The another adventure of FRONTIERPUB 41

Contributor/白さん
《BACK



い触角


「………………。」
 朝起きて、自室の鏡を覗いたテムズは絶句していた。つむじのあたりから天を突くかのように伸びる一房の赤い髪。寝癖は少なからずできるとはいえ、これはなんというか見事を通り越してアホっぽい。かくんかくんと首を動かすとその寝癖の髪もぽよんぽよんと揺れた。
「や、遊んでる場合じゃなくて」
 そう、この程度の状況など彼女にとって苦難には数えられない(ホントに数えられない)。19年という月日が培った知識はこれを具体的に解決する手段を一瞬で導き出し、類い稀なる行動力でそれを実行する! 



「それは新しいファッションか?」
 寝惚け眼をこすりながらウェッソンはカウンターの奥のテムズに問う。
「違うわよっ!」
 いつもの仕事着にプラスして、頭にしっとりとしたタオルを乗せるというのはファッションとして斬新ではある。斬新なだけで流行りそうには無いが。
「そうか…。それならいい。」
「なんで深く突っ込まないのよ。」
 パイプに火を付けその視線を窓の外に投げるウェッソン。テムズはその背中に湿気を帯びた視線を射掛ける。それと時を同じくして店の階段から誰かが降りてくる音。
「おはようございま……その頭の上のタオルには深遠なる謎がてんこ盛りに」
「無いっ!」
 ややこしいところにややこしい娘がやってきてテムズは痛くなってきた額に手をやる。
「じゃそれはなんなんですかぁ?」
 至極もっともな疑問を投げかける件のややこしい娘さん、サリー嬢。テムズは溜息一つと共に
「寝癖を、なおしてるのよ…。」
と言葉を紡ぎ出す。何故この程度のことを説明するのにこんな気苦労をなさねばならないのだろう? しかし溜息の理由はそれだけではない。
「接客業だから身なりを正しておくのは当然でしょう?…もういいかしら?」
 そう言ってテムズは頭の上の物をどける。ほんわかとした湯気が上がる。蒸しタオル、それはまさに寝癖を治す魔法のアイテムと言って差し支え

ぴよよ〜んっ♪

…そ、そう擬音を出しておかしくないくらいに起きあがったあの寝癖、名付けるならば「赤い触角」は天を指し自らの存在を誇示している。実は居候の二人が店に降りてくるまでにこの試行錯誤は数回繰り返されている。蒸しタオル効果無いじゃん。
「ちょっとかっこいいですぅ。」
「…ありがと。」
 サリーの賛辞に気の無い返しをするテムズ。そうして平平凡凡な(?)一日が始まる

 …はずだった。



「ごちそうさま。チップはここに置いておくよ。」
「ありがとうございました〜。またのお越しを〜。」
 笑顔でお客さんにお辞儀をするテムズ(つられて赤い触角もお辞儀をする)。一見さんでチップまで払っていく人は稀有である。自分の仕事振りが評価されたように感じて気分が良い。スキップでもしそうな勢いでカウンターの奥に戻るテムズ。その足取りに合わせて赤い触角がぴこぴこと揺れる。そのままの気分で洗いものをしていると、
「テムズさ〜ん、表を掃き終わりましたぁ。」
とサリーが店にてててと駆けこみ、くるりとカウンターに廻り込んでテムズの顔を覗きこんだ。
「あれ? テムズさん何か上機嫌ですね?」
「そう? あ、サリー掃除が終わったら」
手伝ってもらいたい事があるんだけど、と続けようとしてテムズは言葉を切る。今話しかけてきたサリーのほうへ滑らかにステップを踏み、ほうきを持った迷探偵を軽く突き飛ばす。尻餅を付いたサリーの姿も見ず、ウェッソンの抗議の声も聞かずテムズは棚を見上げる。そこからは祖父の代よりある大皿が落ちようと…落ちてきた! それを器用にキャッチしたテムズはカウンターに置くとまた棚に視線を移す。そこからは数枚の皿が続けて落ちてくるがやはりそれらも見事にさばききり、一枚も床に落とすことなくカウンターに置く。全て欠けも作らないまま最後の1枚を積み上げた時にはサリーとウェッソンの拍手が起こった。
「いいものを見せてもらった。」
「あ、ありがとうございますぅ!」
 礼を言うサリー。確かに今テムズが動かなければ大皿はサリーの頭を直撃して、人的・物的共に被害はかなり出ていただろう。
「しかし…」
 ウェッソンが口を開いた。
「本当に凄いな。まるで最初から落ちてくるのが分かってたようだ。」
「よしてよ気味悪い。」
 手を振りながらテムズは否定する。
「ただ……ただなんとなく危ないな、って思っただけだから。それだけよ。」
「…へぇ。」
 今のテムズなら銃弾だって避けられそうだな、ますます手が付けられなくなる。その言葉をウェッソンは飲みこんだ。



