And others 16(Part 2)
アクワイの無様な――そしておそらくはいつもどおりの――日常(後編)
暗幕は落ち、
漏れる灯りはホリゾント。
クレセントなスポットライトの、
照れる美貌のプレミエル。
夜はまだ続く。
生ゴミの匂い漂う裏路地に二人。
「腕前は落ちてないようだね、安心したよ」
腰に手を当て、麗人は目を細めた。
「な、何故あなたが此処に」
「居るのだから居るのだよ、僕はノーマッド。放浪者だから放浪しているのさ」
すらっと伸びた指を尖った顎に添えて、麗人は微笑む。
「嫌われたものだ。先程は先程で、死んで下さいとでも言わんばかりの襲撃。僕のこと嫌いかい?」
「そ、それはいきなり後ろから声をかけるから……」
「久々の旧友に逢ったんだ。それぐらいの茶目っ気は許されてしかるべきだろう?」
「きゅ、旧友って……歳が同じだけじゃないですか、マ――」
――空気を切り裂き、何かが頬を掠めて壁に突き刺さった。
見なくても分かる――さっき自分が投げた飛刀だ。投擲したはずのそれを受け止めていたのだ、この人は。
「美人に歳の話をするか、君は」
白磁に嵌め込まれた碧眼が、重圧を持って睨んでくる。優雅さこそ失わないが……声もどこかドスが利いていた。
蛇に睨まれた蛙のように、だらだらと背中に汗が出る。頬を伝うのは血か、冷や汗か。
「まったく、聞き覚えのある声が聞き捨てならない名前を言ってるかと思い、下に降りてみれば……案の定、君ではないか。興ざめもいいところだよ」
「お、降りてって……」
その言葉に顔を上げて――アクワイは自分の顔が引きつるのを自覚した。
裏路地の入り口から見て右手、つまりアクワイから見ても右手の建物の三階の“窓”が一つだけ開いていたのである。
「ま、まさかあそこから」
「あえて言及を避けるのが美学だとは思う」
同じくその窓を眺めている麗人。
間違いない。この人はあの三階の窓から音も無く飛び降りてきたのだ。
「ひ、非常識だ……」
「君ほどでもないと思うよ」
その灯りの点いた部屋の窓から人影が現れた。女性だ……栗色の髪の毛、年齢は少々自分より上、歳の割にはどこか頼りなげ、いや純朴そうである。その女性は肩から上を窓から出し、こちらに視線を送り、
「ユリウス……」
と、どこか不安そうにおずおずと、アクワイの聞き知れぬ名前を呼ぶ。
呼びかけに応えて、手をそっと上げて見せたのは……目の前の人物であった。
胸までしかないノースリーブを着ている(はずだ、きっと。……そうであって欲しい)女性は、その何気ない仕草だけで、ぱっと表情を輝かせた。
「ごめんよ、いま少し待っていてくれないかい、ドルシネア」
目の前の人物はそう言って……十中八九ウインクをした。後ろ頭しか見えないが絶対そうだ。
「うん……」
と、頬を赤らめ窓から離れる女性。
呆然とするアクワイ。
「ええと、何というか……ゆりうす?」
「世を忍ぶ仮の名さ。他にもオスカルとかジョルジュとか」
「……相変わらずなわけですね」
「その言い草に尊崇と敬愛の念が内在しているのだとすれば、うんその通りさ」
「……排斥派が貴方を狙っているというのに、ずいぶん余裕ですね」
「君も排斥派だろうに。……此処まで来る様な輩は、郷里では君ぐらいなもんだよ」
「私は、サリサタ様を追ってきただけです」
「同じことさ。僕は君のそういう所を買っているよ。君の能力をね、捕捉者君(アクワイア)」
さえずる様な囁きに、窓を見る目を戻してみれば、底知れぬ目がアクワイを捕らえていた。愉快そうに麗人は目を細める。
「……ご婦人を待たすのは礼儀に反する。要点だけ簡潔に伝えるとしよう」
夜明けは、まだ来ない。
「アレは僕のものだ。手を出さないでもらおう」
生ゴミの臭いを気にしながら――つまりはそれぐらいの軽さで金糸の美女は言葉を紡ぐ。
――それは、予想していた台詞だった。だからアクワイはさして驚かない。
だが、次の言葉は予想外だった。
「あと、あの宿の店主にも手を出さないでもらうよ」
「な……」
途端、予測など見事に吹っ飛び、驚愕の声を上げる。
「や、宿の店主って……あ、あああの赤毛の?」
「どの赤毛かは知らないが、彼女は確かに情熱を秘めた赤い髪の乙女さ」
「戦乙女の間違いじゃあ……」
「解ったのかい、解らなかったのかい、どっちかな?」
冷笑、目が哂っていない……是非もなくアクワイは頷こうとして、あわてて首を振る。
「あ、後の方のはともかく、サリサタ様の件は貴方様の命でも聞き入れられません」
「ふむ、なぜ?」
「命令の優先順位です。……それに、俺が手を出さなくてももうすぐ第二第三の刺客が……」
「こないよ」
「へ?」
さも当然だとばかりに、麗人は続ける。
「本国からの応援は来ない、ついでに言えば“手紙の返信”も来ない」
目を開く。一瞬思考が停止する。
「それは、一体どういう……」
「君の手紙は僕がもみ消した、と言っているのさ。それぐらい解りたまえ」
残念ながら聞き間違いではなかったようだ。言葉につまりながらも、何とか言い返す。
「馬鹿な……ありえない!」
アクワイの送った手紙は、一族の独自のキャラバンを使った郵送方法で送られている。無論、一般人の目に触れることはないし、万が一にも紛失はありえない。
「実を言うと、君の手紙は全て握りつぶすように手を回していたのさ。言ったろう? 君の事を買っていると」
今度こそ本当に……言葉を失う。それならばありえない事ではない。だが、もしそうだとすればこの人の権力は一体、一族の何処まで喰い込んでいると言うのだ?
