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Contributor/しゃんぐさん
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アクワイのそれはそれで無難な午後



 アクワイはこの島国に来てからよく考える事がある。
 たとえば、自分の人生が今とは違う別の軌跡を描いていたとしたらどうだろうか。この国で自由気ままに、生まれたときから将来が決まっているわけでない人生を歩んでいたら、どんな生活をしていただろうか。
 そしていつもこう結論する。
 そんな奴は、たとえ同じ姿形をしていようと自分ではない。アクワイなる人物は、一族のがんじがらめのしきたりに育った“ナレノハテ”であって、それ以外の環境でアクワイが存在する事はありえない。つまり、
「考えるだけ無駄だってことだよな……」
 雨のち曇り。どんよりとした暗雲を眺めてため息をつき、アクワイはブリキのバケツから腰を上げた。
 袋小路の裏路地、なんだかんだでアクワイは仕事明けにここにいることが多い。
 早く帰ると下宿している教会の牧場を手伝わさせられるのだ。ずいぶんと後ろ向きな理由である。
「おい! 今ここに金髪のすかした野郎が来ただろう!」
 もっとも、ごろつきたちと顔を付き合わせるよりかは幾分かマシかもしれない。
「“野郎”は来てないな」
 アクワイは正直に答えた。
「ふざけるなよ、こっちはこの目でしっかりと見てるんだ」
「だから、金髪の“男”なんて来ていないと言ってるじゃないか……」
 事実を告げたのだが、なぜか悪漢達はお気に召さなかったようだ。
「……どうやら、痛い目にあいたいようだな」
 角材やら何やらを手に持ち、にじり寄る男達。
 あきらめ半分にため息をつく。
 アクワイはゴミ箱の蓋を取り外して、フリスビーの要領で目の前のスキンヘッドの男に投げつけた。
「うお?」
 不意打ちに近い攻撃はスキンへッドの顔面に直撃したが、ブリキの蓋が当ったところでダメージがあるわけない。だが、
ずたーん――と、スキンヘッドは派手に転び、後頭部を勢い良く地面に打ちつけた。塗れて地面に貼りついていた新聞紙に足を滑らしたのだ。後頭部を強打してあえなく昏倒する禿頭。
 こけた拍子にそいつの持っていた角材が飛んで来る。アクワイは無難にそれをキャッチした。
『な……』
 起きた事が理解できずに後退りする悪漢達。倒れた男を囲んで一歩下がり、困惑の表情をしている。
「武力行使はオススメしないよ。なぜなら――」
 注意しながらも今度は角材を投げる。大きく放物線を描いて跳んでくる角材をよけようとして、
ずたたーん――今度は後方の蓬髪と天然パーマの男が派手に転ぶ。足の裏には濡れた新聞紙。
「なぜなら、ここにいる時点で君達は負けているのだから」 
 近寄ってもいないのに三人が気絶させられた。
 訳のわからないその事態に、残った二人は転んだ男達に囲まれるようにして恐怖し、混乱している。
「こ、こいつ。罠を張りやがったな!」
 残ったうちの角刈りの男が、悲鳴を上げながら拳銃を取り出した。
「そんな面倒な事はしないよ」
 のんびりと右足を下げて半身を引くと、銃弾が余裕を持って胸の前を通り過ぎていった。続けざまに放たれた二発目はもとより軌道がそれている。
 アクワイはぼんやりと空を眺めていた。
 どんよりとした雲を見て明日は晴れるのであろうかと考える。
 遠くに入道雲が出たら明日は晴れるだろうとか、うろこ雲なら明日は風か雨だとか、人は雲の流れや過去のデータを基に天候を予測したりする。だが、実のところそう言ったものの予測は外れる事が多く、現代の気象学を用いてもその的中率は少し上がる程度だ。
 天候というものは雲の動きだけでなるものではなく、地形や気圧、あるいはもっと膨大な要素の影響を受ける代物だからだ。それはさながら、大陸で蝶が羽ばたけば新大陸で嵐が起こるように、人知の及ばない壮大な事象の連続――
――そんな事をぼんやり考えていると、
「な、何であたらないんだよ!」
 既に五発撃った角刈りが悲鳴をあげてまだ撃とうとしていた。こんな狭い場所では撃てるポジションなど限られているというのに、照準を合わせなおそうと移動して裏路地の壁に身体を打ちつける。照準を見失い、角刈りは再度慌てふためいた。
 再びため息をついて右のコルトパイソンを引き抜く。
パアン――と、ちゃちな音が鳴り、銃を持っていた角刈りの腕と隠れて銃を抜こうとしていた弁髪の男の手首から血が吹き上がった。銃声は一発しか聞こえず、誰の目にも一発撃っただけにしか見えなかったが、銃弾は二発射出されていたのであった。撃鉄を中途半端に起こして離しそれから引き金を引くと、こういうことができる。二丁のコルトパイソンを譲り受けた変な黒人に教えてもらった技だった。
 路地裏特有の水っぽい生ゴミの匂いに三発分の硝煙のにおいが混じりあう。
「……銃はあまり得意じゃない。腕を使い物にされたくないのならやめといた方がいい」
 蓬髪と天パが起き上がったようだが、既に戦意を喪失しているようだった。
 なかなか去ろうとしないので上空に一発。
「さっさと、去れ!」
 大声で叫ぶ。惚けていたごろつき達はそれでようやく蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。
「やれやれ……」
 蓋を閉めてブリキのバケツに腰をかけ大仰にため息をつくと、最初にこけたまま見捨てられていたスキンヘッドが銃を引き抜いてこちらを狙っていたのが見えた。こけていたのはこいつだけで、残りの二人はとっとと逃げたらしい。
ひゅーん、げん――と、禿げ上がった頭の上に、窓から鉢植えが落ちてくる。上空に撃った銃弾が窓のプランター棚の支えを打ち抜き、それがいまごろ崩壊したのだった。
 洒落にならない打撲を受けて今度こそ気絶したスキンヘッドを尻目に、アクワイは三階の別の窓に向けて呼びかけた。
「もういいですよ、御主人」
 少しの間をおいて、
「ああ、ご苦労だった」
 凛とした声が、その窓から聞こえた。


