The another adventure of FRONTIERPUB 56

contributor/ねずみのママさん
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忘れられない誕生日




 いまにも雨が降りそうだったがぎりぎりで曇り、という天気だった。
 その晩フロンティア・パブに来た初老の紳士は、初めて見る客だった。なのにテムズは、彼とどこかで会ったことがあるような気がしていた。
 背の高い痩せた男は、端のテーブル席に座った。テムズは営業スマイルで声をかける。
「いらっしゃいませ。いま、はじめてのお客様にエールを一杯サービス期間中なんですよ」
 男はテムズの言葉に微笑して答えた。
「せっかくですが、じつは先代のときに何度か来ているんですよ。あなたが小さかったか、まだ生まれてすらいなかったかもしれないころにね。いまは隣町に住んでいるのでなかなかここに来る機会もないんですが、今日は仕事でこっちにきて、通りがかったらなんだかなつかしくてね……」
「まあ、それは失礼しました。お立ち寄りくださってありがとうございます」
「きょうは、この店で一番上等なワインを頼みたいんですが。娘の誕生日で……あなたと同じくらいの歳なんですが、今はなかなか会えないところにいるんです。だから毎年ひとりで祝うんです」
「それはおめでとうございます。ちょうど、きのう入荷したいいワインがあるんですよ。お待ちくださいね」
 テムズはご機嫌でワインを取りに行った。離れていても、娘のことを思っている父親の愛情。なかなか感動的だ。すでに父親がいないテムズは、ちょっぴりうらやましいと思った。
「いっしょにお祝いさせてください。これ、私からのささやかなプレゼントです」
と、ワインといっしょに注文されていない料理もサービスしてしまう、気前の良さ。
「これは、どうも」
 男が喜んでくれたようなので、テムズも嬉しくなった。
 常連客がぽつぽつと集まりはじめた。テムズはカウンターに戻った。
「今夜のテムズさん、やけにご機嫌がいいですね。どうしたんでしょう」
 サリーがウェッソンに耳打ちする。ウェッソンはうなずいて、
「このまま閉店までいってくれればいいんだがな」
と答えた。
 若い女性客が来た。テムズとは学校で同級生だったシャロン・ローズだ。それほどのなかよしというわけではなかった。おとなしい静かな子、という印象だったが、それはいまもほとんど変わらない。つやのある黒髪を肩に垂らし、小さな黒い瞳はいつも伏し目がちだった。はやくに父親を亡くし、その後母が再婚して新しい父ができたが、なかなかなじめなかったという事情もあって、いつもなんだかさびしそうにしていた。しかし学校を出る頃には、その父親とも本当の親子のように仲良くなって、明るい顔になっていた。
 そのシャロンが今夜はもっと明るく生き生きした表情で、カウンター席に座った。
「こんばんは、テムズ」
「いらっしゃいませ。めずらしいわね、あなたがひとりでなんて。今日はオットーは?」
「残業があるかもっていうので、ここで待ち合わせしてるの――じつは今日、私の誕生日で……」
 少しはにかみながら、彼女は言った。
「あらっ、おめでとう。誕生日といえば、さっき来たあのお客さんもね、娘さんが」
「え?」
 テムズの視線を追ったシャロンは、客の顔を見て驚いたように立ち上がった。相手の男も同様に立ち上がり、二人は目を丸くして見つめあった。どうしてだろうとテムズは不思議に思った。
 数秒の沈黙の後、シャロンはあわてて詫びた。
「あ……ごめんなさい、つい見つめてしまって……あなたが、私の父にあまりによく似ていたので」
 男は笑顔に戻り、
「それは奇遇ですね。なんと、あなたは私の娘にそっくりですよ」
と言った。
