The another adventure of FRONTIERPUB 39

Contributor/哲学さん

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 彼女はいつものように探偵パトロールモードだった。
 つまりは、常日頃から臨戦態勢なのだ。えへん。
 そんな誇らしげな時間を過ごしていると、ふと探偵レーダーに激しい反応が現れる。
 なんと河原に一人の青年が倒れている。
 年の頃ならば物語の後半に殺されそう。
 見た目は実は犯人そう。
 服装は重要な脇役そうだ。
 だが、動かないところを見るとどうやら彼は出番が来る前に死んでしまって名前だけが後で連呼されるタイプらしい。
 恐らくは裏で色々と悪いことをしていたが、実は悪事から足を洗う矢先に殺されたとかそう言う感じになるに違いない。
 と、言うことは犯人は人に言えない仕事の上司に見せかけて子供を身ごもった女の義父の親友となのる女の実父だろう。
 そこに至るまでの証拠探しが大変だが、最終的には手柄を警部補にゆずって人知れず帰ってゆくのがベターだ。
「ふ、これでまた記録に残らない探偵譚が出来てしまうわけですか。私って罪な女ですぅ」
 彼女はそう言いながらラストシーンで報酬を断るときの決めぜりふを探しつつ、ゆっくりと死体に近づいていった。
 さすがに死体の前でしゃがむ段になると、一切の妄想を捨て彼女は愛用の虫眼鏡を取り出した。
「まずは現場検証からですぅ」
 そう言って彼女はまじまじと死体の手を見つめ……その右手を掴まれた。
「うわぁぁぁぁぁっ! じ、実は異世界ミステリーですかぁっ!?」
 次の瞬間、彼女の脳裏には街を溢れかえるゾンビを必死で助手が駆除しつつ、その間に解毒剤とかそんな都合のいい薬をどこかの研究所で作ってる性根の腐っていそうな博士と対峙して人の道という物を今回の事件の色んな回想を交えて説いた挙げ句、泣きながら解毒剤を渡してもらうという完璧なビジョンが浮かび上がる。
 その完璧な未来推理に感服しつつも、あっさりと彼女の理性は、そんな場合じゃないですぅ、と冷静な判断を下していた。
 必死でその手を振り払おうと手をジタバタさせるが、ゾンビにしてはその力は強靱でまったく振り解くことが出来なかった。
「……を」
 地獄の底から聞こえてくる呪詛。
「……水を」
 死者は生前燃えながら熱い、熱い、水を、と叫びながら川に飛び込んだらしい。いや、そうに決まっている。
 水なら目の前にある。
 もう一度飛び込んでよアンデッド!
 川には無限の海とやたら浅い川底が待っている!
「って、なんでもいいから手を離してくださいですぅぅぅぅ」
 結局の所そんな馬鹿馬鹿しい事実はどうでもよくて、彼女としてはとっとと逃げ出したいところだった。
 が、それでもゾンビさんは手を離してくれない。
 その手は執拗に彼女の手を握り……。
「……お嬢さん水を。一杯でいいから……ツケで」
「……へっ?」
 最後に付け足された妙に現実的な単語に一瞬にして彼女は冷静になる。
 いや、彼女は最初から冷静だったはずだ。
 だって彼女は探偵なのだから。
 探偵は常に冷静である。
 よってさっきのはちょっとビビっただけだ。……冷静なまま。
「……いや、おごりの方が僕としては嬉しいかな」
 何はともあれ色々とテンションが下がっていくのを彼女は自覚した。
 がっかりである。
 色々とがっかりである。
「えーと、水ならそこの川にありますよぅ」
 やや冷淡に彼女は言う。
「……動く気力もないんだ」
「でも握る力はあるんですか」
「うん、握る力はあるけど動く力はないんだ」
「ああ、そういうことですか。納得ですぅ。でも握られたら動けないですぅ」
「……成る程。名推理だね、探偵さん」
「ふふん、当然ですぅ」
 なにはともあれゾンビさんは手を離してくれた。
「で、えぇ……と水をくめばいいんですね?」
「……いや、どうせならジュースの方がいいな」
「死体の癖にがめついですねぇ」
 彼女は軽蔑の眼差しでゾンビさんを見る。
 すると、彼は何を勘違いしたのか顔をキリリとさせ、こらちに流し目をしてきた。
「お嬢さん、一緒にお茶でも如何ですか?」
 彼女は何も言わなかった。
「ワリカンですか?」
「……そっちのおごりで」
 視線の温度がまた一つ下がるのを彼女は自覚した。
「…………」
「…………」
 そして気まずい沈黙が二人の間に流れる。
「……たとえばお茶すればどうなるんですかぁ?」
 彼女は溜息と共に最大限の譲歩を見せた。なんせ彼女は名探偵と同時に大人のレディなのだから。
「うーん、そうだねぇ……話をしよう。こう見えても僕は吟遊詩人なんだ」
「どんなお話ですかぁ?」
 すると、彼は笑いながらはっきりとした口調で言った。


