The another adventure of FRONTIERPUB 22 sequal

Contributor/ねずみのママさん
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調子の悪い鍛冶屋


 彼は、前が見えなくなるくらい大きな花束を抱えて言った。
「愛しています。結婚してください」
 彼女は悲しそうな顔で首を横に振った。
「ごめんなさい。あなたのお気持ちは嬉しいけれど、私、ほかに好きな人がいるの」
 花束は手からはなれ、ばさりと地面に落ちた。


 鍛冶屋の青年は、がばっと身を起こした。また、あの夢を見て、目を覚ましたのだ。びっしょり汗をかき、呼吸は速くなっている。夢だとわかってもなお、震えは止まらなかった。
 先日の事件以来、こんな感じだった。毎晩のように、あの人にプロポーズして断られる夢を見る。そして目が覚めると、もう眠れない。そのままあれこれ考え事をしながら、朝が来るのを待つだけだ。
 でも、あれは夢ではなかった。燃え上がる小屋の中からあの人を救い出したことは、現実だ。そして……そして、なんと天使の君をこの腕に抱いたのだ。どういういきさつでそうなったのか、忘れてしまった。なにやら自分らしくない気障な言動があったような気もするが、無我夢中だったので、ほとんど何も覚えていない。思い出せるのは、彼女の赤く輝く髪と、腕の中の柔らかな感触と、シャツに浸みた涙の温かさだけだった。
 もしうぬぼれの強い男なら、ただこれだけのできごとでも、彼女はもう俺にぞっこんだと錯覚したり、もっと図々しければ恋人気取りで馴れ馴れしいふるまいに出るだろう。しかし彼は非常に謙虚な青年だった。危ないところを助けて感謝されただけのことだと認識していた。
 彼は、自分が彼女に認められるとは、これっぽっちも思っていなかった。もちろん、鍛冶屋としては一流以上だという自信と誇りはあった。名声がついてこないのは、まだ若すぎるからだろう――ウェッソンはそう言ってくれた。しかし、持っているのはただそれだけだ。彼女の横に立つのにふさわしい容姿も、財産も、地位も、教養も、人格も、一切ないのだ。それでも――いや、それだからこそ、彼女に自分の方を向いてもらいたくて、花やらケーキやらを贈り続けていた。無駄かもしれない、と思いながら。
 彼は大きな溜息をついた。
――それがわかっていながら、あんな夢を見るなんて。
 自分がとても情けなく思えた。


 鍛冶屋は少々ためらってから、病院の入り口のドアを開けた。
「おはよーございます〜」
 にこやかに、受付の看護婦が挨拶をする。鍛冶屋もつられて瞬間笑顔で応えるが、すぐに暗い憂鬱そうな表情に戻ってしまった。
「診察を……お、お願いします」
「はあい。お待ちくださいね」
 鍛冶屋は待合室の隅にある長椅子に座り、今日何度目かの溜息をついた。
 彼が医者の世話になるのは珍しいことだった。しかしこのところ食欲が落ち、夜はあいかわらず眠れない。体調も悪く、神経が疲れ果てて満足に仕事ができないほどになってしまっていた。原因はもちろんわかっていたが、自分ではどうすることもできず、とりあえずは医者に頼ろうと思ったのだ。
 入り口のドアが開いて、女の子と老婦人とが入ってきた。アリスはまた元気に挨拶をした。
「おっはようございます〜。あれ、どうしたのアリサさん」
「ちょっとね〜、お腹いたいのが治らなくて。食べ過ぎたみたい」
と、少女は答えた。
「アリサさんも診察ね。えと、おばあさんはいつものお薬ですかぁ?」
「はい、お願いしますよ」
 やさしそうな老婦人はにこにこしながら答えた。
 鍛冶屋はこのふたりに見覚えがあった。女の子の方は、天使の君の友達。そしておばあさんは……誰だっけ……と少し考えて、思い出した。フロンティア・パブの隣にある雑貨屋のおばあさんだ。時々テムズと話をしているのを見かけたことがあった。
「ところでねアリスさん」
と、おばあさんは話を続ける。
「貿易会社に勤めているうちの孫が、そろそろ身を固めたいと言うんだけどね。どうかしら、一回会ってもらえないかしらね?」
「はあ……またですかぁ? おばあさん、お孫さんがたくさんいるんですねえ」
「アリスさんのような、かわいくて優しい人に、ぜひ孫の嫁になってもらいたくて」
「そ……そんなぁ。私照れちゃいます〜」
 困ったような、でも少し嬉しそうな表情で、アリスはおばあさんと話している。
「ところでこちらの先生は、お嫁さんを貰う気はないのかしらねえ」
「はあ?」
「うちの親戚にひとり、とてもいい子だけど縁に恵まれないのがいてね……」
「あ、あのねえ……そういう話は直接先生に……」
 アリスは苦笑いする。
「でも、うちの先生にはテムズさんという人がいるし」
――えっ?
 鍛冶屋の青年は驚いて看護婦を見た。この人が言うことは本当だろうか? たしかにここの先生とテムズさんは親しそうで、羨ましく思っていたけど……。彼はなんだか胸がちくりと痛んだように思った。
「おや、テムズちゃんと、ハリスン先生が?」
 おばあさんも驚いたように言った。そこに、
「なにいってるの。先生とはただのお友だちでしょ。テムズが好きなのは風来坊の吟遊詩人よ」
と、アリサが話に割り込んだ。
「風のようにどこかに行っちゃって、もうずいぶんたつというのに、彼に貰ったペンダントを眺めては溜息ばっかりついてるのよ。まあ、金髪碧眼のハンサムだっていうから、テムズが夢中になるのも無理ないけど」

