The another adventure of FRONTIERPUB 28

Contributor/ねずみのママさん
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わが心は血の海に漂う


 もうとうに日が暮れたというのに、サリーはまだ帰ってこない。ウェッソンは自分が少しばかりいらだちはじめているのに気がついた。フロンティア・パブにそろそろ常連客が集まってくる時間だった。
 彼の心理状態をなんとなく察したらしいテムズが、捜しに行ってきてもいいわよ、と言いかけたとき、入り口のドアが静かに開いて、サリーが無言で入ってきた。ウェッソンはほっとすると同時に、ちょっぴり腹が立った。そこで、彼としてはややきつい口調になったのも無理はない。
「こんなに遅くまでどこに行ってたんだ? 店が忙しくなるのはわかっているだろうに……」
 しかしウェッソンのお説教は続かなかった。彼は驚きの表情でサリーを見つめた。
「……いったいどうしたんだ」
 テムズもカウンターから出てきて、サリーのそばに来た。
「サリー、なにかあったの?」
 サリーは目を真っ赤に泣きはらし、うつむいてテムズの横を通り過ぎながら、
「ごめんなさい……すぐ手伝いますから」
と小さな声で言うと、自分の部屋へと駆けていってしまった。テムズとウェッソンは顔を見合わせた。
 サリーはじきに戻ってきて店の手伝いをはじめたが、まるで元気がなかった。黙って仕事をしながら、時々涙ぐんでいる。テムズにとっては、こんなサリーを見るのは初めてだったにちがいない。しかも何も話してくれないので、よけいに心配になったのだろう、とうとう彼女はサリーに言った。
「サリー、今日はもういいわ。疲れているみたいだし、早く休みなさいよ」
「え……? いえ、大丈夫ですぅ――」
「大丈夫じゃないわよ。ほら、早く」
と、テムズはサリーの背中を押して、行くようにと促す。
 サリーはテムズの顔を見つめ、困ったような表情で目をそらしながら答えた。
「……はい、テムズさん。ごめんなさい……ほんとに……」
 金髪の少女は自分の部屋に戻っていった。テムズは店の中を見回し、それからウェッソンをつかまえて言った。
「あなたも休憩時間にしていいわ。今は店もそんなに忙しくないし」
 テムズの意図は明らかだった。ウェッソンは溜息をつき、店主の指示に従った。親切といおうか、お節介といおうか……とにかくそういうところがテムズの良さであり、同時に欠点でもある。そんなことを考えながら、ウェッソンはサリーの部屋に向かった。
 彼はサリーの部屋のドアを軽くノックして呼びかけた。
「サリー」
 少し間があって、ドアが開いた。サリーはウェッソンを見上げて、ややかすれた声で言った。
「どうしたの? お店の方、テムズさん一人になっちゃうじゃない」
「ああ……つまり、彼女はお前が何も話してくれないので心配しているんだ。何があったのか、俺だけにでも、話せないか?」
 サリーは迷うような顔をした。
「でも――話してもどうしようもないし、ウェッソンにも心配かけるのは――」
「保護者ってのは、心配をかけさせられるために存在しているのさ」
 さらりとそう言ったウェッソンを、サリーはまだ充血している目でまじまじと見つめた。彼はその視線を黙って受け止めた。すると突然、サリーの瞳が涙で溢れたかと思うと、彼女はそのままウェッソンにすがりついて堰を切ったようにわあわあと大泣きをはじめた。
 今まで我慢をしていたんだな、とウェッソンは思った。
「ケリーが……死んじゃったらどうしよう――私……私のせいで」
「ケリー?」
 サリーの友人知人の名前はたいてい知っているつもりのウェッソンだったが、初めて聞く名前だった。
「通りの向こうにいるのが見えたから――呼びかけたの……そんなことしなきゃよかった……こっちに走ってきたの……そしたら……いきなり角を曲がってきた自転車が――」
 泣きじゃくりながら、サリーは一生懸命説明しようとしている。
「自転車に……はねられたのか?」
「それだけならあんなひどいことには……そこをちょうど通りがかった馬車にまともにぶつかっちゃったのよ……それで……病院の近くだったから、すぐにハリスン先生のところに運び込んだの」
「ジェフリーはなんて?」
「とても難しい顔をしながら、応急手当をしてくれたわ。それからお家の人に連絡して……隣町にいる専門のお医者さんのところに連れて行きなさいって言われたの。もちろん私もついていった……」
「隣町まで行ったのか……」
「手術が終わらないうちに、遅いからもう帰りなさいって言われて……私ずっといたかったんだけど……」
「追い出されたのか?」
「ううん……お家の人がここの近くまで送ってくれた……」
 ウェッソンには、ずっとケリーの傍についていたかったサリーの気持ちも、遅いからと彼女を帰したケリーの家族の気持ちも、どちらもわかるような気がした。それにしても、事態はそうとう深刻なようだ。あのジェフリー・ハリスンの手に負えないとは。
 話してしまっていくらか気が楽になったのか、サリーはウェッソンにしがみついている腕の力を緩めた。それからゆっくり顔を上げた。濡れた瞳がきらきらと光っている。
「わたし……どうしたらいいのかしら。わからないの……なにもできないの」
「そうだな……」
 ウェッソンはサリーの頭を軽く叩きながら答えた。
「とりあえずはベッドに横になるのがいいだろう。眠れないかもしれないが、少しは体が休まるからな。明日になったらまた、隣町の病院まで行くんだろう?」
「うん……あの……」
 サリーはちょっとためらってから、小さな声で言った。
「ウェッソン……もしあした暇があったら……い……一緒にいってくれる……?」
 暇がなくてもそうするつもりだったウェッソンは、静かに頷いた。しかし、「きっとケリーは元気になるよ」などと気休めを言うのは気が進まなかった。ウェッソン自身は何も知らないのだ。どの程度の怪我で、助かる見込みがどのくらいで、サリーがどれだけケリーと親しいのか――口先だけのなぐさめのことばなど、今のサリーには意味がない。彼は言葉を探した。なにか気持ちが落ちつくようなことを言ってやらなければ。しかしなにを言ったらいいのか――あの時と同じだ。傷ついた彼女にかけてやるべき言葉が見つからない。どうしていつもこうなのだろう――。
 その時、階下から大きな音が響いてきた。皿が何枚か割れたようだ。店に戻ってテムズを手伝わなければならない。
 ウェッソンは諦めた。
「それじゃ、おやすみ」
 それだけ言って彼は急いで店に戻っていった。サリーはその姿を見送り、そして部屋のドアを閉めた。