夢のように馬鹿な話を



 そして、サリサタ・ノンテュライトは変な吟遊詩人と河原でジュースとハンドドックをかぶりつくハメに陥っていた。
「はぁ……正義の味方とは辛いものですぅ」
「へぇ、君は正義の味方なのか。探偵じゃなかったのかい?」
 気が付けば隣の吟遊詩人は手元の食糧を全て食べ尽くしていた。
「……そちらこそ手品師だったんですかぁ?」
「手品も出来ない詩人は詩人じゃないよ?」
 彼がマントを翻すと空っぽのコップは彼の手先から消えて無くなり、一輪の花へと変貌する。
「まあ、僕は標準的な吟遊詩人だからお腹が減ってる時はいくらでも食べられるんだよ。うん。まだまだおかわりは可能だよ」
「却下しますぅ」
 サリーはあっさりと言い捨てる。
「……服従します」
 だが、詩人もあっさりと従った。
 なんとなくウェッソンに似てなくもないと思った。
 そう言えばこの詩人はどこかで見たことがある気がする。
 確かサリーが泊まっている宿の……いや、テムズと一緒にいた詩人はもっと小ぎれいだったと思う。確かタキシードも着ていた。
 ……でもよく考えるとあれは貸衣装だとか言っていた気もする。
 じゃ、目の前の泥だらけの詩人がそうなのか。
 違うだろう。
 サリーはあっさりと否定した。
 何故ならばテムズが通りかからないからだ。
 事件は顔見知りが久しぶりに会うところから始まる。
 が、それが起きないと言うことはとどのつまり知り合いではないと言うことだ。
 以上がサリーの名推理だ。
「さてさて、何を語らせて頂こうかな」
 白いギターを軽く鳴らしながら、相変わらず軽薄な感じで詩人は言う。
「じゃあ、名探偵の活躍物がいいですぅ!」
「うわぁ、吟遊詩人に対する挑戦状だぁ」
 目の前の詩人はバツの悪い顔をしてジャカジャン、と鳴らした。
「吟遊詩人の癖に探偵譚もないんですかぁ?」
「うーん、僕は平均的な吟遊詩人だから幻想的じゃない話は苦手なんだよ」
 彼はけらけらと笑いながら敗北を認めた。
「使えない男ですねぇ」
「ああ、よく言われるよ」
「――まったくじゃな」
 落ち着いた女性の声が同意する。
「……ん? 誰ですか? 今の声」
 サリーは古風で偉そうな女性を捜し求めて首をまわすがどこにもそんな女性はいない。
 河原には適当にギターを鳴らす詩人とサリー以外は誰もいない。
「さぁて、ここには僕達しかいないはずだけど?」
「……変ですねぇ」
 サリーは首を傾げる。


