And others 11(Part 3)

Contributor/哲学さん
《Part 2
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 死体の山の中、彼は一本の煙草を出し、ゆっくりと火を付けた。そして、震えだしそうになる手を無理矢理落ち着かせてゆっくりと煙を吸った。
 血の臭いと混じって煙草がとてもマズい。
 だが、今はそれどころではなかった。
 過ぎ去った過去。愚かなる過ち。それは取り戻すことの出来ない物だ。
 だが、それでももしあの瞬間に戻ることが出来るとするならば……自分はあの時のような愚かな失敗をしない自信があった。
 あの時より自分は大分年老いたが、それ以上に強くなっている。
 それが、彼の自負であった。少なくとも、この戦いについてはあの後何度も何度も頭の中で戦い直し、そして幾度かの失敗の後に、完全に勝利を収めるようになった。次にまた同じコトが有れば絶対に失敗はしないと誓ったのだから。
 そして、それは証明された。あの時と同じように数多くの敵と相対し、あの時と同じように自分は立ち向かった。
 だが、あの時と違ったのは――その結果が完全なる勝利であることだ。
 襲いかかった敵はすべからく、周囲に死体となって倒れている。息子は気絶していた。戦いが始まる前に気絶させたからだ。あの時息子が足手まといだったから失敗した。だから自分一人で戦ったのだ。
 息子を殺すことは難しい。だが、気絶させることは簡単だった。殺気のない攻撃に対応できないのが息子の弱点の一つだ。
 何はともあれ、自分は何も失わずして勝利を得た。それはとどのつまり――あの時失った物がまだ残っていると言うことだ。
 彼は荒々しくため息をつくと、ゆっくりと目を開けた。
「大変だったわね」
 目の前に映るのは黒髪の美女。遠い昔に無くした、自分の片割れ――霧咲 雅(きりさき みやび)である。結婚などはしなかった。ただ、必要としあい、自然と彼女はついてきた。気付けば子供まで出来ていた。
 だが、それでも二人はそれ以上変わらず、ただ共にいた。それだけである。
「……ああ」
 ぶっきらぼうに彼――エアロ・スミスは応えた。が、すぐに訂正する。
「あ、いや……こんな奴等ごとき何匹こようと儂の敵ではない」
 そんな彼の様子を見て雅はコロコロと笑った。とても綺麗な笑みだ。
 一瞬、彼は彼女に見とれそうになるが、直ぐに憤慨し、荒い鼻息を吐くと目線をそらした。そして、煙草を吸う。
「怪我はないか?」
 ぶっきらぼうに聞く。
「あら、馬鹿みたいに血を流してる人が何言ってるの? もっと自分を大切になさい」
 彼女は笑いながら言ってくる。あの頃と同じように、いつも通りに。それが無性に腹立たしくもあり、嬉しくもあり……悲しかった。
「儂のことなどどうでもいい。軟弱にはできとらん」
 白い煙が二人の間に漂う。
 理解っていた。これが幻であることぐらい。
 彼女は死んだ。事実だ。
 あの時自分は彼女を守れなかった。事実だ。
 だが……だがしかし、あの時と彼女が同じようにあるとするならば……、あの時と同じ心を持っているとするならば……、あの時聞けなかったことが聞ける。あの時言えなかった事が言える。
 そして、彼女の答えが聞ける。
 少なくともそれだけでもこの夢から醒めない価値があった。
 所詮、幻は幻。人は、幻想にとらわれず、自らの世界を、自分の生きる現実を進まねばならない。
 けれど、今一瞬だけは……、まだ幻にとらわれてもいい。
 それが彼の正直な気持ちだった。
 ゆっくりと彼は歯ぎしりをする。何度も心の中で繰り返し練習したはずなのに、何故か唇が動かなかった。
 そして、彼がぐずぐずしているうちに、彼女は困った顔をして話しかけてくる。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。ほら? あなたのおかげで傷一つないんだから」