 昼間という事もあって客の少ない地下パブの隅っこで、アクワイは絶世の美人とテーブルについている。
 時折、ちらちらとこちらを見る男達の視線を感じるが、彼女の服装が男装なだけあって誰も近づいてはこない。「美人のにーちゃんがいるな」 程度に思っているのだろう。
 銃声を聞きつけて警察が駆けつけてきたので、逃げるように馴染みの安パブにやって来たのであった。
「で、一体何なんですかあいつら。銃まで持って……ただのごろつきじゃあないでしょう?」
「何かと言われても、ただの刺客だが」
「……刺客にしては弱くありません?」
「それはそうだ、何しろボクが雇っているのだからな」
「…………」
 まあ、いろいろつっこみたいところはあるのだが、この人がそう言うのだからそうなのだろう。彼女(かれ)の一族制圧計画(仮)は順調に進んでいるのかもしれない。
「ところでアクワイ。何ゆえに“御主人様”などとかしこまった言い方をするんだい?」
「そりゃあまあ一応、俺は従者ですから」
 難色を示す彼女の言いに憮然としながらもそう答える。
 サリサタ様の従者の任を解かれたことが、いまだに不服なのだった。
 それだけではない。ここ最近、アクワイは今日みたいな雑魚退治やら生活用品の買い出しなど、どうでもいいことしか命じられていない。暇ではないのはありがたいが、これではただの小間使いだった。
 そんな不平不満をこめて、最近では彼女の事を少し嫌味ったらしく「御主人」 と呼んだりするのであるが、どうやらやっと嫌味が通じたようだった。
「つれないなぁ。昔懐かしく、マリーとあだ名で呼んでくれたまえよ」
 まるで嫌味の通じてない口ぶりに、アクワイは肩をがくっと落として反論する。
「誰がいつそう呼んだことがありましたか……ユリウスやジョルジュでその名前はまずいでしょう」
「む。それもそうだね」
 細いあごに指を当てて考え込む麗人。アクワイはため息をついて紅茶のカップを口に近づける。
「では、ボクのことはダーリンと呼んでくれたまえ……――おや、なにゆえそこで紅茶を吐き出す?」
「げほっげほっ……正気ですか!」
「ボクはね、嘘はつかないよ」 笑って片目を瞑り、口元に手を当てて、「それとも、やっぱりハニーの方がいいかい? けど、どちらかと言うとそれはボクが言った方がしっくり来る……」
「しっくりじゃないでしょう!」 声を荒らげてまくし立てる。「従者と! 主人! 我々はそれだけの関係です!」
「おやおや」 と、金髪の麗女は上目づかいに微笑んでこちらを覗き込んだ。いかにも残念そうな口ぶりで。「ボクのこと嫌いかい?」
「俺はその手の冗談が一番嫌いなんです!」
 そっぽを向いてわめく。顔が火照っていたのは羞恥によるものだろう。
「ははは、心得ておくよ」
 突き放すように言ったつもりが、軽くあしらわれたようだった。……だから苦手なのだ、この人は。
「それはさておき。ここから先が本題なのだが」
 打って変わった真剣な表情で、彼女は両手を握ってテーブルに置いた。
 アクワイは思わず居住まいを正す。だが、
 ニヤリ、と彼女は口の端を歪めて笑った。
「これから泥棒に入ろうかと思う」