 ふと、彼女の視界を鳥の影がよぎった。


「……じゃ、鳥の話とかどうですかぁ?」
「お、いいね。幻想的でいい感じだね」
 興が乗ったのか軽快にギターを鳴らしながら彼は言う。
「君はなんで人が生きてるか知ってるかい?」
 突如飛躍した詩人の言葉にサリーは眉をひそめた。
「鳥と関係があるんですかぁ?」
「……君も野暮だねぇ。大ありさ。人は鳥になるためにずっと昔から生きてるのさ」
 ギターの音が優しく響きを川のせせらぎと重なり合って静かな協奏曲を造り出す。
「鳥のように自由に空を飛ぶ。ただそれだけのためにみんな生きてるのさ」
「へぇぇぇ」
 彼女は素直に詩人の言葉に引き込まれていく。
「この川はやがて海へと流れ着くだろう
 その海はやがて遠い異国へとたどり着くだろう
 そしてどこかの川へと登るだろう
 けれど、森の湖には届かない
 遙かなる山の頂には届かない
 海は確かに広大なれど星の全てを知るはずもなく……」
 詩人はギターの音に載せてスラスラと語っていく。
 それは今まで聞いたどの歌よりも丁寧であり、幻想的であった。
「されど、この空は全てへと繋がっている
 この空を行けば
 遙かなる山の頂も
 遠き海の異国も
 深き森の王国も
 幽谷の廃城も
 はては、空の果てなる星の海へと飛ぶことが出来る
 いち早く空を飛んだ鳥達も
 やがてはあの月へと至るため
 全てはあの星の彼方へと繋がるため
 未だ見ぬ何かを探して空を求めていく
 ……それが、生きると言うことなんだよ、お嬢さん」
 吟遊詩人の言葉にサリーは目を輝かせ、胸の前で両手を合わせる。
「成る程、そう言うことだったんですねぇ!
 素敵ですぅ!
 最初は嘘臭いただの浮浪者かと思ってましたぁ!」
「うん、まぁ、嘘なんだけどね」
 ジャ、ジャンとギターを締めるアリスト。
「ええ? 嘘なんですか!」
「うん。言葉は強い力を持ってるからね。嘘って言ったらみんな嘘」
 彼はあっさりと全てを否定する。
「でもでも、すっごく説得力ありましたよぉ!」
 サリーはせっかく感動したのだからと必死で先程の物語(?)を擁護する。
「うん。でも、海の底には行けないよ」
「あ、ホントですぅ。残念。嘘だったんですねぇ」
 自分の間違いに気付いてサリーはがっくりと肩を落とす。
「うん、全部嘘。残念だね」
「ホント惜しいことしたですぅ」
「全くだね」
 二人は同時にため息をついた。
「じゃあなんで生きてるんですか?」
「それは食べる為さ」
 詩人はゆっくりとギターを弾き始める。
「食べるなんて誰でもやってますよぉ?」
「結局の所
 人は当たり前の事をしながら
 当たり前の事をするために生きてるのさ
 人は食べることを辞めた時、死んでしまう
 人は何かを食べることによってしか生きていけない
 だが、食べると言うことは何かをするための力を得ること
 人は何かを成すために食べる
 そして人は何かを成し
 また腹が減る
 人は何かをすれば、いや、生きているだけで腹が減る
 結局の所
 人は腹が減るから
 食べ物を求めて土地を開拓し
 食べ物を求めて人は争い
 食べ物を買うために働き
 いい物を食べるために友達を作り
 食べ物を美味しく食べるために家族を作り
 その味を伝えるために子を成す
 食べると言うことは生きてることの証明なのだよ」
 ギターはどこか調子っぱずれな音楽を弾き出しながらも、どこかもの悲しげな音楽を創り出す。
「……でも、食べるなんて……なんか当たり前ですぅ」
「ほう、では君は旅をしたことがあるかい?
 食べると言うことがどれだけ難しいことか分かってるかい?
 過去起きた戦争のほとんどは結局食べる為の戦争さ
 いや、今この星で起こってることのほとんど全てが食べ物をよこせってことさ
 毎年何万人が餓死していることか」
 彼は淡々と怖いほど落ち着いた声音で語っていく。
「んー、でもなんか幻想じゃないですぅ」
「うん、嘘だからね」
 ジャ、ジャン、とギターは終わりを告げる。
「嘘なんですか? 凄いリアリティがあったのに……」
「ははは、生きるってのはもっとその先にあるもの……かもしれない。
 なんにしてもダメだねピエール。全然ダメダメだね」
 彼はまた軽快な音楽を奏でる。
「ピエール?」
「そ。知り合いの詩人さ。革命家だったんだけどある日突然目覚めて詩人になったんだ。
 なんか真実を伝える為に私は立ち上がるとかどうとか……。
 この話も彼の新説。
 ま、嘘は嘘ってことで」
「うーん、嘘ってつまらないですねぇ」
 サリーは口をとがらせて足をバタつかせる。
「でも、世界は嘘だらけ。でも、信じたものだけがホントになる。
 ……これってほんとかな?」
 そう言いながら彼はちらりと目線をそらした。
 つられてサリーもそちらに目をやる。
 すると、そこには赤い目をした白いウサギが立っていた。
「あ、ウサギさんですぅ」
「実はウサギって案内人なんだよね」
 ギターを弾きながら彼は言う。
「案内人てなんの?」
「さあ? ついていってごらん」
 言われてサリーはウサギを見つめる。
 ふと、彼女は違和感に襲われる。
 そう言えばここはドコだっただろうか。
 確かに川は流れている。
 けれど、空はこんなに青かっただろうか。
 草はこんなに瑞々しかっただろうか。
 だが、そんな疑問を深める前にウサギは走り出す。
「あ、待って下さい!」
 白いウサギを追ってサリーは走る。
 長く伸びた草をかき分け、湿った風に帽子を取られないように頭を押さえる。
 いつの間にか草は自分の身長よりも高くなり、かきわけるのが面倒になってくる。
 そのうち緑の海を泳いでいるような気分になってくる。
 そして、それを抜けた先には――。