 彼女はくるりと一回転し、笑顔を見せる。もうそんな年ではないだろうに、何故か彼女はそれが似合っていた。
 東洋人は若く見えると言うが……彼女はその極みだった。いつまでも子供の様だ。
 そして、いつもの様に――あの頃と同じ様に――こちらの顔を遠慮なく覗き込んでくる。
「だから大丈夫だって。心配性ね。無傷だってば……あの時と違ってね」
 瞬間――心臓が跳ね上がった気がした。
 目を見開き彼は顔を上げる。そこにはコロコロと子供のように笑う彼女がいた。愛らしい唇が悪魔のように美しかった。
「やっと私の方を見てくれたわね。久しぶりに会ったって言うのにニコリともしないんだから」
 そう言って彼女は軽く手に持った扇子でこちらの額を叩く。全然痛くなかった。
「お前は……」
「おっと、もちろんこれは幻よ。だって私はとっくの昔に死んでるもの」
 あっさりと彼女は言い放つ。その言葉に彼はますます困惑する。
「忘れたの……私はいつもあなたと共にいるのよ? 夢の中に友情出演するぐらい訳無いわ」
 扇子で口元を隠し、再び彼女は何が可笑しいのかクスクスと笑う。
 彼はその様を茫然と見つめていたが、やがて堰を切ったように笑い出した。
「は、ははは……ははははは……はっはっはっはっはっ!」
 額を手の平で覆い、力の限り笑う。
「そうだな、そうだったな。お前はずっと……ずっと儂と共にいたのだな」
「ええ、風雅には悪いけどね」
 よく分からないが、ともかくそう言うことらしい。少なくとも、自分は一人ではなかった。それだけは理解できた。
 そして再び二人は見つめ合う。
「久しぶりだな」
 溜息一つ吐き、彼は言った。笑ったときに落ちた煙草をすりつぶし、新しい煙草を用意する。
「ええ、相変わらず風雅と仲が悪いみたいね」
「はんっ! あの馬鹿と仲直り出来るはずがないのはお前が一番よく知っているだろう!」
「ええ、そうね……でも、ちょっとは許してあげてくださいな」
「お前がそう甘いからあいつは馬鹿になったんだ」
 そして、彼は再び煙草を吸う。二人の間に沈黙が流れた。だが、それは緊張のない優しい静けさだ。煙草を吸う彼を黙って彼女は見つめている。次のセリフを待って。
 少し経って、ようやく彼は口を開いた。
「儂についてきて良かったのか?」
 自然と言えた。先程まで何も言えなかったのが嘘のようだった。ずっと……彼女が生きている間一度として言えなかったというのに。
 そして、彼女は扇子を閉めるとゆっくりと顔を上げた。見つめる先には嫌なくらい美しい星空がある。
「思えば散々な人生ね。父さんと長崎を出てから英国の名工に会って、貴方に会って、血にまみれ、戦いに明け暮れて、お洒落も出来なくて、ウェディング・ドレスも着れなかったしね」
「……」
 彼女の言葉に彼は何も言えず、ただ黙って息を吐く。
「でも良かったわ。あなたに会えて、あなたと一緒にいて。その為だけに生きる価値はあったわよ」
 恐ろしいほど美しい微笑みを浮かべ、彼女は彼に近づく。
「あなたはどうしから?」
 それを聞くと、彼はにぃっと野性味の強い笑みを浮かべた。
「ああ、儂も楽しい人生だった。感謝する」
 そして彼は腰にあった古くさい火縄銃を小型にしたような拳銃を彼女に突き付ける。
「そろそろ、儂も帰らねばならん。次に会う時は――互いに死んだ後だ」
 そして、煙草の火を火縄銃の火縄に付ける。じりじりと炎は弾倉に向かって進んでいく。
「悪いがまだ大分先に事になりそうだ。儂はあきらめが悪いからな」
 彼の笑みに応えるように彼女も優しく笑みをたたえ、言い返す。
「意地悪ですものね。いいわ、気長に待ってあげる」
 そして火縄を伝っていた炎は末端部に辿り着く。
「では、さらばだ」
 そうして、彼は引き金を引いた。


