The another adventure of FRONTIERPUB 33

contributor/ねずみのママさん
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追慕



 久しぶりに歩くこの街は、十数年の間にいくらか様子が変わっていたが、大きな変化はなかった。昔のままの町並み。私は迷うことなく目的の店にたどり着いた。
 入り口のドアを見たとき、なつかしさがこみ上げてきた。店は近年改装されたようだが、かつての面影は残っている。「フロンティア・パブ」の看板も以前のままだ。私は少しばかり興奮して脈拍が早くなったのを感じながら、ドアを開けて中に足を踏み入れた。
 店内の調度品もやはり新しくなっているが、落ちついた雰囲気はかわっていなかった。カウンターにいた女性が顔を上げたとき、私の心臓は止まりそうになった。死んだはずの宿の女将がどうして?
 ――いや、そんなはずはなかった。よく見れば彼女より背が高いし、髪の色もより明るい赤だ。そして瞳は彼女と同じ褐色だが、いくらか大きく見えた。しかしよく似ている。まちがいなく、彼女の娘だ――私は不思議な感動を覚えた。
「いらっしゃいませ」
 娘はにこやかに挨拶をしてきた。声もやはり母親にそっくりだった。私は、まだおさまらない胸の鼓動を必死に隠しながら、彼女に話しかけた。
「こんにちは。旦那さんはいるかね? 先日手紙を出して、今日訪ねていくと言っておいたのだが――」
 少女ははっとした表情で、私を見た。
「それじゃあなたが――あの……あの……申し上げにくいのですが……」
 彼女は申し訳なさそうな顔をして、こう言った。
「せっかく来ていただいたのに、すみません……。父は4年前に亡くなりました。お手紙に差出人の住所がなかったもので、ご連絡できませんでした……」
 私の心臓はまたも大変な負担を強いられることになった。宿の主人ももはやこの世にいないとは! 心は悲しみと後悔でいっぱいになった――どうしてもっと早く、ここに戻ってこなかったのだろう。彼とは話したいことが山ほどあったのに……。あの人当たりのよい男の笑顔も、もう二度と見ることができないのだ。
 私の並々ならぬ落胆が顔に出たのだろう、娘は心配したらしく、カウンターを出て近くのテーブルから椅子を引き、座るように勧めてくれた。
「ごめんなさい、本当に……父の手帳や古い手紙などを探してみたのですが、あなたのご住所が見つけられなかったんです」
「いや、あやまらなければならないのは私のほうだ。そんなこととは全く知らなかったものだから、手紙にはいつものように名前だけしか書かなかった……」
 すると、今はこの娘が一人でこの店を切り盛りしているのだろうか? 身よりもなく、ひとりぼっちで――あのときの彼女のように。私は昔のことを思い出し、つらい気持ちになった。そのとき心の奥にある一つの考えが浮かんだ。しかしまずはもう少し彼女から話を聞かなくてはならない。
「お父さんは、その……病気で亡くなったのかね?」
「ええ……過労がもとで体をこわして。たくさん借金を抱えていて、ずいぶん無理をしていたみたいです」
「そうか……知らなかった。何も力になれなかったな……」
 知っていたとしても、たいしたことはできなかっただろう。それでも、一緒に金策に駆け回ることくらいはできたかもしれないし、健康を気遣ってやることもできただろう。そうすれば、もしかしたら彼は死なずにすんだかもしれない――。
 そのあとの言葉が出なかった。数十秒間の沈黙が、静かな店内を支配した。娘も黙ったまま、私の顔を見つめていた。
 ようやく、私は口を開いた。
「墓参りにも行かないとな……とにかく手紙に書いたとおり、4,5日泊まりたいのだが――」
「はい。お部屋のご用意はできています」
 私が宿帳にサインをすると、彼女は2階の客室に案内してくれた。そこで一休みするあいだに、頭の中の混乱を騙し騙し、私はスケジュールの変更を決めた。明日はとにかく、親友の墓参りが第一だ。銀行に行くのは午後でもいいだろう。時間が余れば市内の友人宅に寄ることができるかもしれない。
 フロンティア・パブに泊まるのは、これで2度目だった。前に泊まったのは、そう――彼女の墓参りに来たときだ。そして今回、その夫の墓参りもいっしょにすることになるとは、私は夢にも思っていなかった。この国での最後の数日間をなつかしいフロンティア・パブで過ごしながら、諸々の用事や友人知人との別れの挨拶を済ませ、旧友との最後の思い出をしめくくって、船で旅立つ予定だったのだ。それが、こんなことになろうとは!
 