 湿った空気が全てを物語っていた。
「…………」
 サリーは何も言えなかった。
 広大な草原が目の前に広がっている。
 英国よりやや冷たい風が頬を撫で、草の臭いが鼻を刺激する。
 家畜が草原を走り、白く丸いテントが点々と並んでいる。
 都会にはない、静かなれど絶え間ない音の奔流に引き込まれ、サリーは立ち尽くす。
「ウサギさん……」
 はっとしてサリーは周囲を見回す。
 視界の隅に白い影を捉え、サリーはそちらへと体を向けた。
 そこにはやはりウサギがおり、彼女はそれを追おうと足を踏み出す。
 と、地面に巨大な影が広がり、彼女を覆った。
「サリー、ここにいたのか」
 馬の嘶きと共に数頭の馬が近づいてくるのを彼女は感じた。
 不思議なことに草原の勘は鈍っていない。
 だが、何よりもその声にサリーは動けなくなっていた。
 威厳の有るバリトン。一族の全てを掌握する絶大なるカリスマ。
「…………」
 サリーは何も言えずに振り向いた。
「どうした? 何か変なものでもついてるかね?」
 偉大なる父は苦笑してこちらを見つめてくる。
 サリーは何も応えない。
「ふむ、わしの顔は変かね?」
「いいえ、変わらず壮健にございます」
 背後に控えた部下が答える。
 それに安心したのか再び父はサリーを見下ろす。
「外を出歩くなとはいわんが、アレを困らせんで欲しい。勉強は終わらせたのか?」
 相変わらず父は母のことをアレと呼ぶ。五人もいれば名前で呼ぶのも面倒なのかも知れない。
 だが、サリーは何も言い返せない。
 じっと父の顔を見つめる。
 すると、父は困った顔をして首の後ろを掻いた。我が儘娘の扱いに困っていると言ったところか。
「ははは。わしは悪い父親だな。全てをアレにまかせっきりだ。お前の言いたいことが分からぬ」
 親子の間に走る不思議な空気が気まずさを増す。
 だが、それは新手の乱入によってうち切られる。
 荒々しい嘶きと共に父の隣りに数人の男達が新たに近寄る。
 父はその人物を嬉しそうに声をかけた。
「おお、ゼラ。狩りは終えたのかね」
「ええ、大物を捉えましたぞ兄上」
 叔父は嬉しそうに父に報告する。
 それに対し、父も満足げに叔父の戦果を誉めた。
 本当に……仲のいい兄弟にしかみえない。
「……恐れながら」
 楽しげに語る兄弟に無粋な部下が割ってはいる。
「いかに兄弟とはいえ、身分が違いまする。館様、と呼ぶべきです」
「良いではないか。お前は頭が固いな」
 笑って父は部下の言葉を一蹴した。
「いやいや、館様。私もうかつでした」
「お前まで何を言う。気にするなとわしがいっておる。よいではないか」
 父は馬鹿げた格式を否定し、豪快に笑う。
 そこまでが……サリーの限界だった。
「………………酷いです」
 世界の温度が下がった……そんな気がした。
 もはや父の顔を見ることも出来ず、地面の一点を親の敵のように見つめ、呟く。
「サリー?」
「サリサタ様?」
 周りがどうしたのかと見つめてくる。だが、そんなものは気にならなかった。
 ただ、情けなくて……腹立たしくて……悔しかった。
「……酷い。……酷い。酷い。酷い、酷い、酷い……」 
 呟きは時間と共に叫びへと変わっていた。
 血が止まるかと思うほど拳を握りしめ、怒りは頂点へと達していく。
 いつの間にか、大粒の涙が眼鏡を濡らしていた。
「酷いです! こんなの! こんなもの!」
 サリーは力の限り叫び、こんなことをしでかした何かに全てをぶつけようと空を見上げる。