はぐれ者達の賛美歌 (後編)



「人は……人の力だけで生きていける。それが答えだよ。最後の精霊使い」
 オードは静かに語る。
「幻想は人の心の支えとして世界の裏側からその存在を以て人を守っていた。人々を辛く厳しい現実からね。
 けれど、時は来た。人は……もう夢を卒業しなくてはならない。辛く厳しい今を彼等は自らの力で歩んでいくのさ」
 そう、人は幻想という希望、夢を持って前へと進んできた。そして、幻想は人々の想いを叶え、救ってきた。幾度もの奇蹟と希望をもたらしてきた。
「これから先、子供達は突如として戸惑い、辛い現実に耐えきれなり、社会に適応できなくなったり、引きこもったり、訳も分からぬ衝動によって人を殺すようになるかもしれない。夢を失い、無気力になり、未来を失ったと感じるかもしれない」
 けれど、人は強くなった。もう、人々は幻想を必要としなくなった。
「けど、既に人は強き心と力を手に入れている。それを以てすれば……新たな世界に恐れる事じゃない。未来が消えるわけでも、希望や夢が消えるわけでもない。
 人は、自らの力で奇蹟を起こすことが出来る。もう、君らのような魔法使いは要らないんだよ」
 その言葉にアリストはどうしても異議を持たざるを得なかった。
「じゃあ、忘れられた方はどうなる?」
 その言葉にオードはドキッとする。
「捨てられた方は、追い出される方はどうなる! 人がいらなくなったからって簡単に捨てるとは何事だ! そんなに人は偉いのか!」
 アリストは再びギターを弾く。すると周りの精霊達が踊り出し、美しき世界を描き出す。
「これは……?」
 風雅は周囲を見回す。今まで――少なくとも風雅から見て――ただの洞窟だったそこが煌びやかなるヒカリが飛び交う幻想的な光景となる。
「とても――綺麗だね」
「そう、美しい世界だ。僕はこの世界が好きだ。確かに、人はこの幻想がなくても生きていけるかもしれない。けれど、この世界は物じゃない」
 アリストは演奏を止め、オードに向き合う。
「命に溢れた輝ける世界だ。人の都合だけで失われるには勿体なすぎる」
 だが、オードも負けずと睨み返す。
「だが、もう役目は終えた。この世界は終わるべき世界だ」
「じゃあそっとしておけばいい。どうせ人はこの世界を必要としないのだろう?」
 その言葉にヘレナも同意する。
「そうよ、彼の言うとおりだわ。何故放っておかないの?」
 ヘレナの言葉にオードは一瞬、負けてしまいそうになるが、やがて決意を込めて断言する。
「そう言う訳にも行かない。過ぎた力があれば、人はそれに頼ってしまう。人を甘やかす訳にはいかない」
「そんな勝手な!」
 アリストが叫んだ瞬間、二人の間を風雅が扇子で遮断する。
「話は大体分かったよ」
 扇子をパチンっと閉めると風雅はアリストに向き直った。
「話は簡単だ。この世界の力は危険で人には必要ない。争いの種となる物なら僕が摘み取ろう。全ての争いを無くすために」
 そして風雅は抜刀の構えに入る。アリストはぐっと構えた。
 が、次の瞬間、一発の銃声が二人の世界を破壊する。
 思わず風雅は銃声の方を見た。
「……ママの銃」
 そして銃弾は真っ直ぐアリストの方へと飛んでくる。
「我がプリスの名において命ず。数多の精霊よ、我を守れ」
 反射的にアリストは叫ぶが、銃弾は精霊の障壁をあっさりと突き抜け、アリストへと近づく。
 瞬間、アリストは銃弾に込められた想いに触れた。
 笑う和服の少女。鍛冶屋の青年と罵り合うガンマン。それを見つめる少女。青年を置き、ガンマンと共に行く少女。血塗れの道を、硝煙の森をただガンマンについていく少女。
 子が産まれ、幸せそうに笑う女性。そして……恐ろしく美しい笑みと共に倒れる女性。
――『私はあなたと共に……』――
 そして、黙って崩れ落ちる初老のガンマン。
「……っ!」
 気が付けばアリストは洞窟にいた。いや、逆だ。弾丸に込められていた過去に引き込まれただけだ。
 彼はゆっくりと自分の頬に触れる。そこには一条の薄い傷が出来ており、何故か自分は顔を傾けていた。知らないうちに避けていたらしい。
「ほう、避けよったか……次は、当てる」
 声の主を辿ると、そこには過去の残滓のまま、いや、僅かに過去よりも老けた初老のガンマンが立っていた。


