And others 25(Part 3)

Contributor/しゃんぐさん
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P a r t : 3



 外は一面、鈍色の雨が糸を垂らしたかのように降り続けている。
 驟雨の轟音が耳朶を打つ。煤を含んだ水の臭いが鼻につく。
 ずぶ濡れの外套が、尋常ではない重さを、肩に載せている。
 防弾、防刃、隠し武器――様々な趣向が凝らされた外套であるが、雨粒をはじく機能はない。
 肝心の所で役に立てないのは、持ち主と同じだった。
 肋骨がずきんと痛む。
 雨の冷気が痛みを和らげてくれはしないのだろうか。
 うつろな目で、ただ前を見る。
 二三回バウンドした。
 気づけば――転がっていた、途中がない。
どうやって……
 どこを何で打たれたのかすら分からない。
 いや、もしかしたら撃たれたのか?
 浮遊感で、意識が数秒飛んだ。
 はじめに意識を戻した聴覚から、声が聞こえる。
「甘く見ていました」
 低く平坦な、ぞっとするような囁きだった。
(【コキュートス】?……じゃないな)
 聞いたことはある声。怪盗姉妹の妹。だが、まるで別人のようだ。
「甘えすぎて、いいえ、気を抜きすぎていたのかもしれません……あなたなら、
あなたなら何とかしていただけると思っていましたのに……」
 まるで、恨みがましい台詞がボソ、ボソと連なる。
「へっ」 ふらつきながら立ち上がる。
 顔にへばりつく泥の感触と、口の中に拡がる砂利の味に顔をしかめて、
「なんとかなったじゃないか。お陰でアンタの姉さんは、もう一生、怪盗なんて馬鹿げたこと出来ないだろ?」
 再度、吹き飛んだ。
 また何も察知できなかった。
 いや、一瞬だけ銀色の線のような残像が見えたか。
「黙って」
 追いかけるように声があとからついてくる。
 声は、冷え切った殺意そのものだった。
 聞く者を静寂に導くモノトーンの声。
「もう喋らないで」
 口に溜まった泥を吐く、鈍色の水たまりが黒い血の色に滲んでいく。
 血反吐だった。折れた肋骨が内蔵に食い込んだらしい。
 ちゃぷ、ちゃぷと。足音が近づいてくる。
「なにが……気にいらねえんだ」
 それでも、立ち上がってアクワイは笑った。苦笑気味に笑い抜いた。
「あんたの思ったとおりの世界じゃねえか。
もうこれで、あんたの姉はアンタの助け無しには生きていけない。
アンタが護らないと、もう生きることすら出来ない」
「黙って、私はそんなこと望んでいなかった!」
 悲痛な叫びが雨すらを吹き払う。
「だろうな……だが、結局護るってのはそういうことなのさ。
護るってのは、護られる人間が弱くなければならない。強いのなら、護ってやる意味なんてない。
 気づけよな。知らず、あんたは姉を弱い人間だと思いこんでいた。傲慢だそんなもん」
 大きく吹き飛んだ。
――三度目にしてようやく、見えた。
 これは、ただの体当たりだ。
 姉と同じ。人ならざる速度と、人ならざる踏み込みで爆発的な力で弾丸のように飛びかかる、
ただの体当たり。妹の方が威力が高いと言うだけの、それだけのこと。
 分かった頃には、銀色の光に貫かれ、屋根よりも高く舞い上がっていた。

 ここで、記憶が飛ぶ。

 目を覚ませば、また、ちゃぷ、ちゃぷ、と足音がしていた。
 体中が痺れている。
立ち上がれたのは、こう言うときの立ち上がり方、バランスの取り方を知っていただけだ。
 ようやく、アクワイは彼女を見ることが出来た。
 雨の中で銀髪を闇に輝かせる少女。無表情。だが、感情はある。
 ガラスのように透明な瞳。だが、まがい物ではない。
 どうせ何も出来ないので、せめて喋る。
「最後だ。心の優しい少女は、最後のパンを手に取りました……」