「最低の嘘です!」


 ――瞬間、炎が世界を包んだ。
 触れるもの全てを溶かす灼熱が視界の全て。
 悲鳴と怒号が聞こえる全て。
 彼女は分かっていた。
 これが正しいと言うことを。
 時間は足早に彼女の前を通り過ぎていく。
「リチェ族が攻めてきた!」
「守れ! テュ族の名に賭けて!」
「……アクワイが20名もやられた。もはやこれまでか」
「……ゼラ様が離反なされたのだ! これは謀反である!」
「館様は……もう」
「世継ぎは……サリサタ様を」
「いや、サリサタ様は未だ幼い」
「されど、他の子息達はもはや草原の果てぞ」
「いや、……まだあの方はこの地に」
「されど、あの方は性格に問題が……」
 交わされゆく言葉。
 大人達は自分が何も分からないと思っていたのだろうか。
 草原の騎馬民族は末子を世継ぎとする。末子が財産の全てを受け継ぎ、兄たちは新たなる地を開拓するために旅立つ。
 だが、叔父だけは例外だった。
 父が即位してから、祖父の隠し子であることが判明したのだ。
 父は叔父を弟として認め、自分の子供達を差し置いて世継ぎの権利を与えた。
 だが、叔父は納得しなかった。
 すぐにでも地位を。財産を。その全てを求めた。
 それでも父は叔父を諭した。父は聡明なる一族の血が叔父に相応しき器を与えると信じていた。
 しかし、結末は――。
 気が付けば炎の中で目つきの悪い中国人がぼやいていた。
 せっかくの金ヅルがいなくなり、大損だとかぼやいていた。
 そして、幼き日の自分がその中国人にすがりつく。
「連れていって下さい!」
「はぁ?」
「なんでもいい! お金ならあげます! だから、私をこんな所から連れ出して下さい!!」
「でも、お嬢……」
「いいから早く!」


 そして、足音が聞こえた。


 サリーは決意を込めて振り向く。
「これで良かったのかい?」
 詩人は優しく聞いてくる。
「……なんでこんなことをしたんですか?」
 サリーはきっ、と詩人を睨んだ。
「君が信じれば、これは嘘にはならなかった」
「そんなことは問題じゃありませんっ!」
 サリーは思わず叫ぶ。
「一番やってはいけないことは……起きてしまったことを無かったことにしてしまうことです!」
 その言葉に詩人は笑顔を消した。
「そこに至るまでに生きてきた人全てに対する冒涜です!
 それは……生きてることを否定する事じゃないですかぁ」
 そこまでが限界だった。
 後は涙で顔がぐちゃぐちゃになり、何度も何度も肘で顔を擦った。
 だが、涙は止まらなかった。
 しばらく、サリーのとまらないしゃっくりだけが辺りに響いた。
「……すまないことをした」
 詩人はただ寂しげに呟く。
「……君は人が夢から生まれたと言うことを知っているだろうか」
 詩人はぽつりぽつりと呟く。
 もはやギターの音も無くなり、静かな世界に彼の声だけが響く。
「全ては幻想から始まる
 世界にはただ幻想があった
 そこには全ての夢が詰まっていた
 けれど、夢は全てであったから、嘘だらけだった
 だから、本当のものが欲しかったんだ
 だから、人間が生まれた
 本当の何かを掴むために
 でも、本当になってしまった人間達は夢を忘れた
 人間達はもう、幻想を忘れ、ただ自分の世界を生きている
 かつてある、何かを忘れて生きている
 もはや、この僕の言葉すら嘘でなくなるほどに」
 サリーは首を振った。
 力一杯、首を振った。