「……パパ?」
 風雅はどこか驚いた顔をしてその実の父を見つめていた。
 父は何か変わっていた。いつも通り荒々しくて、どうしようもなく恐ろしくて……しかし何故かどこか清々しい。
 風雅にはその違和感の正体が分からなかった。だが、それでも何となく理解ったことがある。
 父は変わった。……少なくともいい方向へ。それだけは本当だと思う。
「まあいい、そいつはお前に譲ってやる。儂は……その娘と戦いたいのでな」
 ニヤリと笑い、老ガンマンは火縄銃をヘレナに向けた。
「どういうこと?」
 風雅は訳が分からず首を傾げる。
「とんだバケモノがいた。それはこの娘のことじゃよ」
 老人は野性味溢れる力強い笑みと共にヘレナの顔を見た。
「その顔。あの女とそっくりじゃ。母娘揃ってマジナイシになっておったとはな」
「……っ!?」
 ヘレナはその言葉に心臓が高鳴るのを感じた。
「……どういう事?」
 感情を押し殺した――だが力強い声で聞く。
「知らんのか? 少なくとも……あの女は簡単にはくたばらなかったぞ? 果たしてお前はどうかな?」
「……」
 ヘレナは黙って老人の方へと向き直った。その表情には一切の感情が見えない。
「ヘレナ……挑発に乗るな」
 オードが後から諫める。だが、ヘレナは振り返らない。彼女はアリストの様に親の仕事を引き継いで魔法使いになったわけではない。
 各地の魔法力の封印を行っているのはオードの仕事を手伝っているだけであり、ヘレナ自身にアリストのような宿命や因縁があるわけではない。
「大丈夫……ちょっと聞きたいことがあるからあのジーさんを締め上げるだけよ」
 ぱぁん、と拳と手掌を打ち合わせてヘレナは一歩一歩老ガンマンへと近づいていく。
「……これを」
 戦おうとするヘレナを見て風雅は懐から取り出した扇子をヘレナに投げる。
「……何?」
「パパがあの銃を使うなら、それが必要になる。多分ね」
 ヘレナは訝しげに扇子を広げた。傷一つない白地に東洋の"漢字"で『優雅』と書かれている。
「……なんか上物っぽいんだけど?」
「気にすることはないよ。生き残って僕に返してくれればいい」
「ふん、面白そうじゃ。こんなに妖精が沢山見えるのも久しぶりじゃしの」
 その言葉にアリストが驚く。
「久しぶり?」
「見たことがあるの?」
 息子の言葉に父は鼻息をならす。
「ふん、伊達に長生きしとらん。マジナイシとの闘いくらい経験しとる。要は心のぶつけ合い。ガンマンには殺意を込めて、そしてマジナイシには優しさを込めて」
 そして、父――エアロ・スミスは引き金を引いた。それが闘いの合図となった。