「はっ!? こんな所に秘密の地下迷宮の入り口があったとは今世紀最大の発見ですぅ!」
 サリーがフロンティア・パブ内のカウンターの下で今世紀最大の発見であろう秘密の地下迷宮の入り口を見つけたのは、テムズが見事な芸を見せたしばらく後のことである。
「きっとこの中には眠れる銀河の皇帝がその配下4万5千人のミイラと共に悪辣非道なる罠を手ぐすね引いて8千年の眠りから悠久の時を越えこの 名・探・偵! サリサタ・ノンテュライトの手によって伝説に残る財宝を回収されるのを、すーはー(ここまで一気に言いきったらしい)、今や遅しと待ち構えている風味なのですぅっ!!」
「何やってるのよサリー?」
 地下迷宮から眠れる銀河の皇帝が…もとい、パブの酒蔵からテムズが(赤い触角と)顔を出した。
「ひうわっ!? この墳墓の王はテムズさんっ!? じょ、成仏するですぅ。ほんにゃかほんにゃほにゃらほにゃほにゃ〜」
 サリーが唱えているのはどうも彼女の産まれ故郷の除霊のまじない、らしい。らしいというのはその聞き覚えのない言葉がそういった内容であるとしかテムズには思えなかったからである。とりあえず相変わらずほにゃほにゃやっているサリーに対しては眉間にチョップを入れておいた。
「い゛〜た〜い゛〜で〜す〜ぅ゛〜。」
「人の顔見るなり成仏させようとするからでしょ?それよりサリー、ちょっと探し物を手伝ってくれる?」
「…それは、”調査”ですねぇ?」
 額の痛みも忘れてその甘美な誘惑ににへらっと笑うサリー。テムズは一瞬引きかけたが、何となくだがここはまかせていいと思った。
「探して欲しいのは…」
 テムズは探して欲しいワインの銘柄と収穫年、そして色を告げる。
「ふっふっふ。その程度、名探偵の手にかかれば百日紅に猿が登るようなものですぅ!」
 滑るがな。ぐっと握り締めた拳の指の間から合計8つの虫眼鏡を生やしたサリーは不敵な笑みを浮かべる。それを見ながらテムズは苦笑しつつ、先ほどから延々ときゅっきゅと心地よい音が響く方へ
「ウェッソン、まだ同じグラスを磨いてるの? だったらお願いがあるんだけど。」
と、声をかける。
「いや2個目。今日は早磨きの新記録に」
「それは、別の日にお願いできるかしら?」
 不敵な笑みを浮かべつつ酒蔵に降りていくサリーと入れ違いで、ゆらりとカウンターに出てきたテムズ。その圧倒的なプレッシャーにウェッソンは記録を目指す言葉と、グラスを磨く手を止められる。
「…お、OK。で、お願いとは?」
「市場に買い出しに行って欲しいのよ。頼める?」
 断ること、すなわち死。だというのにその問いの投げかけは意味がない! そうウェッソンは思うのだが口に出すと明日を迎えられそうもないので、
「頼まれます。」
と無難に返した。テムズは笑顔とメモ、そして数枚の紙幣で更に答えを重ねる。渡されたメモにウェッソンは目を通し、
「あー、なになに? ドーバー海峡で獲れたイキのいいヒラメに? コディおじさんの美味しい有精卵? 焼き立てのパンから作ったパン粉に…」
「いちいち全部読み上げなくったっていいでしょうに。」
そうテムズに呆れ顔で言われる。相変わらずメモ帳に視線を向けながらウェッソンは
「ここまで事細かに注文を受けるなんて珍しいな、と思って。」
と言った(実はまだ全部目を通していない)。言って口答えは死の香りがすることに気付き、背中に冷汗が伝う。だが、
「んー…いや、なんていうか…何となく、ね。」
若干困惑しながら言うテムズには攻撃の気配は微塵も感じられなかった。
「分かった。じゃあ手早く終わらせてこよう。」
 拍子抜けと一つの思惑。それを紙幣やメモと共にポケットにしまいこんでウェッソンは外へ向かう。その後ろで、
「テムズさぁ〜ん! 見つかりましたよ〜!」
というサリーの声が聞こえた。