――ええーっ!
 鍛冶屋は更に驚いた。そういえばいつだったか、ほんの2,3日だけフロンティア・パブに金髪の美青年が滞在していたのを思い出した。とてもきれいな声で歌を歌って、みんな聞き惚れていたっけ。あのときはテムズさんも夢見るような瞳で、彼を見つめていた……。彼は、胃のあたりがきりきり痛んでくるのを感じた。
 こんどはおばあさんがこう言った。
「あらあら、そんな人がいたの? 私はてっきり、背の高いあの男の人――ウェッソンさんとか言ったかしら? あの人といい仲なのかと思ってたけど」
――えええ――っ!
 鍛冶屋はますます衝撃を受けた。いつもお世話になっているウェッソンさんは、それはそれは素晴らしい人だけど……普段の様子からは、とてもテムズさんとそんな関係にあるとは思えない……でも、一つ屋根の下でずっと一緒に暮らしているのだ。もしかしたら……。彼は心臓がドキドキしてくるのを必死で押さえようとした。
「ウェッソンさんは、ちがうでしょう。髪の毛黒いし。テムズの彼は金髪じゃないといけないのよ。命の恩人の『あの人』とやらがそうだったから」
「でもでも、この間うちの先生とふたりっきりで――」
「その金髪の男の人はどこにいったの?」
 3人はそれぞれ勝手にしゃべり出した。青年はたまらなくなって、思わず問いかけた。
「本当は、誰なんですかっ?」
 しまった、と思ったがあとのまつりだった。3人の女性はぴたりと口をつぐんで一斉に鍛冶屋の青年のほうを向き、目を丸くして彼を見つめた。青年は顔を真っ赤にして、金縛りにあったように身体を硬直させてしまった。
 ――どうしよう……。すごく変に思われたに違いない。
 ほんのちょっとの気まずい沈黙ののち、
「……そういえば、テムズから聞いたわ。このあいだ、鍛冶屋さんに、火の中から助けてもらったって」
と、アリサが思い出したように言った。
「おやまあ、その話は初耳だわ。聞かせてちょうだい。この人がテムズさんを助けたのですって?」
 雑貨屋のおばあさんが言った。
 話題が自分に向けられてしまって、鍛冶屋はさらに困った状況に陥った。が、天の助けか、そのとき診察室のドアが開いて、美人の看護婦が彼の名を呼んだ。彼は立ち上がり、急いで診察室に逃げ込んだ。
 彼がいなくなると、アリサはテムズから聞いた話を再現した。身の危険を顧みず、自分を助けに来てくれた鍛冶屋の青年を、テムズは褒めちぎっていたらしい。他の2人は感心しながら聞いていた。
「おとなしそうな人だけど、頼りになるんだねえ」
「でも見た目がいまいち地味だから、損してるのね」
「いまの様子、ふつうじゃなかったわよ。もしかして……」


 しばらくして、鍛冶屋は診察室から出てきた。その様子は先ほどとは別人のようだった。なにか考え込むような真剣な表情で、目の輝きも違っている。小さいけれど力強い炎が瞳の奥で燃えているかのようだ。彼は黙って長椅子に腰をおろした。  診察室のなかで何があったのか興味を持ったアリサだったが、すぐに自分の番が来てしまったので、それ以上冶屋を観察することはできなかった。

 
 何日かぶりで、彼は仕事場に足を踏み入れた。しかし、まだ何も作業は始めない。いつもの椅子にかけ、窓の外を眺めたり、時々溜息をつきながら天井を仰いだりしていた。その表情はいまだに思いつめているように見えたが、けっして暗くはなかった。夜が来てもまだ彼は動かなかった。ただ、窓の外の闇をじっと見つめてなにか考え込んでいるのだった。  そして朝が来た。あたりがすっかり明るくなり、町が活気を持ち始めたころ、やっと、鍛冶屋は仕事を始めた。鉄の鍛えられる音が、久しぶりに鳴り響いた。