「我がプリスの名に於いて命ず。精霊よ、疾風の刃となりて敵を切り裂け!」
 虚空を漂う精霊達が真空の刃を形成し、風雅へと殺到する。しかも、精霊達は透化し、その姿を見えなくする。
 だが、再び風雅はキツく目を閉じると柄に手をあてた。
 極意――『心眼領域』。
 極限の集中力が自らの感じる時間を引き延ばし、感覚を果てしなく増大させる。僅かな空気の動き、気配、普段感じない周囲の動き全てを肌で感じられるようになる。
 そして、極限にまで引き絞られた感覚は見に見えぬ何かをも浮き彫りにする。
 白刃一閃。刀を振り抜き、その何かを両断する。先ほど変な夢を斬ったのと同じように。
「ムダだよ、僕には効かない」
 そう言って風雅は目を見開きそのままアリストへと向かう。長時間『心眼領域』を展開することは出来ない。
 アリストは歯ぎしり一つしてギターを弾く。
 次の瞬間――アリストの両腕は目にもとまらぬ銀光によって両断された――かに見えた。
「……幻?」
 言うと共に背後から何かの気配を感じ、風雅は飛び退く。そして、彼が元いた場所を風刃が通り過ぎた。
「……成る程、現実色が強い今のままでは僕に勝ち目はないかな?」
 そう言ってアリストはギターの旋律を変える。
「悪いが、僕のフィールドで戦わせて貰うよ」
「いつ、何時(なんどき)であろうと僕は負けないよ。僕は幻想になんか逃げない。この手で現実を変えるんだ!」
 霞みがかっていくあたりを油断無く見回しながら風雅は言う。
「僕は逃げてない! たかが人と言うだけで美しい世界を消してしまえる世の中がいやなだけだ!」
 霧の奥からアリストの声が響く。
「世界は自然と共にある。何故人は自立する? 自立はいい。だが、何故自然を捨て、破壊しようとする? 何故自然の掟を乱す?」
 その言葉に風雅は軽く肩をすくめる。
「世の掟は『弱肉強食』。弱き者は強き者に従わなければならない。それが世界の掟だよ。世界は常に変わっていくんだ。その中で消えていく物もあるだろうけど、いつまでもそんなものにしがみついている方が自然の掟を無視しているだけさ」
「……」
 風雅の言葉にアリストは黙り込む。
「じゃあ……君はなんなんだい? 強き者に弱者は虐げられるのが絶対法則って言うのならなんで君は闘いを止めようとするんだい? 君は矛盾している」
 その言葉に風雅は軽く微笑むと、とても優しい声で言う。
「だったらその強者に僕がなればいい。僕が強者となり、無理矢理闘いを止めればそれで終わる」
 そして風雅は目を瞑る。今でも彼の耳の奥には母の言葉が残っている。
――『あなたは強い子。だから、一人で生きていくこともできるでしょうね。でも、その強さと優しさを他の人達にわけてあげて』――
「間違ってる……矛盾だらけだ」
 アリストは霧の奥からひねり出すように声を放つ。
「間違っててもいい。正しい事をするつもりなんか無い。僕がやりたいことをするだけさ」
 そうして風雅はゆっくりと前へ進み出した。
「さあ、そろそろ決着をつけよう」