「まあ、ほんとうに?」
 シャロンは困ったように中途半端な笑顔を返した。
 そう言われてみると、二人はなんとなく似ているところがある、とテムズは思った。
「私が小さいときに父は亡くなったので、写真でしか知らないんですけど。あなたはその写真にそっくりなんです」
「……そうでしたか。そして今日がお誕生日とは、不思議な偶然もあるものですね」
 そのとき、新しい客がやってきた。がっしりした体格の若者だ。大きな声で、シャロンに呼びかける。
「シャロン、待った? ごめんね仕事がのびちゃってさ――」
 オットー・スイフト。彼もまたテムズのかつての同級生だった。いたずらも多かったが活躍も多いというタイプの、いわゆるクラスの人気者だった。そんな彼とおとなしいシャロンとの組み合わせを意外に思った元クラスメイトも多いようだ。
「私もいま来たところよ。……あ、この人、オットー・スイフトといって、わたしの婚約者なんです。もうすぐ結婚するんです」
 父そっくりとはいえ初対面の男に、シャロンはなぜかオットーを紹介している。
「おお、それはおめでとう」
 男はにこにこしながら頷いた。事情がのみこめないオットーは、
「あ、ど、どうも」
と、挨拶する。
「知り合いの人?」
「ううん、いまはじめて会った人よ。でもね、私の死んだ父にとてもよく似ているんで、びっくりしちゃって……」
 びっくりしているのはテムズだった。
「結婚するの? シャロンとオットーが? い、いつ?」
「ああ、年が明けたら。そのときは学校時代の仲間も呼んで、ここで一晩明かそうと思ってるんだ。よろしく頼むよテムズ」
「まあっ、こちらこそ、団体さんを連れてきてもらえるなんて嬉しいわ。ほんとにおめでとう。日取りが決まったら連絡ちょうだいね」
と言いながらも、心の中はちょっぴり寂しいテムズ。私の王子様はいつ来てくれるんだろう、と小さなため息をついた。
 さて、これを聞きつけた他の客たち――ふたりの知り合いだったり赤の他人だったり――が口々に野次を飛ばした。
「おー、お二人さんお熱いね」
「結婚か! めでたいぞ」
「式には呼んでくれるんだろうな、オットー」
 オットーは、
「おう! 先着三百名様ご招待だ。はやいもの勝ちだぞ」
と返した。
「バカ言え、どこの富豪だよ。三名様の間違いだろ」
 どっと笑いが起こる。すっかり雰囲気が盛り上がった。
 紳士が言った。
「これも何かの縁です、ぜひ私からもお祝いさせてください。このおふたりと、この店の全員にエール一杯ずつ、私持ちで」
 この人、意外とお金持ち? と、テムズは驚いたが、サリーとウェッソンに合図して、てきぱきとエールを用意しみんなに配った。
「では、この二人とここにいる皆さんの幸せと健康を祈って……乾杯!」
 そのあとは誕生日のお祝いなのか婚約のお祝いなのか、なにがなんだかよくわからなくなったが、要するに飲むことができるなら、理由はなんでもかまわないのだ。おめでとうの嵐と酒と料理がいつもの三倍くらい飛び交った。祝い事があると、なぜか財布のひもがゆるくなるものだ。
 やがて紳士が立ち上がった。
「あなたがたのおかげで、今夜は楽しかったですよ。ありがとう。私はそろそろ失礼しますが……どうか末永くお幸せに」
「あ、こちらこそ……どうもありがとうございました」
「お嬢さんにもよろしく」
 オットーとシャロンが立ち上がって握手を求める。男は差し出された手を軽く握り、優しい目でふたりを見た。
「それじゃ……おふたりともお元気で」
 彼はテムズたちにもありがとうと言って、幸せそうな笑顔で店を出て行った。男のいたテーブルをかたづけはじめたテムズに、オットーのとまどうような声が聞こえた。
「あれ、どうしたの? シャロン」
 見ると、シャロンが下を向いて涙をぽろぽろこぼしている。酔ったのだろうか?
