And others 22
Fortune 3

Contributor/哲学さん

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 気が付けば朝になっていた。
 結局あの後――あの男装の麗人に叩きのめされた後――アリストはその場から動く気力もなく、ただ河原に蹲り、そのまま夜を迎えた。
 色々なことを考えていた。
 河原はとても寒い。川から流れ出る冷気は剥き出しの肌を容赦なく襲い、とても睡眠をさせてくれそうになかった。その痛みはまるで幾千の針が体を何度も突き刺すよう。
 けれども結局、気が付けば眠る準備をして、そのまま寝てしまった。結局自分はどこであろうと眠ることが出来るのだ。
 人間はどんな環境であろうとそれを克服するだけの力がある。そう、人は自然を克服するだけの力を手に入れたのだ。
 結局の所、幻想とは――余りにも自然から離れた人間と、それでも存在し続ける自然をつなぎ止める最後の手段だったように見える。
 無論、人が手にした力は結局自然にあるものを道具へと造り替えたものであり、どれも自然が無ければ成立しないものだ。
 油も、石炭も、水も、何もかも自然の奥底にある力を借りているに過ぎない。
 それは有史以来、人間がやってきたことだ。
 それでも、ここ数年、決定的な変化が起こった。
 ――人は、自然すら道具の一部と考え出したのだ。
 食文化に詳しい友人、ピエールから聞いた話では、人間に必要な成分についても幾つか発見され、それを純粋に抽出することが出来るようになったとかどうとか。もしかしたら、数十年もすればそれを生産し、人間は錠剤だけで生きていけるかも知れないとのことだ。
 馬鹿げた冗談だが、人間ならばそれをやりかねない。それだけのポテンシャルを人は秘めているのだ。
 もっとも、アリストはそんな人類の行く末をどうにか出来る程の人物ではない。
 彼は――。
「……っくしょん」
 くしゃみと共に立ち上がる。
『結論を見出したか? プリスを継ぐ者よ』
 白いギターの声。それはどこか遠慮するような――、哀れむような――、悲しむような――、辛いような――、厳しいような――、それでもどこか――甘い声。
「さぁ? どうだろうね」
 身支度を整え、荷物を背負う。
「取り敢えず、歩き出そう。まずはそれからだ」
 朝霧に包まれた川面の奥に巨大な影。それは何処か歪な、得体の知れない化け物のようにも見える。節々が自然界ではあり得ないほどの鋭角と硬度を兼ね備え、美しさの欠片もない直線が幾重にも折り重なる。それは近寄る者全てを貫かんとする針のよう。
 しかし、それこそが多くの人が住み、生きている倫敦という街の姿なのだ。だが、それも巨大なる自然から見れば出来の悪い、ちっぽけな石の草むらに過ぎない。
ごーん
     ごーん
               ごーん
                                       ごーん
 遠くで重苦しい鐘の声。
 ――彼は。
 彼は、この小さな街ですら生きていけないちっぽけな人間だ。
 世界の行く末どころか、自分の行く末すらままならない――本当にちっぽけな存在。
 それでも、彼には向かうべき場所がある。
 彼にも訪れるべきそれはある。

『―――――――― 一つだけ』

「ん?」

 相棒の声にアリストは首を傾げる。

『ただ一つだけ、告げたいことがある。最後のプリスよ』

「なんだい?」

 何事もなかったように、まるで明日の天気でも聞くようにアリストは言う。
 その言葉が、余りにも普通すぎて――かの偉大なる精霊はその魂を沈痛な何に耐えさせる。

『思うがままに生きよ。それが自然たると言うことだ』  

 アリストは一瞬、魂が抜け落ちたかのような、無防備な顔をする。
 だが、次の瞬間にはまた――いつもと同じように曖昧で、気怠い、うっすらとした笑みを浮かべていた。
 この若者が何を考えているかは分からない。
 ただ――。