 さらに何日かが過ぎたある日、ウェッソン・ブラウニングが訪ねてきた。
「どうだ、調子は」
「いらっしゃい、ウェッソンさん。ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」
 ウェッソンは鍛冶屋の元気そうな顔を見て、安心したように微笑んだ。
「それならいいんだが。こいつがしばらく君の顔を見ないので不機嫌になってしまってね」
 そう言いながらウェッソンは拳銃を差し出した。
「すみませんでした。早速拝見します……」
 鍛冶屋はそれを受け取って、調べ始めた。ウェッソンは何とはなしに店の中を見回し、ふと、奥の棚にあるものに目を留めた。大小の鍋やフライパン、鉄板、火かき棒などが置いてある。鍛冶屋が最近つくったものらしく、どれも新品だ。――そして、それらが誰のためのものかは、一目瞭然だった。
「これは……」
 ウェッソンの様子に気づいて、鍛冶屋は質問される前に答えた。
「それは……テムズさんのお誕生日のお祝いです。でもまだ内緒にしておいてください」
「そうか……ずいぶんあるな。それにしても、さすがだな。しっかりした作りだ。あいつもきっと喜ぶだろう。しかし君がテムズの誕生日を知っていたとは」
「ハリスン先生が教えてくれました」
「ジェフリーが?……それはまた……」
 そう言いながら、ウェッソンは懐から一通の封筒を取り出した。
「友達を集めて、ささやかな誕生パーティーをするそうだ。招待状を預かってきた」
「えっ、ぼ……僕にですか!」
 突然の幸運に、青年は例によって顔を真っ赤にして、封筒を受け取った。
「返事をもらってこいと言われたんだが。来てもらえるか?」
「もっ……もちろんです!」
 感激した鍛冶屋は、中身も見ずに即答した。それから拳銃をウェッソンに手渡した。
「こちらの機嫌も治ったと思いますよ。どうぞ」
「ああ、ありがとう。それじゃ、また」
 ウェッソンは出ていくときもう一度棚を見た。なにやらかすかな不安が彼の頭をよぎった。しかし彼は何も言わずに去っていった。
 鍛冶屋は封筒をそっとテーブルの上に置き、仕事に戻った。彼は全身全霊を注いで、愛しい天使の君への贈り物を作り続けた。
 あの先生は確かに名医だ、と彼は思った。念のため、と処方された薬は手つかずのままで、食欲不振も不眠もすっかり治ってしまった。ハリスン医師は、彼の顔を見ただけで、症状とその原因の見当をつけてしまったのだ。そして、ゆっくり話を聞いてくれた――。
 彼は医師の言葉を思い出した。


「中途半端な気持ちで思い悩んでいるから、体の具合が悪くなるんだ。はっきりと思いを伝えたらどうかね。形式的な贈り物をするだけでは、彼女はおそらく永遠に君の気持ちに気づくことはないだろう」
「そ……そんなこと、とてもできません。僕は……あの人に嫌われるのがこわいんです。今以上にはっきり思いを伝えると、すべてがこわれてしまいます」
「このあいだのことで、彼女は君のことを気にかけている。もうひと押しのチャンスだと思うがね。――それともこれからずっと、辛い思いをしながら黙って見つめるだけにするのか?」
「……」
「……まあ、それは君が決めることだ。とりあえず軽い睡眠剤を出しておこう」
 医師はそう言ってカルテに書き込みを始めた。そうしながらぽつりと、
「たしかテムズは来月が誕生日だったな……」
と言ったのだ。鍛冶屋は驚いてジェフリーを見た。医師は彼の反応には気づかぬようすで、カルテを看護婦に渡しながら壁のカレンダーに目をやり、
「そろそろ花屋に注文を出しておくか。取り寄せるのに時間がかかると言っていたし……」
とつぶやいた。
 鍛冶屋はたまらず、こう尋ねた。
「あの人の誕生日って、いつですか? 教えてくださいっ!」


 そして、彼女の誕生日の前日。鍛冶屋は仕事を終えた。贈り物はすべて満足のいく作品に仕上がったので、彼は幸せな気持ちで床につくことができた。
 翌日になれば、彼の期待以上にテムズが喜んでくれることを、彼はまだ知らない。彼女はこの先末永く、鍛冶屋の真心がこもった道具を使い続けることになるのだった。
 そしてもうひとつ、彼が知らないことがある――彼は、この贈り物の中のいくつかが、ウェッソンを困らせることになるとは、夢にも思わなかった。しかしウェッソンの不安な予感は早くも数日後に的中した。テムズが道具の本来の目的からはずれた使い方をしたせいで、彼は頭に大きなたんこぶをいくつも作るはめになったのだ。ウェッソンが鍛冶屋に苦情を言うことはなかったので、鍛冶屋は永遠にそのことを知らずに終わるのである。

おしまい


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