 閉店後のフロンティア・パブは、静まりかえっていた。戸締まりの確認をしているテムズに、ウェッソンは尋ねてみた。
「ケリーって誰だろう?」
「さあ……? ケリーという名の人は3人ほど知ってるけど、サリーと面識がある人はいないわね。とうに亡くなった私の親戚と、小学校時代の同級生と……あとひとりは誰だったかしら?」
 テムズはそう答えた。
「……まあいい。明日になればわかるだろう。サリーと一緒に隣町の病院まで行って来る」
「そう……それがいいわね。じゃ、おやすみなさい」
 テムズもまだ心配そうな顔をしながら、自分の部屋に向かっていった。ウェッソンは、明日の朝何時におきれば良いかと考えながら、階段を上っていった。サリーの部屋の前でふと足を止める。
 もし、明日、最悪の結果が待っていたら――。きっとサリーはこの先ずっと、自分を責め続けるだろう。自分のせいで友達が死んだと。偶然が重なった事故だ、君に責任はない、と誰かが言っても、本人がいちど思いこんでしまったら、もう最後だ。生涯、消えることのない罪の意識を背負っていかざるをえない。それがどんなにつらく苦しいものか、ウェッソンはよく知っていた――彼もまたそうだったから。
 サリーには絶対にこんな思いをさせたくない。だが……。
 もう眠っただろうか、と気になった。あまり行儀のいいことではないが、寝息でも聞こえないかと彼はドアに耳をつけてみた。すると、ドアがほんのちょっと動いて小さな音を立てた。
「おや……?」
 ドアに鍵がかかっていない。……よほど疲れているか、気が動転して忘れてしまったのだろうか。
 ますます紳士的でない振る舞いだが、ウェッソンはそっとドアをあけて中を覗き込んだ。部屋の中は暗く、サリーはおとなしく寝ているようだった。寝息もかすかに聞こえた。
 少し安心したウェッソンがドアを閉めようとしたとき、もぞもぞと毛布が動く音がした。
「いやですぅ……はやくどこかに行っちゃって……」
 目を覚ましたのかと思ったが、どうやらねごとらしい。ウェッソンは苦笑しながら呟いた。
「はいはい、おじゃましました」
「来ちゃだめ……だめですぅ……死神なんかに用はないんです……」
 ドアを閉めかけていたウェッソンの手が止まった。表情をこわばらせ、息を止めてサリーのほうを見る。
 しかしそれっきり、サリーはなにも言わなくなった。再び規則正しい寝息が始まった。ウェッソンには、自分の心臓の鼓動のほうが大きく聞こえていた。
 彼はそっとドアを閉め、早足で自分の部屋に入っていった。


