、立派なレディーになるよう努めなければダメざぁますよ!いいですか、女と言うものは…」
 マザーが何やら語り出すと、タイムは小声ではにわに言った。
「始まったよ…ママの話は長いんだ。この感じだと三時間くらい続くよ。テキトーに聞き流しときな」
「…はい…」
 やはり、彼女達のノリにはついていけない。
 逃げる場所の選択を誤ったかもしれないと、はにわは心の中で後悔した。


「…と、言うわけでして…」
「ママァ、もーいいよ。わかったよ。がんばりますー」
「ああ、やっとその気になってくれたんざぁますね!!」
「…こうでも言わないと、終わんないんだよねー」
 またしてもはにわにだけ聞こえる声で、タイムが言った。
「でも、あなたのことを考えてくれている良い母親ではありませんか」
「やめてよー。あたし、上品なレディーとか由緒正しい家柄とかには興味無いし」
 口を尖らせるタイムを見て、はにわは初めて親近感を覚えた。理由はわからなかったが。
「ね、はにわ。あんたはパブで何してたの? 偶然寄っただけ? それとも何か理由あんの?」
「え?」
 純粋な好奇心に満ちた瞳。
 ふと言ってしまいそうになったが、はにわは慌てて無い首を振ろうとする。
「…何踊ってんの」
「いや、その…教えられないんです」
「そっか…ま、そんならしょーがないね」
 そう言ってから、彼女は苦笑した。
「あのさ…実は…」
 マザーが聞いていないのを確かめながら、タイムははにわに言う。
「何ですか?」
「期待してたんだ、ほんのちょっぴり。もし、あんたが訳を教えてくれて、何かやるって言うんだったら…あたしも一緒にやりたかったな。最近退屈だったし」
「…それは、無理だと…」
「うん、わかってるよぉ。言ってみただけだってば。冗談通じないんだからー」
 タイムは笑いながら、はにわの身体を軽く叩いた。
 すると、その時。
「…あ?」
 どこからか、美しい笛の音が聞こえてきた。
「笛?」
 はにわが呟くと、突然タイムが走り出した。
「あっ、どこへ?」
 だが、タイムは振り返らない。隣ではマザーも走っている。
「おーい!」
 彼女達を追いかけ、はにわもテクニックを駆使して走った。
 どうやら、外に向かっているようだ。何かに憑かれたように走り続けている。
 小さなねずみの穴を無理矢理通って外に出ると、笛の音がまた聞こえてきた。
 どうやら、彼女達は笛の音の方へ走っているようである。
 しばらく走り続けていると、前方に『あの』テムズ川が見えた。
「おーい! 戻ってくるんだ! そのままでは川に…」
 叫んでみたが、声は届いていないようだ。
 もう何を言っても無駄だ。自分の身体で彼女達を止めるしかない。
 そう悟り、はにわは走った。どうやって走ったのかすら覚えていないほど、必死に。
 彼女達の背中が近づく。
 もう少し、もう少し――
 尻尾に手が届くかと思った瞬間、二匹のねずみは川へと落ちた。
 それを待っていたかのように、唐突に笛の音が止む。
 はにわはそれを恨めしく思った。もう少し早く止んでいれば――
「わーっ!! 何これーっ!! 川じゃんっ!!」
 タイムの声で、はにわは現実に引き戻された。
「あ、あたしら泳げないんだけど〜っ!!」
 それを聞き、はにわは思わず川へと飛び込んだ。
 ――沈んだ。
 それから先は、覚えていない。