 私と彼とは、彼女を通じて知り合った。性格は違ったがなぜかおたがいに気が合い、やがてうちとけた仲になった。ふたりが同じ女性に想いを寄せていることを私が知ったのは、彼がプロポーズする直前のことだった。しかし彼のほうでは私の気持ちを知らなかったはずだ。私は必死に隠したのだから。
 彼女は赤毛の美しい娘で、おてんばだったが気だてが優しく、若者達のあいだでひそかに人気の的だった。彼女を目当てに店に来る者も多かった。しかしそんな連中には目もくれず、彼女は彼と懇意になっていた。彼もまた明るく親しみやすい人物だったが、当然のようにプロポーズは成功し、ふたりは婚約し、結婚した。私は自分の想いを胸の奥に封じ込め、彼らの門出を祝った。しかし幸せそうな二人を見ていることが次第に苦痛となり――彼女が子供を産んで間もなく、この町を離れ、遠い地に引っ越していったのだ。
 その後何年もこの近辺に足を踏み入れることはなかったのだが、ある日彼からの手紙が届いた。――彼女が亡くなったという知らせだった。私は自分が逃げ出したことを悔やんだ。臨終にも葬式にも立ち会うことができなかったのだ。私にできたことはただ、墓に眠る彼女に花を供えることくらいだった。……そうだ、そのときあの娘に会っている。まだ3つか4つの小さな女の子だった。花束をしっかり抱えながら、父親に手を引かれて歩いていた。あの子があれほど母親そっくりに成長するとは、その時は思いもよらなかったが。
 私はさっきふと頭に浮かんだ考えを、もう一度思い起こした。実現は可能だろうか? 新大陸での生活環境とこれからの人生設計に照らし合わせてみると、あながち無理でもないような気がした。あとはあの娘次第だ――しかし、おそらくだめたろう。父親の旧友というだけで、ほとんど見知らぬ人間が突然、一緒に外国に行きませんかなどと言っても、警戒されるだけだ。へたをすると宿から追い出されるかもしれない。いい歳をして、ばかな真似かもしれない……。だが、万に一つの可能性に賭けてみてもいいだろう。彼女に嫌われたとしてもかまわない。どうせこの国を離れればもう二度と会うことはないのだ。
 身寄りがなく借金漬けになっているのなら、生まれ変わったつもりで外国で新しい生活をはじめてみてはどうだろう? 悪い提案ではないはずだ。
「私と一緒に行きませんか……?」
 思わず小さく声に出していた。
 親友の死を知ってからまだ一時間も経たないのに、なんと不謹慎な人間だろう。……いや、しかしこれは、彼女のためにもなるのではないか。彼も安心してくれるのではないだろうか。私はそんなふうに自分に言い訳をした。 
 その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「もしよろしかったら、下で一緒にお茶をいかがですか? それともこちらにお持ちしましょうか?」
 願ってもないチャンスがこんなに早くやってきた。私は喜んでお茶に呼ばれることにした。



 居心地の良さそうな居間で、二人だけのお茶の時間が始まった。
 お悔やみと故人への追悼が、最初に言うべきことだった。しかしもう4年も前のことなので、くどくどとなるのは避けた。娘もさらりと受け流し、話は彼女の父親と私との関係や思い出話、彼女の今の暮らしぶりなどへと移っていった。
 そろそろあの話を切り出そうかと思ったとき、店の入り口の方でドアの開く音がした。
「ただいまー」
という声と一緒に居間に顔を出したのは、背が高く黒い髪の、若い男だった。彼は私に気づいてちょっと驚いたように、
「あ、お客さんだったのか……いらっしゃい」
と改まった声で言うと、娘に向かって話しかけた。
「頼まれたもの、全部台所に置いとくから、あとよろしくな」
「ありがと」
 そのやりとりを聞いた私は自分の愚かさに気がつき、心の中で苦笑した。――そう、彼女は結婚していてもおかしくない年齢だったのだ。勝手にまだ独身だと決めつけてしまっていた。身寄りが無くて心細いなどと、自分が心配することはなかったのだ。
 彼はすぐに行ってしまった。私は落胆を隠しながら、彼女に言った。
「やさしそうな旦那さんですね」
「え?」
 きょとんとした彼女は、次の瞬間かわいらしく笑い出した。
「やだ、今のはうちの居候ですよ。宿代のつけをため込んで払ってくれないから、店の手伝いしてもらってるんです」
 勘違いしていたらしい。私は恥ずかしいような、安心したような、妙な気持ちになった。それなら――と口を開きかけたときだ。再び店の入り口が開く音。
「あ、今度こそ旦那が帰ってきたみたいです」
 彼女は立ち上がった。私はその言葉に衝撃を受けた。今度現れたのは――どことなく、彼女の父親に雰囲気の似ている、おだやかで人の好さそうな青年だ。
「お帰りなさい。あのね、あの手紙の方がいらしてるの」
 彼女の言葉に彼は私の方を見て言った。
「はじめまして……フロンティア・パブにようこそ」
 それから少し悲しそうな表情で、
「死んだ義父もきっと喜んでいるでしょう……どうぞゆっくりしていってください」
とつけくわえた。
 この男が、彼女のつれあいか。なんとも似合いの夫婦ではないか……まるで、あの時の二人のように。フロンティア・パブの将来は安泰だ……。そんな気がした。
 私のたくらみは、完全に押しつぶされた。彼女はここで幸せに暮らしている。連れていけるわけがない。……私はやはりひとりで新大陸に向かう。



 いろいろな用事に追われた数日間はあっという間に過ぎ去り、いよいよ宿をあとにする日が来た。今日の夕方には船で出発する。この国とも、この町とも、そしてこの店とも、お別れだ。もう戻ってくることはないだろう。
 私はゆっくりと庭を散歩し、美しい木々や草花のすがたを目に焼きつけた。それから部屋に戻って荷物をまとめ、階段を降りる。
 数日間の滞在で親しくなった女主人は、名残惜しそうに言った。
「どうぞお気をつけて。あちらでのご成功をお祈りしますわ。遠く離れていても、あなたのことは忘れません。父の大切なお友達ですもの」
「ありがとう。私も、君たちの幸福とこの店の繁栄を遠い地から祈っているよ」
「さようなら……神様のご加護がいつもあなたにありますように」
 私は驚いて一瞬息が止まりそうになった。今の言葉は、娘の母親がいつも別れ際に口癖のように、私に――私だけに――言っていたのと同じものだったからだ。時を越えて昔に戻ったかのような気がした――そんなことはあり得ないとわかっていながら。
 そして私は、思い出深い店と、一途に愛した女性の忘れ形見――もしあのとき運命の女神が気まぐれを起こしていたら、私の娘になっていたかもしれない、赤毛の娘――とに、永遠の別れを告げたのだった。



continued? on there》
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