 きゅっきゅっとカウンターを磨けばそれに合わせてひこんひこんと触覚は揺れる。きゅっきゅっとお皿も磨けばやっぱりそれに合わせてひこんひこんと触覚も揺れる。テムズもそれを気にすることはやめた。
 今のパブは静かなものである。ウェッソンはまだ帰っていない。急いで市場に行ったとしてもまだ戻れない時間だからだ。さっきまで店の雑事を手伝っていたサリーはほんの数分前、
「事件の匂いがするですぅ!」
と言ってどこかへ行ってしまった。それはいい。もうサリーに手伝ってもらうことも一通り終わっていて、後は自分がやる分の仕込みを残すのみ。てきぱきと作業が進む。
 と、スプーンやフォークを入れている食器棚に手をかけた時、テムズは今日数度目の”妙な予感”を感じた。その感覚に眉をひそめながら引き出しを開けるテムズ。そこにはいつもと変わらずに食器が整然と並んでいた。嘆息しつつその食器達に湯浴みをさせる為取り出そうとした。そのテムズの指先に妙な違和感があった。
「ん……?」
 引き出しを限界にまで出して、敷布をどけるテムズ。そこには小さな指輪があった。
「これは…」

 フラッシュバック。

 黄昏と夜闇が混ざり合うバザール。暖かくしっかりと自分の手を握り締める父親の掌。きらきらと光る異国の装飾品。小さな手に引っ張られる父の服・・・あぁ、この小さな手は随分昔の自分の手だ。しゃがみこんで黒いローブを着た商人に話しこむ父親の姿。やがて父親が渡したのはこの小さな飾りっ気のない指輪だった。落ち行く太陽とガス灯の光に照らされた指輪と、はにかむ父親の顔はしかし何よりも輝いていたように思う。
 段々と父親の影が消えていきそうな今のこのパブに、その指輪は”思い出”という輝きをもってここにある。
「ずいぶん前に無くしたと思ってた………。なんでこんな所に………。でも、嬉しい。」
 その小さな思い出をあの頃より大きくなった自分の掌で握り締め、そっと感慨に更けるテムズ。とはいえいつまでもそのままでいるわけにもいかない。その思い出をポケットに押し込み、仕事を続ける。
 ひと段落つきそうなその時、また例の”妙な予感”がぴーんときた! 
「テムズさ」
「助手はお断りっ!」



