The another adventure of FRONTIERPUB 7

Contributor/ねずみのママさん
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川が見ていたはなし

 午後のお茶の時間。
 新聞を一生懸命読んでいるサリーに、テムズが話しかけた。
「なにか変わった事件でも出ている?」
サリーは新聞から目を上げて答える。
「いいえ、目を引くようなものはないですねえ。喧嘩、詐欺、強盗――。不況のせいか、自殺も多いです」
「ふうん。――自殺ねえ。……もう何年になるのかしら。あの時自殺してたら、今ここでこうしている私はいないわけよね」
 サリーは驚いてお茶をこぼしそうになった。
「えっ! テムズさん――自殺しようとしたことあるんですかっ?」
「まあね。……何驚いてるの?」
「だって、全然そんな――思い詰めて死ぬことを考えるようなタイプには見えませんよ。世界が滅んでもテムズさんだけは生き残ってる、というならわかりますが」
 テムズは口をとがらせて、抗議した。
「ちょっとちょっと何よそれ。――まあいいわ。過去のことよ」
「ね、ウェッソンだって、意外だと思うでしょ――ウェッソン?」
 サリーの保護者は黙って紅茶をすすっていたが、あまり関心がないような声で、
「まあな――」と答えるだけだった。
 半分眠っているのかしら、とサリーは思った。
「でもいったいどうして、そんなことになったんですか?」
 テムズの方に向き直り、興味津々という顔をして尋ねるサリー。
「おいサリー、人の痛い過去をあまり突っつきまわすものじゃないぞ」
 やっぱり起きていたらしいウェッソンが言った。サリーは思わず口元を押さえた。
「ごっごめんなさいっ、テムズさん……」
 当のテムズは平気な顔で、
「別にいいわよ。言い出したのは私だし……今なら笑って話せるもの」
と答えた。
「聞きたい?」
「ええ、聞かせてください」
 サリーは目をきらきらさせて言った。