 テムズ川に、釣り糸をたらす男が一人。
 背中には、何やら哀愁が漂っていた。
 彼は先程パブに居たウェッソン。
 ウェッソンはグラス磨きを終えた後、他の用事を言いつけられないうちにパブをこっそり抜け出し、例のおじいさんとまたチェスをやっていたのだ。
 負けても負けても、彼は戦い続けた。
 そして――
 また負けた。
 落ち込みながら外へ出ると、もはや町は茜色に染まっていた。
 帰ったら、もれなくテムズの鉄拳をサービスされるであろう。
 ウェッソンは帰るに帰れず、落ちていた釣り竿――釣り針は無い――をテムズ川にたらし、一人たそがれていたのである。
 すると、不思議なことが起こった。
 本来なら絶対に魚など釣れないはずの釣り糸が、引っ張られたのである。
「な、何っ!?」
 思わず大げさな声を上げ、ウェッソンは慌てて釣り竿を引っ張った。
 ――これは、神様のプレゼントに違いない! 魚でも釣って持って帰れば、テムズの機嫌も直るかもしれない。
 期待に胸を躍らせながら、ウェッソンは釣り竿を引いた。
 …黄土色の、何やら丸い物が見えた。
 あんな形の魚はいたか? 不思議に思いながら、ウェッソンは再び引いた。
 ふたつのつぶらな瞳が見えた。
 ウェッソンは一瞬硬直しかけたが、気を取り直してまた引いた。
 一匹のねずみが、はにわの腕にぶら下がっているのが見えた。
 もう半ばやけになり、ウェッソンは一気に竿を引いた。
 フリル付きエプロンをした、大きなねずみが見えた。
 ――ウェッソンは、その場に凍り付いた。


「…はっ?」
 はにわは目を覚まし、どうやら自分は助かったらしいということがわかった。
「あっははー…釣られたねずみなんて、他にいないよねー…いい自慢のタネになるよー…」
 横でふざけた声を出しているのは、タイム。
「んまああああ!! エプロンがびしょ濡れざぁます〜!!」
 やたらと甲高い悲鳴を上げるのは、言わずと知れたマザーである。
「…ところでさ、この人何なわけ? どぉしてこんなとこで釣りしてんの? どぉして固まってんの?」
 硬直しているウェッソンを見ながら、タイムが言った。
 彼が硬直したのが自分達のせいであるとは、夢にも思うまい。
「とりあえず、帰りましょう。早くしないと風邪をひきますよ」
「そうざます! ささ、タイム。帰るざますよ」
「う、うん…行こ、はにわ」
「はい」


 パブの屋根裏に帰り、三人はしばし今回の事件の話で盛り上がった。
「あの笛は何だったんでしょうね…」
「でもまあ、みんな無事でよかったざます!」
「そだね〜」
 それから少しして、はにわは歩き出した。
「では、私はもう帰ることにします」
「あれ、もう帰っちゃうの?」
「やることもあるので…」
「そっか…」
 タイムは少し寂しそうな顔をしていたが、顔を上げてにこっと笑った。
「今日は楽しかったよ。どうもね!」
「いえ、こちらこそ」
「それからさ…」
 タイムは照れくさそうに笑い、小さな声で言った。
「あんた、土でできてるんでしょ? 水に沈んじゃうのに、あたしら助けようとして…すっごく、かっこよかったよ。どうもありがとう!…また、遊びに来てね?」
 そして、タイムははにわの前に小さな手を出した。
 その小さな手を、はにわは優しく握ろうとした。
 ――が、指が無かった。
「…あははははは!! ごめんごめ〜ん」
 爆笑した後、タイムからはにわの手を握った。
「で、では、これで…」
 少し恥ずかしいのか、はにわは早足(足は無いが)で屋根裏から下りようとした。
「またねっ、はにわ!」
 タイムの声を背中に聞き、はにわは屋根裏から下りた。
 そして、もう騒ぎはおさまっていると思い、彼はいつもの場所へ向かう。
 そこでは、ウェッソンが必死に川で釣れた奇妙なものの話しをしていた。
 ――テムズの鉄拳が、彼の顔面に入った。
 いつもの情景だ、と思いながら、はにわはその横をすり抜けていった。
 ウェッソンの不幸を他人事のように思っているが、半分は彼の功績である。
 だが、彼はそのことを知る由もない。

おしまい

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