 羽根のように軽やかに柵を飛び越える主人に、アクワイはため息をついて忠言する。
「やめましょうよ……見つかったらどうするんですか」
「見つからないために君を呼んだのだ、さあ、さっさと鑑定したまえ」
 両手を広げて邸宅の方を向く。金髪がふわりと舞ってまばゆい陽光に溶けこんだ。さっきの曇り空が嘘のように、今は晴れ渡っていた。今日は雨になると思ったのだが……やはり規模が大きな事象の予測は難しい。
 貴族の屋敷と言うのは基本的に郊外にある。都会に邸宅を建てられるほどの広大な土地は、いかに貴族と言えど買えはしないのだろう。
 なんにせよ郊外なので警察が巡回に来る事はないし、これほど広いと警備はどうしても手薄になってしまう。門前には警備員はいるようだが、こんな風に裏手の柵をよじ登れば誰にも気付かれはしなかった。
 周囲を気遣うアクワイをよそに、今から忍び込むぞと意気込む主人。柵の向こうで青い瞳を細め屋敷を見上げていた。
「目指すは隠し金庫。それ以外に用はないよ」
「……了解」
 嘆息してから鉄槍のような柵を登り、屋敷の全体を眺める。屋敷は豪邸とまではいかないモノのかなりの大邸宅であった。土汚れの少ない壁を見る限り築一年も経っていない。立地、様式、庭の手入れや警備員の数から察するに、中流貴族が急激にのし上がったいわゆる「成金」の屋敷だろう。警備に金を使わず、外観は見た目重視、建材はかなりけちってるといった、どうしようもない金遣いの悪趣味さがひしひしと感じ取れた。
 そんな分析しながらも、アクワイは屋敷の全体を一瞥する。
「ん〜、多分書斎ですね。あの二階の窓かな?」
 ざっと見ただけで、屋敷正面にある窓を指さしする。屋敷の西側の小屋へと指を移動させて、
「あっちから、屋根づたいに行けば一番早いはずです。一番高い壁で7.2フィート、この柵が8.23フィートだからロープは必要ないですね」
 ちょいちょいと指を移動させて支持する。
「ん、まあ君がそういうのだから間違いなかろう」
 柵の向こうの主人は、特にコメントも無くとスタスタと歩き始めた。
「ほら、早く来ないか。道案内頼むよ」
「ま、待ってくださいよ」
 慌てて飛び降りる。マントやら武装やらの重装備の割には音もなく着地すると、早足で主人を追いかけた。
 途中で庭を徘徊していたドーベルマンとすれ違ったが、猛犬は鼻をすんと鳴らしただけでのそのそと去っていった。