「ありがとう」

 そう言って彼は笑った。
 若者の行く手には、それが待ち受けている。
 それは生きている限り誰もがぶつかるこの世という「うねり」そのものである。それはただの結果でしかない。
 けれど、そこに至るまでの経緯を見れば、自ずとそれは顕れる。
 半分の必然と――偶然、そして僅かな意思によってそれは産み出される。
 人の子は言う。
 そのうねりは神の意志であると。
 しかし、そうではない。結局の所、人々の夢であり、意思なのだ。
 ――人の子は何にでも名前を付ける。
 その夢、意思、それらはまとめてこう呼ばれる。
 その名は――。



運命

− Third day : その先に −



 目覚めはいつも辛い。
 それはとてもめんどくさくて、痛くて、悲しい。夢が終わり、心地よい温かさが失われ、冷たい外へと体を出さなければならない。
「――ん」
 一旦体を起こそうと、腹に力を入れ――そしてまた倒れる。
 後五分――いや、後一分でもいい。もう少しこの心地よさに浸らせて頂くとしよう。
 それぐらいの短い間ならなんの問題も有るまい。
 今はちょうど顔に窓からの陽射しが辺り、とても気持ちよいのだ。それぐらい誰でも許してくれるだろう。

 ――しばらくの時が過ぎ、気が付けば太陽の光は顔に当たらなくなっている。

 薄情な光だ。いつの間に自分の顔から逃げたのだろうか。そんなに、嫌わなくてもいいのに。
 コレでも結構顔には自信がある方なのだが。
 静かな時間が過ぎる。光が過ぎようとも、その光が与えてくれた温もりが消えるにはまだ早い。
 後少しこの温かさを感じる事に何ら問題はないだろう。

 また意識が途絶える。

 いつの間にか何か音楽が聞こえていた。心地よい音楽。
 これは自分を眠らせてくれるための子守唄だろうか?
 ――ありがたい。ちょうど眠かったところである。
 ここは一つ、無理に起きるのを辞めて、もう一眠りしろと言う天からのお告げかも知れない。
 それにしても心地よい音楽である。
 いや、むしろこれは、心地よいと言うよりも心躍る――楽しい音楽だ。
 人々に活力を与え、目覚めを喚起させる唄。
 思わず彼女はふらふらとその曲に引き寄せられ――。
どん――
 そのままベッドから崩れ落ちる。
「――は――ん」
 我ながら鈍い自分が嫌になってくる。鈍痛を頭に抱えながらも、その意識はまだどこか夢うつつだ。
 まるで夢遊病患者のようにふらふらと立ち上がり――頭が重すぎて首をぐるりん、と回す。
 一瞬、首の端が痛んだ気もするが、それでも、体から頭をぶら下げると言う形をとり、安定を保つ。
「ふ――ぁ ぁ あ あ」
 間延びしたあくび。
 そして長い髪を引きずり、ふらふらとその音楽の流れる方へと足を向けた。
 扉を開けると、その音はよりはっきりとする。
 未覚醒の頭にはやや刺激の強すぎる、明るいギターの音。
 ふらふらと階下を見下ろす。
 そこに広がっていたのは――おもちゃ箱をひっくり返したようなどんちゃん騒ぎだった。
 朝っぱら――もしかしたら昼前かも知れないが――から酒をあおり、ギターの音に合わせて騒いでいる。
 ――ん、ギター?
 誰がギターを弾いているのだろうか。気になってその音色を辿るとその先には――白いギターを弾く青年の姿があった。
 と、偶然か見上げた向こうと目が合う。青年はくすりと笑った後、手を振ってきた。
 思わずへらへらと手を振ってから気付く。
 そう言えば――――――今自分はどんな格好をしているのだろうか。
 想像した瞬間、彼女は叫び声をあげていた。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああぁあああ!」
 どたどたと足音を立てて、慌てて自分の部屋に戻る。
 がたーん、とはしたない音を立てて扉が閉まるが今はそれ所ではない。
「おはよう、ヘレナ」
 なにやら汗を流しながらベッドの上からウサギ姿の相棒が言ってくる。
「おはよう! 出ていって!!!」
 幸い聞き分けのいい相棒は何も言わず窓の外から出ていってくれた。彼には悪いが、今はそれどころではない。
 慌てて鏡の前に立ち、自分の姿を見る。
 ぼさぼさの髪、ぱっとしない唇、薄い眉、乱れた着衣。
 ――最悪である。
 彼女――フェイ・ヘレナは人生最大の失敗をしてしまったのだ。