「さて、これで僕達の居所を知っているのは君だけだと解っていただけたかな?」
まるで、もったいぶった前置きを終えたかの様な言い方だった。
唾を飲み込み、半絶望状態でアクワイは立ちすくむ。もはや、落ちた銃のありかすら思い出せない。
「……貴方は、サリサタ様に会いに来たのですね」
「半分は」
「何故居場所が……」
「おや、忘れたのかい? “あの本”をプレゼントしたのは僕だと言うことを」
装丁も、紙面も何もかもがことごとくボロボロの雑誌。それが脳裏に浮かぶ。
「……そうでしたね」
表紙には、今のアクワイにもお馴染みの街並み。
異国字のロゴに文字の羅列、隅にはパイプを咥えた異国人の挿絵。
「まさかあれほど“入れ込んで”いたとは思っても見ませんでしたが……」
「ふふ、群れるだけのホードはこれだから困る。寝る間を削った挙句、ランプの光で目を悪くまでして翻訳していた娘の、どこが入れ込んでいないと言えるのさ?」
痛いところを……目を伏せ、唇を噛むアクワイ。ただそれを才能だと片付けていた自分の愚かしさを罵りながら、
「それで、この国だと見当がついたのですね……」
「そうでもない」
あっさりとそう言われ、アクワイは“えっ”、と顔を上げる。
「実はアレとはかねてより文通をしていてね。君らが実家であたふたしていた時も、愛しき妹に返信の手紙をしたためていた次第さ」
まるで奇術の種でも明かすかのように、愉快そうに麗人はくつくつと笑った。
……もはや何も言い返せない。この人の非常識は今に始まったことではないが、流石に今回のは非常識を通り過ぎて、悪い夢でも見ているかのようだった。
うなされた様に茫然自失になるアクワイ。
「まったく、君は見ていて飽きないな」
苦笑しながら、美貌の主は懐から封筒らしきものを取り出して投げてよこした。
慌てて受け取る。封筒らしきも何も封筒だった。
「開けてごらん」
おそるおそる封を開けると、三枚の紙が入っていた。
一枚目は、アクワイの送ったはずの伝令だった。
「本当に……もみ消されていた……」
次の指令など来ないはずだ。アクワイは、今までただひたすら次の指令を待っていた“約四ヶ月”を想い、心の中で泣いた。
二枚目は、便箋だった。かつて見た懐かしい文字、文末にはお世辞にも上手いとはいえない独特の筆致のサインがある。形而上学的な意味があるのかもしれない。
「これは……サリサタ様の……」
「これで信じたかい?」
便箋には季節の風景やささいな出来事が独特の切り口で書かれていた。“事件”“ウェッソン”“テムズ”それらの単語が多く見受けられるが、いたって普通の近況報告……それだけで、この姉妹が何度も手紙のやり取りをしていた事がありありと解った。
三枚目は……いたって簡素な白い用紙。中央に寄せて書かれたそれは、まるでいつも本国から送られている指令書のようだった。
「って言うか、指令書?」
「いいから早く読むといい」
その時、アクワイの中の決定的な、論理や推論を超えて最終的な決定を下す――すなわち本能が“読むな! それは間違いなく身の破滅だ!”と叫んでいた。
だが、すでにアクワイの目はわずか三行しかないその文章をしっかりと補足していた。
そう、わずか三行。
「あ…あ…」
以下の欄には一族の管理部の署名、捺印。
そして、それらと指令との間に挟まれた箇所にあるサインは……
「と、言うわけさ……今日付けを持って君は実質、僕のお仕えに転属したというわけだよ」
「な、な、な……」
「名誉なことだ。今まで幾千の人間がこの地位を求めたか」
「なぜだ〜〜!! 一体どうしてなんだ〜〜!!」
恥も外聞も、何もかもを捨て去った叫び声が、霧むせぶ夜の街に響き渡る。
「何度も言わせないでほしいな。僕は君を“買った”のさ」
夜はまだまだ明けやしない。
三角飛びで、麗人は窓へと戻っていった。
対限定区域戦では最強の部類に入るアクワイだが、ああいう人間離れした行動をされると対処ができないという弱点もある。
まあ、対限定区域戦なんて滅多にあるわけがないというのが最大の弱点でもある。
そもそも、この能力自体は“お家芸”の副次的な能力で……
などと虚ろに考えながら、アクワイは初めての命令――「まず、この生ゴミを片付けてもらえないかい?」という命令に従い、箒と塵取り(三階から落とされた)をせわしなく動かしていた。
(「まあ、前任を離れるのは気が重かろうけど、悪いようにはしないつもりさ」)
良く通るアルトが脳裏に蘇る。まあ、アクワイにとっては少なくとも意義のある生活が戻ったわけだ。
……サリサタ様のお仕えを離れるというのは正直、身を切られる思いなのだが。
(「なあに、これからも度々監視はしてもらうつもりだよ、少なくとも今よりはいい環境を用意してね」)
ウインクする美姫に、騙されている感は否めない……詐欺師に捕まった気分だ。
「はあ……」
本日12回目の溜め息をついて、――何のことはない30分に一度ついているのだ――アクワイはそろそろ蒼味が増してきた空を眺めた。
夜明けはもう、すぐそこだった。
おしまい
《return to H-L-Entrance