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「なにを……」
「少女は…なぜパンを買ったのでしょう。愚か者はこう思いました。
 少女は自分が…護られる立場であることを…理解していた。
だから、自分の意志に…関係なく、護ってくれる人――姉の選択に従ったのだと」
 意味が分からないのだろう。それはそうだ、話すら知らないのだから。
 彼女は何も尋ねない。何もしない。
 戦う気が失せたのだろうか。いや、どうすれば自分が最も苦痛にあえぐのかと、観察しているのだろうか。
 どちらにしても、なにをされようと逃げられはしない。
見えない攻撃では予測もできない。
 話を変える。昔話は終わった。
「で、こんなところで何してんだ?」
 と言うか、話を戻す。
「こんなところでねちねちネチネチ濡れ鼠をいたぶり倒して、それで満足なのかよ。
それとも、最後は殺すのか。俺は別にどっちでも」
「殺しは……もう、しません。でも、せめてお姉ちゃんと同じ目に遭わせないと、私の気が済まない」
 丁寧語と、タメ口がごた混ぜになっている。
 気持ちが整理し切れていないのか、無理に気丈に振る舞っているだけなのか。
「復讐ねぇ、つくづくやっこいな」
 ため息。本当に、めんどくさい。
「んなコトしてる暇があったら、少しでも姉の側にいてやればいいじゃねえか。
たぶん、そろそろすげえ自棄になってる頃だぞ。人生を悲観してたり、ひょっとして今頃……」
「そんなことはない!」 絶叫。
「お姉ちゃんは私なんかよりもずっと強い! こんな、こんなことで自殺なんて絶対しない!!」
「なら尚更だろうが。当人が悲観すらしてないことを持ち上げて敵討ちだ?
――ふざけんなよ。
そんなもん、ただテメエが気ぃ晴らしたいだけだろうが。
 自分のやること見失って、誰が護れるって言うんだよ」
「うるさい、勝手なことを言わないで! なんでアナタにそんなこと、」
 怪盗(妹) は絶叫を上げるけど、こちらには何の危害を加えようとしない。
「言い過ぎた、柄じゃないな……もういいよ、好きにしろ。」
 本当に柄じゃねえなと嘆息する。
 もういい、めんどくさい、帰りたい。
 でも、何故かそうできない。
 話疲れて、肩の力を抜く。
 打ってくださいと言わんばかりの隙だらけだった。
 だけど、彼女は重い首を振って、
「もう……何もしません。あなたの言うとおり私は今すぐにでもお姉ちゃんの傍で手を取り励ましているべきです。
のに。なのに、自分の感情にまかせて、こんな意味もないことを……」
「……急に冷めたな」
「そうですね」
 彼女は、無言で、曇り空を見上げた。その言葉に、先ほどまで纏っていた殺気は微塵もない。
 いつの間にか、彼女の殺意は失せていた。雨にでも流されたのだろうか。
――雨に打たれると、何もかもが、ばかばかしくなるね。
 遠くから、声がする。いつか聞いた、幻聴だった。
 髪を濡らす雨粒を避けもせず、態々に降られていると、そんな愚かをしている自分が、なんだかとても空しくなる。
 誰の上にでも等しく降る雨は、なんもかもを虚仮にしてただ落ちる。
 だから、重苦しい責を負った者ほど、その滑稽に、落差に、笑いたくなる。はははと息が零れる。
 良い具合に熱の抜けた怪盗(妹)。オデコの雨粒と銀髪を指で拭い、ぼやく。
「あんたら姉妹さ、言っちゃ悪いがかなりちぐはぐだぞ」
「わかってますですよ」
 力なく苦笑された。
 姉は自分の力に捕らわれて空回り、妹はそんな姉を妄信的に信じるだけ。
(信じるだけってのは気楽だよな……)
 他人のを見て、初めてよく分かる。
「ほんとは、怪盗なんてやりたくないんだろ?」