「あーもー最悪」
 ヘレナはくしゃくしゃと頭を掻きながら階下に降りてくる。階下では相変わらず青年が得意げに音楽を演奏し、数々の人間に酒をあおらせるという地獄絵図が展開されている。
 が、今更彼女にとってそんなことはどうでもよく、カウンター席に座り、友人に挨拶をする。
「昔からあんたは朝弱かったからねぇ――朝食はどうする?」
 くすくすと笑いながら親友が聞いてくる。
 ――ちぃ、気付かれていたか。
 まあ、あれほど大声を出せば誰でも気付くだろうが。
「鶏じゃないんだから、アンタみたいに太陽より早く起きられないわよ――ガーリックトースト貰える?」
「へぇ、そんなんでよく旅なんか出来るわね。――はい、飲み物はコーヒーね?」
 トーストとコーヒーを受け取りつつ、ヘレナはカウンター席で食事を始めた。
「旅の時は別よ。――あ、トーストもう一つ頂戴。卵付きで」
 旅の時はいつ何が起こるか分からないので眠りも浅いし、必要なときは相棒が起こしてくれる。
 では、何故今日みたいな事が起きたのか――。
 追加のトーストを受け取りながら、ヘレナは言った。
「……どうも、油断してたみたい。なんていうか、ここで寝ると安心できるのよね」
「ありがと。……でも、たまには家に帰ってあげなさいよ。カレンちゃんも寂しがっていたわよ」
 言われて実家のことを思い出す。血が繋がってないとは言え、それまで自分が育ってきた自分の家に違いない。けれど、どうにも距離を感じてしまい、倫敦に帰ってきても家よりもこちらへ足が向いてしまう。もう、あの家では気が抜けて化粧を忘れるなんて事も出来ない気がする。そこまで気が許せるのはやはり、この宿か、もう一人の親友の家だけだ。
 しかし、親友の言うことも間違いではない。実家には育ててくれた養親だけでなく、共に育った妹――カレンもいる。思えば長い間顔を合わせていない気がする。
 髪の色も違う妹だが、それでも大切な家族の一員に違いはない。今度会いに行ってやらなければ。成長期だから恐ろしく綺麗になっているかも知れない。
「分かってるわよ。あんた最近ますます年寄りじみて来たわね」
「どういたしまして。誰かさんみたいにフラフラとしてる人達を世話するのが仕事なんでね」
 両手を腰に手をあててどっしりと構える親友はまさに肝っ玉お母さん、と言う感じだ。とても、勝てそうにない。
「……そう言えば、彼とはどういう関係? やけに親しく話してたけど……」
 少なくとも、先程から店の真ん中で演奏をしている青年とヘレナは面識がない――と言うことになっているはずだ。
 すると、親友はやけに嬉しそうにその青年がアリストという名前であり、旅の吟遊詩人をしていること、ちょくちょく立ち寄ってくれること、等を語ってくれる。この店の、数少ない宿屋としての常連さんなのだとか。だとすれば、ヘレナと立場は似たようなものかも知れない。
「まあ、他の人とはちょっと違った関係かもね」
 ヘレナの意見に対し、親友は意外な反撃を出す。
「へぇ? どういう事?」
 ――まさかここから惚気話でも展開されるのだろうか。
 そんな無駄な気構えをしてるうちに赤髪の親友は笑顔で語る。
「宿代を払ってくれるのよ」
「――う」
 親友の言葉に思わず言葉を失う。