「全てを切り裂く刃となれ、白銀の刃」
 ヘレナの言葉と共に翼の羽根一つ一つが刃となり、ナイフの翼をその背に形成する。不思議と重さはない。
 そのままヘレナは老人へと疾駆する。
 老人は火縄銃と大口径の銃を交互に撃ってきた。ヘレナは翼でその身を庇うが、普通の銃弾は弾けるのに何故か火縄銃の銃弾はナイフの翼を突き破り体へと迫ってくる。
 が、反射的に広げた扇子で火縄銃の銃弾を弾くと、岩をも切り裂く翼で弾けなかった銃弾が簡単に跳ね返った。
「……」
――つまりは、魔法の力より人の精神が勝っているということね――
 なんとなくそんなことを思いながらさらに攻撃へと転じる。
「刃の雨(ダガー・レイン)!」
 彼女の言葉と共に翼は展開され、その羽根の一枚一枚が老人の元へと殺到する。
「殺す気か! ヘレナ!」
 後からオードが警告を発する。だが、老人は難なく右に飛び、刃の雨をかわす。当然だ。一六方向で逃げ場はそこしか作っていないからだ。
 ヘレナは老人に飛びかかり、右手の肘関節を殴り、右腕をそのまま地面に打ちつける。そして、そのまま左の肘関節を叩き、両腕を塞いで老人の上に馬乗りになる。
 自分より力の強い相手と戦うときは関節を狙って動きを封じる。アリサとの喧嘩で覚えた常套手段だ。もっとも、本気で喧嘩している時は理性なんか吹き飛んで引っ掴みあって醜い争いとなるのだが。
「ほう、なかなか実戦――」
「貴方は母さんの何を知ってるのっ?!」
 老人の冗談めかした挑発を遮断し、ヘレナは叫ぶ。
「母さんはどんな人だったの!? 優しかったの?! 私と同じってどういう事っ!?」
「……ヘレナ」
 オードは何も言えず茫然とその様を見る。
「ふんっ、くだらん」
「何がっ!? 私は――私は母さんの顔だって知らない! 温もりだって知らない!」
 ヘレナの厳しい眼差しを涼しげな顔して老人は受け流す。
「お前はいつまでも乳離れの出来ん餓鬼か。本当に大切な者同士ならば……」
 そして、老人はゆっくりと我が子を見る様な目をして微笑んだ。それは、ヘレナが今までに見た誰よりも優しい笑みだった。
「例え、会ったことが無くとも誰よりも強い絆で繋がっているものじゃ」
 瞬間、老人の顔は再び厳しい顔になる。
「だから……儂は戦える。例え皆と違う道をいこうともな!」
 言葉と共にヘレナの腹部に鈍い痛みが走る。そのままヘレナの体は後方へ飛ばされ、そこへ追撃するように銃弾が飛んでくるが、なんとか翼で弾く。
「……はぁはぁ」
 ヘレナは腹部を押さえながら老人を睨む。
「お前の母親とは引き分けた。手強い相手だった。それだけだ。そして、そんなに母親と会いたいなら確実に会える天国へと送ってやる」
 老人は笑いながら火縄銃を構えた。ヘレナは懐をまさぐるが扇子を見つけることが出来ない。
 気が付けば、老人が右脚で扇子を踏んでいた。ヘレナの驚く顔を見て老人はニヤリと笑う。
 そして、引き金が――。