「それは、そうですよ。今日みたいなコトも、今日よりもさらに酷いこともあるかも知れませんし……」
 ほんとは、ほっとしてるんだろ。とは、聞かないでおいた。
 安らいだ神経を逆撫でしても意味がない。
 代わりに別の質問をする。
「別に、メイドとか警備員とかに何の抵抗もないんだろ? 逆に知識と才能がゼロから初めても良いと思っている。
自分の力の不幸とか、それを使うことの罪悪感とか、姉妹二人で生きることに比べりゃどうでもいい。
 そう思ってるんだろ?」
 彼女はしばらく黙っていたが、やがて不承不承といった感じで頷いた。
「ならそう言うんだな。姉妹だからって、変に分かった風になるな。
矜持も実力も関係あるか、あんた等なら何だって出来るさ。
 だから――そうだな、ついでに自分の本性とかも見せちまえ」
「本性って……私は化け物か何かですか」
「……護ってあげたいならな、自分が強いことを証明しないとダメなんだよ。
相手が強いって言うんなら、対等か、それより強いことを、な」
「相棒として、ですか?」
 やはり解っていたか。
 だから攻撃を諦めたのだろうか。
「あなたはその方を信頼していますか?」
 またこの質問だ。
 なんだろう、流行っているのだろうか。
 アクワイは、苦笑して、少し当てつけがましくこう言った。
「信じられたらもっと頼れて、楽なんだろうけどな。迂闊に信じさせてくれないんだよ」
 適度に疑わせて頼らせないのが、あの方のやり口なのだろうか。
 たまに思う。あの人は、ほいほい誰かを救おうとするけど、本当は誰よりも頼られるのが苦手なのだ。
器用すぎて人を頼ることを知らないから。
 苦手だけど断りも見過ごすことも出来なくて、苦手なのに何かと小細工をして取り繕う。
だからたいていが回りくどい。
 まったく、不器用きわまりない。
「……あなたが、私にお節介してくださる理由が、なんとなく解りました」
 彼女は、最後の謎が解けたとでも言わんばかりに頷き、一礼をしてきびすを返した。
「今は感謝しています。でも、いずれまた恨みに思う日が来ると思います。
ですから、もう二度と会うことはないです」
「無理しないでいいって。無理なんてしたら、何一つ上手く行かないらしいぞ」
 言われなくても、もう二度と会いたくない姉妹である。
 追い払うつもりで手を振る。
「早く行ってやれ。今頃ビックリしたように腫れて熱を持ってるはずだしな。
あの毒、蛇やらムカデやらの即効性の神経毒をベースに遅効性の毒をいろいろ混ぜてるから、効果がややっこしいんだよ。
もともと、敵を確実に相手を弱らせて拉致するために作られた毒だし」
 あんな物を作ってるから、我が一族は時代に取り残されるのだ。
独りごちていると、怪盗(妹) が訝しげに振り返る。
「特に熱は酷い。丸一日は、うなされるだろうな。
いっそ殺してくれってぐらいで、正直人生なんて悲観してるどころの話じゃないぞ。
 ああ、そうだ。人間って奴はうなされてるときが一番心細いから、無茶な説得も聞いてくれるかもな。
この辺は弱らせて自白を促すって言う観点で作られているわけだけど……まったく至れり尽くせりな毒だよ」
 喰らわなけりゃな。と、ぼやく。
「いや、そんなこと言われましてもなんと答えればよいのかですよ。
だ、だいたい、それで励ましているつもりなのですか?」
 突然の能書きの羅列にきょときょとして尋ねる怪盗(妹)。
 アクワイは、そんなことには構わず、
「けどまあ、普通の神経毒だ。きちんと消毒してこまめに冷やせば二三日で腫れは引く。
痺れも、まあ……二三週間もあれば取れるんじゃないか?」
 最後に一言、
「俺の時はそれぐらいだった」