 テムズの褐色の瞳は、どこか遠くを見つめた。彼女は話しはじめた。
「父さんが死んだとき、私は今のサリーよりもまだひとつ年下だったわ――。この店と、いくらかの借金だけを残して、父さんは逝ってしまった。でも、世間知らずな15歳の小娘に何ができるというの? 店の手伝いはしたことがあったけど、経営していくなんてとても無理だと思ったわ。そしてもし、店を売って借金を返したとしても、こんどは一文無しになってしまう。
 債権者の一人は、私にこう言ったの。うちに養女として来ないか。借金は全部肩代わりするし、人を雇って店を続けていってもいい、と。でも――「養女」が何を意味するのか、15歳でも十分見当がついたわ。あの親父――嫌らしい目つきでひとをじろじろなめ回すように見ていた……今思い出してもぞっとする!」
 テムズの表情がわずかにかたくなった。
「テ……テムズさん……」
 サリーは話をせがんだことを早くも後悔しはじめた。しかしテムズは話し続けた。
「その話を断って……それから、途方に暮れて町をふらふらとさまよったの。やがて日も暮れかけて、夕焼けが美しくて――なんだか無性に悲しかった。お先真っ暗な私が、夕焼けをきれいだと思うなんて、とても不思議だったわ。
 そうしたら、自分と似た名前の川に行き着いたから――ちょうどいい、ここで死んでやろうと思った。川縁をずっと歩きながら、飛び込めそうな場所を探したの。そして、ここからならいいかな、と思って思い切って飛び込んだら――」
「飛び込んだら……?」
「水が冷たかった――体が全然動かなかった……ああこれで父さんのところに行ける、と思ったその瞬間、誰かに腕を引っぱられたの」
 テムズはそこでにっこり笑った。サリーは次の言葉を待った。
「なんだかわけがわからないうちに、川岸に引き上げられていた。私を助けてくれたのは、一人の青年だったわ。背が高くて、輝くような金髪と、海のような青い瞳の、ハンサムな人――」
 そのときいきなり、ウェッソンが紅茶を吹き出した。そのまま彼はむせて咳きこんでいた。
「ムードぶち壊さないでよ! 何か文句でもあるの?」
 テムズがウェッソンをにらみつける。ウェッソンはまだ苦しそうに咳き込んでいたが、やっとのことで首を横に振り、
「い……いや、失礼。気にしないでくれ」
と言った。
「今度じゃましたら追い出すわよ」
 テムズは鋭い口調で釘をさした。
「テムズさん、それからどうなったんです?」
 サリーが期待に胸をふくらませて聞く。
「ええと……彼は私にわけを尋ねて、私はすなおに答えたわ。黙って全部聞いてくれたあとで、こう言ったの――まだ死ぬのは早いよ、って。死ななきゃならないほどつらい思いを、きみはまだしていないだろうって言うのよ。だから私、お金がないというだけでとても惨めでつらい思いをしなくちゃならない、こんな世の中に未練はない、とかなんとか言ったと思う。それから――」
 テムズは言葉を切って、冷めかけた紅茶を一口飲んだ。
「連れていってくれませんか、と言ったの。今から思うとなんて浅はかで図々しいと思うけど、その時は必死だったのね。きっと私、本当は死にたくなかったんだと思う。あの見ず知らずの親切な人に助けを求めていたのよ――。
 そしたら彼、なんて言ったと思う?」
「さあ……いっしょにおいで、って?」
「ううん。連れていくことはできないけど、かわりにこれをあげるよ、と言って、側に置いてあった鞄を開けて見せたの――お金の束がびっしり詰まってたわ――その鞄を私の手に――」
「えっ? その人……もしかして銀行強盗した帰りとか」
「何言ってるのよ。ひょっとしたら、どこかの国の王子様だったのかもね。とにかく、そのお金で借金を全部返して、お店を立て直しなさいって言うのよ。お店の経営なんて無理です、っていうと、勉強すればいい、生活に困らないくらい金はあるのだから、ゆっくり時間をかけて勉強できるはずだ、って……。何年か経ったらまたここに来るから、その時立派に立ち直ったところを見せて欲しい――そうすると約束してくれるなら、このお金を全部あげるよ――」
「ええ――っ! 驚きですぅ」
「ほんとよね。あの時もだけど、今でも信じられないわ。でもとにかく約束して、その人はお金を置いて行ってしまったわ。それで私、彼の言うとおりにがんばったの。借金返して父さんの店を継いで、あの人がまた来てくれる日を待って……今日に至るというわけ」
「その人、来てくれましたか?」
「それが……まだなのよね」
 テムズは寂しそうに答えた。
「金髪で青い目の人ってたくさんいますよね。名乗り出ないので気がつかなかったんじゃ……」
「命の恩人を私が忘れるわけないでしょ。まだ現れないわ」
「やっぱり、どこかの刑務所にいるんでしょうか」
「そんな悪い人には見えなかったってば」
「じゃ、即位して王様になって身動き取れないとか」
「その方が、可能性あるかも。――でも、早く今の私を見て欲しいな。それから、あの時のお礼をちゃんと言うの――あなたのおかげでここまで来ました、ありがとう、って」
 そう言ってテムズは明るく笑った。人生の危機をひとつ乗り越えてきた彼女の、自信にあふれた笑顔だった。サリーにはそれがとても眩しく見えた。
「テムズさんて――苦労してきてたんですねえ。全然知りませんでしたぁ」
「ひとはみかけによらないってね。……あ、いけない。もうこんな時間。店を開ける支度しなくちゃ。サリー、ここの片づけお願いね」
 テムズはバタバタと出ていった。サリーはティーセットをお盆に載せてキッチンへと向かった。
 二人がいなくなると、ウェッソンは、こらえていた笑いを爆発させた。いつまでも笑い転げ、やっと笑いがおさまったときには腹筋が痛くなっているほどだった。
 彼は気を取り直し、パイプを取り出して火をつけた。


 まったく――女の子の想像力には感心するしかない。テムズは自分で意識しないまま、話を大幅に脚色している。サリーはどこまであの話を信じたのだろう……。
 彼女の命の恩人は王子でも銀行強盗でもなかった。ただ、たまたまある賭けに大勝ちして金を手に入れたところだったのだ。彼にとっても生涯2度と手にすることはできないような大金だった。どう使おうかと思い悩んでいたところに、目の前で少女が飛び込み自殺を図り、金がないから死ぬなどと言い出した。そこで彼はもう1度賭をすることにしたのだ。この少女の将来に。
 それにしても、金髪で青い目の美男子は、いったいどこから湧いて出たのだろうか。おそらくテムズが記憶と願望とを混同させてしまったのだろうが、実際には彼女の命の恩人とやらは、黒い髪と青灰色の瞳だったのだ。すぐ近くにいるというのに全然気づきもせず、彼女は自分で勝手に作り上げた金髪の彼をいつまでも待ち続けている――。
 まあ、わざわざ思い違いを訂正する必要はないだろう、とウェッソンは思った。金髪の王子の幻影は、やがて消える――たぶん、彼女が真の恋に目覚めるとき。その日がいつになるのかは見当がつかないが、そう遠いことではないように彼には思えた。
 ウェッソンはテムズの輝くような笑顔を思い出した。
 ――俺もいつかは笑いながら自分の過去をサリーに語ることができるのだろうか。
 そっちはまだまだ遠い先のことだな、と彼は思った。 


おしまい


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