And others 1

Contributor/影冥さん
《BACK

外伝 働くおじさん〜医療編

「次の患者を」
 私は立ち去った患者を見送った後、傍に控える有能な看護婦に言った。
「本日は先程の患者が最後です。先生」
 間髪入れずに感情が篭っているようには思えない声が返ってくる。
 この看護婦は有能なのだが、人間性が欠けているのが問題だ。束ねた金髪にはっきりとした目鼻立ち…だが、それは彫像を思わせる。
「そうか。では、後片付けを頼む」
「はい」
 私は立ち上がりざま横目で彼女を見た。人間らしいしなやかさだが、機械の如き正確さを持った動きだ。そのせいで余計に冷たさを感じる。
「セリーヌ」
「はい」
「明日は何か特別な仕事は入っているか?」
「ありません」
「そうか」
「はい」
 これが今日最長の会話だとは誰が思うだろう? 少なくとも私が客観的な立場だったら思わない。
「他にも何か?」
「いや、何もない。続けてくれ」
「はい」
 必要最低限の返事をかえしてくれた後、彼女はまた作業にもどった。
「受付にいる。終わったら君も来なさい」
「はい」
 手術のときなどは頼もしいのだが…さらに人間性を求めるのは贅沢なのだろうか? …いや、もうよそう。意味のないことだ。
 私は消毒液の瓶を片手に診察室から出ると受付に向かった。向かうといっても診察室の向かいの扉の先が待合室を兼ねた受付だ。
 はっきり言うと、この病院は診療所並の大きさしかない。医者も私一人だ。だが、それでも病院を名乗る理由は…特にない。あえて言えば設備が優れているといった所だ。
「アリス」
 私は受付の席に座っている残りの看護婦に声をかけた。…残りといっても一人しかいないが。
「はい。先生」
 病院という場には不似合いなことに、腰まである赤みがかった金髪を束ねもせずにそのまま流している。しかも、服や顔のあちこちが泥で汚れていた。
「今日は計算を間違っていないだろうな」
「やだなぁ、そんなに間違いませんよ」 
「そうか。それで、今日はどんな遊びをしたんだ?」
「今日は、男の子の意見を取り入れて鬼ごっこを…て、あ…」
 アリスは看護婦だが、実際には受付しかさせていない。その理由は至極単純。無能だからだ。風邪薬のはずが致死量の麻酔薬を処方したりする。
「…仕事は怠っていないな?」
「はい。…一応」
 私はこれ見よがしに溜息をついた。それから、俯いてすまなさそうにするアリスの前に片膝をつく。
「先生?」
「どうせ膝をすりむいただろう。手当てする」
「…はい」
 アリスは少しためらった後、膝までスカートを上げた。傷口を洗ってはいるようだがそれだけだ。
 私は消毒液を少量ハンカチに取ると、傷に軽く当てた。
「あう…」
「しみるか?」
「はい、少し…」
「我慢しろ」
「あうぅぅぅ…」
 少しずつ消毒していると、セリーヌが入ってきた。
「布を持ってきました」
「ああ。そこにおいてくれ」
「はい」
 セリーヌは受付の机に清潔な布をおくと、帳簿に目を通し始めた。だが、すぐに顔をあげて告げる。
「先生。計算を間違っているようです」
 私は迷わず消毒液を傷口にそのまま注いだ。


「今日の反省をする。セリーヌは問題なし。アリスはまともに働けるようになること。以上だ」
 三十分ほど後に、私たちは一日の締めくくりを行っていた。あの後何があったのかは、床の上で力尽きているアリスの様子から察してもらいたい。
「では、今日の料理当番だが――」
 私が続いて家事の分担を――二人とも住み込みなのである――宣言しようとしたとき、派手な音を立てて玄関の扉――受付兼待合室兼入り口になっている――が開いた。
「サリーがいきなり倒れた!」
 目をやるでもなくわかった。凄腕の…確かウェッソンとかいう男だ。サリーということはあの探偵気取りのことだろう。
「セリーヌ」
「はい」
 セリーヌは布の隣に置かれた薬の包みを凄腕に差し出した。すでに予想して薬を持ってきていたらしい。
「おい! 症状も聞かないで薬なんて――」
「熱止めと咳止め、少量の睡眠薬です」
「分かり易く言えば風邪薬だ。何か問題でもあるか?」
 凄腕の言葉を遮るセリーヌの後に私が続いた。凄腕は驚いた顔で私たちを見ている。失礼な奴だ。
「どうして、わかったんだ?」
「どうせ昨日の雨の中走り回っていたんだろう?」
 凄腕は感心したように頷いた。それから言いにくそうに切り出す――前に私が言う。
「薬代は借金に加えておいた。他に用はあるか?」
「…すまん」
 凄腕は薬を受け取ると慌しく去っていった。わかりやすい奴だ。
「では、改めて食事当番を――」
 私は看護婦二人に向直り――力尽きたままのがいたが――改めて分担を宣言しようとすると、再び扉が派手に開いた。
「なんだ? 何か忘れ物でもしたか?」
 扉に向直りながら――我ながら忙しいことだ――声をかけたが、相手は予想と違っていた。
「ついにい見つけたぞ、裏切り者!」
 黒い白衣――矛盾しているようだが、色が黒くて形状が白衣と同じ物なのだから仕方がない――を着て、シルクハットを頭に載せた変態が立っていた。
「セリーヌ」
「はい」
 セリーヌに声をかけると、彼女は冷静に変態に対して塩を投げつけた。これも予想していたのだろうか?
「うわた! ちょっと待て、目に入った!」
 私は目を押さえてのた打ち回る変態――驚いたことにシルクハットは脱げない――に冷たい視線を投げつけながらセリーヌに指示を出した。
「警察を」
「はい」
 セリーヌはすでに片手に受話器を持っていた。実に有能だ。もう一人はいまだに力尽きているというのに。

やがて、変態は警察に連れて行かれた。連れて行かれるときに、
「さらばだ、BJ」
 と、声をかけてやったら。悔しそうに顔を赤く染めた。…とうとう組織の追っ手が来たか。

「さて、食事の当番だが」
 私はセリーヌを見、それからアリスを見た。次いで溜息をついた。
「私がやろう」
 私は宣言すると二階にある台所に向かった。
 アリスは問題外だ。まともにできるのは会話程度の相手にそんなことはさせられない。
 そして、セリーヌ。彼女の腕は間違いなく一流だ。問題は、朝食にさえ調理に一日かけるという程度だ。
 …素晴らしきかな無能な看護婦。素晴らしきかな有能な看護婦。望むべくはいつの日か私が料理当番から解放されることである。

END

《return to H-L-Entrance