 必殺の一撃を受け、アリストの体は吹き飛ばされる。形成していた幻想の霧は弾け飛び、自らの体は背後にいた老人の体に激突した。
 老人の手から放たれた銃弾はあらぬ方向へと飛んでいく。
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
 アリストは息を荒げ、動くことも出来ずそのまま地面に仰向けに倒れる。
――何故だ――
 アリストは涙していた。
――何故届かない――
 アリストの放つ攻撃を風雅は全て『斬』った。そして、目にも留まらぬ斬撃――しかも全て刃の背で――いくども斬りつけられた。刃ではないぶん、なんどもハンマーで打ち付けられたような痛みが体中を走っている。恐ろしく細くて鋭いハンマーの一撃だ。
――僕の想いはこんなものなのか――
 何もできなかった。悔しかった。
 自分は――運命を変える力もないのか。
「……君は僕を殺すのかい? 君が、僕の死神となるのかい?」
 涙に濡れる額を右腕で押さえながらアリストは聞く。果たして自分が何を言っているのか理解らない。だが、もうどうでもよかった。
「違うよ……僕は死神じゃない。僕の願いは君がただの音楽家になってくれることだ。どうだろう? 僕は君の美しい旋律をまた聞きたい」
 風雅の問いにアリストは首を振る。捨てられるはずがない。この愛すべき美しき世界を。だが、かといってそれを守りきることもできそうにない。
「じゃあ、……死神にでも会うことだね」
 金属が弾ける音がして、次の瞬間アリストの頬に一枚のコインが落ちてくる。
「……これは?」
 無理矢理体を起こしながらアリストはコインを手に取る。
「天国へのパスポートさ」
 風雅は悲しげに言った。
「さて、パパも闘いを止めて貰おうか」
 そう言って風雅は自らの父の方へと向き直る。
「僕がいる限り、誰もパパには殺させないよ」
 しかし、老人は肩をすくめる。
「お前はまだそんな事を言うのか。儂に似て頑固じゃな」
「親子だもの」
「……だが、お前はまだ甘い。まだ何かを守るだけの強さを手に入れていない!」
 言うが早いか老人は両手の銃をそれぞれヘレナとアリストの方へと向ける。
「っ!?」
 風雅は咄嗟に老人の方へと駆け出す。が、老人はそれより早く引き金を引いていた。
 なんとか風雅が伸ばした刃は弾速の遅い火縄銃の銃弾を弾く。これでヘレナの方の危機は去った。
 だが、もう一つの銃弾はよろよろと逃げようとするアリストのギターを直撃し、そのまま彼の腹部へと吸い込まれていく。
 そして、続く銃弾が彼の胸を打ち、彼の体を飛ばす。
「――っ!」
「アリストっ!」
 風雅とヘレナは叫ぶ。
 瞬間、一陣の風が吹き、洞窟内に吹雪が吹き荒れる。そして、吹雪が去った後にはアリストの体はなくなっていた。
「はっはっはっ! ざまあないなこのアマチャンが! お前はその程度か!」
 老人の哄笑が洞窟に響き渡る。
 瞬間、気が付けば老人は洞窟の壁に打ち付けられ、その頬に白刃が突き付けられていた。ゆっくりと目を巡らせると自分の顔の周りにある壁に6つの穴が出来ていた。あの一瞬で七撃の突きを放ったと言うのだろうか。
「――」
 風雅はそのまま何も言わず刀を引っ込めた。
「どうした? 戦わないのか? 今の一撃なら儂の腕を切るくらい簡単だろう?」
 父の言葉に風雅は背を向けるとぽつりと一言言った。
「……止めておく。今の僕は……加減なんて出来そうにない」
 そう言って彼は歩き出す。
「僕は先に新大陸に行くことにするよ。彼にはパパが会いに行って」
「……いいのか?」
 だが、風雅は何も言わずに洞窟の出口へと消えていった。
 老人はちらりとヘレナとオードを見たが、舌打ち一つして風雅に続く。
「……貴方もいいの?」
 ヘレナの問いに老人は振り向かずに肩をすくめた。
「興ざめだ」
 そして、後に残されるのはヘレナとオードと……扇子と。
 ヘレナはなんとか体を引きずり、扇子を手に取ると黙ってそれを胸にしまった。
「行くわよ、オード」
 少し進むと二人の男の死体があった。だが、ヘレナは何も感じず、そのまま帰路へとついた。



OPEN YOUR EYES  (目を開いてごらん)


 ぼんやりとした意識の中アリストの体は風に運ばれていた。
 シュヴェリアが問いかける。
――まだ死ぬな、汝はここで死ぬべきではない――
 その声を聞きながらもアリストの意識はぼんやりとしてくる。



DON`T CLOSE YOUR EYES  (決して閉じないで)


 暗闇の中アリストは問いかける。
「死神って知ってますか?」
「さぁな?」
 相手は力無い笑みと共に銃口を向けた。
「気付いたのはいつだ?」



YOU CAN MEET ANOTHER WORLD  (違う世界に出会えるから)


 今見える光景が何か理解らなかった。
 朧気に自分が対峙する相手の顔を探ろうとするがぼやけてわからない。



THAT ONE IS PHANTASY  (それは幻想)


 雨の中少女が息を切らして走っている。
 何故だろう。とても必死だ。
 燃える様に赤い髪を濡らして必死で走っている。
「止めなきゃ!」



THAT ONE IS A BEAUTIFUL, UNLIMITED AND TRANSIENT  (それは美しく、果てしなく、そして儚い)


「さぁ、なんとなく。いつのまにか」
 アリストは力無く応えている。よく分からない。何故そんなことを言ってるのか。
「まあ、そんなもんかもな」
 相手は相変わらずやる気のない声で応える。



SOMEBODY FORGET IT  (誰もが忘れている)


「彼女には――悪いことになるな」
 相手はやや憂いを帯びた声で言う。
 誰だろう?
 彼女とは誰だろう?



