And others 21
料理に使う塩が切れかかっていた。
それを見て、調理場に立つ女性は、ひとまず家事を中断して市場に買い物にいくことを決めた。そこで塩の袋といくばくかの食材を購入し、女性は家路へと向かう。彼女が普通の人間として今日まで生きてきたのなら、そのまま帰りついていたのであろう。しかし、彼女には、忘れ難き過去があった。
一瞬にして辺りを覆い尽くすマジカルな空気。久しく忘れていたその空気に、女性の足は止まる。ふ、と女性は空を見上げた。窓ガラスを破るかのように、蒼天を壊しながら鈍色の巨大な”悪意”がゆるりと姿を現した。その周囲にはいくつもの小さな点が動き回っている。それが数々のマジカル☆ガールとそのパートナーである事を彼女は知っている。何故なら彼女も、かつてマジカル☆ガールであったから。そしてまた、彼女も一度だがこの現実世界で、巨大な”悪意”と戦ったことがあるから。
おそらく、その女性以外の街行く人々には今何が起こっているのかも分からないし、上空に見える巨大な存在も、マジカルな少女たちをも知覚する事はできていない。街のいたるとこにいるマジカル☆ガールたちが張った結界がそうさせているのだ。不可視結界、魔力倍増結界、回復結界、その他幾つかの結界が、何人ものマジカル☆ガールの手によって作られている。女性がなぜそれらを見る事ができるのか?
「――――。」
「なぁに?」
相棒の――――が語りかけてきた。もうすぐお別れの時。
「君はマジカル☆ガールとして――――――――――――――――だった。別れるのは、やはり少しつらい。」
「…うん。」
「それはそれとして、君に言わなければならない事がある。君の”力”だが…」
「もったいぶらないで早く言いなさいよ、―――――。」
言いよどむ―――――に、話を進めるように促す。
「君の力はあまりにも秀でていた。それが、後々まで何らかの影響を及ぼすかもしれない。」
「例えば?」
「そうだな…。普通の人間に見えないはずのもの、まぁ、マジカル☆ガール達の魔法の力だとか”悪意”などが見えたりだな」
「今と変わらないじゃない。」
私の言葉に――――る――――。こんな姿も、もう見られなくなる。
「最後まで短絡的だな君は。あぁいや、握り拳の意味するとこを察するくらいはできるぞだから拳を解くべきだいや解いてください。…つまりな、見ることだけができると言うことだ。今のように魔法で―――――たり、―で―――――たり、触る事すらできなくなる。」
「見えるだけで何もできないっていう事ね? なんか、つまらないわねぇ。」
「…つまらない、か。…そうかもしれないな。君と居るのは――――――――――――――――…」
「…う。」
一瞬のうちに女性はそんな過去のやりとりを思い出した。マジカル☆ガールであった自分。魔法の何らかの効果か、相棒だった何かの姿は霞んで思い出せないのだが。そう、今でも彼女はマジカルな事象や物体を見る事ができる。だが、それだけだ。だからこそ、昔のように正義感があっても、何もする事ができないという無力感。昔の言葉が重くのしかかり、しかし今は為す術はないと思い知る。女性は家路へと重い足を向けようとした。
その時、女性の視界にとある情景が飛びこんできた。レンガ作りの古いアパートメントの屋上。そこに立つ一人の小柄な少女。その子は見えない何かに今にも押し潰されそうであった。女性は何かを考えるより先に、そこへと駆けていく。
「う…っ、きゅぅぅぅぅっ!!」
「頑張るのだサツキ! 君が諦観に囚われれば結界が瓦解し、幾多のマジカル☆ガールが致命的な状況へと陥るのだ!」
「つ、つまり、頑張らないとヤバイって事!」
「しょ…しょんなこ……いっ…た…て……。くる…ち、ぃ…よぉぅっきゅぅぅっ……っ!」
アパートメントの上にいるのは少女と鵜と鷺。歳の頃ならおそらく7、8歳、サツキと呼ばれた極東系の面立ちの美少女は「黒と白のツートーン」で彩られている。黒は、身にまとったワンピーススタイルのメイド服に、フリルの美しいロングスカート。膝ほどまでに伸びた美しい黒髪、そして今は苦しそうに歪められた瞼の奥の瞳。白いものはエプロンドレスと結わえられて頭に乗っかった大きなリボン。そして新雪を思わせるような、肌。アクセントは唯一、リンゴのように真っ赤な唇。ちなみに今サツキに向かって喋った鷺、”ピォートル”(最初に喋った方)は白く、鵜”ペォートル”(後に喋った方)は黒い。その少女は、姿には似つかわしくないロングライフルを両手で持って横向けにし、重い何かを支えるように天に掲げている。だが、それも限界に達そうとしていた。