 機先を制されたサリーははくはくと口を動かすが言葉は出てこない。今しがた依頼を受けて有能な助手を引き連れる為にダッシュした(2度転んだ)のは何のためだったのか。テムズさんにつきつけたはずの人差し指の存在価値はどう問うべきか。こういう時の為にいるはずのウェッソンすらいない。これは…。これは…。
「わかりましたですぅぅぅ。ひとりでなんとかしますぅぅぅ。」
 がっくりと腕も肩もお下げ髪も声のトーンも降とし、きびすを返そうとするサリー。
「話くらいは聞いてあげるってば。紅茶でも飲む?」
 けれども助手はお断り、決然とした笑顔でテムズは問いかける。
「いただきますぅ。」
 まだショックを隠しきれない様子で、サリーはふらふらとパブに戻ってきた。すとん、とカウンターのいつもの席に座る。そんなサリーと自分の為にお茶を沸かすテムズ。
「で、今回はどんな依頼をもらってきたの?」
 砂糖をかなり入れた紅茶をすすりながらクッキーを頬張るサリーにテムズは聞く。探偵というのは名だろうが迷だろうがエネルギーを消耗するものらしい。
「ゆふふあひひふぇんれふぅ(ぼりぼり、ずずー)。」
「誘拐事件?」
 それが本当なら大変なことだ。サリーが口の中の物を飲みこむのを待ってテムズは詳しい話を聞く。
 それはこういう話だった。この町に住む”ベルファスト=パトリック”という少しは名の知られた商人がいる。彼の家に数日前から孫が来ていたのだが、今朝になって忽然と姿をくらましたらしい。そしてその孫がいた部屋の机には身代金誘拐をほのめかした手紙があったということだ。
「幼い子供を狙った暴虐なる悪人に正義の鉄槌を30個ほど、むしろ50個ほど落とすのが探偵の使命なのですぅっ!」
 瞳にめらめらと炎を宿しながら力説するサリー。いやそもそもそれは探偵の使命なのだろうか? 謎は深まる一方だがしかし、
「へぇ…。」
 意外にテムズの温度は上がらない。他人事とはいえ心根で優しいテムズは、こういった時は少なからずとも憤慨はするものだが。淹れた紅茶を自分も一口すすりながらテムズは、
「誘拐じゃなかったりしてね。」
とこともなげに言った。
「え?」
「案外、おじいちゃんと喧嘩してその腹いせにやってるのかもしれないわね? そのお孫さんって何歳?」
「10歳ですぅ。」
「…ふぅん。」
 顎に手を当てて考えるテムズ。しばしの時間が流れたあと、ひこっと触角が動いた…というよりテムズが顔を上げただけなのだが。
「近くに公園か倉庫とかはない? もし隠れてるのだったらそういう所を選ぶはずだわ。10歳の子供の足なら本人は遠くまで行ったつもりでも大人の足ならたいした距離じゃないわ。知らない街ならなおさらね。」
「分かりました! ならば今すぐ行って」
「ちょ、ちょっと待ちなさいっ!」
 椅子から立ち上がり加速をつけようとしたサリーは後ろから呼びとめるテムズの声に、足にブレーキをかけることを余儀なくされる。
「な、何ですかぁ?」
「あなたが行って見つけた所でその子はきっと素直には帰らないと思うわ。その子が来て欲しいのは”おじいちゃん”、その人のはず。」
「は、はぁ。」
 まるで小説で読んだ名探偵の魂がテムズに宿ったかのようだ。サリーは椅子にちょこんと座り、おとなしく続きの言葉を待つ。
「だから、まずベルファストさんにあってその事を伝えるべきね。そして二人で探すといいわ。きっとその子、朝一番に家を抜け出したものだから今頃寂しくなってお腹も空いて泣いているかもしれないわね。それに、」
「それに?」
「治安の事を考えれば冗談じゃなくなるかも…って」
「わっかりましたぁいってきま〜〜〜すぅ!!」
 すでにサリーはパブを飛び出していた。
「……全部あたしの想像でしかないんだけどなぁ…。」



 ほんの数分後、
「買ってきた。」
どさりと両手一杯の買い物袋をカウンターに置いて、ウェッソンはいつもの席に座る。
「ありがと。」
 そう礼を言ってテムズはメモと内容を照らし合わせる。きちんと全部あるようだ。
「ところで今サリーが駆けていったようなんだが。いつもの、か?」
「いつもの、よ。まぁ今回はサリー一人でも大丈夫だと思うわ。」
 袋の中の物を取り出しながら言うテムズ。それを聞いてウェッソンはパイプに火を入れながら
「そうか。テムズがそう言うならそうなんだろうな。」
と得心した表情をする。
「何よそれ?」
 しかしテムズの問いにウェッソンは紫の煙をくゆらせることで応える。その妙に余裕のある表情にテムズはモップを飛ばしかけたが、
「ところでテムズ、俺が手伝うような事は他にあるかな?」
と珍しく自分より動いてきたウェッソンの声に思い留まる。テムズは色々とウェッソンに出来そうなことを考えたが、しかしそれらはすでに終えているかまだ早いと思い至る。
「無いわ。」
 残念だけど。とは言わずにテムズは応えを返す。あぁ、と気の無い声を出しつつ席を立つウェッソン。
「そうか…。じゃ、ちょっと俺もでかけてくる。しばらくしたら戻ってくるよ。」
 片手を上げながら背中越しにテムズに言うウェッソン。
「いいわよ。けれど肝心な時に帰ってこなかったら、分かってるでしょうね?」
「わ、わかった。」
 後ろからの強烈な視線にさしものウェッソンも歩みが止まる。と、振りかえりざまウェッソンが言う。
「ところでテムズ、1から16までの数字で好きなヤツを一つ。」
「なによそれ?」
「いいから。」
「…9、かな?」
「OK。」
 ポケットから出したくしゃくしゃの紙を広げ目を通し、またくしゃくしゃっとポケットにその紙を突っ込むウェッソン。何故か意味ありげにぴっと右手の掌を頭の横で動かしながら宿を後にした。
「何よそれ……。」
 ほぅ、と溜息をつくテムズ。ふと視線があったうさぎもまた、首を振り振り、嘆息し(ているように見え)た。