 翌朝。
 いままでになく静かな朝食風景だった。いつもにぎやかなサリーが、今朝は黙ってトーストをかじっている。ウェッソンはサリーの様子を気にしながら、紅茶ではなく濃いコーヒーをすすっている。そしてテムズはいつもと違う二人の様子に気がつかない振りをしながら、淡々とゆで卵を口に運んでいる。
 裏口の戸を叩く音がした。テムズは立ち上がって部屋から出ていった。サリーは溜息をついてトーストを置き、お茶のカップを手にした。そして、ウェッソンのほうをちらっと見た。その目は彼が「でかけよう」と言ってくれるのを待っているようだった。
 ウェッソンはそれに気づいていたが、あえて黙っていた。彼女のほうから言い出してくるのを辛抱強く待っていた。
 裏口でテムズが誰かと話している声が聞こえてくる。相手は女性のようだが、隣の小間物屋の老婦人ではない。もっと若い声だ。
 突然サリーが弾かれたように立ち上がった。出かけるつもりなのかと思ったが、そうではない。立ったまま身体を硬直させている。顔面蒼白だった。
「サリー……どうした?」
 ウェッソンは驚いて立ち上がり、彼女の傍に歩み寄った。
「あの声……グレンさんの奥さん……まさか……ケリー……」
 サリーはがたがたと震えながら、やっとのことでそう言った。
「グレンさん? 今裏口に来ているのがそうなのか?」
 サリーは黙って頷いた。そのときテムズがバタバタと走りながら戻って来た。
「サリー! 今グレンさんの奥さんが――」
 彼女はサリーの怯えた顔を見て、慌ててこう続けた。
「ケリーは助かったって、知らせに来てくれたのよ。手術は無事に終わって、足もちゃんと治るそうよ。よかったわね」
 それを聞いたサリーは、大きく眼を見開いてテムズを見つめ、それから急いで裏口に走っていった。ウェッソンはふうっと大きな息をついて椅子に座り、コーヒーの残りを一気に飲み干して言った。
「良かった――病院に行って悪い知らせを聞いたらどうしようかと思っていたんだ」
 テムズはウェッソンを見てくすっと笑った。
「ケリーって、グレンさんのところの子だったのね。まえにサリーから聞いたことがあったの、忘れてたわ」
「俺は聞いたことがないな。どんな子なんだ?」
「かわいい子よ。全身真っ黒で、胸元のところだけ毛が白いの。ときどきシャルロットといっしょに歩いてるの、見かけたことない?」
「え……?」
 ウェッソンは目をぱちくりさせた。
「ケリーって……猫の名前なのか?」
「そう。だからジェフは、”隣町の専門医”をすすめたわけね」
「なるほど……そうか……そうだったのか」
 今の今までケリーが人間だと思いこんでいたウェッソンは、妙なぐあいに緊張の糸が切れてしまったのを感じた。そんな自分が滑稽に思えたが、笑う気にはなれなかった。
 サリーが戻って来た。
「あと何日か入院するけど、じきに帰ってくるそうです。あ、ウェッソン」
 さっきまでとは別人のようにはればれとした表情のサリーは、ウェッソンが勘違いしていたことなど知らずに話しかけた。
「あの……ケリーが無事だってわかったから、お見舞いにはひとりで行けるわ。ウェッソン忙しいんだったら……」
「いや、一緒に行くよ」
とウェッソンは答えた。猫とはいえ、サリーがあんなに心配していた大切な友達だ。保護者として、挨拶くらいしておいてもいいだろう――なぜかそんなふうに考えていた。
 サリーは嬉しそうに、にっこり笑った。
「でも、急ぐ必要はなくなったから、なにかお見舞いの品でも調達してそれから行こう」
 一瞬、テムズが驚いたような顔をした。しかし何も言わずに微笑みを浮かべながら、サリーのカップにお茶のお代わりを注ぎ入れた。それからウェッソンにも、コーヒーではなく紅茶を押しつけたのだった。

おしまい

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