「ねえ、大丈夫かい? 水もらう?」
 心配そうにオットーがシャロンの背中をさする。シャロンは小さい声でなにか言った。
「……なの……あの人」 
「え?」
「私のほんとうの……父なの」
「何言ってるんだ? だって君のとうさん、小さい頃に亡くなったって」
「ついこの間、偶然知ったばかりなの。父は……死んだのじゃなくて、離婚したんだって……私……そんなこと全然……」
 オットーは愕然とした表情でシャロンに言った。
「なんだって! あの人ほんとに君のお父さんだったの? じゃ……どうして……お父さんと呼ばなかったんだ?」
 泣きながら、シャロンは答えた。
「呼びたかったけど……呼べないわ……だってあの人にだって、今は別の家族がいるかもしれないし……私の今のおとうさんは……」
「それだって、君のほんとうのおとうさんには変わりないだろ? 何年も会ってなかったんだろう? そうだ、今すぐ追いかければ――」
「やめてお願い。おとうさんだって、きっと気がついていたと思うけど、なにも言わなかったわ。だからもう……」
 そのときドアが開き、紳士が戻ってきた。
「すみません傘を忘れて――」
 オットーとテムズは同時に男を見つめた。シャロンはうつむいたままからだをこわばらせている。
 男は視線に気づき、シャロンの様子に気づいた。
「なにかあったんですか?」
 そう言われても黙り込んでいる彼女を見て、オットーは男に、
「あなたはシャロンのおとうさんなんですか?」
と尋ねた。
「オットー!」
 シャロンが叫びながら立ち上がった。
 男の表情がゆっくり、大きく、変わっていった。驚きと焦りの入り交じった目でシャロンを見つめ、震える声で聞いた。
「……わかっていたのか?」
 シャロンはもう、とまらない涙を拭いもしない。唇が動いたが声にならず、小さく頷いて答えた。それを見た男の瞳に後悔の色があらわれた。
「そう……か……。それは……悪いことをした……君が知っているとは思わなかったから……あのときすぐに立ち去っていれば良かったんだ……」
「お……とう……さん」
 シャロンの声はほんとうにか細く、にぎやかな店の中では聞き取れるかどうかというくらいのものだったが、男には聞こえたらしい。彼の目がみるみるうちに潤んできた。
 それを見たオットーが、シャロンの背中を軽く押した。二、三前によろけた彼女は、もう後戻りはできなかった。そのままなだれ込むように父親の胸に飛び込む。
 父親は娘をしっかり抱きしめた。おそらく、十何年かぶりに。 
 「おとうさん! おとうさん……!」
 そう言いながら泣き続けるシャロン。男はシャロンの黒髪をそっと撫でながら、泣くのを堪えているようだった。もらい泣きしているのはテムズやオットー。いつのまにか客たちもしーんとなって、二人を見ている。
「ごめんなさいおとうさん……本当はさっき、すぐに……おとうさんって呼びたかった」
 父親は静かに言った。
「ありがとうシャロン。嬉しいよ。私も……離れていても、君のことを忘れた日はなかったよ。毎年きみの誕生日はひとりで祝っていた。背はどのくらい伸びただろうか、どのくらい母親に似てきただろうかと想像しながら」
「つい最近なの。たまたま父と母の話が聞こえてきて……おとうさんが生きているのなら会いたいと思った……でも……そんなこと言えなくて……私」
「そうか……つらい思いをさせてほんとうにすまない。でも今日は一緒に祝えてよかったよ。……これからだって、いつでもどこにいても君の幸せを祈っている。もう泣かないでくれ。誕生日じゃないか」
「そうね……そうよね……」
 シャロンはやっと顔をあげ、父の顔を見上げた。
「あ、あの」
とオットーがおそるおそる声をかけた。
「結婚披露宴にお招きしたら……ご迷惑ですか?」
「ありがとう。だが、気持ちだけいただきますよ」
「そうですか……わかりました」
 複雑な表情でそれだけ言うと、オットーはあっさり引き下がった。
「おとうさん……」
「会って話ができただけでも嬉しかったのに、そう呼んでもらうと……私まで泣いてしまいそうだ。こんどこそこれで失礼しよう」
 そして父は娘の頬にキスして言った。
「私は遠くて近いところにいる。またいつか、道ですれちがうこともあるだろう」
 それからオットーに向かって頭を下げた。
「私がこんなことを言う立場ではないのかもしれないが……シャロンをよろしく頼みます」
「は、はいっ。大丈夫です。絶対ふたりで今以上に幸せになります」
 オットーは、やけに力をこめた声で答えた。
「ええと、私の傘は――」
「こちらです、お客さん」
 涙をふいたテムズが、笑顔で傘を差しだした。
「またぜひいらしてくださいね」
「ああ、どうも。また時々寄らせてもらいますよ。……それではこれで」
 紳士は一同に挨拶すると、さっきよりももっと幸せそうな顔で帰っていった。





おしまい

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