 鍋を混ぜ混ぜ。触覚ひこひこ。食材切り切り。触覚ひこひこ。お腹に響く美味しい香りのその向こう、ひこひこひこと触覚も揺れる。知らず知らずの鼻歌に踊る踊るよ触覚も。とかなんとかやってるうちに時間は過ぎていく………。



 宿に帰るなりウェッソンはドン、とカウンターに袋を置いた。
「何よこれ?」
 訝しげな視線でウェッソンを見るテムズ。妙だ。妙に今のウェッソンは上機嫌にみえる。しかもなんだかアルコールの匂いがかすかにだがする。そのウェッソンは視線に動じることもなく言い放つ。
「宿代半年ぶ」
 ガバァッ!
 最後まで言い切る前にテムズはそらもう恐ろしい勢いでその宿代半年分が入っているだろう袋を確保した。どのくらいの勢いかというと思わずウェッソンが間抜けな防御ポーズを取るほどである。と、
「返せと言っても返さな…いや、ちょっと待って! これまっとうに稼いできたもの!? さぁっ! 出所をキリキリ喋ってもらうわよっ!」
「いやちょっと待てっ! なんでまともでないと決めつけるんだっ!」
出所に疑問を持ったテムズは激しくウェッソンに詰め寄る。テムズにしてみれば例えどんな額だろうと”汚れた”金を懐にはしたくないのだろう。しかしウェッソンにしてみればまったくもってお門違いだ。この金は…
「ただいまですぅ。」
その途中でサリーが帰ってきた。んしょっ、という感じで手にしていた袋をカウンターに乗せる。
「それは?」
 テムズの問いにサリーは若干照れた表情を浮かべて言う。
「え、えへへぇ? お金がまとまって入ったから溜まってる宿代まとめて半年ぶ」
 ガバァッ!
 最後まで言い切る前にテムズはそらまたもう恐ろしい勢いでその宿代半年分が入っているだろう袋(都合2つ)を確保した。どのくらいの勢いかというとまた思わずウェッソンが間抜けな防御ポーズを取るほどである。と、
「二人とも、きちんと説明してくれるわよね?」
テムズは困惑の渦の中、そう二人に問いただした。



「じゃ…私から。」
 パブ内にいる全員の視線がサリーに向かう。
「えっとですねぇ。実は…」
 その話の内容は驚くものだった。テムズの話を聞きベルファスト氏の所へ駆け込んだサリー。驚くベルファスト氏を屋敷から引っ張り出して、倉庫街へ向かったそこには!
「そこには?」
「なんと暗黒街に巣食う悪人がデイモン君を…あぁ、ベルファストさんのお孫さんの名前ですねぇ。が、襲っていたんですよぉ!」
 そこに駆け付けたサリーとベルファスト氏。悪漢をちぎっては投げちぎっては投げ(主にベルファスト氏が)。そして涙、涙の祖父と孫の再会。
「…ということなんですぅ。それで、早期解決と未然に事件を阻止したということでその報酬を頂きましたぁ…。けど今回の事件が解決できたのは間違いなくテムズさんのおかげです。だからこれはテムズさんにお渡しするのがいいと思いましたぁ。」
 にはは、と照れ笑いをしながらサリーは話を閉める。しかし何故かテムズのほうも何となく煮え切らない笑顔だ。自説がもとより憶測であったからだと言うこともそうだが、色々な要因がその表情を作り出している。
 実はテムズは昨日、買い物帰りにおもちゃ屋の前で駄々をこねるこどもとそれを叱るベルファスト氏をちら、と見ていたのだ。…そしてかって自分も一度、父親に対してデイモン君と同じ事をやったと思い出したのだ。その時も自分を叱って、けれども帰り際におんぶしてくれた父親の背の温もりをかすかに感じるのは、懐古をいざなうあの指輪のせいだろうか? 物思いに更けそうになるがしかし結論の出ないことは今はやるべきではないと、テムズは現実に向き直る。
「そういう事なら宿代半年分、確かに頂くわ。」
「はいですぅ。」
「で、ウェッソンのほうは一体どういう事かしら?」
 それまでサリーの話を聞いていたか聞いていなかったか(多分聞いていない)、ぼぉーっとしていたウェッソンだが、話を振られたらさすがに反応しないわけにはいかない。
「いや、俺の方はそんな難しい話じゃないんだ。」
「じゃあ手短に。」
「これは競馬で…いやテムズさん? 競馬は紳士の嗜みですよ? ですからそんな硬そうな椅子を振り上げるのはやめるべきだと思うんですが?」
 オーク材の椅子で頭部等を痛打した場合これ以上の内容を知る事は不可能と思い、テムズはその懇願を聞いてあげる事にした。殴打は全てを聞いてからでもできるし。
「ともかく、最終レースの出来事だ。」