「しかしハニー」
「応えませんよ」
「……しかしアクワイ。この香りは何とかならないのかい?」
 眉根を寄せて細い手首を鼻先に近づける麗人。書斎の窓に腰掛けて一応は見張りをしてくれているらしい。
 まあ、確かにいつも身に纏っている香水や香木の匂いに比べれば幾分か鼻につく匂いではある。
 アクワイはため息をついて、
「無駄にあの黒い犬ころになつかれたいと言うのなら別に構いませんよ」
「こんな雅(みやび)でない物を開発しているから、我が一族は時代に取り残されるのだよ」
 一族御用達の香に難色を示す彼女には取り合わずに、本棚の配置、デスクの位置、そして絨毯の足跡をしげしげと眺める。その気になれば遠目でも指紋の跡を見る事ができるのだが、今回は必要なさそうだった。
 光が射すデスクを通り過ぎ、本棚の前に立って一つだけ埃を被っていない古びた辞書を見つける。手垢が付いている割には日焼けしていないその本を手前に倒して、奥へと押し込んだ。
がこん――と、なにやら機械的な手ごたえを感じる。
 真下の床板を踏み、少し押し上がった本棚を右側へとずらす。本棚はひとりでにスライドして、隠れていた金庫を目の前に現した。
「なんの面白みもないですね……」
 本棚を動かす仕掛けと盗難防止用の警報装置まで一瞬で解除してみせたアクワイは、自らの技を誇るでもなくその金庫に取り掛かった。
「しかし何でまたこんなところに忍び込もうと思ったんですか? いくら敵が多いとは言え金策に困る事は無いでしょう?」
「金は無ければ不自由だが、あっても自由を縛られる事もある。どちらが幸せかは本人が決める事だがね」
「何のことです?」
 微妙に質問とは離れた回答に、アクワイは首を傾げる。
 彼女は窓枠に体重を預け、外の風に身をゆだねる様に金の髪を揺らして目を細めていた。
「どれぐらいで開きそうだい?」
「ざっと、1分ぐらいですね」
「ふむ、間に合わないか」
 そう言って、入り口を眺める。
 書斎のドアがゆっくりと開いた。現れたのは、ほうきとバケツを両手に持ったメイド姿の少女。
 一対ニの視線が絡みあい。微妙な間が生じる。少女の目が丸くなりそれが急速に焦点を取り戻して――大きく息を吸う気配。
「あ、あなたたち――」
「――ストップ……やあ、お嬢さん」
 目にも留まらぬ速さだった。白衣の麗人は少女の唇に人さし指を重ね、残る手で少女の背中を抱き寄せる。バランスを崩され不安定な状態になる少女。
 そして、目線が自分の唇を見るように絶妙の間合いを測って、
「大丈夫、ボクは悪党じゃない」
 滑らかな、身体の芯までとろかすような優しい声でそう囁く。声に反応して目線を上げる少女。そこには彼女を見つめる蒼の瞳。一瞬で少女の顔が朱に染まる。
「お願いだ――信じて欲しい」
「……はい」
(あれは絶対に真似できないな……)
 うっとりと、夢心地の表情で身体をまかせるメイド少女を横目で見ながら、アクワイは金庫の扉を開く。
 開いた中から出てきたのは――
「……それを、盗むのですね」
――ふいに、少女はこちらを見、そしてまた目の前の彼女を見てそう呟いた。
 その問いに、金糸の美姫は微笑んで答える。
「君たちには、おそらく迷惑をかける……」
「……いえ、いずれ、いずれこうなると思っていました」
 目を伏せ大仰に首を振る麗人に、同じく目を伏せて両手を握り胸の前に置く少女。
 なにやら寸劇を始める二人にアクワイは、
(これは良い事なのだろうか……)
 と、今更といえば今更な疑問を抱きながら、金庫のトラップをさくさくと解除した。