「それは嘘です」

 サリーははっきりと告げた。

「……何故だい?」

 詩人は優しげに呟く。だが、その声は何かを切望している、そんな気がした。

「夢を見ない人はいません」


 その言葉で、世界は反転した。
 唖然としてサリーは辺りを見回す。
 上を向いた拍子に涙が一滴、最後の一滴がこぼれ落ちる。
 ――ざぶんっ、と水が弾む音がした。
 彼女の足下からクルクルと水の流れがとぐろをまいて上昇していく。
 やがて、水は彼女の目線の高さでとまる。そして、ゆっくりと人の形へと変化した。手の平大の、小さな人型に。
『我を呼ぶのは誰ぞ』
 すると、詩人は跪き、名乗る。
「プリスに御座います。最後の精霊使いとして、この地に馳せ参じました」
 サリーは訳が分からなかった。
 茫然と二人のやりとりを見つめる。
『ふむ、処女(おとめ)を触媒としたか。この封印を解くとは見事なり』
 水の人型はそう言うと感慨深げにため息をつく。
『とうとう、最後か。いや、長くもった方かの』
「まことに残念です。――解放はまだ不完全。この私の力によってあなたを完全に解き放ちます」
 そう言って詩人は立ち上がる。
 だが、水はそれを手で制した。
『よい、我はもうよいのだ』
 詩人はぎょっと目を見開く。
 それを見て水は淡々と告げる。
『我はもはやどうにもならぬほどに汚れた。束の間の解放など要らぬ。このまま、ゆるゆると朽ち果てようぞ』
 詩人は言葉もなく、ただ黙って礼をした。
「お水さんは死んでしまうんですかぁ?」
 たまらず、サリーは口を開く。
『そう言うことになる』
 驚くほど穏やかに水は呟く。
『そんな顔をするな。汝はなにも関係ない。全てはやがて朽ちる。これは定め』
「でも……」
 それでもサリーは何か言おうとする。
 が、結局何も言えなかった。
 その水は、羨ましいくらいに美しい笑顔を見せていたから。
「気にすることはないよ」
 詩人の淡々とした言葉。
「気が付けば全ては嘘のように、虚ろへと……」


 ギターの音が聞こえた気がした。


「人は、死ぬ為に生きてるって知ってるかい?」
 軽薄な詩人の声が響いた。
 サリーは何も応えない。
 ただぼうっと川の畔で彼の言葉を聞いている。
 ウサギもいないし、炎もない。
 ただ、河原で詩人のギターを聞いているだけだ。
「人は死ぬために作られた
 いや、人だけじゃない
 全ての生きる者達が、だ
 みんな死ぬという目標を持って生きている
 悲しい歌を歌いながら
 美しい踊りを踊りながら
 ただ死ぬためだけに生きている
 人はみな探しているんだ
 死ぬことが出来る時を、場所を
 やるべき何かを背負い、命の重みを深める
 そして、如何に満足な最後を見つけられるか
 ただそれだけのために生きている」
「…………」
 サリーはゆっくりとため息をついた。
「結局、なんなんですかぁ?」
「うわぁ、またまた詩人に対する挑戦だぁ」
 詩人は情けない声を出しながらジャ、ジャンとギターを鳴らす。
「自分で感じ取ったものが答え。他人が何を言おうと自分の答えが全てだよ」
「それも嘘ですかぁ?」
 ここでもやはり否定してくるかと思いきや、彼は何も言ってこなかった。
 ただニコニコとこちらの様子を伺っている。
 すると、サリーは思いついて、口を開いた。
「知ってますかぁ? 人は泣かないと生きていけないんですよぉ」
 詩人はほう、と目を開いた。
「人は必ず失敗して、挫折して、泣いてしまうんです。
 でも、それがあるからこそ人は笑えるんです。
 悲しさを知ってるから、生きようと思うんです」
「…………」
 詩人は黙って彼女の言葉を聞いている。
「私の知り合いに、泣いている人がいるんです」
 サリーは力を抜き、地面に寝転がった。
「出会ったときからずっと、来る日も来る日もずっと泣いてるんです。
 でも、そのことに彼は気付いて無くて、時々笑ってくれるんですけど、やっぱり泣いてるんです。
 ずっとずっと、泣いてるんです」
 青い空をゆっくりと鳥が飛んでいく。
 不意に、慌てん坊の風が草を鳴らした。
 まるで彼女の言葉を催促するかのように。
「けど、本当に笑ってくれた時……誰よりもいい笑顔をしてくれるんです」
「……その人のことは好き?」
 詩人の言葉にサリーは躊躇いなく答えた。
「はいですぅ!」
 そう言って彼女は起きあがり、体についた砂などを払う。
 そして、立ち上がった。
「大事なものをなくしてしまったんですかぁ?」
「……?」
 詩人は意味が分からなかったのか、当惑する。
「もう、手に入らなくなった何かを探してるように見えますぅ」
 そう言って、彼女は腰についた草などを叩いて落とした。
「取り返しがつかないから、人は泣くんです。過ぎた過去はどう足掻いても戻らないんですよぉ」
「……敵わないな、君には」
 そう言って詩人は力無く肩を落とした。もう、ギターを弾く気力もないらしい。
「失くした物はもう手に入らない。美しかったあの頃には戻れない……」
「でも、それ以上の物をきっと作れるはずですぅ」
 サリーは満面の笑みで言った。
 その言葉に詩人は唖然とし、彼女を見つめる。
 やがて、彼は苦笑しつつ、負けを認めた。
「君には敵わないな」
「よく言われますぅ」
 そう言って、彼女はゆっくりと背伸びをした。
「じゃ、私は帰りますぅ」
 よく分からないことだらけだったが、まあ、概ねいつもよりは楽しかったと言える。
 よって、今日は満足であるとサリーは思った。
 名探偵は次の事件のために適度な休息をとって置かねばいけないのだから。
 そろそろウェッソンもテムズの強制的なお使いから帰ってる所だろう。
「ありがとう。おかげで僕も生き延びれたし、魅力的な女性と会話もできた。
 大満足さ」
 詩人はそう言ってひらひらと手を振った。
「じゃ、ツケはフロンティア・パブにお願いですぅ」
「え?」
 詩人は一瞬絶望的な表情をかいま見せた。
 だが、次の瞬間サリーが笑ってそれを否定する。
「嘘ですよ。嘘」
「なんだ嘘か。よかった。嘘でホントに良かった」
 詩人はやたら安堵する。
 それを見てサリーは最後にもう一言付け加えた。
「って、いうのが嘘ですぅ」
「そんなぁ……」
「じゃ、そういうことでさようならですぅ」
 そう言って、サリーは詩人との馬鹿馬鹿しい話に幕を下ろした。






