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 気づけば、雨は降り止んでいた。
 また気絶していたらしい。

 ぱっかぱっかばっしゃばっしゃ。

「しかし何だね、君は毎度毎度で回りくどいね。
君の前世は腸か。あるいはシェイクスピアかね?」
「よしてください。シェイクスピアが甲冑姿で化けて出ますよ」
 乗り物はとにかく揺れた。
 腹で跨って、鞍にしかと掴まって、ぱっかぱっかと揺れながら動く。
 正直気持ち悪い。
 何度かずり落ちそうになるが、そのたびに同乗者がベルトを引っ張ってぞんざいに位置を戻す。
いっそ落ちた方が楽かもしれない。
「てか、馬?」
「昔はよく乗ったものだがな。私の愛馬フリージン・ダイアモンドは元気にしているだろうか」
「フリージンは牛でしたが。それにアレは、みんなでバーベキューにして喰ったじゃないですか」
「ああ、そうだったかな?」
 まあ、いいか。気に病んでも仕方がない。馬もまあ、白馬でないのが唯一の幸いだ。
「ときに君、ずいぶんと埃っぽい話を持ち出したものだな」
「あ〜。あれですか」
「僕ですら忘れかけていたぞ。あれは確か、心優しき妹がパンをわざと忘れて宿に帰り、それに気づいた姉に謝るのだ。
その優しさに心をうたれた姉は愚か者には内緒だぞと、パンを半分妹に渡すのだよ……うむ、美談だ」
「え、パンあげてたんですか。姉」
 馬の足が止まる。手綱の持ち主が手を止めて振り向いた。
「ん、どういう意味だい?」
「いや、どうせそんなことだろうなって思って、愚か者もパンを半分――姉には内緒ですよって」
 沈黙。再び、馬が足を動かす。
 どこに向かっているのだろう。馬の歩みはただただ朝日の方を目指している。
「結局丸々一個食べていたわけだね。やるねえ妹」
「さすがに言い出しにくかったんでしょうねえ……サリサタ様」 

 馬は朝日を向いて歩を進める。
 足取りがずいぶんどたついている。
 どうも馬車馬らしく、鞍をつけて乗ることに慣れていないようだ。
 朝日?
「そう言えば、自分、何時間眠ってたんでしょう」
「今、この時間までだよ。心配するな、怪我の手当はしておいた。
致命傷にはほど遠い、特性の回復薬を擦るまでもないだろう」
 言われて初めて、包帯が巻いてあることに気づいた。
 包帯の巻き方からして、彼が巻いた物とは思えないが……
「……ありがとうございました。さっきも、いえ結構前ですけど」
「なんだい?」
「助けてくれましたよね、吹き飛ばされたとき。自分の代わりに」
 着地の衝撃を受け持ってくれていた。
 でなければ、最初の一撃で気絶していただろう。
「黙っているのだから、密かに感謝してればいいのだよ」
 そうは言うものの、口調は気分良さ気だった。
「PTA。断りましたよ」
「そうか」
 ぱっから、ぱっから。
「なにか言ってくださいよ、ご主人様ぁ」
「君にご主人様なんて言われてもそそらないんだけどなあ……
別に文句はないよ。僕の想像通りの結果だ。君ならそうしてくれると信じていたさ、ハニー」
 嘘ばっかり。
「嘘ではない。直前までは受けるつもりだったことまで想定済みさ」
「それこそ、嘘ですよ」
 そっぽを向くアクワイ。
 馬の尻を横にして見る、霧の街。
 湿度の低いこの街に、雨の名残は既に無い。
 もう少ししたら、人も起きてくるのだろうが、今は二人と馬とが動くだけだった。
 蹄の音が、石畳にぱっからぱっからと空しく響く。
 馬の背に乗って、これほど侘びしいと感じたことは、なかったように思える。
 本当に、なんでこんなところに来ているのだろう。
「君は、どうしたい?」
「え、いや。べ、別に帰りたいなんて思っていませんよ」
「馬鹿もの。なにをいっているのだ」
 いぶかしげに、振り返った。整った眉毛が、気むずかしそうにゆがんでいる。
「PTAをどうしたいか、と聞いているのだ」
「そもそも、怪盗そのものをやめたいのですが」
 あっさり答えた。10秒待ったが返答がない。ため息。
「……どれだけ取り繕うと、盗品が売買できる組織なんて、二つぐらいしかないんですよ」
――マフィアか政府か、その二つぐらいしか。
「裏でつるんでいるのか、もともと黒幕なのか、知りませんが。
そんな組織が、まともなはずはないんですよ。どれだけ取り繕うと、それこそ矜持も実力があろうと」
 くだらない。
「どっちにしても」
 馬鹿らしい。報われない。
 所詮、犯罪者が徒党を組めば悪党なのだ。だから、
「……悪党の掛け持ちなんてできませんからね」
「言うねぇ」
 と、彼は鼻歌交じりに、手綱を振った。


