And others 9

Contributor/ねずみのママさん
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月夜の晩に



 月のきれいな晩だった。
 窓から射す光が机の上を照らす。そこに無造作に置かれたパイプはとうの昔に火が消え、冷えきっていた。
 もう真夜中だというのに、彼は眠れなかった。このぶんでは、明日の結婚式で、目の下に隈のできたひどい顔をみんなの前にさらすことになるだろう。
 もうすぐ30にもなろうという男が、なんてざまだ――彼は苦笑した。青灰色の瞳が、どこか遠くを見つめた。
 世の男たちは、独身最後の夜をどんなふうに過ごすのだろう。気の置けない仲間と朝まで飲み明かすか、恋人同士でその日を迎えるか、それとも静かに家族と語り合うか。
 彼はそのどれでもなかった。いつものように日課をこなし、いつものように床に入った。――それなのに、いつものように眠ることができなかった。
 彼はふと、彼女のことを思った。明日、花嫁となる女性のことを。
 彼女はどうしているだろう。おそらく彼の何倍も明日を待ちこがれているであろう彼女は――もう眠っただろうか。それとも眠れずに窓から月を眺めているだろうか。
 彼女とこんなことになろうとは、ほんの数ヶ月前までは思いもよらなかった。長いこと一緒に暮らしていたというのに。何十回も何百回も、彼女は彼に言った。「大好き」と。しかしその言葉の本当の意味を、彼はずっと知らずにいたのだ。おてんばでかわいらしい少女は成長し、いつのまにか恋する美しい乙女となっていた。どうしてそれに気がつかなかったのだろう。
 数ヶ月前の、あの事件の日。彼ははじめて彼女の気持ちを知った。心底驚き、戸惑い、そして悔やんだ。めったに涙を見せない彼女が、激しく泣いた。そして彼は――。
 夜の空気がいっそう冷えてきた。彼は時計を見た。時間の経つのが、ひどく遅く感じられた。朝まで、どうやって時間を潰せばいいのだろうか。
 彼は椅子から立ち上がり、窓から外を覗いた。月明かりで、外がよく見えた。
 ――夜の散歩としゃれこむか。
 外出着に着替え、机の上のパイプを取って胸のポケットに入れた。それからいつもの習慣で拳銃を身につけ、最後にコートを羽織ろうとしたとき――かすかな物音を聞いた。彼は手を止め、耳を澄ませた。
 こんな夜中に……誰だ? 泥棒か?
 拳銃を手にした彼は、音を立てずに部屋のドアをそっと開き、廊下に出た。人影は見えない。しかし、気配を感じた。彼はすばやく階段に向かい、階下に向かって銃を向けた。
「誰だっ!」
 鋭い声に驚いて、階段の下にいた人物が振り向いた。そこには、彼の婚約者が――明日、彼の妻となるはずの娘が立っていた。銀色の月光の中、肌は透けるように白く、長い金髪は月の光に淡く輝きを放ち、唇は紅を差さずとも美しかった。そして、北の海よりも深い青色の瞳は、彼を見つめていた。

「サリー……」
 彼も驚いた。銃をひっこめ、階段を下りながら、
「……こんな時間にどうしたんだ……?」
と尋ねた。
 彼女は静かに微笑み、
「なんだか眠れなくて……」
と答えた。
「おまえもか。……たぶん、月が明るすぎるんだろう」
 彼はそう言って彼女の横に立った。
「それじゃ、一緒に散歩でもどうだ?お互い、独身最後の記念に」
 ちょっと首を傾げながら考えていた彼女は、やがてにっこり笑って言った。
「ええ、ご一緒します。すぐ着替えてきますから、待っていてくださいね、お義兄様」
 そして、早足で自分の部屋に戻っていった。
 ――お義兄様、か……。
 彼は耳に馴染んだその言葉を、ある種の感慨と共に呟いた。そう呼ばれるのも今夜が最後だ。明日からは――。
 月の光は冴え冴えとしていたが、幻想のように美しかった。

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