「も……ぅ……、……だ…、……め……」
サツキの膝が、くずおれる。
「サツキ!!」
「サツキ!!」
瞬間、サツキの体が後ろから誰かによって支えられた。その優しい抱きすくめ方に、ハッとしたのかサツキの力が少しだけ取り戻される。
「だ…れ…?」
「私が誰かは今は気にしないで。支えてあげるから、ちょっとだけ頑張ってね。」
母を思わせるその声に、サツキは大きな安心感に包まれた。
「あなた、お名前は?」
「サツキ。ま、マジカル☆ガール・サツキ、なの」
「そう、サツキちゃん。いい名前ね」
突然の出来事に動転していたピォートルとペォートルが、ようやく我を取り戻す。
「貴女の素性を私は求めるっ!」
「おばさんは一体誰ですかっ?!」
誰何を投げかける2羽に、サツキを支えている女性は、にこやかな顔で答える。
「私? そうね、昔、この子と同じ事をしていた、とだけ言っておくわ。それとそこの黒い鳥さん?」
「ペォートルと申しま」
「おばさんじゃなく、お・ね・え・さ・ん」
「…ひ、ひゃぃっ。きれいなおねいさんっ」
ペォートルは笑顔の裏側にものごっつい危険なオーラを見た。命に関わる質問だったと気付き即座に訂正をいれる。
「よろしい」
「…うきゅっ!?」
女性の腕に支えられながらも、また重圧に押し潰されそうになるサツキ。内心の焦りを抑えながら、女性は優しい声をかける。
「無理に、結界を支えようとしては、だめよ」
「…え。…でも?」
女性からサツキにかけられた言葉は予想に反したものだった。サツキの持つライフルに手を添えながら、穏やかな声で女性は続ける。
「いい? よく聞いて。魔法は自分の内なる力、心の力よ。”夢”といいかえてもいいかもしれないわね」
それを聞いた2羽のマジカルな住人たちは大きく頷く。
「…ゆ…め?」
「そう。マジカル☆ガールはね、みんな、夢をかなえるためにがんばってるの。サツキちゃん、あなたもそうなのよね?」
結界の重圧に耐えながら、サツキは女性の問いに小さく、しかしはっきりと頷く。それを見て取った女性は笑みを浮かべる。
「だから、結界をささえよう、と思って魔法の力を使うのはダメ。サツキちゃんの夢のために、魔法を使うのよ。…あなたの夢を、もう一度、思い出して」
「わたしの…ゆめ……。わたしの夢は…えぇと」
ほんわかほんわかとサツキのイメージの中で自分の夢が構築される。満面の笑みで、サツキは言い放った。
「…そう! わたしの夢は、おーがねもちのおーぢさまとラヴラヴになってっ、それでそれでっ、せかいをせーふくすることなのっ!!」
あんまりといえばあんまりな夢。ピォートル&ペォートルが後ろでがっくりとした表情を浮かべている所を(鳥なので判別つきにくいが)見るとサツキ自身は本気らしい。いかにもこどもの思いつくような荒唐無稽な願いを、しかし女性は真摯な笑顔で受けとめた。
「素敵な、大きな夢ね」
ふと、女性は自分も昔、自分だけの王子様を夢見たことを思い出す。紆余曲折あって、それは叶ったのだとも思う。
「…けれど」
女性は、ほんの少しだけ困ったような声を出した。
「けれど、サツキちゃんの”本当の夢”は、他にあるはずよね?」
確信は、なかった。もしかするとマジカルな空気が彼女にその言葉を、ふと紡ぎ出させたのかもしれない。
ひくりと、腕の中のサツキの体が小さく跳ねた。相棒2羽も、心底驚いた表情を見せる。それで、女性は自分の言葉が真実に触れている事を悟った。サツキの胸の中、奥の奥の一番奥に秘め隠してある、”本当の夢”。それは…。
「…うん。 わたし、パパとママの顔を知らないの。わたしが産まれた時にはパパはもうどこかに行っちゃってた。ママはわたしを産んですぐにパパを追っかけて行ってそれっきりなの。だから…」
言葉に詰まるサツキ。しかし、凍った言葉は抱きしめられた腕の暖かさによってじわりと融けていく。