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「まだ何か言いたそうだね」
 顔も見てもいない癖に、その人はそんなことを聞いてきた。
 と言うか、言って欲しいのだろう。
 それが解ってるから、いやなのだが。
「で、ご主人様は、結局なにをしていたのですか?」
「物見遊山」
「そう思いました」
 あれこれ考えるのは面倒なので、続ける。
「で、これから何をするつもりで?」
「別に。馴れ合わないのなら、同業者などただのライバルだ」
 その声は、実に堂に入った断定口調だった。
 ただのライバル、敵。
 断定口調で、それでいて楽し気で、
(ああ、ぶっ潰すつもりだなこの人)
 そんなことを考えるも、気にしないで置く。
 爵位も近いというコールロイの末期を考え、少しだけ不憫に思った。
「ああ、そう言えば。残りの怪盗」
「コキュートスにパンドラかい? ああ、パンドラは君も会っていたか。
彼女とは久々に長く語り合ったが、いや実に良い娘に育っていたな」
 そうだろうか。少し顔色が良くなかった気もするが。
「豚のイカダなんて、何に使うんでしょうね」
「さてね」
 彼は肩を竦めて、それには答えなかった。
「じゃあ、残りのコキュートスは?」
「それは私が倒した」
 あっさりと、主人はそう答えた。
「左様で……」
 コキュートス。おそらく今回の登場人物中最も強かったはずの怪盗。
 なのだが、彼(彼女?) はアクワイに顔も覚えられることもなく闇に葬られたのだった。
つくづく、自分は主人公じゃないなと実感する。
「にしても君は、肝心なことは最後まで取っておくたちかね」
 焦れた様子で、彼は聞き返す。
 それはそれで面白かったが、
「ディナ様にはご挨拶を……奥方様?」
「いや、あの姿ではちょっとね。それに彼女はずっとレコードと客の相手で一人きりではなかったし」
 ディナ様、奥方様。いや、ディナ様と奥方様。
 よく考えれば執事やメイド達は、アクワイの前でコールロイのことを旦那様とは言わなかった。
 まあ呼び方は当家のそれぞれだ。勘違いした自分が悪いのだろう。
「……で、奥方様っていったい“誰”の奥方様だったんですか?」 
「うむ、実はさすがに無名で侵入は出来なくてだね。とある怪盗の紹介で入ろうと思ったのだが、」
 くつくつと、ひたすら愉快そうな含み笑い。
 ちらりと背中を見ると、ドレスから出た白く華奢な肩と、腰まで伸びたブロンドの鬘(かつら)が細く揺れていた。
 そんなに面白いだろうか。
「いやはや、続柄を聞かれて困ったよ。まさかこの格好で主人と書くわけにもいくまい」
「だからって、逆を書けば良いってもんでもないでしょうに……」
 毒づくアクワイの頬に、金色の朝日が差し込んできた。
 眩しさに思わず目を閉じて、
「あの乞食は忘れられたパンを食べたと思いますか?」
「おそらく、別の場所で食料を得ただろうさ」
 酷く素っ気のない返事。
 もしかしたら、結末を知っているのかも知れない。
「ま、そういうもんですよね」
 そのまま眠くなったのでまた寝ることにした。
 馬の揺れも、慣れれば心地がよい。
 そんなわけはないのだが、そう思うことにした。
どこからともなく、懐かしい匂いがする。
いつか旅した草原の匂いだった。
 その匂いを嗅ぎながら、アクワイは少しだけ微笑み、まどろんでいく。












 そんなこんなで、
――夕方から夜明けの物語は閉じる。 






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