「まあ、正確には今までの分を今日、一括で払ってくれたんだけどね」
「へぇ――」
 そう言いながらヘレナはなんとなく視線を逸らす。
 ――まったく余計なことを。
 心の中で軽く舌打ちをするヘレナ。そこから自分に対する請求がくるかと思いきや――。
「でね、彼ったらね――」
 いつの間にか、惚気話が展開された。内心ホッとしながらも、どこか納得の行かない面持ちでヘレナはそれに適当に相づちを打つ。
 だが、頭の中に浮かぶのは別の考えだ。
 ――彼はこの店との関わりを諦めたのだろうか。
 先日自分が釘を刺したこともあり、その可能性は考えられなくもない。ツケを精算したのはまるで飛ぶ鳥があとを濁さぬよう身辺整理をしているようにも思える。
 無論、彼がこの店との関わりを断ってくれるのは自分としては間違いではないと思っている。彼に俗世は似合わない。けれど――。
「…………」
 ――この子がこんなに幸せそうに笑ってる。
 いつもしっかりしている親友がその外面を綻ばせ、幸せそうに笑っている。
 そんな笑顔を見ていると逆にこっちがいたたまれなくなってきた。
「ねぇ……」
「……ん?」
 思わず話を中断させて――何を聞くべきか迷う。だが結局曲がったことは出来ないようだ。
「彼のことをどう思ってるの?」
「ん――どうかしら? どうなのかしらね。彼は優しくしてくれるし、来てくれた時はいつも楽しいし――」
 逡巡する親友。それを口にするのは恥ずかしいのか、あるいは本当に関係が浅いのか。ただ彼女の口からは曖昧で、躊躇った言葉が紡がれるのみ。
 ――初々しい限りじゃない。
 先程の肝っ玉母さんぶりとは大違いだ。まあ、それも仕方のないことかも知れない。駄目な父がいなくなってから、自分一人でここまでなんとかやってきたのだ。恋なんかを通り越して成熟してしまうのも無理はない。
 けれど、やはり彼女も自分と同じ年頃の女性であることにかわりはない。
「例えば――彼と結婚したい?」
 コーヒーを啜りながら――しかしながら周りの人間はよく朝っぱらから酒を飲めるものだ――聞く。
 親友は迷ったあと軽く肩を竦めた。
「どうかしら。想像もできない。彼はあくまで自由に、どこへでもいくだろうし、私はここを離れることはない。
 何度か私達は同じ場所にいるかも知れないけれど……彼がずっとこの場所にいるなんて思いつかないわ」
「…………そうかもしれないわね」
 親友の告白に、思わずトーンダウンしてしまう。悲しいことに、良くできた親友は彼と結ばれることがないのだと心の何処かで分かっているのか。
「まあ、あんなもやしっ子は私もお勧めしないわよ」
「何よ、別にそんなんじゃないって」
 ヘレナの言葉に思わず親友は口答えをする。その反応に思わず笑みを浮かべつつ……。
「はいはい、分かりました」
「ちょ、ホントに分かってる?」
「分かってるってば」
「あー分かってないわね! 絶対分かってない」
 こうして親友との朝は過ぎていく。それは旅で訪れたどの街よりも楽しくて幸せな時間。
 親友とふざけあいながらも、ここが有る限り、自分は戻ってこれるのだと彼女は確信した。
 けれど。
 視線を巡らせればそこにはヘラヘラと笑う吟遊詩人が一人。
 果たして彼は――どこに行き着くのだろうか。