「…だから。わたしの本当の夢、本当の夢は、パパとママを見つけ出して『バカぁッ!』って言うことなの。そして…ぎゅって、ぎゅうぅってっ、抱きしめてほしいのぉぉぉっっっ!!」
瞬間、サツキの体の奥からドッ、とマジカルな力が溢れ来る。黄金色の、美しい力の奔流が結界をぐんぐんと押し上げていく。
「お…おぉ…。これがサツキの保有する真なる魔力か! 是程までに強力であるとは想像を絶する!」
「すごいすごいよ! サツキのこんな力、はじめて見た!!」
サツキの相棒2羽は、巻き起こる魔力の反動の風に飛ばされないようにしながら、心から驚愕している。やがて、マジカルな力は安定して放出されていきだした。サツキを抱きしめていた、魔力が爆発してからはむしろしがみついていた女性は、ゆっくりと瞼を上げた。目に映るのは空に向かってしっかりと銃を掲げる少女。睫毛にも、頬にも涙の跡が見えたが、その表情には吹っ切れたような清々しさが満ち溢れていた。もう、大丈夫。そう確信した女性はサツキの体から腕をほどく。
「サツキちゃん…」
「もう平気なの! ありがとうなの!」
「そう、よかったわ。 …もう、私が支える必要はないみたいね」
笑顔のサツキに、女性も清々しい笑みを返して応える。結界は持ちなおした。空を見れば巨大な”悪意”も、マジカル☆ガールたちの力で徐々に弱りつつある。
「もうちょっとサツキちゃんとお話したかったけど、私はそろそろ家に戻らないとね。晩ご飯のしたくもしないといけないし」
「…え、もう…」
寂しそうな声を上げたサツキを、女性はもう一度、今度は前から優しく抱きしめた。
「”夢”がかなうこと、私も、祈ってるわ。がんばってね。」
「…うん! …ほんとうに、ありがとう、なの!」
腕をほどきながら、女性は小さな魔法少女の頬にお別れのキスをした。
「また、ね?」
「…うん! また、会いましょうなの」
そして女性は、サツキの相棒2羽に小さく会釈をし、軽い足取りで階段を降りていった。
「…察するに、あの女性は素晴らしきマジカル☆ガールだったに相違ないだろう。おそらくは女王様にお目通り適うほどの力量があったと推測できるな。この度の力添え感謝するに枚挙が…」
「うん、ステキな人だったね。ホントにサツキを助けてくれて大ラッキーだったよ! あぁいう人に出会えてボカァ…」
「また会いましょうなの…ママ」
「「へ!?」」
女性の後姿を見送りながらの2羽の賛辞は、サツキの口から漏れた呟きで中断させられた。その驚きの声にサツキは心に思っていた事を口にしてしまったと気付く。頬を真っ赤にしながら
「あ、ちがう、ちがうの! …あぁいうステキな人が、わたしのママだったらなぁ…って」
訂正した。そのあわてぶりを見てきょとんとしていた2羽は、サツキの言葉の最後の方を聞いて顔をほころばせた。
「全くだな。…心配せずともサツキの母上君ならば、今の女性の如く慈愛に満ちていると確信出来るさ。」
「サツキのママさんも、いい人に決まってるさ! これが終わったら、また旅を続けながら、一緒に探そう!」
「…うん!!」
サツキと2羽が見上げた空では、今まさに一人のマジカル☆ガールが、巨大な”悪意”を葬っていたところだった。
鼻歌、スキップ、路地に咲いてるお花さんこんにちは♪ 思わず年甲斐もなく…とは思いたくはないが、女性はそんな気分だった。日々の生活には満足していると言い切れるのだが、久しくこんな達成感に満ち溢れる事はなかった。”力”を失った私にも、まだやれることはあったんだなぁ、と。
リズム良く石畳に靴音を響かせる女性は、今の気分を誰かに分けてあげたい気分だ。…と思い至って、一番身近な人の顔が目に浮かんだ。その愛する男性は今日も仕事に追われているに違いない。今日もへとへとになって(それを顔に出さないようにして)帰ってくるだろう。思いながら女性の体はくるりとターンを極めた。
『せっかくだから』
来た道を引き返しはじめる。
『あの人の一番好きな料理、作って待っていてあげよう。』
空を見やれば、”悪意”を倒したマジカル☆ガールたちの歓喜の声が満ち溢れていた。女性はにっこりと微笑んで、そして市場へと駆け出していった。
おしまい
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