NEVERTHELESS SOMEBODY HAD KNOWN IT  (みんな知っていたのに)


「彼女には、もっと相応しい人がいるはずですよ」
 力無く自分は笑う。
 だが、とても、とても悲しそうだ。
 自分には何があったのか?
 一体――誰のことを想っているのか?



DON`T WANNA FOTGET IT  (忘れたくない)


「覚悟は出来ているようだな」
 覚悟?
 なんの覚悟なのか?



DON`T WANNA BREAK IT  (壊したくない)


「ええ、彼女に会えて、貴方に会えて、良かった」
 何が!?
 一体何が良かったのかっ!?



DON`T WANNA MISS IT  (見逃したくない)


「今なら全ての運命を受け入れることが出来る。全てはあるがままに、自然のままに」
 とても落ち着いた様子で話す自分。
 理解らない。
 分からない。
 分かりたくもない。



BECAUSE I LOVE BEAUTIFUL PHANTASY(私は美しき幻想を愛しているから)


「たとえ、あの世界が封じられたとしても、決して消えて無くなる訳じゃない」
 受け入れるというのか?
 あの美しい世界が人々の前から消えゆくのを受け入れるのか?



I JUST LOVE PHANTASY  (私はただ幻想を愛しているだけ)


「全ては流れ行く時のままに――」
 なんで……なんでそんなに穏やかな顔をしているのかっ!
 コレが自分の未来と言うのか。
 自分には受け入れることが……。



I KNOW MARVELOUS OF PHANTASY  (私は幻想の素晴らしさを知っている)


「僕は全てを受け入れるよ、人は……とても強い。それと同じように全ての生きるモノは強い」
 受け入れられる筈がない。
 一体どういう事なのか?



BELIEVE IN PHANTASY  (幻想を信じて欲しい)



「アリストっ!」
 赤毛の女性が背後に現れる。顔は……良く見えない。
 ただ、その女性に自分はとても穏やかな笑みを浮かべて
「I love you, ――」
 自分は女性の名前を呟く。分からない。聞こえない。ただ、その瞬間――。




BELIVE IN POSSIBILITY OF ONE  (その可能性を信じて欲しい)


 情景は恐ろしく早く流れていく。
 霧の街へ行き、ふらふらと歓楽街を行く。
 そして、ビリヤードをしている情報屋にコインを見せる。
 情報屋は驚いた顔して一枚の紙を渡す。



I`M NOT INTERESTED IN,IF IT IS DREAM  (それが夢だろうと私には関係ない)


 再び情景は切り替わる。
 夜の町を必死で彼は歩く。
 そして、一つの宿を見つけ――そこで意識を失う。



THERE IS PHANTASY IN THE WORLD  (ファンタジーはそこにあるのだから)




 吹雪の中シュヴェリアはアリストを横たえる。彼の周りには一切吹雪は触れていない。傷も何故か塞がっていた。
 そして、横たわっているアリストの目からは頬を伝う一条の煌めきがあった。
――悲しむことはない。全ては運命のままに。だが、運命は変えることが出来る。人はそれゆえに強いのだから――
 そして、壊れたギターをシュヴェリアは見据えた。
――終わりの時までまだある。それまで我が共に汝の行く末を見守ろう――
 彼女の姿はギターに吸い込まれていく。
 そして、壊れていたギターは白く輝く美しいギターになった。



 鳥が鳴いていた。
 霧の街に朝が訪れる。
 やがて、町の片隅にある今にも潰れそうな宿の中で赤毛の女性が掃除を始め、外に出てくる。
 近所の主婦と挨拶を交わしつつ、路地を掃こうとしたその時――彼女は地面に横たわる何かを見つけた。
 それが――二人の物語の始まりだった。
 とても……とても短い、そして美しい物語の始まりだった。


To be continued Lesson2〜4

And, continued to there》
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