「さてと、そろそろ僕は出かけないと」
 時計を見つつ、アリストは言った。演奏を辞めて二人の女性達と雑談している間にいつのまにか客は引いていた。
 さすがに日曜日の朝と言えど、理由もなしにどんちゃん騒ぎをするのは難しい。その意味ではここまで客を牽引したアリストの腕は驚嘆に値するだろう。
 けれど、気が付けばアリストは演奏を辞め、テムズとその友人との会話を楽しんでいた。
 その内容はどれもたわいのないものであり、最後の会話としては少々重みに欠けたかも知れない。
 けれど、アリストにとってはどんな戯曲よりも楽しい時間であった。
 だが、それもこれまでだ。
「仕事があるの?」
「ああ、大仕事さ。……すまないけどその間ギターを預かってくれないかい?」
 アリストは無造作に隣に立てかけてあった白いギターを指す。
「それは大事な商売道具でしょ?」
 どこか皮肉げにヘレナは言う。その言葉にテムズはなんで仲良くできないのかしら、とため息をつくがアリストはまあまあ、と笑い流す。
「楽器のせいでいい仕事が出来ると思われたくないんでね。今日はどんな道具だろうと自分の力を引き出せるって事を見せてやるのさ」
 肩を竦め、アリストは気軽に言う。
「でも、楽器の保管て難しいんでしょ?」
「あぁ気にしないでくれ。こんなもんでいいよ」
 と、ギターを近くにあったレコーダーの置いてある台へ乱暴に立てかける。びぃぃぃん、とギターから怒ったような不自然な響きが出るが気にしない。
「えー、そんなので?」
「いいんだよ。どうせ今夜限りだし、第一、誰もこんなギターにさわりはしないさ」
 また不自然に弦が揺れるがアリストは気にしないし、何も見ていないことにする。
「でも、やっぱりきちんとギターケースに入れておいた方が――」
「いいって。ギターケースはまた別の用途に使うつもりだし、このままでいいよ」
「でも……」
 余りと言えば余りの乱暴加減にテムズは首を縦に振らない。
「いいじゃない、本人がいいっていってるんだから」
「そうそう。今日初めて意見があったね」
 アリストがそう言うと、ヘレナはふん、と首を横に振った。
 それを見てテムズはくすり、と笑い、仕方ないわね、と観念した。
 そうして、アリストは店の外に出て、テムズは当然のように見送りに来てくれる。
「でも、ホントにギターはいいの?」
「ああ、僕が戻るまでの間でいいんだ。預かって置いてくれ。まあ、あぁ見えて気性の激しい奴だけど、あそこにおいとく分には問題ないと思うよ」
「変なの、まるでギターが生きてるみたい」
 くすりと笑うテムズに対し、アリストも曖昧な笑みを浮かべる。と、そこでテムズの背後を金髪の少女がそろーり、そろーり通り過ぎようとしたのが見えた。
 それを察知したのか、テムズはくるりと振りかえると、金髪の少女に話しかける。少女は驚き叫ぶもテムズは慣れた調子であっさりとその少女をやりこめた。
 そんなやりとりを見ながら、アリストは軽く羨望の念を抱いた。
 彼女らのやりとりは家族そのものだ。それはもう、到底アリストには届かない――。
 と、突然足を踏まれて思考が中断される。
「――は必要かしら?」
 気が付けばテムズは少女との会話を終え、こちらに話しかけていた。ちらりと足を見ると苛立たしげに近くを黒いブーツが右往左往している。
「夕食なんて外で済ましてくるでしょ?」
 全身に黒を身に纏う女性――ヘレナが補足してくる。
 ――なんだかんだ言って親切な人だ。
 くすり、と笑いながらアリストはああ、必要ないと応えた。
 今夜は一世一代の大仕事だ。それどころではないだろう。
「じゃ、また今夜」
「……気をつけて」
 にこやかな赤髪の女性と不満げに腕を組む黒髪の女性に見送られ、アリストは向かうべき場所へと歩き出した。





 ふと、顔を上げる。

 そこには神父がいた。
 黒衣を纏い、帽子を被った神父。だが、その形相は神父にしては野性的過ぎて、聖職者としては失格なほどの迫力がある。
 その神父が銃を構え、目の前に立っていた。
「……え?」
 余りにも場違いな出来事にアリストは目を白黒させる。
 ――相手は何のつもりだろうか。
 ――何故此処にいるのか。
 ――何故銃を構えているのか。
 余りにも場違いなその風体に一瞬これは夢ではないかと錯覚すらさせられる。
 けれど、それは確かな現実だ。
 では、相手は何故銃を構え、立っているのか。
 何故こうも嬉しそうなのか。
 ――ああそうか。
 アリストはなんとなく理解した。
 ――こいつが、僕にとっての死神なのか。
 全ての覚悟を決め、目を閉じる。
 ここまで、時間にすれば一秒も経っていないだろう。
 だが、幕を下ろすには充分な時間だ。


 そして、一発の銃声が響いた。


 感じるものは何もない。
 ただ、目を開ければ紅い世界が広がるのみ。
 どこを見回してもただ深紅が世界を埋め尽くす。
 そして、叫び声が辺りに響いた。
 それは紛れもない――終焉の証だった。







その終焉とは――

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