 数週間後。

 いつもの裏路地。いつものようにごろつき共を追い返し、従者とその主人は雑談に興じていた。
「ほう、そんな事があったのかい?」
「大変でしたよ……」
 今日も今日とてニ、三、細々としたことを頼まれる日常である。ただし、今日のアクワイは疲労困憊で今にも眠りにつきそうなほど肩を落として憔悴しきっていた。
「よかったじゃないか。君が海の平和を護ったのだぞ。一族を表して表彰状をあげよう」
「んな、正義ぶったものじゃなかったですよ。あれは……」
 先日の事である、アクワイの働く船が突然海賊に襲われ――いろいろあってアクワイと他二名の活躍によってその海賊団のアジトを壊滅させたのであった。思い出すにもおぞましい事件だったので早急にこの記憶は封印したい。
「結果よければ全て良しだ。是非ともその場に居合わせたかったモノだよ」
「よしてくださいよ。それこそ収拾がつかない……」
 と、うなだれた顔を上げると、
「って、あれ?」
 つい先程まで話していた相手は忽然と姿を消し去っていた。バケツから立ち上がり、首を振って狭い裏路地を確認するが、その場に居たのはアクワイだけ。……いや、もう一人、外から歩いてくる見ず知らずの女性だけであった。
 それを確認してからアクワイは、
「え……と。どなた様です?」
 もしかしたらとバケツの蓋を開けながらも訊ねる。もちろん主人は中にいなかったが(いても困る)。
 この辺りの人ではない。みすぼらしいが丁寧な刺繍を施してあるドレス姿の淑女が日傘を閉じてこちらに近づいてくる。その婦人は自分を通して誰かを見るような遠い目をしてから、無言で一通の白い封筒を手渡した。
「……これは?」
 目を伏せた女性はしかし何も答えはしなかった。ただ一礼をして日傘で顔を隠してきびすを返す。そのまま路地の外で待っていたらしき少女と合流して、少女に手を引かれるようにゆっくりと去っていった。
 白い影の残像が路地の外に白く溶け込んで、消える。
 それで終わりだった。
「行ったようだね」
「どわ!?」
 ブリキの蓋をためらいなく投げると、声の主は回転する蓋の縁に指を引っ掛けてそれを投げ返した。
ガコン――と、倍返しに近いダメージを鼻に受けて、アクワイはひっくりこける。
「やれやれ、まだその性癖は治らないのかい?」
 ふぅ、とため息の音が聞こえる。
「ひ、人を変態みたいに言わないでください!」
「ははは、紛れもない変態に言われてもなあ」
 鼻を押さえて抗議するも、この主人にはまったく通用しない。あきらめてアクワイはため息を吐く。
「……で、誰だったんですか今の人は? この前の盗みと関係があるみたいでしたが?」
 付き添っていた少女は遠目ではあったが以前忍び込んだ屋敷のメイドであった。仕事柄アクワイの目は抜群に優れているのだ。
「なあに、悪趣味な成金に不本意な婚約をさせられたかわいそうなご婦人だよ。その成金、つい最近脱税やら不正取引やらが発覚して家ごと没落するハメにあってね。いろいろあって離婚して里に帰ることになった踏んだり蹴ったりな命運の人さ」
「政略結婚ですか……」
 あの時開いた金庫は金銀財宝や宝石などではなく、ただの帳簿と書類であった。もっとも、量と質で言えば金銀財宝よりも富み、麻薬や銃火器並みに汚いものだったが。
 あれが誰の手に渡り、どういう風に使われたかはアクワイには知りえなかったし、知りたいとも思わなかった。彼女がどこでどうしてあの婦人と出会ったのかも。
 白い封筒を差し出す。ふと、思い出したようにアクワイは付け加えた。
「……泣いてましたよ。あの人」
「政略結婚とはいえ、そこに愛がなかったのかどうかは……また別の話なんだよ」
 そっと封筒を受け取り、懐にしまう。どこか寂しそうな目だった。
 結果的に良かったのか悪かったのか判然としない、そんな結末。
「だが、彼女はそれを望んだのだよ」
 遠い目線。その表情からはなにも窺い知る事はできない。
「お節介だったとは思わないのですか?」
 少し咎めるようなトゲを含んだ言い方。
 アクワイの感覚からすれば、政略結婚は別に悪い事ではない。愛とは「家」 が選んだ婚約者に対して抱く感情であって、それ以外の原因で愛が芽生えるのは、どこか不潔だ。
 どんな仕打ちを受けていたのかは想像が付かないが、嫁いだ先の没落を願うという感情は、自分にはひどく恐ろしく異常な感情に思えた。たとえどれだけ悪事を働いていて、いずれは没落する運命にあるとしてもそれは同じだ。もっと他にやりようがあるはずだ。
「いずれ君にも理解できる日が来る。ここに、この街に居さえすれば、ね」
 当の昔に一族を見限った長姫は、まるで聞き分けのない子供を諭すように優しく微笑んでそう答えた。
「……ぞっとしますよ」
 そんな奴はもはや自分とは言えない。
 未来の自分が今のこの感情を全否定するのだ。そんなのは、とても耐えられたものではない。
 彼女の言っている事がわからないわけではない。人は日々何かに影響されながら暮らし、その影響の連続が徐々に、だが確実に人や世界を動かし変質させていく。この世に不連続なものはなく、不変的なものもまた存在しない。
 それゆえにアクワイはその類まれなる洞察眼を駆使して「影響の連続」を「捕捉」することで、観測対象の見えない部分や全体、さらには過去や未来までも透し見る事ができるのだ。
――もっとも、弾かれたビリヤードの玉のように限られ、見慣れた空間と要素内でないと未来予測はできないのだが、
(……いつの間にか、ここも見慣れた場所になっていたんだな)
 うらびれた路地裏を眺めてため息をつく。
 昔のままの人間はあり得ない。
 あり得ないのだが……
「……やっぱり、この街から一刻も早く離れるべきです。貴女も……サリサタ様も。貴女たちは、変わる事の怖さを、寂しさを知らないのです。……がんじがらめの幸福の中に生きるもの達にとって、変わるという事は……残されるという事は…………死の喪失感にも似た不幸なのに………………」
 どんどんと小声になっていく。無茶苦茶な事を言う自分の不義理さと不誠実さに。
 愚かな従者の聡明な主は愚痴とも付かない言葉を全て受け止めてから、一つだけ質問した。
「アクワイ。君の忠誠はどこにある?」
「……! それは」
「迷う事はない、ただ見守ればいいんだ」
「ですが」
「君もまた変わるべきなんだよ、彼女の騎士でありたいならね」
 夕方に差し掛かり始めた路地裏は、家庭に帰ろうとする子供達の声が壁に反響しながらも良く聞こえる。
 遠くで懐かしい声を聞いたような気がして、アクワイは目を閉じて立ち尽くしていた。
「なあに一時の不幸は後の幸福だ。――誰だって不幸になりたくて生きているわけではないのだしね」
 懐かしい声が、もう一つ重なって聞こえる。
 この人は変わってない。いつまでも強いまま――
(――いや。この人はただ自然なだけで、変わり続けてはいるんだ……)
 金髪碧眼の我が主は外の光を浴びるように出口へと足を向ける。
 壁に挟まれて路地裏は既に薄暗くはあったが、外はいまだに明るかった。
「もっとも」と、麗人は肩をすくめる。「ボクとしては、その忠誠心を少しはこっちにも割り振ってもらいたいものだがね」
 白い燐光を背負い、片眉を上げて微笑む。
 いつか、自分も変わる日が来るのであろうか。変わった自分は、あの人にとってどんな人間になれると言うのか。
「――どうも君はボクに対して敬意と言うものが無いようだし。やはりここは一度じっくりと……」
 ……まあ、この人に振り回されている限り、何をせずとも変わりそうではあるけれど……それに任せるとひどい目に逢うだろう。