 夕暮れの土手を詩人は一人歩いていた。
 つれあいはいない。
『結局の所……』
 声が聞こえた。
「ん?」
 詩人はなにも驚かず、聞き返す。
『汝は死に場所を探しているのか?』
 その言葉に詩人はしばし考えたあと、頷いた。
「そうだね、まずはこいつらの死に場所を探さないと」
 彼の手元には紙屑とプラスチックボトルがあった。
 ちらっ、と彼は辺りに目を配る。
 土手の端々に人間の捨てたと思われるゴミが転がっている。
 この数年、色んな所をまわってきた。
 だが、結局ドコにもゴミの落ちていない場所を見つけることが出来なかった。
 例えば雪山でさえ、人のゴミが落ちている。
 ゴミは簡単には風化しない。土に帰らない。
 何年も何年もその地に留まり、それはあるいは毒となりてその地を汚す。
 もはや、この国にゴミのない場所など無い。
 生きる者は死ぬために生きている。
 だが、人に作られたものは死ぬこともできず、他の何かを死なせていく。
 死にきれないゴミ達がそこら中で悲鳴を上げている。すくなくとも彼にはそう感じられた。
 と、そこで彼はついてくるウサギの存在に気付いた。
「ああ、もういいよ」
 そう言うと白いウサギはあっさりと消えた。ウサギの霊は成仏してくれたらしい。
『何故、あのウサギを喰わなんだ?』
「そんなことを何故?」
『森で自給自足する。それがドルイドの在り方ぞ』
 その言葉には詩人は何も応えない。
 しかし、沈黙に耐えられなくなったのか、詩人は口を開く。
「僕が食べれば森からウサギはいなくなる所でした」
『だが、そのウサギも結局ビンの破片が突き刺さり、死んでしまった』
 詩人は何も応えない。
『そして、ウサギを食べなかったせいでお前は死にかけた』
 詩人は何も言わない。
『人として働かない。ドルイドとして獣を食べない。ただ物乞いのようにお前は――』
 そこで詩人は足を止めた。
「夕日が綺麗ですね」
『…………』
「僕は運がいい」
 そう言って、また詩人は歩き出した。
『お主は、嘘が下手じゃの』


「ああ、よく言われるよ」



a pause.

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