 時間的に賭けられるレースはその大一番だけだった。賭けたのは、そう、”9”番、オレンジペコーに一点買い。オレンジペコーは人気薄の馬、好んで賭けようとは誰も思わないだろう。しかしウェッソンは有り金を全部その馬につぎ込む。馬や騎手にではなくテムズの今日の直感と運に賭けたのである。
 第3コーナーまではありふれた展開だった。先頭に1番人気、それを追う2番人気。オレンジペコーは馬群の中ほどに揉まれてとても勝てそうには見えない。
「やっぱり他人の運なんてアテにするもんじゃないかねぇ。」
 そう言ってウェッソンは右手に持ったグラスを口に運んだ。その時、あたりを支配している歓声の色が変わる。ターフに目をやるとそこには先ほどとはまったく違う状況になっていた。先頭の二頭の馬は今や馬群の大外にふくらんでおり、先頭になっているのは……9番、オレンジペコー。ウェッソンですら我が目を疑うほどだ。ウェッソンがグラスを傾けている間に何が起こったか?
 その真実は誰にも分からない。しかし事実だけを言うのならば、先頭の馬が大きく横に寄れた。そのあおりを食らって追従していた2番手の馬も進路を大きく横に変えざるを得なかった。そしてその事で1頭の馬に奇跡のような事態が起こる。その馬、オレンジペコーの眼前は完全に開かれていた。騎手は猛然と鞭を入れ、馬は栄光への一本道をひた走りに走る。
 ウェッソンが呆然としていたのはつかの間の出来事だった。咥えていたタバコが落ちたのも気付かず、いつのまにか自らが賭けた馬に声援を贈る。当りを馬券が飛び交う。それはオレンジペコー(とその騎手)と自分を祝福する紙ふぶきのようだ。そして…
「ぃよっしゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」