「ならそろそろ小間使いは勘弁してくださいよ」

 アクワイはため息をつこうとして――


――なにかを吹っ切るように苦笑した。








余談

「じ、事件ですぅ!」
「そうか、それはよかった。血相変えてやって来るから何事かと思ったぞ」
「お・お・ご・と、じゃないですかぁ!! これ!」
「また、この新聞か。相変わらずだな……ええと、『霧むせぶ魔都に美貌の怪盗現る?』」
「新ライバル登場ですぅ! 番組改変期! 路線変更の憂目! 怪奇に彩られたロマン溢れるシリアス風味にモーメントスライド! その名も素適、『怪盗ロンリネス大宇宙』!」
「友達いなさそうな名前だな……」
「仕方ありませぇん! 怪盗は最初に発見した人にネーミング権があるのですぅ!」
「んな星の名前じゃあるまいし」
「くうぅ、燃えて来やがったぜー! ミラクルなファイアーがソウルフルにバーニングですよぉ!」
「なんだそれは……。ええと、【美貌の怪盗は、磁器人形のような繊細な顔立ちに流れるような柔らかな金髪、深い海のごときブルーアイズに貴族のような優雅な物腰で……】 ふむ。随分耽美な怪盗もいたものだな」
「…………」
「ん? どうした。青い顔して?」
「き、ききき気のせいですぅ! 得体の知れない嫌な予感なんて全然していませぇん! ま、待っていろですエンドレス深呼吸!」
「微妙に全部違うな」
「もとい、待っていろパラダイス銀河! いつの日か! いつの日かこの名探偵が正義の推理で神妙にお縄につかしてやりますぅ! ささっとかかってきやがれ! ……ですぅ(ため息)」



おしまい

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