「…と、いうわけだ。」
「へぇ。」
 納得したテムズの右手にはしっかりと椅子が握られている。
「ということは、私が店の仕事を一人でやっている間、あなたはアルコールをかっこみながら賭け事に熱中していたという事ね?」
「いやっ! 待てテムズっ! だから少しでも悪いと思ってるからこうして宿代に当ててるんじゃぁないかっ! だからその椅子は勘弁してくれ!」
「いいわ。その点については勘弁してあげる。」
 ほっ、と胸をなでおろすウェッソン。触角の生えたテムズの微笑…安心もつかの間、その笑顔の内面から、笑顔を浮かべる人が発するものではない気が溢れくる。
「けど、もし予想が当らなかったらどうしてたの? 答えて。」
「それは…」
 それを口にする事はできないウェッソン。視線を外したその刹那。
 ゴスッ。
 声にならない悲鳴が響き渡った。それを見て『うわぁ。』と、サリー。撃沈したウェッソンのほうを見ないようにしながらテムズに話しかける。
「でも、今日のテムズさんはいつにも増してことごとく凄いですぅ!」
「そうかしら?」
 (いつにも増して、というのは若干ひっかかったが)いまだ不思議顔のテムズ。しかし、
「………いや…俺もサリーの意見に賛成だ……。」
テムズ川の底に沈んだはずのウェッソンが復活して、サリーの意見を後押しする。どうやらテムズもかなり手加減してあげたらしい。
「…アレだな。」
「アレですぅ。」
 居候の二人が何やら頷きあって、そして自分に視線を投げかける。自分が何で、そして何がアレなんだろうとテムズは思い、
「何よ? そのアレって?」
と当人に取っては当然の疑問を口に出す。その問いに対し、
「それだっ!」
「それですぅ!」
居候’sはびしいっ! と人差し指をテムズに、いや正確に言うならばテムズのあの”触覚”に突き付けた。
「へ?」
 あまりに唐突な二人の行動に思わず間抜けな声を上げてしまうテムズ。それからその存在を忘れかけていた”赤い触角”の事を思い出す。
「いや、これはただの寝癖で」
「きっとその触覚が超時空電波を受信するアンテナの役目を果たして大宇宙の何処かに存在するというアカシックレコードからその状況下において最善と思われる情報を選び出しテムズさんの無意識の領域で覚醒させて行動を伴わせているのですぅ! 今のテムズさんならその行動は絶対無敵、究極正義の魔法少女鮮烈大変身ですぅ!」
「わけわからないし。けどこの寝癖は」
「や、アカシックなんとかがどうとかは俺はわかんねぇけどさ、今日のテムズの勘の良さはただ事じゃあないのは自分でも理解してるだろ? 今日のテムズがいつもと違うところと言えば…それしか無いじゃないか。」
 テムズは自らの直感と寝癖との関連を否定しようとするが、二人がかりで話の腰を折られる。頭の上に手を伸ばす。そこにはやはりあの赤い触角が鎮座ましましている。ちょこんと突つくとひょこっと動いた。いまだにそういうオカルトな事象が納得できないテムズは思案顔で一言。
「…うーん。」



 しかし。


「う゛ぇりぃう゛ぇりい ☆ どぅぇぃるぅぃしぃゃあぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜すぅっっっ!!!」
 その素晴らしいカイゼル髭の素晴らしい紳士は素晴らしく号泣しつつ素晴らしい巻き舌で素晴らしく高らかに叫んだ。その余りの素晴らしさに(?)驚くテムズ達。
「旦那さまは、『これは大変美味しゅうございます』とおっしゃられております。」
 いまだ号泣するその紳士の横のいかにも一生執事で生きてきましたこれからも執事で生きていきますといった感じの初老の男性が直立不動の姿勢で厳かに言う。そしてまた、
「ぅぅぅわんだふぉほぅっ! ぃぃぇぁぃぇえくせれんっっっ! とぅぅぇりぃう゛ぅぉおぁ〜んぬぅぇぃっ!!!」
「旦那さまは『これこそ今私が食べたかったものです。料理とお酒のマッチングも最高です。味付けも私の年齢に合わせたものでいたく感心いたしました。』とおっしゃられておりますそして旦那さま、最後のはフランス語でございます。」
「ぉうぃえ。」
更なる号泣を続ける紳士と直立不動の執事に対し、とりあえずテムズは
「あ、ありがとうございます。」
少し笑顔を引きつらせながらもお礼を言う。と、その眼前に一枚の小さな紙がつきつけられた。それを差し出した執事に目をやると、どうも受け取れというような雰囲気が感じられた。ともあれそれを手にするテムズ。それには ”倫敦の美味しいパブ100選編纂委員会 委員長 「号泣紳士」ディレック=ラーカム” と書いてあった。
「これは…?」
「ぃぃぃゃぁやぁふぅぅぅぅぅっっ! ぐぅぐるぐぅぐぅぅぅぅぅっ!」
「旦那さまは、『それに書いてあるように今度本を出版致します。それに是非ともこの店を紹介させていただきたいのです。』とおっしゃられております。」
「あ…。…え? えっと……?」
 その言葉の意味を飲み込むのに時間がかかるテムズ。当の”号泣紳士”に目をやると、相変わらず号泣しながらもこちらに向けて親指を立てていた。つまりこれは……
 ぜ ん こ く で び ゅ う 。
「あ、ありがとうございます!!」
深々とテムズとその触覚はお辞儀をする。
「ぃぇあ! ぅゆーあーぁぁぅうぇるかんっ!! ぇぁあぁぁんっどぅぉっ、はっっっう゛ぁぅぁはっなぅぃすでぇぃっ!! ぐんなぁぁぁぁぁぁいっっっっっ!!!」
「旦那さまは『こちらこそありがとうございます。吉報をお待ち下さい。そして今夜は非常に良い時間を堪能させていただいた事を心から感謝します。ごちそうさまでした。今宵はこれにて失礼させていただきます。』とおっしゃられております。ゆえ、私もおいとまさせていただきます。さようなら。」
 滝のように涙を流し号泣紳士は店を出ていく。その後を、少しチップの量が多いほどのお勘定をカウンターに出し終えた執事が追う。二人の姿が見えなくなるまでずっとお辞儀したままのテムズ。その顔は珍しくにやりとしている。全国区で紹介されれば集客率もアップ! 加えて店の収益もアップ! お辞儀を終えたテムズに、店にいた他のお客さんからの拍手とお祝いの言葉が飛ぶ。にこにこ笑顔のテムズがぺこぺこお辞儀をするたびにひこひこ触覚動いてる。
 食器を持ってカウンターに戻ったテムズに、カクテルを作っていたウェッソンがウィンクを飛ばし、
「俺に買わせたものが的中したな。」
にやりと笑って言う。そして、
「うん。やっぱり、この寝癖のおかげかな?」



 …だとしたら凄い話だ。

 以後のパブでもテムズの強運と直感が冴え渡る。普段チップも払わないお客が今までのツケをまとめて払ってくれるわ、いつも難癖付けてくる嫌な客にちょっと煮こみ過ぎたシチューを出したらなんか 「お袋の味だ…」 とか言って今までの行いを反省するわ、恋の悩みを持った男性にアドバイスをして上げたらあれよあれよと話が進み、彼女に告白一発OKおめでとうありがとうパーティが始まるわ、etcetc…


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


結果発表

本日のパブの総収入はフロンティア・パブ通常営業時の平均収入の十倍に及んだ。
この記録はテムズがカウンターに立つようになってから最高のものである。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 その日の夜。熊さん模様パジャマに着替えたテムズ。すとんと鏡台の前に座る。頭の上にはやはりあの赤い触角が誇らしげに伸びていた。ちょこん、と指でつつくとふるん、と震える。
「えへっ。」
 いとおしそうに触覚を指でなぞって、今日の幸せを噛み締めながらテムズはベッドに潜りこんだ。



 次の日。
 テムズの触覚が2本に増えていた。
「これは、昨日の2倍の幸運が起こるという事じゃあ!?」




 で、朝着替える時にタンスの角に足の小指を打つわ、階段を踏み外すわ、サリーが落とした皿をダイビング一閃取ろうとして失敗するわ、そのままカウンターに激突して他の食器も落とすわ、洗いものしてると蛇口が壊れて水浸しになるわ、財布は落とすわ、「事件が〜」と駆けて行ったサリーが犬数頭に追われたまま店に入って大乱闘になるわ、食い逃げに立て続け3人にやられるわ、熱い紅茶を乗せた盆を持ったサリーは思いっきり転んで掃除道具入れ箱に激突するわ、その弾みで飛び出したモップが銃整備中のウェッソンを痛打するわ、ウェッソンが暴発させた銃弾がカウンター奥のボトルキープ棚の留金を壊して酒瓶全部が落ちて台無しになるわ、銃声に驚いたうさぎが店を飛び出しそれに驚いた通行人が腰を抜かすわ、しかもその人が街の名士でなじみの医者の所に搬送したあと治療費を請求されるわ、ウェッソンを狙ったガンマンがいきなり銃撃戦始めて店を穴だらけにするわ(事態収拾にガンマンに投げつけたのは、前の日に割らずにすんだ大皿)etcetc…


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



結果発表

本日のパブの総出費はフロンティア・パブ通常営業時の平均出費の二十倍に及んだ。
この記録はパブができて以来、最高のものである。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 その日の夜。しろうさぎさん模様パジャマに着替えたテムズ。すとんと鏡台の前に座る。頭の上にはやはりあの赤い触角が憎々しげに二本伸びていた。ちょこん、と指でつつくとふるん、と二本とも震える。
「くすん。」
 余りの今日の出来事の凄惨さに、涙で枕を濡らすテムズであった。









 次の日。
 テムズのアホ毛が3本に増えていた。
「………………………………ど、どうなるっていうのよぉ!?」







 さてさて、どうなりますことやら。

どっとはらい



《return to H-L-Entrance